恒久不変な日本砂漠-46 本当に地球上の人間社会は「ワンチーム」なのか?
Just as Japanese and Chinese must be as different in character as the moon and turtle even if they share the same language, Russians, Ukrainians, and Belarusians must be completely different in character even if they share the same language(同じ文字を共有しても我が日本人と中国人が月とスッポンほど品性が違うように、同じ言語を共有してもロシア人とウクライナ人とベラルーシ人の品性も全く違う)!
■893国家中国を甘やかし寛大極まりない関与策を取り続け、木のテッペンにまで登らせてしまったUSA民主党の世紀の不作為
●日本は、歴史的にありとあらゆる影響を中国から受けてきたが、ただの一度も中国と真っ向から対峙したことはなかったのでは?
○日本は、この経済成長など見込めない時代だからこそ、中国の本当の顔を真摯に直視すべきとき
東仙坊、根っからのインチキ国家ロシアが、どんなウソ八百を並べようと、「ルースキー(ロシア人の)・ミール(ロシア世界)」などとっくに幻想だと自覚すればイイと、メチャクチャ冷ややか。
東スラヴの世界で、ロシアはどこまでもその本性は田舎者ヤクザ。
そもそも、とっくのとうに東スラヴの世界で、「汎スラヴ主義」など廃りきり、ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人は、かつて同じ言語を共有しただけの関係。
それをシンボリックに表現しているのが、赤、青、白の汎スラヴ色を基調にした国旗カラー。
ロシア、チェコ、スロバキア、スロベニア、クロアチア、セルビアなどはまだ使用していても、モンテネグロ、ブルガリア、ポーランド、モルドバ、ジョージア、リトアニア、エストニア、ラトビア、とりわけ、東スラヴのウクライナとベラルーシは全く別物。
どうだろう?
そこに、すでにロシアに対するウクライナとベラルーシの本音があるのでは?
どうあれ、今、世界中の政治・軍事アナリストなるものを自称する不可解な人々が、ロシアのキチガイ沙汰の蛮行について、Puサンの常軌を逸した言行について、いろいろな解析をしているが、正直、どれも帯に短しタスキに長し。
誰がどう言おうと、Puサンの錯乱の原因は、自分のカラダが自分の思いどおりにならなくなったことによる言いようのないフラストレーション。
自分のハーレムの維持が、困難になってきたコトによる焦燥。
特に、19歳のアリーナ・ザギトワの相手を自由にできなかくなったことへのストレス。
えっ、そんなことであれだけ残虐に殺されるウクライナの人々が、あまりにも可哀想だって?
このさすがのお天道サマが怒り狂うほどのジェノサイドは、信じたくないけどそんなことがキッカケになるのは、歴史的にもよくあることなのでは?
ましてや、残虐非道なモンゴル人の血がタップリ加わった粗野でミエっ張りのゴロツキロシア人のPuサンなら、余計そんなものなのでは?
実は、結果的に、そんな醜悪なロシア人の正体を的確に指摘しているロシア人の世界的な作家がいる。
モスクワの南にあるトゥーラ、かつてモンゴル人に心底恭順できなかった「リョザン公国」の要塞のある街に由緒ある伯爵家の四男として生まれ、「戦争と平和」、「アンナ・カレーニナ」、「復活」などの著作を残したレフ・トルストイである。
彼は、「人は何で生きるか」で、言っている。
人は、神に与えられた「人間の中にあるものは何か? 人間に与えられていないものは何か? 人間は何で生きるか?」という3つの命題の回答を得なければならない。
すべての人は、我と我が身について気を配ることではなく、人々の心の中に愛が、温かい心が宿っていることによって生きている。
人は、愛を与えられているにもかかわらず、愛を与えられていることにも気づかないまま、愛によって生きている。
彼は、祖国ロシアで発禁、1894年、ドイツで初めて出版された「ルカによる福音書」17章21節から引用したタイトル「神の国は汝らの衷(うち)にあり」で、言っている。
イエス・キリストの教え、「もし誰かがアナタの右の頬を殴るなら、左の頬も差し出しなさい」という暴力に晒された際の非暴力抵抗主義の原理は、蒸気機関車に蒸気が入るようなモノだ。
例え防衛のために用いるのだとしても暴力をなくそう、復讐をなくすべきだ。
そのために、視野を狭めるローマ時代や中世の学者たちの解釈を拒絶しよう。
十戒に「殺してはならない」と書かれているのに、どうして人を殺せようか?
戦争を行なう全ての国家・政府はキリスト教の原理を侮辱している。
ロシア政府に併合され、国家の政策に従順すぎるロシア正教会から、キリストの福音の教えを切り離そう。
また、彼は、国家主義者と教会の偽善に対する対抗策として、マホトマ・ガンジーとの文通などで、非暴力主義を提唱している。
そして、非暴力主義によって「愛」を武器とすることが、インド現住の人々が植民者UK帝国を打倒する唯一の方法であると結論している。
とにかく、この思想は、最終的に、マホトマ・ガンジーの「サティヤグラハ(愛と真実)」、日本人の心の中にある相手への温かな思いやりに直結し、彼の不服従・非暴力運動の源泉になったとか。
It must be normal for people who mess around and sneak up to do things that people don't like because they are hated. And the place where such an asshole ends up is always the world of thugs(イジケてすぐすねる人が、どうせ嫌われ者だからと人のイヤがることをするようになるのは、世の常。そして、そういう人の行き着くところは、必ずチンピラの世界)!
To be continued...
■893国家中国を甘やかし寛大極まりない関与策を取り続け、木のテッペンにまで登らせてしまったUSA民主党の世紀の不作為
●日本は、歴史的にありとあらゆる影響を中国から受けてきたが、ただの一度も中国と真っ向から対峙したことはなかったのでは?
○日本は、この経済成長など見込めない時代だからこそ、中国の本当の顔を真摯に直視すべきとき
東仙坊、根っからのインチキ国家ロシアが、どんなウソ八百を並べようと、「ルースキー(ロシア人の)・ミール(ロシア世界)」などとっくに幻想だと自覚すればイイと、メチャクチャ冷ややか。
東スラヴの世界で、ロシアはどこまでもその本性は田舎者ヤクザ。
そもそも、とっくのとうに東スラヴの世界で、「汎スラヴ主義」など廃りきり、ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人は、かつて同じ言語を共有しただけの関係。
それをシンボリックに表現しているのが、赤、青、白の汎スラヴ色を基調にした国旗カラー。
ロシア、チェコ、スロバキア、スロベニア、クロアチア、セルビアなどはまだ使用していても、モンテネグロ、ブルガリア、ポーランド、モルドバ、ジョージア、リトアニア、エストニア、ラトビア、とりわけ、東スラヴのウクライナとベラルーシは全く別物。
どうだろう?
そこに、すでにロシアに対するウクライナとベラルーシの本音があるのでは?
どうあれ、今、世界中の政治・軍事アナリストなるものを自称する不可解な人々が、ロシアのキチガイ沙汰の蛮行について、Puサンの常軌を逸した言行について、いろいろな解析をしているが、正直、どれも帯に短しタスキに長し。
誰がどう言おうと、Puサンの錯乱の原因は、自分のカラダが自分の思いどおりにならなくなったことによる言いようのないフラストレーション。
自分のハーレムの維持が、困難になってきたコトによる焦燥。
特に、19歳のアリーナ・ザギトワの相手を自由にできなかくなったことへのストレス。
えっ、そんなことであれだけ残虐に殺されるウクライナの人々が、あまりにも可哀想だって?
このさすがのお天道サマが怒り狂うほどのジェノサイドは、信じたくないけどそんなことがキッカケになるのは、歴史的にもよくあることなのでは?
ましてや、残虐非道なモンゴル人の血がタップリ加わった粗野でミエっ張りのゴロツキロシア人のPuサンなら、余計そんなものなのでは?
実は、結果的に、そんな醜悪なロシア人の正体を的確に指摘しているロシア人の世界的な作家がいる。
モスクワの南にあるトゥーラ、かつてモンゴル人に心底恭順できなかった「リョザン公国」の要塞のある街に由緒ある伯爵家の四男として生まれ、「戦争と平和」、「アンナ・カレーニナ」、「復活」などの著作を残したレフ・トルストイである。
彼は、「人は何で生きるか」で、言っている。
人は、神に与えられた「人間の中にあるものは何か? 人間に与えられていないものは何か? 人間は何で生きるか?」という3つの命題の回答を得なければならない。
すべての人は、我と我が身について気を配ることではなく、人々の心の中に愛が、温かい心が宿っていることによって生きている。
人は、愛を与えられているにもかかわらず、愛を与えられていることにも気づかないまま、愛によって生きている。
彼は、祖国ロシアで発禁、1894年、ドイツで初めて出版された「ルカによる福音書」17章21節から引用したタイトル「神の国は汝らの衷(うち)にあり」で、言っている。
イエス・キリストの教え、「もし誰かがアナタの右の頬を殴るなら、左の頬も差し出しなさい」という暴力に晒された際の非暴力抵抗主義の原理は、蒸気機関車に蒸気が入るようなモノだ。
例え防衛のために用いるのだとしても暴力をなくそう、復讐をなくすべきだ。
そのために、視野を狭めるローマ時代や中世の学者たちの解釈を拒絶しよう。
十戒に「殺してはならない」と書かれているのに、どうして人を殺せようか?
戦争を行なう全ての国家・政府はキリスト教の原理を侮辱している。
ロシア政府に併合され、国家の政策に従順すぎるロシア正教会から、キリストの福音の教えを切り離そう。
また、彼は、国家主義者と教会の偽善に対する対抗策として、マホトマ・ガンジーとの文通などで、非暴力主義を提唱している。
そして、非暴力主義によって「愛」を武器とすることが、インド現住の人々が植民者UK帝国を打倒する唯一の方法であると結論している。
とにかく、この思想は、最終的に、マホトマ・ガンジーの「サティヤグラハ(愛と真実)」、日本人の心の中にある相手への温かな思いやりに直結し、彼の不服従・非暴力運動の源泉になったとか。
It must be normal for people who mess around and sneak up to do things that people don't like because they are hated. And the place where such an asshole ends up is always the world of thugs(イジケてすぐすねる人が、どうせ嫌われ者だからと人のイヤがることをするようになるのは、世の常。そして、そういう人の行き着くところは、必ずチンピラの世界)!
To be continued...