恒久不変な日本砂漠-46 本当に地球上の人間社会は「ワンチーム」なのか?
It must be common knowledge in the 893 world that charisma, power and money are absolutely essential to remain a 893 boss(893のボスであり続けるためには、カリスマ性とパワーとマネーが絶対不可欠であることは、893世界の常識)!
■893国家中国を甘やかし寛大極まりない関与策を取り続け、木のテッペンにまで登らせてしまったUSA民主党の世紀の不作為
●日本は、歴史的にありとあらゆる影響を中国から受けてきたが、ただの一度も中国と真っ向から対峙したことはなかったのでは?
○日本は、この経済成長など見込めない時代だからこそ、中国の本当の顔を真摯に直視すべきとき
東仙坊、摩訶不思議な国である中国なるものを必死に凝視してきて、中国は本気で戦争するような国ではない、正確に言えば、戦争なんかしたくない国でしかないことは、何度も何度も指摘してきた。
中国人は、そして、中国共産党は、国のことなど信じたことも、国に尽くそうなど考えたことなど生まれてこの方一度もないはず。
ありていに言えば、どちらも信じるのは金だけ。
第一、正真正銘の893国家が、本当に暴力を振るったら、893ですらなくなってしまうのでは?
そう、893が893であるためには、暴力を振るうぞ振るうぞと脅かしに使ってこその暴力のメリット。
それでも、ここのところ、相当ヤバい状況かもとちょっと心配していたのも事実。
なぜなら、傀儡主席だったはずの習近平が、現職の強味を発揮し、調子に乗って、あまりにも「浙江閥」、「江沢民派」退治に邁進しすぎていたから。
それはそうだと思わないか?
USAをどんどん怒らせているのは、それが原因。
そう、「浙江閥」や「江沢民派」とUSA民主党やウォール街やUSAのマスメディアでせっかく創り上げた濡れ手に粟の錬金法を、習近平がおバカ丸出しに自分の名声欲のためだけにブチ壊しているから。
とにかく、コヤツが最高指導者に就任した2012年以降の反腐敗闘争は、個人的怨念による復讐のようなモノ。
それはそうである。
コヤツ、自分の父親の習仲勲が華国鋒とともに広東省深圳市で「経済特区」を唱えて始めた「改革開放政策」を鄧小平が横取りしたと思っているだけでなく、せっかく父親が1962年西北革命根拠地を築き上げ毛沢東の「長征」の終着点としての「延安」を用意していたのに虚偽によって失脚させられたと恨んでいるのである。
そして、それとともに、毛沢東が後継者にしようとしていた西北革命根拠地における功労者高崗国家計画委員会主席&人民政府副主席&人民革命軍事委員会副主席を同じく虚偽で1954年自殺に追い込み、その権力を強奪したと思っているのである。
そのうえ、その「改革開放政策」を深化させ、先富論によって貧富の格差を生んでおきながら、腐敗撲滅に動かず、軍部の腐敗まで容認し、独断で総書記に江沢民を指名し、金によってしか権力を高める道がなくなる、金を仲介とした縁故関係によって中国を底なしの腐敗地獄に追い込んだトンデモナイヤツと決めつけているのである。
確かに、鄧小平は、1989年の天安門事件で中国のヤングが叫んだ「民主」、「党幹部の汚職追放と腐敗撲滅」を武力によって鎮圧し腐敗を黙認しただけでなく、「長征」も「西北革命根拠地」もタブー視化し、「党史」を捏造してきた。
それゆえ、コヤツ、鄧小平派、江沢民派、胡錦濤派、いわゆる「浙江閥」を徹底的に潰し、「長征」を正視させることで、「習近平新時代の思想」を、「新たな長征」への試み「新征程」と位置づけ、「毛沢東の長征」と「習近平の新征程」を同格にし、自分を毛沢東と同じ終身主席にしようと試みているのである。
実際、その余裕と自己陶酔は、11月11日、公表された「第19回党大会六中全会公報」に掲載された、コヤツの「歴史決議」の採択に向けた講話にイヤというほど見ることができる。
「中国共産党建党中央委員会政治局は、中国の特色ある社会主義の大旗を高く掲げ、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想、鄧小平理論、3つの代表の重要な思想の江沢民政権、科学的発展観の胡錦涛政権、習近平新時代の中国特色ある社会主義思想を指導とすることを堅持しながら、第19回党大会と第19回党大会一中全会、二中全会、三中全会、四中全会、五中全会の精神を全面的に貫徹し、国内外の大局やコロナ感染防疫や経済社会発展および発展と安全などのバランスをうまく統制しながら統治してきた。そして、安定の中でも進歩を遂げ、経済は比較的良好な発展を遂げ、科学技術の自立と自強を積極的に推進し、改革開放を絶えず深化させ、貧困との戦いを計画通りに勝ち抜き、民生保障を効果的に改善し、社会の大局的安定を維持し、国防と軍隊の現在化を着実に進めてきた。さらに、中国の特色ある大国の外交を全面的に進め、党史に関する学習教育を堅実で効果的に行い、多くの深刻な自然災害を克服するなど、さまざまな事業で重要な新しい成果を上げた」
そう、習近平は、小康社会の全面的な構築完成を正式に発表し、全党と各民族の人民が2つ目の100年の目標に向かって力強く「新征程」に踏み出すときだと豪語しているのである。
では、中国の激化の一途を辿る内部抗争は、そこまでおバカ習近平に有利に運んでいるのか?
どこの世界でも、どこの組織でも、トップの唯我独尊的傍若無人、すなわち、「やりすぎ」は必ず反発を生むのでは?
大晦日らしく、一般人の我々でさえ、それぞれがそれぞれに自分の胸に手を当ててじっくり考えれば、何でもやり過ぎは、それこそ、人間にとって最も大切な愛ですら、愛しすぎはロクな結果にならないときづくのでは?
Is it okay for Japan to rejoice in the fact that “The Loyal 47 Ronin” is popular in China? Or shouldn't it be rejoicing(中国で「忠臣蔵」が人気ということに、はたして我が日本は歓んでいいのか? それとも、歓ぶべきではないのか)?
To be continued...
■893国家中国を甘やかし寛大極まりない関与策を取り続け、木のテッペンにまで登らせてしまったUSA民主党の世紀の不作為
●日本は、歴史的にありとあらゆる影響を中国から受けてきたが、ただの一度も中国と真っ向から対峙したことはなかったのでは?
○日本は、この経済成長など見込めない時代だからこそ、中国の本当の顔を真摯に直視すべきとき
東仙坊、摩訶不思議な国である中国なるものを必死に凝視してきて、中国は本気で戦争するような国ではない、正確に言えば、戦争なんかしたくない国でしかないことは、何度も何度も指摘してきた。
中国人は、そして、中国共産党は、国のことなど信じたことも、国に尽くそうなど考えたことなど生まれてこの方一度もないはず。
ありていに言えば、どちらも信じるのは金だけ。
第一、正真正銘の893国家が、本当に暴力を振るったら、893ですらなくなってしまうのでは?
そう、893が893であるためには、暴力を振るうぞ振るうぞと脅かしに使ってこその暴力のメリット。
それでも、ここのところ、相当ヤバい状況かもとちょっと心配していたのも事実。
なぜなら、傀儡主席だったはずの習近平が、現職の強味を発揮し、調子に乗って、あまりにも「浙江閥」、「江沢民派」退治に邁進しすぎていたから。
それはそうだと思わないか?
USAをどんどん怒らせているのは、それが原因。
そう、「浙江閥」や「江沢民派」とUSA民主党やウォール街やUSAのマスメディアでせっかく創り上げた濡れ手に粟の錬金法を、習近平がおバカ丸出しに自分の名声欲のためだけにブチ壊しているから。
とにかく、コヤツが最高指導者に就任した2012年以降の反腐敗闘争は、個人的怨念による復讐のようなモノ。
それはそうである。
コヤツ、自分の父親の習仲勲が華国鋒とともに広東省深圳市で「経済特区」を唱えて始めた「改革開放政策」を鄧小平が横取りしたと思っているだけでなく、せっかく父親が1962年西北革命根拠地を築き上げ毛沢東の「長征」の終着点としての「延安」を用意していたのに虚偽によって失脚させられたと恨んでいるのである。
そして、それとともに、毛沢東が後継者にしようとしていた西北革命根拠地における功労者高崗国家計画委員会主席&人民政府副主席&人民革命軍事委員会副主席を同じく虚偽で1954年自殺に追い込み、その権力を強奪したと思っているのである。
そのうえ、その「改革開放政策」を深化させ、先富論によって貧富の格差を生んでおきながら、腐敗撲滅に動かず、軍部の腐敗まで容認し、独断で総書記に江沢民を指名し、金によってしか権力を高める道がなくなる、金を仲介とした縁故関係によって中国を底なしの腐敗地獄に追い込んだトンデモナイヤツと決めつけているのである。
確かに、鄧小平は、1989年の天安門事件で中国のヤングが叫んだ「民主」、「党幹部の汚職追放と腐敗撲滅」を武力によって鎮圧し腐敗を黙認しただけでなく、「長征」も「西北革命根拠地」もタブー視化し、「党史」を捏造してきた。
それゆえ、コヤツ、鄧小平派、江沢民派、胡錦濤派、いわゆる「浙江閥」を徹底的に潰し、「長征」を正視させることで、「習近平新時代の思想」を、「新たな長征」への試み「新征程」と位置づけ、「毛沢東の長征」と「習近平の新征程」を同格にし、自分を毛沢東と同じ終身主席にしようと試みているのである。
実際、その余裕と自己陶酔は、11月11日、公表された「第19回党大会六中全会公報」に掲載された、コヤツの「歴史決議」の採択に向けた講話にイヤというほど見ることができる。
「中国共産党建党中央委員会政治局は、中国の特色ある社会主義の大旗を高く掲げ、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想、鄧小平理論、3つの代表の重要な思想の江沢民政権、科学的発展観の胡錦涛政権、習近平新時代の中国特色ある社会主義思想を指導とすることを堅持しながら、第19回党大会と第19回党大会一中全会、二中全会、三中全会、四中全会、五中全会の精神を全面的に貫徹し、国内外の大局やコロナ感染防疫や経済社会発展および発展と安全などのバランスをうまく統制しながら統治してきた。そして、安定の中でも進歩を遂げ、経済は比較的良好な発展を遂げ、科学技術の自立と自強を積極的に推進し、改革開放を絶えず深化させ、貧困との戦いを計画通りに勝ち抜き、民生保障を効果的に改善し、社会の大局的安定を維持し、国防と軍隊の現在化を着実に進めてきた。さらに、中国の特色ある大国の外交を全面的に進め、党史に関する学習教育を堅実で効果的に行い、多くの深刻な自然災害を克服するなど、さまざまな事業で重要な新しい成果を上げた」
そう、習近平は、小康社会の全面的な構築完成を正式に発表し、全党と各民族の人民が2つ目の100年の目標に向かって力強く「新征程」に踏み出すときだと豪語しているのである。
では、中国の激化の一途を辿る内部抗争は、そこまでおバカ習近平に有利に運んでいるのか?
どこの世界でも、どこの組織でも、トップの唯我独尊的傍若無人、すなわち、「やりすぎ」は必ず反発を生むのでは?
大晦日らしく、一般人の我々でさえ、それぞれがそれぞれに自分の胸に手を当ててじっくり考えれば、何でもやり過ぎは、それこそ、人間にとって最も大切な愛ですら、愛しすぎはロクな結果にならないときづくのでは?
Is it okay for Japan to rejoice in the fact that “The Loyal 47 Ronin” is popular in China? Or shouldn't it be rejoicing(中国で「忠臣蔵」が人気ということに、はたして我が日本は歓んでいいのか? それとも、歓ぶべきではないのか)?
To be continued...