恒久不変な日本砂漠-46 本当に地球上の人間社会は「ワンチーム」なのか?
Even if the DNA is the same, whether or not it is violent and vicious must be all related to the way of life of the human being, and I spend my days reconfirming that it is nailed to TV(DNAが同じでも、粗暴で悪辣になるかならないかは、すべてその人間の生き方そのものに関わっていると、東仙坊、改めて再確認しつつTVに釘づけになる日々を過ごしている)!
■893国家中国を甘やかし寛大極まりない関与策を取り続け、木のテッペンにまで登らせてしまったUSA民主党の世紀の不作為
●日本は、歴史的にありとあらゆる影響を中国から受けてきたが、ただの一度も中国と真っ向から対峙したことはなかったのでは?
○日本は、この経済成長など見込めない時代だからこそ、中国の本当の顔を真摯に直視すべきとき
◇スラヴ人のDNAは?
スラヴ人のDNA型は、「バルト-スラヴ民族」に典型的なY染色体ハプログループである「ハプログループR1a(R-M420)」。
DNA型では、「スラヴ人」はかつて単一の言語コミュニティを形成した「バルト人」とウラル語族「フィノ-ウゴル人(ユーラシア北方の針葉樹林・ツンドラ地帯で狩猟採集とトナカイ遊牧を生業にする民族)」に近いとか。
ともあれ、スラブ人は、基本的に北方人種(ゲルマン人・フィン・ウゴル人)で、最初の祖先の家は、バルト海の北。
中心のスラヴ人は、現在のカルパチア山脈沿いのポリーシャの領土に移住。
また、その後、ヨーロッパ各地へと移住するプロセスで、次第に、「東スラヴ人」、「西スラヴ人」、「南スラヴ人」といったボワンとしたまとまりから、各地のスラヴ民族を多数派とする集団へと分化。
実際、ドイツ東部には、古来よりポーランドとの国境付近にドイツ人とポーランド人との混血集団「シレジア人」をはじめ、エルベ川東部にもスラヴ系集団が居住。
現在も、ドイツ東部に「ソルブ人」が居住。
中世以来の古い家系でありながらスラヴ系やスラヴ系由来の姓を持っているドイツ人が多数。
近代以降は、カナダに大量のスラヴ人が移住。
それゆえ、カナダ最大の民族は、アングロサクソンではなく、ウクライナ人やポーランド人を基幹とする「スラヴ人」。
さらに、シカゴを含むUSAのイリノイ州の住民は、圧倒的にスラヴ系。
◇では、スラヴ人とは、どんな性格なのか?
「イラン系遊牧民」、「フン族」、「ゴート族」などで形成され、人種的に「コーカソイド」寄りと言われる「スラヴ人」。
そもそも、スラヴ語本来の「スラヴ・スロボ」は、「言語」や「言葉」を意味するものとか。
それゆえ、近隣の「非スラブ人」の人々は、「スラブ人」から、「nemets(ミュート: 話すことができない人)」と呼ばれているとか。
そして、民族大移動で、東ヨーロッパ広くに活動範囲を広げ、「東ローマ帝国(ビザンツ帝国)」の脅威になったとも。
また、「西スラブ人」は、カトリック、「東スラブ人」は、ギリシャ正教だとか。
そんな「スラブ人」の最大の特徴は、妻を夫の奴隷と見なし軍事に従事することを許可しなかった近隣の「ゲルマン人」や「ローマ人」とは明確に異なり、男女の区別や差別がないこととか。
そして、「スラヴ人はみな似通っているのだから常にお互いに愛し合うべきである」という観念を全く持っていないこと、スラヴの「兄弟たち」の大部分に対して親近感を覚えていないということとか。
つまり、スラブ人は、同じ起源である「スラヴ祖語」を持つ言語を話す人たちだということ以外に、共通点が何もないということだとも。
どうあれ、元々粗野でその日を喰うために躊躇いなく傭兵になるような民族だから、どこまでもジコチュウであまりモノゴトを深く考えないのでは?
それなのに、東仙坊、どうしても理解できないのが、かなりシンプルでフォーリッシュ・プライドを強く持つイジケタ民族の「スラヴ人」なのに、世界から、「スラヴ人」と呼ばれることにブチ切れていないこと。
それはそうだと思わないか?
すでに指摘しているが、「スラヴ」とは、古代ギリシャ語で「奴隷: slave」を意味するというのでは?
いくらかつて「スラヴ人」が戦争などで捕虜になった後、奴隷として売り払われていたことが背景になるからといって、本気で怒っていいコトなのでは?
それで、ますます不可解になることが、1つ。
スラヴ人最大の民族集団「ロシア」の語源が、キエフ大公国の正式国号「ルーシ」をギリシャ語読みにしたものだということ。
それはそうである。
本来、地理的にも、権威的にも、「キーフルーシ」、すなわち「ウクライナ」が、「ルーシ(ロシア)」を名乗るべきだったのでは?
第一、野蛮なモンゴルに支配されて以降、急速に台頭してきた新興国家「モスクワ公国」は、ただの「キーフルーシ」の一構成国でしかなかったのでは?
ということは、「モスクワ公国」が狡猾に横取りしたとも言えるのでは?
ウクライナ人自身も、長い歴史の中で、「ゴート人」、「ノルマン人」、「スキタイ人」、そして、「東スラヴ人」との混血によって形成された民族集団であることを自負していたのでは?
どちらにしても、傭兵として世界に出かけて行った「スラヴ人」が、世界に伝えたことは、高貴な戦士の遺体を舟で火葬することだったということが、実に意味深では?
◇ロシア人の歴史的に突出した増長ぶりとは?
歴史的に民族の行き交う十字路に位置するロシアは、古代には、「スキタイ人」、「サルマティア人」、「フン人」、「ハザール人」をはじめとする遊牧民族、中世には、「モンゴル人」や「タタール人」らによる支配を経験し、とことんイジケタ性格になったはず。
その後、ロシアが領土を中央アジアからシベリア、極東方面へ大きく拡大し周辺の諸民族を征服するプロせずで、これらの民族と言語的、文化的に混交、同化していった経緯から、ロシア人は、「コーカソイド」を基調としながらも、東へ向かうにつれて「モンゴロイド」の特徴を含む人々も見られ、人種的に相当なバラツキがあるとか。
そんなロシア人の身勝手さを逆説的に指摘しているのが、あのフョードル・ドストエフスキー。
1877年、彼は、「オスマン帝国」と戦争中に、その著書「作家の日記」に、「ロシアは偉大なイデーを裏切ることはできない(??)…。これをロシアは堅持してきた。そのイデーとは、すべてのスラヴ人の団結(???)だ…。簒奪や暴力としてではなく、人類への奉仕として(?)」と書いているとか。
Perhaps the Russians' extraordinary malice has permeated all the cells in their bodies by continuing to be subservient to the rugged Mongolians(ロシア人の異常な悪意は、粗暴極まりないモンゴル人に卑屈にへつらい続けたことでその体内細胞のすべてにベッタリと染みついてしまっているのかも)!
To be continued...
■893国家中国を甘やかし寛大極まりない関与策を取り続け、木のテッペンにまで登らせてしまったUSA民主党の世紀の不作為
●日本は、歴史的にありとあらゆる影響を中国から受けてきたが、ただの一度も中国と真っ向から対峙したことはなかったのでは?
○日本は、この経済成長など見込めない時代だからこそ、中国の本当の顔を真摯に直視すべきとき
◇スラヴ人のDNAは?
スラヴ人のDNA型は、「バルト-スラヴ民族」に典型的なY染色体ハプログループである「ハプログループR1a(R-M420)」。
DNA型では、「スラヴ人」はかつて単一の言語コミュニティを形成した「バルト人」とウラル語族「フィノ-ウゴル人(ユーラシア北方の針葉樹林・ツンドラ地帯で狩猟採集とトナカイ遊牧を生業にする民族)」に近いとか。
ともあれ、スラブ人は、基本的に北方人種(ゲルマン人・フィン・ウゴル人)で、最初の祖先の家は、バルト海の北。
中心のスラヴ人は、現在のカルパチア山脈沿いのポリーシャの領土に移住。
また、その後、ヨーロッパ各地へと移住するプロセスで、次第に、「東スラヴ人」、「西スラヴ人」、「南スラヴ人」といったボワンとしたまとまりから、各地のスラヴ民族を多数派とする集団へと分化。
実際、ドイツ東部には、古来よりポーランドとの国境付近にドイツ人とポーランド人との混血集団「シレジア人」をはじめ、エルベ川東部にもスラヴ系集団が居住。
現在も、ドイツ東部に「ソルブ人」が居住。
中世以来の古い家系でありながらスラヴ系やスラヴ系由来の姓を持っているドイツ人が多数。
近代以降は、カナダに大量のスラヴ人が移住。
それゆえ、カナダ最大の民族は、アングロサクソンではなく、ウクライナ人やポーランド人を基幹とする「スラヴ人」。
さらに、シカゴを含むUSAのイリノイ州の住民は、圧倒的にスラヴ系。
◇では、スラヴ人とは、どんな性格なのか?
「イラン系遊牧民」、「フン族」、「ゴート族」などで形成され、人種的に「コーカソイド」寄りと言われる「スラヴ人」。
そもそも、スラヴ語本来の「スラヴ・スロボ」は、「言語」や「言葉」を意味するものとか。
それゆえ、近隣の「非スラブ人」の人々は、「スラブ人」から、「nemets(ミュート: 話すことができない人)」と呼ばれているとか。
そして、民族大移動で、東ヨーロッパ広くに活動範囲を広げ、「東ローマ帝国(ビザンツ帝国)」の脅威になったとも。
また、「西スラブ人」は、カトリック、「東スラブ人」は、ギリシャ正教だとか。
そんな「スラブ人」の最大の特徴は、妻を夫の奴隷と見なし軍事に従事することを許可しなかった近隣の「ゲルマン人」や「ローマ人」とは明確に異なり、男女の区別や差別がないこととか。
そして、「スラヴ人はみな似通っているのだから常にお互いに愛し合うべきである」という観念を全く持っていないこと、スラヴの「兄弟たち」の大部分に対して親近感を覚えていないということとか。
つまり、スラブ人は、同じ起源である「スラヴ祖語」を持つ言語を話す人たちだということ以外に、共通点が何もないということだとも。
どうあれ、元々粗野でその日を喰うために躊躇いなく傭兵になるような民族だから、どこまでもジコチュウであまりモノゴトを深く考えないのでは?
それなのに、東仙坊、どうしても理解できないのが、かなりシンプルでフォーリッシュ・プライドを強く持つイジケタ民族の「スラヴ人」なのに、世界から、「スラヴ人」と呼ばれることにブチ切れていないこと。
それはそうだと思わないか?
すでに指摘しているが、「スラヴ」とは、古代ギリシャ語で「奴隷: slave」を意味するというのでは?
いくらかつて「スラヴ人」が戦争などで捕虜になった後、奴隷として売り払われていたことが背景になるからといって、本気で怒っていいコトなのでは?
それで、ますます不可解になることが、1つ。
スラヴ人最大の民族集団「ロシア」の語源が、キエフ大公国の正式国号「ルーシ」をギリシャ語読みにしたものだということ。
それはそうである。
本来、地理的にも、権威的にも、「キーフルーシ」、すなわち「ウクライナ」が、「ルーシ(ロシア)」を名乗るべきだったのでは?
第一、野蛮なモンゴルに支配されて以降、急速に台頭してきた新興国家「モスクワ公国」は、ただの「キーフルーシ」の一構成国でしかなかったのでは?
ということは、「モスクワ公国」が狡猾に横取りしたとも言えるのでは?
ウクライナ人自身も、長い歴史の中で、「ゴート人」、「ノルマン人」、「スキタイ人」、そして、「東スラヴ人」との混血によって形成された民族集団であることを自負していたのでは?
どちらにしても、傭兵として世界に出かけて行った「スラヴ人」が、世界に伝えたことは、高貴な戦士の遺体を舟で火葬することだったということが、実に意味深では?
◇ロシア人の歴史的に突出した増長ぶりとは?
歴史的に民族の行き交う十字路に位置するロシアは、古代には、「スキタイ人」、「サルマティア人」、「フン人」、「ハザール人」をはじめとする遊牧民族、中世には、「モンゴル人」や「タタール人」らによる支配を経験し、とことんイジケタ性格になったはず。
その後、ロシアが領土を中央アジアからシベリア、極東方面へ大きく拡大し周辺の諸民族を征服するプロせずで、これらの民族と言語的、文化的に混交、同化していった経緯から、ロシア人は、「コーカソイド」を基調としながらも、東へ向かうにつれて「モンゴロイド」の特徴を含む人々も見られ、人種的に相当なバラツキがあるとか。
そんなロシア人の身勝手さを逆説的に指摘しているのが、あのフョードル・ドストエフスキー。
1877年、彼は、「オスマン帝国」と戦争中に、その著書「作家の日記」に、「ロシアは偉大なイデーを裏切ることはできない(??)…。これをロシアは堅持してきた。そのイデーとは、すべてのスラヴ人の団結(???)だ…。簒奪や暴力としてではなく、人類への奉仕として(?)」と書いているとか。
Perhaps the Russians' extraordinary malice has permeated all the cells in their bodies by continuing to be subservient to the rugged Mongolians(ロシア人の異常な悪意は、粗暴極まりないモンゴル人に卑屈にへつらい続けたことでその体内細胞のすべてにベッタリと染みついてしまっているのかも)!
To be continued...