恒久不変な日本砂漠-46 本当に地球上の人間社会は「ワンチーム」なのか?
Let's survive this year carefully so that no one would cut off our each only life against our each will(今年1年、お互いに意思に反し何者かに唯一の人生を寸断されないように注意深く生き抜きましょう)!
■893国家中国を甘やかし寛大極まりない関与策を取り続け、木のテッペンにまで登らせてしまったUSA民主党の世紀の不作為
●日本は、歴史的にありとあらゆる影響を中国から受けてきたが、ただの一度も中国と真っ向から対峙したことはなかったのでは?
○日本は、この経済成長など見込めない時代だからこそ、中国の本当の顔を真摯に直視すべきとき
「シンニィン・クワィロ(新年快乐)」!!!
来年の正月元旦、もし元気よく生き続けられていても、「明けましておめでとう」の代わりにそんな挨拶をしなければならないことになっていたらイヤだな…と、元旦早々考えている。
ついでに、自分のたった一度の人生についても、いろいろ思いを馳せてもいる。
そして、とっくに死の覚悟はできているつもりでも、最後の最後まで自分の意識の中で自分の死を凝視して死にたいな…とか、自分の意思に反しての「突然死」だけはゴメンだな…とか、どこまでも勝手に願っている。
それゆえ、地震、竜巻、洪水はもちろん、最近やたら増えている無差別テロ、近所巻き込み放火自殺、死にたいから誰でもいいから殺したかった殺人、そして、得体の知れない「中共ウィルス」感染だけは勘弁してと、必死に生きる毎日。
そ、そ、そうしていたら、権力を安泰にしたおバカ習近平だけは心配ないと決めつけていた中国で、風雲急を告げる展開が起きてきたから、一気に真っ青。
そう言えば、昨年暮れ、久しぶりに一気読みした「梨本宮伊都子妃の日記(小田部雄次著)」に気になる記載があったので、口語訳にしてお届けしたい。
◇1937年7月13日
「北支の事変、ますます悪化し、我国の方では、なるべく触らぬ神に祟りなしと、ジッとしているけれども、向こうでは戦闘準備を整え、兵を北上させ、飛行機を集めるなど、いかにも戦らしいコトをしている。『抗日命支』の煽りらしい」
◇1937年7月16日
「日支の事件もなかなかラチあかず。シナというところは、どうしてわからないのだろう。逆ネジ(逆非難/逆にねじ込んでくる)ばかりして、手こずらしている」
どうだろう?
今と何一つ変わらないと思わないか?
どうあれ、おバカ習近平は、心配していたとおり、いくら何でもUSAとグルの「浙江閥」、すなわち、「鄧小平派」や「江沢民派」を調子に乗って潰し過ぎ。
実は、東仙坊、10月初旬、中国の不動産大手「花様年集団」を、習近平が助け船を出さず、約2億ドル(約226億円)の社債を返済できなかったと事実上の倒産に追い込んだときに、見殺しにするなんてバカだな…とメチャクチャ危惧していた。
それはそうである。
その創業者曽潔は、曽慶紅元国家副主席の姪。
そう、江沢民主席に次ぐ実力者だった曽慶紅は、習近平と少年時代から親しく、習近平から「お兄さん」と呼ばれるほどの関係だったはず。
そのおかげで、習近平は、2007年党政治局常務委員、2008年国家副主席に就任させてもらっていたはず。
ちなみに、曽潔は、1996年、「花様年集団」を創立し、2020年の中国不動産企業ランキング「100強不動産企業」第51位にまで成長させていたはず。
また、曽潔の父親で、曽慶紅の弟の曽慶淮は、中国文化部特別巡視員、中華民族促進会副会長、文化部駐香港特派員などを務め、中国国内や香港の芸能界を牛耳っていたはず。
そのせいか、習近平は、イヤでも中国国内や香港の芸能界まで血祭りに上げるハメになってしまったはず。
そ、そ、そうしたら、12月22日、中国共産党機関紙「人民日報」に、「中央委員会第6回全体会議(6中全会の精神を深く学ぶ」と題した論文が堂々と掲載されたから、ビックリ仰天。
しかも、トップに大きく掲載されたのが、「『改革開放』こそ、党の偉大な覚醒」と鄧小平の名を9回も挙げて最大限評価したというから、そして、「長期にわたる『左』の教条主義の束縛から人々の思想を解放した」と思想路線面でも大賛辞したというから、正直、唖然呆然、目が点。
何しろ、悲惨な文化大革命までの毛沢東路線の誤りを痛烈に批判し、毛沢東に対する個人崇拝を厳しく非難し、そのうえで、鄧小平路線を引き継いだ歴代国家主席である江沢民、胡錦濤時代の業績も事細かに挙げているのに、な、な、なんと習近平に全く触れないという露骨な習近平攻撃。
しかも、その書き手は、曲青山中央党史・文献研究院院長、そう、中国共産党の過去・現在の歴史解釈の要となる重鎮。
そして、中央委員197人と中央委員候補151人が大集合した「6中全会」にも出席し、当然ながら「鄧小平超え」を演出した「第3の歴史決議」取りまとめにも関わっていたご仁というから、ますます不可解。
おバカ習近平にとっては、まさに青天の霹靂。
間違いなく、怒り狂って、グルグル走り回るような状況だったはず。
そのせいか、「歴史的な観点からみれば、論争があるのはむしろ健全な動きだ」と言い訳し、その曲青山論文に対する反撃に出れたのが、掲載から4日も経ってから。
もちろん、そのツールは、「党の喉」と舌といわれる同じ中国党機関紙、人民日報。
ただし、こちらは2020年に中央政策研究室トップの主任になったばかりの江金権。
そう、中央委員でもない明らかな格下。
もう一度、習近平時代より前の分散主義や自由主義を攻撃する「第3の歴史決議」に基づく、「党による全面的指導の堅持」という習近平礼賛を、鄧小平、江沢民、胡錦濤の3人を無視し、毛沢東を2回、習近平の名を6回も挙げてやったところで、かなり遅きに失した観。
東仙坊、これには、中国よ、あまりおバカ習近平を追い込まないで! と不安が大きくなるばかり。
In a world where each could live as they please, it should be borne in mind that the number of abnormal humans, such as the arson murderers in Kitashinchi, Osaka, would naturally increase(それぞれがそれぞれに好きなように生きられる世の中では、大阪の北新地の放火殺人犯のような異常なヒトが当然のように増えるということを心すべき)!
To be continued...
■893国家中国を甘やかし寛大極まりない関与策を取り続け、木のテッペンにまで登らせてしまったUSA民主党の世紀の不作為
●日本は、歴史的にありとあらゆる影響を中国から受けてきたが、ただの一度も中国と真っ向から対峙したことはなかったのでは?
○日本は、この経済成長など見込めない時代だからこそ、中国の本当の顔を真摯に直視すべきとき
「シンニィン・クワィロ(新年快乐)」!!!
来年の正月元旦、もし元気よく生き続けられていても、「明けましておめでとう」の代わりにそんな挨拶をしなければならないことになっていたらイヤだな…と、元旦早々考えている。
ついでに、自分のたった一度の人生についても、いろいろ思いを馳せてもいる。
そして、とっくに死の覚悟はできているつもりでも、最後の最後まで自分の意識の中で自分の死を凝視して死にたいな…とか、自分の意思に反しての「突然死」だけはゴメンだな…とか、どこまでも勝手に願っている。
それゆえ、地震、竜巻、洪水はもちろん、最近やたら増えている無差別テロ、近所巻き込み放火自殺、死にたいから誰でもいいから殺したかった殺人、そして、得体の知れない「中共ウィルス」感染だけは勘弁してと、必死に生きる毎日。
そ、そ、そうしていたら、権力を安泰にしたおバカ習近平だけは心配ないと決めつけていた中国で、風雲急を告げる展開が起きてきたから、一気に真っ青。
そう言えば、昨年暮れ、久しぶりに一気読みした「梨本宮伊都子妃の日記(小田部雄次著)」に気になる記載があったので、口語訳にしてお届けしたい。
◇1937年7月13日
「北支の事変、ますます悪化し、我国の方では、なるべく触らぬ神に祟りなしと、ジッとしているけれども、向こうでは戦闘準備を整え、兵を北上させ、飛行機を集めるなど、いかにも戦らしいコトをしている。『抗日命支』の煽りらしい」
◇1937年7月16日
「日支の事件もなかなかラチあかず。シナというところは、どうしてわからないのだろう。逆ネジ(逆非難/逆にねじ込んでくる)ばかりして、手こずらしている」
どうだろう?
今と何一つ変わらないと思わないか?
どうあれ、おバカ習近平は、心配していたとおり、いくら何でもUSAとグルの「浙江閥」、すなわち、「鄧小平派」や「江沢民派」を調子に乗って潰し過ぎ。
実は、東仙坊、10月初旬、中国の不動産大手「花様年集団」を、習近平が助け船を出さず、約2億ドル(約226億円)の社債を返済できなかったと事実上の倒産に追い込んだときに、見殺しにするなんてバカだな…とメチャクチャ危惧していた。
それはそうである。
その創業者曽潔は、曽慶紅元国家副主席の姪。
そう、江沢民主席に次ぐ実力者だった曽慶紅は、習近平と少年時代から親しく、習近平から「お兄さん」と呼ばれるほどの関係だったはず。
そのおかげで、習近平は、2007年党政治局常務委員、2008年国家副主席に就任させてもらっていたはず。
ちなみに、曽潔は、1996年、「花様年集団」を創立し、2020年の中国不動産企業ランキング「100強不動産企業」第51位にまで成長させていたはず。
また、曽潔の父親で、曽慶紅の弟の曽慶淮は、中国文化部特別巡視員、中華民族促進会副会長、文化部駐香港特派員などを務め、中国国内や香港の芸能界を牛耳っていたはず。
そのせいか、習近平は、イヤでも中国国内や香港の芸能界まで血祭りに上げるハメになってしまったはず。
そ、そ、そうしたら、12月22日、中国共産党機関紙「人民日報」に、「中央委員会第6回全体会議(6中全会の精神を深く学ぶ」と題した論文が堂々と掲載されたから、ビックリ仰天。
しかも、トップに大きく掲載されたのが、「『改革開放』こそ、党の偉大な覚醒」と鄧小平の名を9回も挙げて最大限評価したというから、そして、「長期にわたる『左』の教条主義の束縛から人々の思想を解放した」と思想路線面でも大賛辞したというから、正直、唖然呆然、目が点。
何しろ、悲惨な文化大革命までの毛沢東路線の誤りを痛烈に批判し、毛沢東に対する個人崇拝を厳しく非難し、そのうえで、鄧小平路線を引き継いだ歴代国家主席である江沢民、胡錦濤時代の業績も事細かに挙げているのに、な、な、なんと習近平に全く触れないという露骨な習近平攻撃。
しかも、その書き手は、曲青山中央党史・文献研究院院長、そう、中国共産党の過去・現在の歴史解釈の要となる重鎮。
そして、中央委員197人と中央委員候補151人が大集合した「6中全会」にも出席し、当然ながら「鄧小平超え」を演出した「第3の歴史決議」取りまとめにも関わっていたご仁というから、ますます不可解。
おバカ習近平にとっては、まさに青天の霹靂。
間違いなく、怒り狂って、グルグル走り回るような状況だったはず。
そのせいか、「歴史的な観点からみれば、論争があるのはむしろ健全な動きだ」と言い訳し、その曲青山論文に対する反撃に出れたのが、掲載から4日も経ってから。
もちろん、そのツールは、「党の喉」と舌といわれる同じ中国党機関紙、人民日報。
ただし、こちらは2020年に中央政策研究室トップの主任になったばかりの江金権。
そう、中央委員でもない明らかな格下。
もう一度、習近平時代より前の分散主義や自由主義を攻撃する「第3の歴史決議」に基づく、「党による全面的指導の堅持」という習近平礼賛を、鄧小平、江沢民、胡錦濤の3人を無視し、毛沢東を2回、習近平の名を6回も挙げてやったところで、かなり遅きに失した観。
東仙坊、これには、中国よ、あまりおバカ習近平を追い込まないで! と不安が大きくなるばかり。
In a world where each could live as they please, it should be borne in mind that the number of abnormal humans, such as the arson murderers in Kitashinchi, Osaka, would naturally increase(それぞれがそれぞれに好きなように生きられる世の中では、大阪の北新地の放火殺人犯のような異常なヒトが当然のように増えるということを心すべき)!
To be continued...