緊急プロファイリング 国体である「皇室」が「普通の家庭」になっていいのか!?
Wouldn't you like the imperial family, the national polity of Japan, to be as far away as your hometown(我が国の国体である皇室は、ずっと故郷のように遠くにあって思うものであってほしいと思わないか)?
■子育てに失敗し皇族としての挟持させ身につけさせられなかった「情けない皇族の超未熟な皇女」と異常な母親に育てられ身のほどを弁える勇気さえ身につけられなかった「異常な母子家庭のマザー・コンプレックス丸出しの三流スケコマシ」とが織りなす世にも異様な合体劇
●秋篠宮皇嗣殿下は、本物の長い伝統のある「皇族の家庭」を「一般の家庭」になされたいのか?
東仙坊、典型的な一般国民であるから、雲の上の世界である皇室のことなど何も知らないし、この自分の短い人生の中で知ろうと思ったこともなかった。
まあ、実際は、ほんの雲の一部を触っていた祖父がいたことはいたのだが…。
どうあれ、それでも、子ども心に、皇太子明仁親王と美智子皇太子妃とのご成婚を祝うパーティーのような会場で、あまりフィットしていないロングドレスを着たレディー(?)たちが、どこか同じ顔して無機質に並んでいるようにTVで観て、凄く恐い気分になっていたことも、なぜかよく覚えている。
だから、あんな白雪姫のような深窓の令嬢である美智子妃が、あの恐竜のような女性たちから苛酷なイジメを受けていたんだと想像するだけで、ゾーッと震えがくるほど。
にもかかわらず、覚悟してスギの大樹林の中に入り込んだ1本のブナの孤軍奮闘は、壮絶なものがあったに違いない。
ただし、聡明な美智子妃は、決して皇室を「一般の家庭」のようにしようと志したりはしなかったはず、ほんの少しでも、「皇族の家庭」を普通の家庭のようにしたいと試みただけのはず(?)。
その意味では、やがて誕生する二男の考えとは大きく違うはず。
ちなみに、「攻撃的な広葉樹」であるブナは、どのような土壌でも旺盛に生い茂り、密になった樹冠によって他の木々の成長を阻害するパワーがあるとか。
ともあれ、美智子妃は、1960年2月23日、第1子、第一男子浩宮徳仁親王を見事に出産。
皇室をとりあえずホッとさせたに違いない。
そんななか、東仙坊、どんどんお顔が萎れていってしまった美智子妃に関し、メチャクチャ気になる新たに聞く話が、3つ。
1つ目が、1961年、美智子妃がキリスト教に心酔していることを知った昭和天皇が激怒。
美智子妃が絨毯の上にひれ伏して謝ったのに、昭和天皇のお怒りは容易に収まらなかったとか。
2つ目が、1963年3月10日、義母の香淳皇后の還暦祝いを欠席。
そして、翌1963年3月11日、小山いと子が美智子妃の生い立ちを書いた雑誌「平凡」連載小説「美智子さま」の連載と単行本発行中止を、宮内庁が平凡出版に申し入れ、連載は中止。
すると、1963年3月22日、美智子妃は、宮内庁病院に緊急入院し、「胞状奇胎(?)」との診断で、翌1963年3月23日、流産の処置手術をお受けなったとか。
ちなみに、「胞状奇胎」には、「全胞状奇胎」と「部分胞状奇胎」の2種類があるとか。
「全胞状奇胎」とは、受精時に卵子に問題があり卵由来の核が不活化し、精子由来の核のみが分裂増殖。受精後に何らかの原因で卵子の核が消失、または、もともと核をもたない卵子に精子が受精し、精子の染色体だけを使って細胞分裂が始まったもので、父方精子由来の有核発生で、46XXの2倍体を形成するとか。
染色体数は正常だが、胎児と胎盤の発達に使う遺伝子がそれぞれ母親と父親由来のものなので、この場合、母親由来の遺伝子がないために胎児がごく小さいうちに致死となり、父親由来の遺伝子が多すぎるために、胎盤の絨毛組織が異常増殖するとも。
「部分胞状奇胎」とは、1つの卵子に2つの精子が侵入する、いわゆる「2精子受精」で、一度に2個の精子が受精することで発生し、染色体は69XXX、69XXY、69XYYなどの3倍体を形成するとか。
そして、全胞状奇胎同様に、父親由来の遺伝子が多すぎるために、やはり、子宮腔内に絨毛の異常増殖するとも。
ただし、この場合は母親由来の遺伝子もあるので胎児も形成され、絨毛の嚢胞状変化と胎児成分が混在した胞状奇胎になるとか。
そうだろう?
美智子妃の子作りが、かなり厳しいものになったことは事実なのでは?
事実、美智子妃は、1986年、子宮筋腫の手術をお受けになっていらっているとか。
3つ目が、美智子妃が、1965年11月30日、第2子・第二男子礼宮文仁親王を出産。
さらに、1969年4月18日、第3子・第一女子紀宮清子内親王を出産。
そして、このお二人を、伏見宮、桂宮、閑院宮とならぶ世襲親王家の1つである有栖川宮で、徳川慶喜の内孫である高松宮妃喜久子が、なぜか孫のようにメチャクチャ可愛がったとか。
それでいて、2000年6月16日、香淳皇后が崩御し、翌2001年12月1日、敬宮愛子内親王が誕生した際、「もし男児が誕生しなければ、女性の天皇の皇位継承は日本の歴史から見て不自然ではない」という手記を雑誌に寄稿なされてもいるとか。
それで、実に象徴的な話が、これ。
彼女は、2004年11月、紀宮清子内親王の婚約報道に大喜び。
それなのに、紀宮清子内親王の婚約内定発表会見が予定され病室でもテレビ中継が視聴できるよう準備されていた、2004年12月18日、不幸にも聖路加国際病院で薨去なされてしまったというのである。
もちろん、その会見は、2004年12月30日に延期されたというのだが…。
I was indignant at the fact that there were some guys who were bashing Her Majesty the Empress, and I'm sure they weren't really Japanese(上皇后陛下をバッシングするようなヤツらがいることを知って憤慨し、きっとソイツらは本当の日本人ではないと決めつけている)!
To be continued...
■子育てに失敗し皇族としての挟持させ身につけさせられなかった「情けない皇族の超未熟な皇女」と異常な母親に育てられ身のほどを弁える勇気さえ身につけられなかった「異常な母子家庭のマザー・コンプレックス丸出しの三流スケコマシ」とが織りなす世にも異様な合体劇
●秋篠宮皇嗣殿下は、本物の長い伝統のある「皇族の家庭」を「一般の家庭」になされたいのか?
東仙坊、典型的な一般国民であるから、雲の上の世界である皇室のことなど何も知らないし、この自分の短い人生の中で知ろうと思ったこともなかった。
まあ、実際は、ほんの雲の一部を触っていた祖父がいたことはいたのだが…。
どうあれ、それでも、子ども心に、皇太子明仁親王と美智子皇太子妃とのご成婚を祝うパーティーのような会場で、あまりフィットしていないロングドレスを着たレディー(?)たちが、どこか同じ顔して無機質に並んでいるようにTVで観て、凄く恐い気分になっていたことも、なぜかよく覚えている。
だから、あんな白雪姫のような深窓の令嬢である美智子妃が、あの恐竜のような女性たちから苛酷なイジメを受けていたんだと想像するだけで、ゾーッと震えがくるほど。
にもかかわらず、覚悟してスギの大樹林の中に入り込んだ1本のブナの孤軍奮闘は、壮絶なものがあったに違いない。
ただし、聡明な美智子妃は、決して皇室を「一般の家庭」のようにしようと志したりはしなかったはず、ほんの少しでも、「皇族の家庭」を普通の家庭のようにしたいと試みただけのはず(?)。
その意味では、やがて誕生する二男の考えとは大きく違うはず。
ちなみに、「攻撃的な広葉樹」であるブナは、どのような土壌でも旺盛に生い茂り、密になった樹冠によって他の木々の成長を阻害するパワーがあるとか。
ともあれ、美智子妃は、1960年2月23日、第1子、第一男子浩宮徳仁親王を見事に出産。
皇室をとりあえずホッとさせたに違いない。
そんななか、東仙坊、どんどんお顔が萎れていってしまった美智子妃に関し、メチャクチャ気になる新たに聞く話が、3つ。
1つ目が、1961年、美智子妃がキリスト教に心酔していることを知った昭和天皇が激怒。
美智子妃が絨毯の上にひれ伏して謝ったのに、昭和天皇のお怒りは容易に収まらなかったとか。
2つ目が、1963年3月10日、義母の香淳皇后の還暦祝いを欠席。
そして、翌1963年3月11日、小山いと子が美智子妃の生い立ちを書いた雑誌「平凡」連載小説「美智子さま」の連載と単行本発行中止を、宮内庁が平凡出版に申し入れ、連載は中止。
すると、1963年3月22日、美智子妃は、宮内庁病院に緊急入院し、「胞状奇胎(?)」との診断で、翌1963年3月23日、流産の処置手術をお受けなったとか。
ちなみに、「胞状奇胎」には、「全胞状奇胎」と「部分胞状奇胎」の2種類があるとか。
「全胞状奇胎」とは、受精時に卵子に問題があり卵由来の核が不活化し、精子由来の核のみが分裂増殖。受精後に何らかの原因で卵子の核が消失、または、もともと核をもたない卵子に精子が受精し、精子の染色体だけを使って細胞分裂が始まったもので、父方精子由来の有核発生で、46XXの2倍体を形成するとか。
染色体数は正常だが、胎児と胎盤の発達に使う遺伝子がそれぞれ母親と父親由来のものなので、この場合、母親由来の遺伝子がないために胎児がごく小さいうちに致死となり、父親由来の遺伝子が多すぎるために、胎盤の絨毛組織が異常増殖するとも。
「部分胞状奇胎」とは、1つの卵子に2つの精子が侵入する、いわゆる「2精子受精」で、一度に2個の精子が受精することで発生し、染色体は69XXX、69XXY、69XYYなどの3倍体を形成するとか。
そして、全胞状奇胎同様に、父親由来の遺伝子が多すぎるために、やはり、子宮腔内に絨毛の異常増殖するとも。
ただし、この場合は母親由来の遺伝子もあるので胎児も形成され、絨毛の嚢胞状変化と胎児成分が混在した胞状奇胎になるとか。
そうだろう?
美智子妃の子作りが、かなり厳しいものになったことは事実なのでは?
事実、美智子妃は、1986年、子宮筋腫の手術をお受けになっていらっているとか。
3つ目が、美智子妃が、1965年11月30日、第2子・第二男子礼宮文仁親王を出産。
さらに、1969年4月18日、第3子・第一女子紀宮清子内親王を出産。
そして、このお二人を、伏見宮、桂宮、閑院宮とならぶ世襲親王家の1つである有栖川宮で、徳川慶喜の内孫である高松宮妃喜久子が、なぜか孫のようにメチャクチャ可愛がったとか。
それでいて、2000年6月16日、香淳皇后が崩御し、翌2001年12月1日、敬宮愛子内親王が誕生した際、「もし男児が誕生しなければ、女性の天皇の皇位継承は日本の歴史から見て不自然ではない」という手記を雑誌に寄稿なされてもいるとか。
それで、実に象徴的な話が、これ。
彼女は、2004年11月、紀宮清子内親王の婚約報道に大喜び。
それなのに、紀宮清子内親王の婚約内定発表会見が予定され病室でもテレビ中継が視聴できるよう準備されていた、2004年12月18日、不幸にも聖路加国際病院で薨去なされてしまったというのである。
もちろん、その会見は、2004年12月30日に延期されたというのだが…。
I was indignant at the fact that there were some guys who were bashing Her Majesty the Empress, and I'm sure they weren't really Japanese(上皇后陛下をバッシングするようなヤツらがいることを知って憤慨し、きっとソイツらは本当の日本人ではないと決めつけている)!
To be continued...