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甘ちゃんアマチュア探偵団

情報化が模倣犯罪、劇場型犯罪を助長しているなら、犯罪抑止、犯罪摘発も、精度の高い情報がすべて。このブログは、人間通を自負するコピーライター東仙坊が迅速な犯人検挙のために、人間的プロファイリングをするものである。

恒久不変な日本砂漠-46  本当に地球上の人間社会は「ワンチーム」なのか?

Re-examining world history once again made me realize that humans must be still underdeveloped, and I am very blue(もう一度世界史を再検証していると、人間がいまだ未成長であることを痛感させられ、凄くブルー)!

■893国家中国を甘やかし寛大極まりない関与策を取り続け、木のテッペンにまで登らせてしまったUSA民主党の世紀の不作為

●日本は、歴史的にありとあらゆる影響を中国から受けてきたが、ただの一度も中国と真っ向から対峙したことはなかったのでは?

○日本は、この経済成長など見込めない時代だからこそ、中国の本当の顔を真摯に直視すべきとき

黒海北岸は、「キンメリア人の地」と呼ばれ、「キンメリア人」が、伝統的な牧蓄を行いながら、紀元前10世紀から、鉄生産技術を発展させ、周辺の地域を自らの支配下。
紀元前7世紀末期、「キンメリア人の地」の東に住んでいた「スキタイ人」に黒海北岸から西方へ追放されたとか。
紀元前8世紀~紀元前3世紀、ウクライナを中心に活動していたイラン系遊牧騎馬民族および遊牧国家「スキタイ」が台頭。
ちなみに、 「スキタイ」とは、古代ギリシア人によってこの地域の諸部族をまとめて指す際に使われた呼称とか。
300年~700年代、ヨーロッパで発生した民族大移動によって、古代が終了し、中世が開始。
すると、考古文化「プラハ・ペンコフ・コロチン文化複合」が、スラヴ語圏諸部族のうちウクライナの政治集団によって、「沼地の森林」の「ポリーシャ(北ウクライナ、南ベラルーシ、東ポーランドと西ロシアの間)」からヨーロッパ全域に拡張し、各地に影響。
それ以前は、西スラヴ語群の元となった系統の諸部族と東スラヴ語群の元となった系統の諸部族は、政治的にも文化的にも完全断絶。
9世紀、農耕に適さず人口が希薄なパンノニア盆地の広大な草原に遊牧民「マジャール人」が侵入。
そして、西スラヴ語群の諸部族が北と南に分断。
ここで、民族大移動について、少々深掘り。
ユーラシア大陸の中央部を斜めに貫く、東シベリア~トルコ共和国にまでおよぶ乾燥地域(実は海岸線ではないところが重要ポイント)に、シベリア、中央アジアおよび西アジア、東欧などに広く分布する「テュルク系民族」が存在。
それは、人種的に、東部に「モンゴロイド」、西部に「コーカソイド」だったが、人種に関係なくテュルク諸語を母語とする民族の総称で、唐代までは、ほとんどが黒髪、直毛、黒目の「モンゴロイド」だったが、唐代の終わりごろ、「東ウイグル可汗国」が崩壊し、「テュルク系民族」がモンゴリア―アルタイ地方から移動し、天山山脈からタリム盆地全体を支配していたとか。
また、それは、先住の「コーカソイド」のインド=ヨーロッパ語族が、何世代か後に、テュルク化したからだとも。
さらに、匈奴が、テュルクとモンゴルの諸民族のパイオニアだったとか。
ともあれ、その「テュルク系民族」が、人口爆発、気候変動、疫病蔓延、高齢化人口増大などが要因で移動を開始。
そして、西ローマ帝国領域内に居住するようになっていったゲルマン系「ゴート族」、「ブルグント族」、「ランゴバルド人」、「アングロ・サクソン人」、「ジュート人」などの大移動を誘発。
最初にローマ帝国領域に侵入したのは、「西ゴート族」、続いて侵入したのが、「東ゴート族」。
いずれも残忍非道な「フン族」からの略奪・虐殺を受け、逃げ延びるカタチで東ローマ帝国の領内に殺到し、傭兵として東ローマ帝国内で一定の地位を構築
「ゴート人」など初期に移動を開始した東側の「ゲルマン人」は、圧倒的多数派の「ローマ人」に同化。
それから、「ブルグント族」がフランス北部、「ランゴバルド」がイタリア、「アングロ・サクソン人」と「ジュート人」がブリタニア、「アレマン人(ケルト系との混血)」が南西ドイツに侵入。
そして、最終的に、「フランク人」なるケルト系やスラブ系・ラテン系の民族とゲルマン諸族が連合したグループが、西ヨーロッパを担当。
ただし、「フランク人」は、ローマ化しつつも一定の影響力を維持し、ドイツ、イギリスなどの国家の根幹を構築。
また、ゲルマン系の故郷とされる北欧の人々はヴァイキングとして盛んに活動。
より詳細に指摘すると、もともと、西ゴート族は、ドニエプル川両岸に居住していたが、「アッティラ」による圧迫によりバルカン半島北部へ移住、傭兵として東ローマ帝国内に居住。
5世紀初頭、東ローマ帝国軍司令官で西ゴート族指導者アラリック1世は、給金の支払いについて帝国と対立して東ローマ帝国から離反、西ローマ皇帝ホノリウスの暴政に苦しむ非イタリア系住民からの要請を受けイタリア半島へと侵入開始。
けれども、西ローマ皇帝ホノリウスは、西ゴート族によるローマ略奪の報を受けてもラヴェンナに籠もりっきり。
418年、ローマ帝国との契約により西ローマ帝国への定住が認められ、トゥールーズを中心として「西ゴート王国」を樹立。
5世紀中ごろ、西ローマ帝国の実権を西ゴート族指導者が握り、ローマ帝国の名の下でガリアとヒスパニアでの勢力を拡大。
しかし、ガリアは、「フランク族」との抗争で6世紀初頭には王国の領域から外れ、王国の重心はイベリア半島に移動。
その後も、イベリア半島を中心に支配が続いたが、711年、「ウマイヤ朝」の攻撃を受け、滅亡。
イベリア半島は、その後、「レコンキスタ(複数のキリスト教国家によるイベリア半島の再征服活動の総称)」の舞台。
「東ゴート族」は、「アッティラ」による圧迫から逃れるカタチでバルカン半島北部へと移住、傭兵として東ローマ帝国内に居住。
東ローマ帝国で軍司令官・執政官を歴任した東ゴート王テオドリックは、東ローマ皇帝ゼノンの命令でイタリアに侵攻し、ゼノンと対立していたイタリア領主オドアケルを討伐。
493年、ローマ皇帝アナスタシウス1世より、テオドリックがイタリア王位、イタリアの地に「東ゴート王国」が誕生。
しかし、後に、東ゴート王国は、東ローマ帝国と対立し、皇帝ユスティニアヌス1世の派遣した軍団によって殲滅。
3世紀半ば、「フランク人」は、その勇猛さが買われ西ローマ帝国の傭兵として活躍。
4世紀、メロバウドゥスやフラウィウス・バウトのように西ローマ帝国において執政官に就任する者も出現。
5世紀、ガリアにおいて、「ブルグント王国」、「ランゴバルド王国」を滅ぼして勢力を拡大。
508年、フランク王クローヴィス1世が、ローマ皇帝アナスタシウス1世より西ローマ帝国名誉執政官に任命され、800年、フランク王カールが、ローマ教皇レオ3世からローマ皇帝としての帝冠を授与。

Isn't it even more surprising to see that there are many nihilistic and irreverent humans all over the world who are oriented toward white supremacism(白人至上主義を志向する虚無的で傲岸不遜なヒトたちが世界中にたくさんいることに、今さらながらに呆れさせられないか)?

To be continued...







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東仙坊 


人間通の東仙坊が、人間の弱気と恥ずかしい業が生む、情けなくてみっともない犯行を、徹底的に追及、究明。

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