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甘ちゃんアマチュア探偵団

情報化が模倣犯罪、劇場型犯罪を助長しているなら、犯罪抑止、犯罪摘発も、精度の高い情報がすべて。このブログは、人間通を自負するコピーライター東仙坊が迅速な犯人検挙のために、人間的プロファイリングをするものである。

恒久不変な日本砂漠-46  本当に地球上の人間社会は「ワンチーム」なのか?

The Russians, who were originally crude and quiet, have become so violent and vicious non-humans because they continue to be obedient to the villainous Mongolians and accept their blood(もともと粗野で物静かだったロシア人が、ここまで粗暴で悪辣な非人間になってしまったのは、極悪非道なモンゴル人に卑屈におもねり続け、その血を受け入れ続けたからに他ならない)!

■893国家中国を甘やかし寛大極まりない関与策を取り続け、木のテッペンにまで登らせてしまったUSA民主党の世紀の不作為

●日本は、歴史的にありとあらゆる影響を中国から受けてきたが、ただの一度も中国と真っ向から対峙したことはなかったのでは?

○日本は、この経済成長など見込めない時代だからこそ、中国の本当の顔を真摯に直視すべきとき

◇歴史を無視し、短絡的にロシアがずっとズラヴ人を代表する大国だと思い込んでしまっている誤謬とは?
12世紀初頭のルーシの主要な都市国家の1つに、特殊な貴族共和制の「ノヴゴロド共和国(?)」なるものが存在していたとか。
それは、「東スラブ人」の国ではなく、「スウェーデン系ノルマン人」の「ルーシ族」君主リューリクが建国したもので、「東スラブ人」は、「ルーシ族」に、兵士や農民として労働していたとか。
あくまで、「東スラブ人」にとっては、同時期に、そのリューリク一族の「東スラブ人」オレーグが建国した「キエフ大公国」が中心。
そう、東仙坊、すでに少し触れたとおり。
その要因は、998年、キエフ公ウラディミル1世が、ビザンツ皇帝バシレイオス2世の妹アンナと結婚し、ギリシャ正教に改宗し、そのディグニティを高めたこと。
ともあれ、「キエフ大公国」建国が、「東スラブ人」による建国ラッシュに火をつけ、地域一帯が「スラブ化」。
しかし、農民の農奴化が顕在化し、各地で諸侯が反っくり返るようになり、どこも統治困難になっていたとも。
さて、そんな状況下のルーシは、「東スラヴ人」に、大きな困難というよりも、信じ難いほど壮絶な大災厄に見舞われる。
1つは、13世紀初頭、いまだキリスト教以前の異教信仰にとどまっていたバルト海沿岸地域に、ドイツ騎士団をはじめとするカトリック教徒ドイツ人が、北方十字軍として、東方植民の活動を開始してきたのである。
そして、同じキリスト教徒なのに、ギリシャ正教徒であったルーシの人びとにカトリックへの「剣による改宗」を強制してきたので、激しく衝突することになったとか。
ドイツ人侵攻は、1240年、1242年の2度にわたったが、いずれも「ノヴゴロド公国」公子アレクサンドル・ネフスキーによって阻止され、その東進はエストニアで留まり、カトリックによる北ルーシ侵攻は失敗したとか。
それ以上に襲撃的だったのは、遊牧民で狩猟民族であるモンゴル人の西征。
そう、このころ、1206年、モンゴル高原の遊牧民を統合したチンギス・カンが創設した遊牧国家(ウルス)、「大モンゴル・ウルス(大蒙古国)」こと「モンゴル帝国」が、西は、東ヨーロッパ・アナトリア・シリア、南は、アフガニスタン・チベット・ミャンマー、東は、中国・朝鮮半島まで、ユーラシア大陸を横断するように傍若無人に力尽くで席巻していたのである。
何しろ、最盛期の領土面積が、約2400万km²、地球上の陸地の約17%だったというのだから、まさにキチガイ沙汰。
1229年即位した第2代モンゴル帝国皇帝オゴデイが、1235年、中国・南宋とアジア北西キプチャク草原、その先に広がるヨーロッパに対する2つの大遠征軍の派遣を決定。
しかし、南宋に対する大遠征は、司令官オゴデイの皇子クチュの急死により失敗。
けれども、チンギス・カン長男ジョチの「ウルス(采領)」は帝国西だったので、大西征軍総指揮官にジョチ二男バトゥを当てると、コヤツ、
1236年、川や沼沢の氷結する冬の到来を待って東ヨーロッパへの大侵攻を開始し、瞬く間に、ヴォルガ川中流域の「ヴォルガ・ブルガール」を征服し、ルーシへも侵攻。
1237年~1238年、「リャザン」、「ウラジーミル・スーズダリ」、「トヴェリ」、「コロムナ」などを占領、北東ルーシを征服。
1239年~1240年、南ルーシに転進すると、キエフ・ルーシの首都キエフを攻略し、「キエフ大公国」を滅亡させ、ロシアまでのすべての遊牧民の世界を、泥湿地に囲まれた北端の「ノヴゴロド公国」を除くすべてのルーシを征服し、ポーランド、ハンガリーなど中央ヨーロッパまで席捲。
1241年、モンゴルのポーランド侵攻を食い止めるべく、ポーランド王国、神聖ローマ帝国、テンプル騎士団、ドイツ騎士団、聖ヨハネ騎士団などがヨーロッパ連合軍を結成し立ち向かうも、モンゴル軍支隊に完敗。
ところが、第2代モンゴル帝国皇帝オゴデイの訃報を聞き、カスピ海北岸まで引き返すも、ヴォルガ川支流アフトゥバ川河岸に滞留し、「オルド(黄金陣営)」を建て、首都サライを築き、カラコルムを本拠とする「カアン」に従いつつ、キプチャク草原とドナウ川以東の広大な地域とルーシ全般を支配。
そのために、ルーシの人びとは、「キプチャク族」などテュルク系遊牧民が、自身よりも東方に本拠を置くモンゴル系遊牧民たちを「タタール(古テュルクの他の人びと)」と呼んでいたのに習い、ルーシを征服した東方遊牧民「ジョチ・ウルス」を「タタール(韃靼)」と呼んだとか。
また、ロシアの人びとは、「金のオルダ(本陣)」と称していたことから、「ジェチ・ウルス」を「金帳汗国」と呼んだとも。
さらに、首都サライは、最盛期、中世世界で最大級の大都市として繁栄したとか。

Without fear of misunderstanding, there has never been a time when there was even a “humanitarian” piece in the short history of human beings. There is no doubt that the earth must be dystopia(誤解を恐れずに言い切れると、たかが人間の短い歴史に「人道」のカケラさえあった時代など一度もない。間違いなく地球は、ディストピア)!

To be continued...















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東仙坊 


人間通の東仙坊が、人間の弱気と恥ずかしい業が生む、情けなくてみっともない犯行を、徹底的に追及、究明。

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