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甘ちゃんアマチュア探偵団

情報化が模倣犯罪、劇場型犯罪を助長しているなら、犯罪抑止、犯罪摘発も、精度の高い情報がすべて。このブログは、人間通を自負するコピーライター東仙坊が迅速な犯人検挙のために、人間的プロファイリングをするものである。

恒久不変な日本砂漠-46  本当に地球上の人間社会は「ワンチーム」なのか?

Isn't there any contradiction in what racism says on a narrow earth? How many different races do you think there was by the 21st century(たかが狭い地球で人種差別がどうこう言うこと自体、ハナから矛盾していないか? 21世紀までに、どれほどの多種多様な人種混交があったと思うのか)?

■893国家中国を甘やかし寛大極まりない関与策を取り続け、木のテッペンにまで登らせてしまったUSA民主党の世紀の不作為

●日本は、歴史的にありとあらゆる影響を中国から受けてきたが、ただの一度も中国と真っ向から対峙したことはなかったのでは?

○日本は、この経済成長など見込めない時代だからこそ、中国の本当の顔を真摯に直視すべきとき

東仙坊、世界史の最勉強をするつもりで、さらにウクライナに徹底フォーカスし深掘り。
◇「スラヴ人」による「キエフ文化」とは?
「ゴート族」の「ヴィェルバルク文化」が「チェルニャコヴォ文化」と接触・融合して成立した文化が、「キエフ文化」。
それは、「ザルビンツィ文化」に比べて、「プシェヴォルスク文化」とその北隣のゲルマン系「ゴート族」の最初の文化「オクシヴィエ文化」は、この前の時代にこれらの地域に広がっていた鉄器時代の「ポメラニア文化(前7世紀~前2世紀)」の特徴を色濃く引き継いでいるものとか。
そして、「ポメラニア文化」は、「イリュリア人」の青銅器時代・鉄器時代文化の「ラウジッツ文化(前14世紀~前6世紀)」に、東方スラヴ人の鉄器時代文化である農耕「スキタイ」の「チェルノレス文化(前12世紀~前3世紀)」が加わって成立。
北部一帯を中心に西方ゲルマン人の鉄器時代文化である「ヤストルフ文化(前6世紀~1世紀)」の影響を受けるようになったとか。
ただし、「ヤストルフ文化」の影響を強く受けた地域では、「オクシヴィエ文化(前2世紀~1世紀)」に発展。
そして、ヴィスワ川とオドラ川が作る比較的肥沃な平原と湿地が混在する大森林地帯では、前2世紀、バルト海沿岸一帯とは明らかに内容が異なる「プシェヴォルスク文化」として発展したとか。
どうあれ、その「プシェヴォルスク文化」、紀元前2世紀~4世紀、ポーランド南部・中部、ウクライナ西部に広がって存在していた「ヴァンダル族」の鉄器時代文化で、東方の「ザルビンツィ文化」や「チェルニャコヴォ文化」とかなり類似していたとか。
1世紀、「オクシヴィエ文化」の担い手は、ヴィスワ川東岸一帯で南下を開始。
「プシェヴォルスク文化」の担い手のうちこの地方に住む人々の文化と融合することで、即座に変貌し、「ヴィェルバルク文化」に発展。
5世紀、「プシェヴォルスク文化」はウクライナやベラルーシの方面からやってきた類似の文化と融合、「プラハ・コルチャク文化」へと移行。
ゲルマニア東半分(現在のポーランド・チェコの地域)、サルマティア(現在のベラルーシ南部からウクライナ)には、「スキタイ」や「サルマタイ」の影響を受けた、「スラヴ人」文化圏が形成。
「スラヴ人」は、「プシェヴォルスク文化」や「ザルビンツィ文化」などの主体をなし、周辺のケルトやゲルマンの諸族と相互に影響を与え合っていたとか。
「スラヴ人」も、また、「フン族」に押されるカタチで東ヨーロッパ全土に進出、地域を支配することになったとか。
ともあれ、プロト・スラブ人は、「ヴァンダル人(?)」で、元々は「プシェヴォルスク」に属する部族。
そして、ゲルマン語を話す「ヴァンダル人」は、南欧や北アフリカに侵入。
また、「サルマタイ」なるイラン系諸族も、定住。
古代末期、「フン族」や「アヴァール族」などの騎馬民族が侵入、スラヴ系・ゲルマン系の諸民族を次々と征服。
「サルマタイ人」は、イラン系民族で、長らく遊牧民の覇者であった「スキタイ人」を滅ぼして勢力を拡大。
民族大移動で、「フン族」とともに西進し、「東ゴート族」を破り東ヨーロッパに侵入。
その後、「スキタイ人」の系統を継いだとされる「スラブ人」に吸収されるが、ポーランド近辺ではスラブ文化だけでなく「サルマタイ文化」も残存。
ちなみに、近世・近代には、ポーランド・リトアニア連合の貴族たちが、「サルマタイ人」の末裔を主張。
それもこれも、「サルマティズム」が、単にサルマタイ風の服装や髪形やサルマタイ的な気質が、非常に多様な民族的・文化的・宗教的出自から構成されていた「ポーランド貴族(シュラフタ)社会」の連帯感を示すものとして流行しただけでなく、ローマ帝政末期、「サルマタイ人」傭兵団が大量にブリテン島に移住していたことに関係があるとか。
◇「キエフ大公国の誕生
9世紀後半~1240年、キエフを首都とした東欧の国家「キエフ大公国」が成立。
正式国号は、「ルーシ」。
10世紀までにキリスト教の受容によってキリスト教文化圏の一国。
11世紀、中世ヨーロッパの最も発展した国の1つ。
1240年、「モンゴル」来襲によって、キエフは落城、事実上崩壊
1199年~1349年、、西ウクライナを中心として存在したリューリク朝ルーシ系国家「ハールィチ・ヴォルィーニ大公国」
正式国号は、「ルーシ王国」。
13世紀の半ば、モンゴルの侵略を受けたキエフ公朝の後継者となり、キエフ・ルーシの政治、伝統、文化などを受け継いだ主な国家。ローマ教皇をはじめ、中世ヨーロッパの諸国の援助の元に、反モンゴルの先陣の役割
また、ルーシ系の諸公国の中でもっとも大きい公国の1つで、その領土は、西ウクライナ、西ベラルーシ、東ポーランド、北東ハンガリー、モルドヴァを含めていたが、政治的・経済的・文化的中心はヴォロディームィル、ハールィチそしてリヴィウという西ウクライナの3つの都市。
君主の力が弱く、「ボヤーレ」と呼ばれた貴族の影響力が非常に強かったため、国家は常に内乱に陥りやすい状態。
1340年に大公朝が絶えると、貴族は一時的に国を支配するようになったが、隣国の圧力に対してうまく抗することができなかったとも。
その後、ポーランド王国とリトアニアの諸公の軍勢によって侵略され、分割(ハールィチ・ヴォルィーニ戦争)。
領土の帰属問題は半世紀にわたって東ヨーロッパ情勢の不安定要因だったが、1392年、最終的に「ハールィチ公国」は「ポーランド王国」領となり、「ヴォルィーニ公国」は「リトアニア大公国」領。

It could be said that the crude and naive Russians of the countryside have become such a crude and ruthless race because they were undoubtedly influenced by the Mongolians they belonged to(粗野で純朴な田舎国家のロシア人が、ここまで粗雑で冷酷な人種になったのには、間違いなく服属していたモンゴル人の影響をまともに受けたからだと言い切れる)!

To be continued...
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東仙坊 


人間通の東仙坊が、人間の弱気と恥ずかしい業が生む、情けなくてみっともない犯行を、徹底的に追及、究明。

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