恒久不変な日本砂漠-46 本当に地球上の人間社会は「ワンチーム」なのか?
Do ordinary Russians support Putin because they are struck by strict speech control and relentless propaganda? Isn't there a problem with the spirituality of the Russians, who are fundamentally crude, lazy and left alone(ロシアの普通の人々は、厳格な言論統制と執拗なプロパガンダに引っかかているから、プーチンを支持しているのか? 根本的に粗野で怠惰でなりゆき任せのロシア人の精神性に問題があるのでは)?
■893国家中国を甘やかし寛大極まりない関与策を取り続け、木のテッペンにまで登らせてしまったUSA民主党の世紀の不作為
●日本は、歴史的にありとあらゆる影響を中国から受けてきたが、ただの一度も中国と真っ向から対峙したことはなかったのでは?
○日本は、この経済成長など見込めない時代だからこそ、中国の本当の顔を真摯に直視すべきとき
東仙坊、ひらすら領土拡大こそが自分たちのミッションと錯誤するロシアとは、明快に一線を画すべきと、今でははっきりと確信している。
ロシアが、十八番の「大ウソ」で、「ウクライナは兄弟」というなら、今、ロシアのやっていることは明確な「兄弟殺し」。
しかも、人間として許されないジェノサイド。
では、本当に普通のロシア人は、あれほど稚拙で理不尽なプロパガンダに洗脳されてしまっているのか?
これだけの情報化の時代に、このただただ残酷で異常な隣国侵攻に本当に気づいていないのか?
どう考えても、十分にわかっていても、興味がない、なるようになるさ、何を考えても言ってもどうせムダだ、巨大な権力と野心を持った「大ウソ」つきのヤツらに抵抗するよりも、忖度したり、迎合したりした方が、ラク。
それには、ヤツらのウソに、見て見ぬフリ、気づいても気づかないフリが、一番。
そう、ロシア人の精神性の本質は、ヌボーとダラダラ、ポカーン。
ともすると、「ヒステリア・シベリアカ」になるのが日常…。
えっ、それって何?って?
シベリアで何十年も百姓をしてきた農夫が畑を耕していて、ちょうど夕陽が地平線に沈むところを見たとたん、クワを棄て、関わってるもの全てを忘れ去り、その夕陽に向かって歩き出し続け、最後は野垂れ死ぬという極寒のバカでっかい国土ならではの精神病。
ようは、いつもそんな精神状態だから、いつも強い酒を飲み、いつもアフガニスタンから大量に入ってくるヘロインに溺れ、どうにでもなれと日々をこなしているだけ。
それゆえ、自国のボスが「大ウソつき」とわかっていても、なんとなくそれに阿諛追従していればイイとダラダラ生きているだけ。
そう、20世紀を代表するウクライナ人作家ワシーリー・グロスマンが指摘するように、「ロシア人の精神性とは、『千年の奴隷根性』」。
どうあれ、我々日本人が、直接、ロシアにやられた蛮行で忘れてはいけないことは、まだまだある。
◇日清戦争後、ドイツとフランスとグルになって三国干渉して遼東半島を横取りし、旅順を軍港にし、北の竜岩浦を占領しポートニコラスなる要塞にしたうえ、北の森林伐採権と鉱山採掘権を強奪したロシア、こともあろうに壱岐・対馬対岸の鎮海湾を軍港にさせろと横柄に我が国に要求してきたとか。
もちろん、我が国は、長崎まで要求しようとしていると敢然と拒絶し、日露戦争になったのである。
それだけじゃない。
◇その40年前の1861年、ロシアは、対馬を半年も不法占拠する「ポサドニック号」事件なるものを起こしている。
何でも、ロシア帝国海軍中尉ニコライ・ビリリョフが艦長の軍艦「ポサドニック号」が、対馬尾崎浦に投錨。
それに対し、対馬藩が、毅然と非開港場投錨の非を責め速やかに退帆するように抗議。
すると、艦長は、「船が難破して航行に耐えられないので修理のために来航したのだから、助けてくれ」と大ウソ。
すぐさま、対馬芋崎を占拠し、測量を始め(???)、修理工場の設営資材(?)、食料、遊女(??)を要求。
そして、浅茅湾内に進航し、無断で上陸して、兵舎・工場・練兵場などの建設を開始。
すると、対馬藩内では、その対応を巡って、武力での排撃を主張する攘夷派と紛争を避けようとする穏健派で論争が沸騰。
そう、現在とほぼ同じ。
対馬藩主宗義和は、コトを荒立てず穏便に解決しようと接しながら、問状使を派遣し、その不法を何度か詰問。
しかし、ロシア側は、無回答を貫く横柄さ。
そして、武力で日本側を脅かしたり、住民を懐柔したりし、木材・牛馬・食糧・薪炭を強奪したり、山野を歩き回って野獣を捕獲したり、婦女をレイプしたり、傍若無人。
そのうえで、艦長は、藩主への面会を再三要求しつつ、芋崎の租借を要求。
ロシア兵が短艇に乗り大船越の水門を通過しようとしたのを対馬藩警備兵が制止すると、なんと警備兵を射殺したうえ、郷士2名を捕虜として拉致し、軍艦に連行。
また、番所を襲撃して武器を強奪し、数人の住民を拉致し、7頭の牛を奪って帰船する傲慢さ。
さらに、水兵約100人で大船越の村で略奪させる腹黒さ。
そこで、対馬藩主宗義和は、「ポサドニック号」の速やかに退去することを要求しながら、米・塩・薪炭を贈り、卑屈に懐柔策。
その一方で、密かに沿岸に砲台を築造し、対決の準備。
長崎奉行岡部長常は、対馬藩に対し紛争を回避するように慎重な対応を指示。
そして、不法行為を詰問する書を艦長に送付し、外国奉行小栗忠順を咸臨丸で対馬に急派。
江戸に戻った外国奉行は、老中に、対馬を直轄領とすること、今回の事件の折衝は正式の外交形式で行うこと、国際世論に訴えることなどを提言。
しかし、老中が、この意見を受け入れなかったために、辞任。
For some reason, the reason why we Japanese refrain from white-skinned foreigners for a long time is because of the long-term isolation(なぜか我々日本人が、目の青い肌の白い外国人にどこか遠慮するのは、長い間の鎖国が原因なのか)?
To be continued...
■893国家中国を甘やかし寛大極まりない関与策を取り続け、木のテッペンにまで登らせてしまったUSA民主党の世紀の不作為
●日本は、歴史的にありとあらゆる影響を中国から受けてきたが、ただの一度も中国と真っ向から対峙したことはなかったのでは?
○日本は、この経済成長など見込めない時代だからこそ、中国の本当の顔を真摯に直視すべきとき
東仙坊、ひらすら領土拡大こそが自分たちのミッションと錯誤するロシアとは、明快に一線を画すべきと、今でははっきりと確信している。
ロシアが、十八番の「大ウソ」で、「ウクライナは兄弟」というなら、今、ロシアのやっていることは明確な「兄弟殺し」。
しかも、人間として許されないジェノサイド。
では、本当に普通のロシア人は、あれほど稚拙で理不尽なプロパガンダに洗脳されてしまっているのか?
これだけの情報化の時代に、このただただ残酷で異常な隣国侵攻に本当に気づいていないのか?
どう考えても、十分にわかっていても、興味がない、なるようになるさ、何を考えても言ってもどうせムダだ、巨大な権力と野心を持った「大ウソ」つきのヤツらに抵抗するよりも、忖度したり、迎合したりした方が、ラク。
それには、ヤツらのウソに、見て見ぬフリ、気づいても気づかないフリが、一番。
そう、ロシア人の精神性の本質は、ヌボーとダラダラ、ポカーン。
ともすると、「ヒステリア・シベリアカ」になるのが日常…。
えっ、それって何?って?
シベリアで何十年も百姓をしてきた農夫が畑を耕していて、ちょうど夕陽が地平線に沈むところを見たとたん、クワを棄て、関わってるもの全てを忘れ去り、その夕陽に向かって歩き出し続け、最後は野垂れ死ぬという極寒のバカでっかい国土ならではの精神病。
ようは、いつもそんな精神状態だから、いつも強い酒を飲み、いつもアフガニスタンから大量に入ってくるヘロインに溺れ、どうにでもなれと日々をこなしているだけ。
それゆえ、自国のボスが「大ウソつき」とわかっていても、なんとなくそれに阿諛追従していればイイとダラダラ生きているだけ。
そう、20世紀を代表するウクライナ人作家ワシーリー・グロスマンが指摘するように、「ロシア人の精神性とは、『千年の奴隷根性』」。
どうあれ、我々日本人が、直接、ロシアにやられた蛮行で忘れてはいけないことは、まだまだある。
◇日清戦争後、ドイツとフランスとグルになって三国干渉して遼東半島を横取りし、旅順を軍港にし、北の竜岩浦を占領しポートニコラスなる要塞にしたうえ、北の森林伐採権と鉱山採掘権を強奪したロシア、こともあろうに壱岐・対馬対岸の鎮海湾を軍港にさせろと横柄に我が国に要求してきたとか。
もちろん、我が国は、長崎まで要求しようとしていると敢然と拒絶し、日露戦争になったのである。
それだけじゃない。
◇その40年前の1861年、ロシアは、対馬を半年も不法占拠する「ポサドニック号」事件なるものを起こしている。
何でも、ロシア帝国海軍中尉ニコライ・ビリリョフが艦長の軍艦「ポサドニック号」が、対馬尾崎浦に投錨。
それに対し、対馬藩が、毅然と非開港場投錨の非を責め速やかに退帆するように抗議。
すると、艦長は、「船が難破して航行に耐えられないので修理のために来航したのだから、助けてくれ」と大ウソ。
すぐさま、対馬芋崎を占拠し、測量を始め(???)、修理工場の設営資材(?)、食料、遊女(??)を要求。
そして、浅茅湾内に進航し、無断で上陸して、兵舎・工場・練兵場などの建設を開始。
すると、対馬藩内では、その対応を巡って、武力での排撃を主張する攘夷派と紛争を避けようとする穏健派で論争が沸騰。
そう、現在とほぼ同じ。
対馬藩主宗義和は、コトを荒立てず穏便に解決しようと接しながら、問状使を派遣し、その不法を何度か詰問。
しかし、ロシア側は、無回答を貫く横柄さ。
そして、武力で日本側を脅かしたり、住民を懐柔したりし、木材・牛馬・食糧・薪炭を強奪したり、山野を歩き回って野獣を捕獲したり、婦女をレイプしたり、傍若無人。
そのうえで、艦長は、藩主への面会を再三要求しつつ、芋崎の租借を要求。
ロシア兵が短艇に乗り大船越の水門を通過しようとしたのを対馬藩警備兵が制止すると、なんと警備兵を射殺したうえ、郷士2名を捕虜として拉致し、軍艦に連行。
また、番所を襲撃して武器を強奪し、数人の住民を拉致し、7頭の牛を奪って帰船する傲慢さ。
さらに、水兵約100人で大船越の村で略奪させる腹黒さ。
そこで、対馬藩主宗義和は、「ポサドニック号」の速やかに退去することを要求しながら、米・塩・薪炭を贈り、卑屈に懐柔策。
その一方で、密かに沿岸に砲台を築造し、対決の準備。
長崎奉行岡部長常は、対馬藩に対し紛争を回避するように慎重な対応を指示。
そして、不法行為を詰問する書を艦長に送付し、外国奉行小栗忠順を咸臨丸で対馬に急派。
江戸に戻った外国奉行は、老中に、対馬を直轄領とすること、今回の事件の折衝は正式の外交形式で行うこと、国際世論に訴えることなどを提言。
しかし、老中が、この意見を受け入れなかったために、辞任。
For some reason, the reason why we Japanese refrain from white-skinned foreigners for a long time is because of the long-term isolation(なぜか我々日本人が、目の青い肌の白い外国人にどこか遠慮するのは、長い間の鎖国が原因なのか)?
To be continued...