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甘ちゃんアマチュア探偵団

情報化が模倣犯罪、劇場型犯罪を助長しているなら、犯罪抑止、犯罪摘発も、精度の高い情報がすべて。このブログは、人間通を自負するコピーライター東仙坊が迅速な犯人検挙のために、人間的プロファイリングをするものである。

緊急プロファイリング 国体である「皇室」が「普通の家庭」になっていいのか!?

World history should prove that many cases of self-destruction of a “royal family” with time and wealth are when royal members who couldn't control their sexual liberation emerge(時間と富を有する「皇族」なるものが自滅する多くのケースは、その性の放埒さを自制できない皇族メンバーが出現したときであることは、世界の歴史が証明している)!

■子育てに失敗し皇族としての挟持させ身につけさせられなかった「情けない皇族の超未熟な皇女」と異常な母親に育てられ身のほどを弁える勇気さえ身につけられなかった「異常な母子家庭のマザー・コンプレックス丸出しの三流スケコマシ」とが織りなす世にも異様な合体劇

●秋篠宮皇嗣殿下は、本物の長い伝統のある「皇族の家庭」を「一般の家庭」になされたいのか?

東仙坊、本意ではないが、上皇后陛下のプロフィールを簡潔明瞭にチェック。
何でも、後に東宮御教育常時参与になる小泉信三が、昭和天皇の命を受け、正田家の300年前までを徹底フォーカスしたとか。
◉正田家のルーツは、群馬県館林の在住の300年前、天和2年没の庄田六三郎。
四代を経て、正田文右衛門が、庄田を正田に改め、以後代々、正田家当主は、正田文右衛門を襲名。
◉正田家祖先は、源義家の孫で、新田義重の重臣、生田隼人。
徳川郷の生田隼人は、松平親氏の出国時に銭一貫文と品物を餞別とし、郷内の百姓とともに中瀬までお見送り。
また、そのときに松平親氏の領地を預けられたことで、以後 生田家が知行を受け徳川郷主。
1591年、徳川郷主十六代生田義豊は、武州川越で家康公に謁し、「新田徳川系図」の提出と生田から正田への改めを命じられたとか。
そして、家康公より徳川郷へ三百石の御朱印を寄進され、正田家に徳川遠祖の御館跡を子孫末代まで居屋敷として所持してよいと仰せつけられたとか。
1644年、世良田東照宮勧請にともない、十八代正田義長は邸内に私的東照宮を建立。
1872年、邸内社であった東照宮の社地を徳川郷へ寄進。
1907年、郷内4社各末社が合祀されたことにより、徳川郷の鎮守に崇められるようになったとか。
◉徳川家の菩提所である群馬県新田郡世良田長楽寺の周辺にいた正田家の人々が館林に移って商人となったとか。
そして、正田家は、代々「米文」の暖簾のもとに、「米問屋」を家業とし、上州館林および近郊きっての富商になり、その名声は江戸はいうまでもなく大阪方面まで聞こえていたとか。
それはそうである。
江戸深川や大阪堂島の米相場を動かしていたというのだから。
また、弘化のころ(1844年~1847年)、名主の職にあり、名字帯刀を許されていたとも。
◉三代目正田文右衛門、美智子妃の父親である正田英三郎の曾祖父。
1873年、突然。家業の米穀商を辞め、「亀甲正」という商号で新しく醤油醸造業を始め、正田家「中興の祖」と言われているとか。
どうだろう?
政治と癒着した現代の企業家のようなものと言ってもイイのでは?
さて、天皇陛下が、ご健在のまま上皇陛下になられ、皇后陛下をどう称するかが問題になったのだとか。
夫帝の生死に関わらず歴史的に用いられてきた「皇太后」、あるいは、その略称「太后」の称号を用いるべきとする意見が多かったなかで、「退位した上皇が健在にもかかわらず、皇室史上においても崩御により夫と死別した未亡人というイメージが強い皇太后の称号を使用することは避けるべき」との見解にたどり着き、そこで、上皇后なる新称号を創設したとか。
どうだろう?
物凄い心配りだと思わないか?
事実、2018年10月20日の84回目のお誕生日のときでさえ、上皇后陛下は、「『バックウォーター(下流の水位が上昇したことにより、 上流側の水流が行き場を失うことで逆流してしまい、 河川の氾濫を引き起こす危険な現象)』、『走錨(船舶が錨を下ろしたまま流されること)』など、災害がなければ決して知ることのなかった語彙にも、悲しいことですが慣れていかなくてはなりません」とおっしゃられているほどなのでは?
やはり、「上皇后陛下は、初孫キンダーガートン・プリンセス・モンスターの現在と将来とを案じられ、ときに宮内庁関係者に対し、『キンダーガートン・プリンセス・モンスターとK・Kクソッタレには、それぞれ別々の新しい道を歩んでほしい。キンダーガートン・プリンセス・モンスターがあの方に嫁ぐというのは、ありえないことだと思うのです』とおっしゃられていた」というあたりが、本音に近いのでは?
だとすると、なおさら、今回の目を瞑ったような降参的許容には納得がいかないのでは?
知性に溢れる上皇后陛下さえ、「開かれた皇室」を目指した以上、それぞれに家庭を持った息子たちの父親としての英断に、一般家庭の母親のように最後まで期待したということなのか?

The biggest mistake of Their Majesties the Emperor and his wife was that they didn't follow the current advice of Emperor Showa, who was rich in insight and information(上皇陛下ご夫妻の最大のミスは、洞察力と情報力に富んだ昭和天皇の今際の際の忠告に従わなかったこと)!

To be continued...












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東仙坊 

東仙坊 tohsenboh.jp
コピーライター歴三十有余年。人間通の東仙坊が、人間の弱気と恥ずかしい業が生む、情けなくてみっともない犯行を、徹底的に追及、究明。

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