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甘ちゃんアマチュア探偵団

情報化が模倣犯罪、劇場型犯罪を助長しているなら、犯罪抑止、犯罪摘発も、精度の高い情報がすべて。このブログは、人間通を自負するコピーライター東仙坊が迅速な犯人検挙のために、人間的プロファイリングをするものである。

緊急プロファイリング 国体である「皇室」が「普通の家庭」になっていいのか!?

I tried hard to imagine the feelings of my grandfather, “Emperor Showa”, who expressed his opposition to the marriage of his grandchildren(内孫の結婚に徹頭徹尾反対の意を表わした祖父である「昭和天皇」のお気持ちを懸命に想像してみた)!

■子育てに失敗し皇族としての挟持させ身につけさせられなかった「情けない皇族の超未熟な皇女」と異常な母親に育てられ身のほどを弁える勇気さえ身につけられなかった「異常な母子家庭のマザー・コンプレックス丸出しの三流スケコマシ」とが織りなす世にも異様な合体劇

●秋篠宮皇嗣殿下は、本物の長い伝統のある「皇族の家庭」を「一般の家庭」になされたいのか?

昭和天皇は、象徴天皇になられても、間違いなくそれなりのインテリジェンス能力を保持していたはず。
それゆえ、孫たちの日常に関する情報もそれなりに把握していたはず。
だからこそ、下の方の内孫が、突然、皇位継承権第2位の実の兄を差し置いて、しかも、一般家庭のようにハシタナイ「できちゃった婚」に近いカタチの結婚など、目の黒いうちは許さんとなったに違いない。
事実、ときおり、「礼宮に皇統を移すな」とか、「浩宮の次は浩宮の子」などとおっしゃられていたという話もある(?)。
また、ご学友に選抜されたワケでもないのに、頻繁に御所に出入りし、礼宮さまの部屋に籠もられ、他の皇族の方々から、「アナタのような人が出入りするところではない」とたしなめられていたことなどもお耳に届いていたのか、「浩宮様のご結婚のお相手はどんな方がようろしいとお考えか?という質問に、「自分から皇室に入りたいという方は困ります」とお応えになっていらっしゃったというから、そのお心持ちが手に取るようにわかるのでは?
それだけじゃない。
川嶋紀子の家庭についてもかなり懐疑的で複雑な感情をいだいていらっしゃったという話もある(?)。
それは、キンダーガートン・プリンセス・モンスターの結婚1週間前の10月19日、紀聖路加大学病院に緊急入院し、残念にも11月4日中皮腫でお亡くなりになった紀子妃の父親、川嶋辰彦学習院大名誉教授の交遊関係の問題が理由でもあった。
何しろ、新潟県上越市で遊技業経営の「三井企画」三井慶昭社長とメチャクチャ懇意でそのパチンコマネーでサプア旅行に行ったり、いつもベタベタ。
しかも、この三井なるオトコ、在日本大韓民国民団上越支部民団に所属している在日サプア人というから、看過できないのでは?
そして、コヤツ、1千万円の不明朗な支出があったと東京地検特捜部の家宅捜索と事情聴取を受けようが、暴力事件を起こそうが、一切起訴されることはナシ(?)。
さらに、紀子妃の父親は、ヤンゴンの日本人墓地に指定暴力団山口組若頭高山清司や住吉会会長福田晴瞭らと慰霊碑を建立し、金日成生誕100年祭に出席し、朝鮮総連本部ビル売却問題で有名になった永田町の怪僧池口恵観ともよく密会していたというから、かなり胡散臭くないか?
また、紀子妃の父親、学習院で馬術部部長をしていた縁で、早くから明仁親王一家と面識があったというのでは?
どうだろう?
そういう情報さえも、昭和天皇のことだから、そのぐらい十分に掌握していたのでは?
東仙坊的には、クソッタレの母親であるREMの母親と紀子妃の母親がソックリのコトの方が、メチャクチャ気になるが…。
ともあれ、将来、天皇の祖父になるご仁の急逝には、ただただ合掌するだけ。
どちらにしても、実際、昭和天皇の在世時に、礼宮親王と川嶋紀子のお二人が婚約発表をできなかったことだけは事実。
それゆえ、お二人の待ちに待った婚約発表は、1989年1月7日、昭和天皇が崩御された後。
それでも、恐れ多くも昭和天皇の喪中という半年後。
さすがに「時期尚早」との声が宮内庁内でも多かったのに、一切耳を傾けなかっただけでなく、「結婚できなければ皇籍離脱する」と大騒ぎしたほどのワガママぶり。
せっかく、昭和天皇が、病床でまで、「川嶋には気をつけろ!」と言い続けていたことなど、水の泡。
◇1989年9月12日
礼宮殿下ご婚約正式決定。皇室会議で全会一致。
◇1989年9月26日
ご結婚の日取りは、来年6月末と決定。
礼宮殿下の早くしてほしいとの希望どおりにそうなったとか。
お住まいは、旧鷹司和子さんの家を増改築して使うとか。
◇1990年1月12日
昭和天皇の喪が明け、礼宮殿下、川島紀子、納采の儀。
……これまでもこれからも、礼宮ご夫妻は、皇太后職にも吹き上げでお世話になることを考えないのか?
◇1990年6月29日、礼宮殿下(24歳)、川島紀子(23歳)、結婚の儀。
そして、秋篠宮家を創設。
どうだろう?
あんなピュアな雰囲気をプンプンさせながら、かなりの野心家の学習院大構内の教職員用共同住宅に住んでいた「3LDKのプリンセス」川嶋紀子は、父親の、イヤイヤ、母親の、イヤイヤ、母親の後ろにいるある勢力の力を借り、最初から、そう、クソッタレとREMがキンダーガートン・プリンセス・モンスターを狙い撃ちにしたように、礼宮親王を結婚相手のターゲットとしていて、それに見事に成功したと言えるのでは?
事実、プロポーズされたとき、家族に「ついに、やったわ!」と電話し欣喜雀躍していたというのでは?
そして、それを決定的にしようと、「できちゃった婚」を狙ったのでは?

I am concerned that the face of Her Imperial Highness Princess's mother is similar to the face of her daughter's maternal grandmother, who is the motherfucker to marry(皇嗣妃殿下のお母様の顔とその娘の結婚相手の男の母方の祖母の顔が似ていることが気になっている)!

To be continued...



























































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東仙坊 

東仙坊 tohsenboh.jp
コピーライター歴三十有余年。人間通の東仙坊が、人間の弱気と恥ずかしい業が生む、情けなくてみっともない犯行を、徹底的に追及、究明。

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