恒久不変な日本砂漠-46 本当に地球上の人間社会は「ワンチーム」なのか?
It could be said that it is the world's most brutal “Mongol Empire” that has created the world-dominated gangster nation Russia, which is as inhumane and vicious as China(今の非人道的で悪辣で中国に負けず劣らずのヤクザ国家ロシアを創り上げたのは、世界制覇をした世界一残虐非道な「モンゴル帝国」だとも言うことができる)!
■893国家中国を甘やかし寛大極まりない関与策を取り続け、木のテッペンにまで登らせてしまったUSA民主党の世紀の不作為
●日本は、歴史的にありとあらゆる影響を中国から受けてきたが、ただの一度も中国と真っ向から対峙したことはなかったのでは?
○日本は、この経済成長など見込めない時代だからこそ、中国の本当の顔を真摯に直視すべきとき
「ジョチ・ウルス」の成立以後、ルーシにおける政治は、その中核が南西ルーシ「キエフ」から北東ルーシの「ウラジーミル」へと移行し始めていた。
と同時に、モンゴル侵攻で完全崩壊させられた後の空白地帯を本拠地として、モンゴルへの恭順の意を表したルーシの新興勢力が、台頭し始めてもいた。
そして、明確に服従の意を示す「ウラジーミル大公」の座を争ってルーシ諸国同士の抗争も激化し始めていた。
そんななかで、著しく台頭し始めていたのが、「モスクワ公国」や「トヴェリ公国」だった。
実際、2国は、「ノヴゴロド公国」さえも圧迫する勢いだった。
では、なぜルーシ諸国同士の諍いが、深刻なり始めたのか?
それは、ひとえに「ジェチ・ウルス」、モンゴル軍の侵攻の神をも恐れぬ残虐さに対する反感のせいでしかなかった。
何しろ、その基本的な戦い方が、遊牧・狩猟民族らしく、動物を追い込む方法の延長線。
まさに、匈奴以来の伝統的兵糧攻め、消耗戦、罠仕かけ。
弓矢と最低限の防具・刀剣で武装した主力の軽装騎兵が、敵を遠巻きにし矢を放ちまくって白兵戦を避け、敵を損耗させる。
離れた敵を引き寄せて陣形を崩させるために偽装退却をよく取る。
弓攻撃で敵軍が混乱すると全身甲冑を着け、刀剣、鎚矛、戦斧、槍を手にした重装騎兵を先頭に突撃する。
そして、とにかく、敵を徹底的に容赦なく殲滅する。
革袋に詰めて馬で生きたまま平らになるまで踏み潰したり、生きたまま釜茹でにしたり、斬首したり、その殺害方法は、女性の陰部に棒を挿したり、皮を剥いだり、撲殺したり、刺殺したり、屠殺型なぶり殺しである。
もちろん、子どもも女性も老人も聖職者も皆殺しにする。
そして、子どもを産んでいないと思える女性だけは凌辱し拉致する。
そう、敵の人間を捕獲した動物のように捌くのである。
それでいて、兵士に戦利品略奪に走ることはさせない。
逆襲を受けるリスクがあるからである。
そのために、戦利品は追撃の後に中軍の制圧部隊が回収し、後で兵士の数に合わせて公平に分配する。
これもそれも、モンゴル人やテュルク人たちは、敵である人間を、単なる「両脚羊」なる食料品、それも保存食品としかみなしていなかったからである。
事実、モンゴル人に侵攻された中央アジアの諸都市では、それぞれで数十万人の住民が虐殺されたとか。
そして、「キエフ・ルーシ」の中心都市キエフも、陥落後10年経っても人間の姿が見られなかったとも。
こうなると、東仙坊、そのモンゴル人テュルク人に何度も征服されている中国についてどうしても触れざるをえない。
◉匈奴…紀元前4世紀~5世紀、中央ユーラシア・モンゴル高原に存在した遊牧民族。
◉契丹…4世紀~14世紀、満州~中央アジアの地域に存在した半農半牧民族。
◉遼…916年~1125年、内モンゴルを中心に中国の北辺を支配した「契丹人」氏族「耶律」の征服王朝。
◉金…1115年~1234年、中国の北半を支配した「女真族」の征服王朝。
ちなみに、モンゴル人に滅亡させられたとか。
◉元…1271年~1368年、東アジアと北アジアを支配した「モンゴル」人が建てた征服王朝。
◉清…1644年~1912年、中国本土とモンゴル高原を支配した満州の「女真族」による王朝。
どうだろう?
ロシアもそうだろうけど、中国人にもモンゴル人の血が色濃く反映されているのでは?
元寇の文永の役では、捕虜となった対馬の日本女性たちは、手に穴を空けられ、それに綱を通され、船の側壁に括りつけられ盾にされたというのでは?
また、「明」王朝が崩壊時、四川省の住民たちは、張献忠なる盗賊反乱軍によって、人っ子一人食い尽くされてしまって、その後、何年も無人省になってしまったというのでは?
どちらにしても、モンゴル人に殲滅させられた中央アジアの諸都市は、中央アジアやルーシの都市は二度と再建できないほどメチャクチャにされたというのでは?
とりわけ、モンゴルへの臣従をはっきりした拒絶していた「リャザン公」アレクサンドルの「リャザン公国」が、木っ端微塵にされたとか。
どうあれ、「ジョチ・ウルス」に属する遊牧民がルーシの辺境にいる限り、ルーシの人びとが、その遊牧民どもの傍若無人で凄惨な侵入や略奪から逃れることなど片時もできなかったとか。
そして、ひとたびヤツらの残虐非道な侵入が起きるたびに、夥しい数の犠牲者が出るだけでなく、土地が荒廃してしまうだけでなく、疫病や飢餓が蔓延したというのでは?
それゆえ、ヨーロッパ人やルーシ族が、モンゴル人に組み込まれていたタタール人に着目し、ギリシャ語の「タルタロス(地獄)」という言葉にかけて、モンゴル人を「タタール人」と呼ぶようになったとも。
Selling souls and accepting the blood of the savage and barbaric Mongolians to rise up is undoubtedly the DNA of today's unmanned, selfish Russians(のし上がるために魂を売って卑屈に野蛮なモンゴル人の血を受け入れたことが、間違いなく今の傍若無人でジコチュウなロシア人のDNA)!
To be continued...
■893国家中国を甘やかし寛大極まりない関与策を取り続け、木のテッペンにまで登らせてしまったUSA民主党の世紀の不作為
●日本は、歴史的にありとあらゆる影響を中国から受けてきたが、ただの一度も中国と真っ向から対峙したことはなかったのでは?
○日本は、この経済成長など見込めない時代だからこそ、中国の本当の顔を真摯に直視すべきとき
「ジョチ・ウルス」の成立以後、ルーシにおける政治は、その中核が南西ルーシ「キエフ」から北東ルーシの「ウラジーミル」へと移行し始めていた。
と同時に、モンゴル侵攻で完全崩壊させられた後の空白地帯を本拠地として、モンゴルへの恭順の意を表したルーシの新興勢力が、台頭し始めてもいた。
そして、明確に服従の意を示す「ウラジーミル大公」の座を争ってルーシ諸国同士の抗争も激化し始めていた。
そんななかで、著しく台頭し始めていたのが、「モスクワ公国」や「トヴェリ公国」だった。
実際、2国は、「ノヴゴロド公国」さえも圧迫する勢いだった。
では、なぜルーシ諸国同士の諍いが、深刻なり始めたのか?
それは、ひとえに「ジェチ・ウルス」、モンゴル軍の侵攻の神をも恐れぬ残虐さに対する反感のせいでしかなかった。
何しろ、その基本的な戦い方が、遊牧・狩猟民族らしく、動物を追い込む方法の延長線。
まさに、匈奴以来の伝統的兵糧攻め、消耗戦、罠仕かけ。
弓矢と最低限の防具・刀剣で武装した主力の軽装騎兵が、敵を遠巻きにし矢を放ちまくって白兵戦を避け、敵を損耗させる。
離れた敵を引き寄せて陣形を崩させるために偽装退却をよく取る。
弓攻撃で敵軍が混乱すると全身甲冑を着け、刀剣、鎚矛、戦斧、槍を手にした重装騎兵を先頭に突撃する。
そして、とにかく、敵を徹底的に容赦なく殲滅する。
革袋に詰めて馬で生きたまま平らになるまで踏み潰したり、生きたまま釜茹でにしたり、斬首したり、その殺害方法は、女性の陰部に棒を挿したり、皮を剥いだり、撲殺したり、刺殺したり、屠殺型なぶり殺しである。
もちろん、子どもも女性も老人も聖職者も皆殺しにする。
そして、子どもを産んでいないと思える女性だけは凌辱し拉致する。
そう、敵の人間を捕獲した動物のように捌くのである。
それでいて、兵士に戦利品略奪に走ることはさせない。
逆襲を受けるリスクがあるからである。
そのために、戦利品は追撃の後に中軍の制圧部隊が回収し、後で兵士の数に合わせて公平に分配する。
これもそれも、モンゴル人やテュルク人たちは、敵である人間を、単なる「両脚羊」なる食料品、それも保存食品としかみなしていなかったからである。
事実、モンゴル人に侵攻された中央アジアの諸都市では、それぞれで数十万人の住民が虐殺されたとか。
そして、「キエフ・ルーシ」の中心都市キエフも、陥落後10年経っても人間の姿が見られなかったとも。
こうなると、東仙坊、そのモンゴル人テュルク人に何度も征服されている中国についてどうしても触れざるをえない。
◉匈奴…紀元前4世紀~5世紀、中央ユーラシア・モンゴル高原に存在した遊牧民族。
◉契丹…4世紀~14世紀、満州~中央アジアの地域に存在した半農半牧民族。
◉遼…916年~1125年、内モンゴルを中心に中国の北辺を支配した「契丹人」氏族「耶律」の征服王朝。
◉金…1115年~1234年、中国の北半を支配した「女真族」の征服王朝。
ちなみに、モンゴル人に滅亡させられたとか。
◉元…1271年~1368年、東アジアと北アジアを支配した「モンゴル」人が建てた征服王朝。
◉清…1644年~1912年、中国本土とモンゴル高原を支配した満州の「女真族」による王朝。
どうだろう?
ロシアもそうだろうけど、中国人にもモンゴル人の血が色濃く反映されているのでは?
元寇の文永の役では、捕虜となった対馬の日本女性たちは、手に穴を空けられ、それに綱を通され、船の側壁に括りつけられ盾にされたというのでは?
また、「明」王朝が崩壊時、四川省の住民たちは、張献忠なる盗賊反乱軍によって、人っ子一人食い尽くされてしまって、その後、何年も無人省になってしまったというのでは?
どちらにしても、モンゴル人に殲滅させられた中央アジアの諸都市は、中央アジアやルーシの都市は二度と再建できないほどメチャクチャにされたというのでは?
とりわけ、モンゴルへの臣従をはっきりした拒絶していた「リャザン公」アレクサンドルの「リャザン公国」が、木っ端微塵にされたとか。
どうあれ、「ジョチ・ウルス」に属する遊牧民がルーシの辺境にいる限り、ルーシの人びとが、その遊牧民どもの傍若無人で凄惨な侵入や略奪から逃れることなど片時もできなかったとか。
そして、ひとたびヤツらの残虐非道な侵入が起きるたびに、夥しい数の犠牲者が出るだけでなく、土地が荒廃してしまうだけでなく、疫病や飢餓が蔓延したというのでは?
それゆえ、ヨーロッパ人やルーシ族が、モンゴル人に組み込まれていたタタール人に着目し、ギリシャ語の「タルタロス(地獄)」という言葉にかけて、モンゴル人を「タタール人」と呼ぶようになったとも。
Selling souls and accepting the blood of the savage and barbaric Mongolians to rise up is undoubtedly the DNA of today's unmanned, selfish Russians(のし上がるために魂を売って卑屈に野蛮なモンゴル人の血を受け入れたことが、間違いなく今の傍若無人でジコチュウなロシア人のDNA)!
To be continued...