恒久不変な日本砂漠-46 本当に地球上の人間社会は「ワンチーム」なのか?
Russian history must be an on-parade of plots and betrayals and assassinations, such as the mafia's internal conflict(ロシアの歴史は、マフィアの抗争のような策謀と裏切りと暗殺のオンパレード)!
■893国家中国を甘やかし寛大極まりない関与策を取り続け、木のテッペンにまで登らせてしまったUSA民主党の世紀の不作為
●日本は、歴史的にありとあらゆる影響を中国から受けてきたが、ただの一度も中国と真っ向から対峙したことはなかったのでは?
○日本は、この経済成長など見込めない時代だからこそ、中国の本当の顔を真摯に直視すべきとき
東仙坊、映画を挙げたついでに、もう1つ、ロシアの正体がよくわかる映画にも、触れておきたい。
何しろ、このGWを前にして、義憤を感じたのか(?)奇特な日本人の方々が、少しでも極悪非道なロシアに近づいて、「凄惨な侵攻をすぐ止めなさい!」と荒波の中小さなボートで遭難する人為的事故が発生するくらいなのだから。
ここは、「中共ウィルス」の蔓延を完全阻止するためにも、アットホームで、「スターリンの葬送狂騒曲」を鑑賞するのが、一番。
1953年、モスクワでは、ラヴレンチー・ベリヤ率いるNKVDは「粛清リスト」に基づく国民の逮捕粛清を実行していたとか。
そのせいで、今のPuサンがマネするヨシフ・スターリンに対する国民の畏怖は、ラジオ生放送のコンサートの録音を欲すると関係者が急遽再演奏するほどだったというから、ハンパじゃなかったはず。
さて、スターリンの執務室の外で警備に当たっていた2人の兵士は、室内でスターリンの倒れる音を聞く。
1人は、「中を覗いた方がいい」と言うも、もう1人、「黙れ。2人とも処刑される」と執務室に入らない。
翌朝、メイドの女性が昏倒したスターリンを発見し、共産党幹部たちを集結させる。
そして、全員でスターリンを寝室に運び、幹部たちは医師を呼ぼうとするが、有能な医者はスターリンを暗殺しようとしたという嫌疑をかけられて軒並み粛清されていたために、1人もいない。
仕方なく、粛清の際に医師に不利な証言をした看護師に、経験不足の若手医師や引退した医師までかき集めて何とか医師団を編成させ、スターリン診察を命じる。
「スターリンは脳出血により右半身麻痺の状態。回復の見込みはない」という医師たちの診断に、共産党幹部たちは狂喜乱舞。
そして、すぐさま、勢力争いを開始。
スターリンの娘スヴェトラーナを味方につけようとしたり、無能だが権勢を笠に着る道楽息子ワシーリーの介入を食い止めようと、お互いに暗躍。
幹部の個人情報まで握るベリヤは、党内序列2位のゲオルギー・マレンコフと組み、ニキータ・フルシチョフは、ヴャチェスラフ・モロトフ、ラーザリ・カガノーヴィチ、アナスタス・ミコヤンらを仲間にし、対抗。
ベリヤは、「粛清リスト」からモロトフを外すとともに、反党活動で収監されていたその妻ポリーナを釈放するなどの懐柔策。
スターリンが死去すると、幹部たちは、スターリンの葬儀と後継争いのために東奔西走。
そして、後継トップUSSR共産党書記長・USSR閣僚会議議長に、マレンコフが昇格。
ベリヤは、ナンバー2第一副首相、フルシチョフは、スターリン葬儀委員長。
トップとなっても実行力のないマレンコフに対し、ベリヤは、政治犯の釈放や粛清リストの凍結などを提案。
それから、スターリンに対する服喪中のモスクワ市内の警備を軍からNKVDに変えさせ、さらにモスクワに入る列車を止めようとする。
フルシチョフは、鉄道の管轄は自分にあると主張したが、ベリヤは強行。
しかし、フルシチョフは独断で列車運行を許可し、弔問に大挙して押し寄せた人民に、警備のNKVD隊員が発砲し約1500人を射殺。
責任を巡りベリヤとフルシチョフは、お互いに責任をなすりつけ合って対立。
結局、現場警備責任者に罪をかぶせるカタチで手打ちをするが、その上司であるベリヤには失点。
葬儀の当日も、スターリンの遺骸の周りで口論。
弔問客に、教会関係者をベリヤが含めたことについて、フルシチョフらは、「スターリン主義に反する」と吹聴。
軍最高司令官ゲオルギー・ジューコフと組んだフルシチョフは、マレンコフを除く他の共産党幹部の同意も取りつけ、ベリヤの失脚を画策。
葬儀後の幹部会議で、フルシチョフが、ベリヤ解任を提議し、テーブルの下の隠しボタンを押すと軍最高司令官らによってベリヤを連行。
裁判を主張するマレンコフに対し、フルシチョフは、トハチェフスキー、ピャタコフ、ソコリニコフなど裁判を受けずに粛清された同志の名を挙げ、半ば恫喝して処刑命令に署名。
そして、ベリヤは、フルシチョフらが出席する即決裁判で「少女への性的暴行」、「外国勢力と通じて利益拡大を図ったことによる国家反逆罪」、「反ソビエト行為」などで銃殺刑の判決を下されて即刻処刑。
その死体は、フルシチョフらの目の前で、軍最高司令官ジューコフと兵士たちによってガソリンをかけられ焼却。
その場にやってきたスヴェトラーナに、フルシチョフは、「ワシーリーはこちらで面倒を看る」と告げ、スヴェトラーナにウィーンに向かうように命令。
それでも、自分がワシーリーの面倒を見るというスヴェトラーナに対し、フルシチョフは、「この国で流れに逆らう者は消される」と半ば脅迫し、スヴェトラーナは兵士に連れられ車で去る。
やがて、フルシチョフやその妻、そして、幹部たちがコンサートを鑑賞中、字幕では、ベリヤの処刑後にUSSR共産党中央委員会がUSSR最高機関となったこと、フルシチョフが1956年にモロトフやマレンコフらを排除し名実ともにUSSR最高指導者になったこと、そのフルシチョフも1964年にレオニード・ブレジネフの台頭により失脚したこと、フルシチョフの背後に座るブレジネフらしき人物がフルシチョフを見下ろしているところで、映画はそこで終るのだが…。
どちらにして、この激しい内部抗争の世界は、ロシアがゴロツキ国家であることの証明になっているのでは?
From the moment you become a dictator who monopolizes power, authority, and wealth, you couldn't be alert for a moment, so it must be natural that you wold have a dream such as a good night's sleep(権力と権威と富を独り占めする独裁者になった瞬間から、一瞬の油断もできなくなるのだから、安眠など夢の夢になるのも当たり前)!
To be continued...
■893国家中国を甘やかし寛大極まりない関与策を取り続け、木のテッペンにまで登らせてしまったUSA民主党の世紀の不作為
●日本は、歴史的にありとあらゆる影響を中国から受けてきたが、ただの一度も中国と真っ向から対峙したことはなかったのでは?
○日本は、この経済成長など見込めない時代だからこそ、中国の本当の顔を真摯に直視すべきとき
東仙坊、映画を挙げたついでに、もう1つ、ロシアの正体がよくわかる映画にも、触れておきたい。
何しろ、このGWを前にして、義憤を感じたのか(?)奇特な日本人の方々が、少しでも極悪非道なロシアに近づいて、「凄惨な侵攻をすぐ止めなさい!」と荒波の中小さなボートで遭難する人為的事故が発生するくらいなのだから。
ここは、「中共ウィルス」の蔓延を完全阻止するためにも、アットホームで、「スターリンの葬送狂騒曲」を鑑賞するのが、一番。
1953年、モスクワでは、ラヴレンチー・ベリヤ率いるNKVDは「粛清リスト」に基づく国民の逮捕粛清を実行していたとか。
そのせいで、今のPuサンがマネするヨシフ・スターリンに対する国民の畏怖は、ラジオ生放送のコンサートの録音を欲すると関係者が急遽再演奏するほどだったというから、ハンパじゃなかったはず。
さて、スターリンの執務室の外で警備に当たっていた2人の兵士は、室内でスターリンの倒れる音を聞く。
1人は、「中を覗いた方がいい」と言うも、もう1人、「黙れ。2人とも処刑される」と執務室に入らない。
翌朝、メイドの女性が昏倒したスターリンを発見し、共産党幹部たちを集結させる。
そして、全員でスターリンを寝室に運び、幹部たちは医師を呼ぼうとするが、有能な医者はスターリンを暗殺しようとしたという嫌疑をかけられて軒並み粛清されていたために、1人もいない。
仕方なく、粛清の際に医師に不利な証言をした看護師に、経験不足の若手医師や引退した医師までかき集めて何とか医師団を編成させ、スターリン診察を命じる。
「スターリンは脳出血により右半身麻痺の状態。回復の見込みはない」という医師たちの診断に、共産党幹部たちは狂喜乱舞。
そして、すぐさま、勢力争いを開始。
スターリンの娘スヴェトラーナを味方につけようとしたり、無能だが権勢を笠に着る道楽息子ワシーリーの介入を食い止めようと、お互いに暗躍。
幹部の個人情報まで握るベリヤは、党内序列2位のゲオルギー・マレンコフと組み、ニキータ・フルシチョフは、ヴャチェスラフ・モロトフ、ラーザリ・カガノーヴィチ、アナスタス・ミコヤンらを仲間にし、対抗。
ベリヤは、「粛清リスト」からモロトフを外すとともに、反党活動で収監されていたその妻ポリーナを釈放するなどの懐柔策。
スターリンが死去すると、幹部たちは、スターリンの葬儀と後継争いのために東奔西走。
そして、後継トップUSSR共産党書記長・USSR閣僚会議議長に、マレンコフが昇格。
ベリヤは、ナンバー2第一副首相、フルシチョフは、スターリン葬儀委員長。
トップとなっても実行力のないマレンコフに対し、ベリヤは、政治犯の釈放や粛清リストの凍結などを提案。
それから、スターリンに対する服喪中のモスクワ市内の警備を軍からNKVDに変えさせ、さらにモスクワに入る列車を止めようとする。
フルシチョフは、鉄道の管轄は自分にあると主張したが、ベリヤは強行。
しかし、フルシチョフは独断で列車運行を許可し、弔問に大挙して押し寄せた人民に、警備のNKVD隊員が発砲し約1500人を射殺。
責任を巡りベリヤとフルシチョフは、お互いに責任をなすりつけ合って対立。
結局、現場警備責任者に罪をかぶせるカタチで手打ちをするが、その上司であるベリヤには失点。
葬儀の当日も、スターリンの遺骸の周りで口論。
弔問客に、教会関係者をベリヤが含めたことについて、フルシチョフらは、「スターリン主義に反する」と吹聴。
軍最高司令官ゲオルギー・ジューコフと組んだフルシチョフは、マレンコフを除く他の共産党幹部の同意も取りつけ、ベリヤの失脚を画策。
葬儀後の幹部会議で、フルシチョフが、ベリヤ解任を提議し、テーブルの下の隠しボタンを押すと軍最高司令官らによってベリヤを連行。
裁判を主張するマレンコフに対し、フルシチョフは、トハチェフスキー、ピャタコフ、ソコリニコフなど裁判を受けずに粛清された同志の名を挙げ、半ば恫喝して処刑命令に署名。
そして、ベリヤは、フルシチョフらが出席する即決裁判で「少女への性的暴行」、「外国勢力と通じて利益拡大を図ったことによる国家反逆罪」、「反ソビエト行為」などで銃殺刑の判決を下されて即刻処刑。
その死体は、フルシチョフらの目の前で、軍最高司令官ジューコフと兵士たちによってガソリンをかけられ焼却。
その場にやってきたスヴェトラーナに、フルシチョフは、「ワシーリーはこちらで面倒を看る」と告げ、スヴェトラーナにウィーンに向かうように命令。
それでも、自分がワシーリーの面倒を見るというスヴェトラーナに対し、フルシチョフは、「この国で流れに逆らう者は消される」と半ば脅迫し、スヴェトラーナは兵士に連れられ車で去る。
やがて、フルシチョフやその妻、そして、幹部たちがコンサートを鑑賞中、字幕では、ベリヤの処刑後にUSSR共産党中央委員会がUSSR最高機関となったこと、フルシチョフが1956年にモロトフやマレンコフらを排除し名実ともにUSSR最高指導者になったこと、そのフルシチョフも1964年にレオニード・ブレジネフの台頭により失脚したこと、フルシチョフの背後に座るブレジネフらしき人物がフルシチョフを見下ろしているところで、映画はそこで終るのだが…。
どちらにして、この激しい内部抗争の世界は、ロシアがゴロツキ国家であることの証明になっているのでは?
From the moment you become a dictator who monopolizes power, authority, and wealth, you couldn't be alert for a moment, so it must be natural that you wold have a dream such as a good night's sleep(権力と権威と富を独り占めする独裁者になった瞬間から、一瞬の油断もできなくなるのだから、安眠など夢の夢になるのも当たり前)!
To be continued...