恒久不変な日本砂漠-46 本当に地球上の人間社会は「ワンチーム」なのか?
Japan should continue to accurately and appropriately disseminate evidence to the world that the Senkaku Islands must be our territory(我が日本は、世界に向けて、尖閣諸島が我が日本の領土だという証拠を正確かつ適切に発信し続けるべき)!
■893国家中国を甘やかし寛大極まりない関与策を取り続け、木のテッペンにまで登らせてしまったUSA民主党の世紀の不作為
●日本は、歴史的にありとあらゆる影響を中国から受けてきたが、ただの一度も中国と真っ向から対峙したことはなかったのでは?
○中国共産党に、おバカ習近平に、「尖閣諸島」が自国の領土なんて言わせているのは、金のために魂を売ったUSAの「チャイナゲート」のハゲタカどもと我が国の内にいる「チャイナスクール」のアンポンタンども。
2016年4月、我が日本政府が、尖閣諸島が日本固有の領土であることを示す資料約750点を内閣官房HPに公開。
何でも、新たに見つかった尖閣諸島に関する資料には、清朝時代に日本人が尖閣諸島に向かったことを清国側が問題視しなかったことを示す中国側書簡など約300点が含まれているとか。
もちろん、大ウソつきの中国、ウソをつき続ける必要から、敏感に反応。
2016年4月19日、中国外交部華春瑩報道官、「釣魚島とそれに付属する島嶼島は中国固有の領土であり、それを示す十分な歴史的、法律的根拠がある(???)。日清戦争以前から西洋の地図において釣魚島の名称は広く使用されており、中国に属することが明確に示されていた(?)。日清戦争以降、日本は釣魚島を含む台湾およびその付属島嶼に対して長期的な植民地支配を行った。第二次世界大戦終結後、関連する法律文書に基づき、釣魚島は中国に返還された(?)。日本が苦心して資料を探し出し、一部を都合よく解釈し、歴史を分断しようとしても、釣魚島が中国に属するという事実を変えることはできない」と反論。
では、どんな新しいモノが、あったのか?
①1920年5月20日付の「中華民国駐長崎領事 馮冕」からの漢文で書かれた「感謝状」。
領事の公印も押印された中国側の列記とした公文書。
何でも、1919年、福建省から漁に出た中国漁民31人が嵐で遭難し、彼ら尖閣に住んでいた日本人の島民や八重山郡石垣村の住民らが救助。遭難した中国漁民を無事本国へと送り返したことについて、中国側が「感謝状」を贈呈してきたとか。
その「感謝状」の中で、「漁民が遭難して流れ着いた場所を、『日本帝国沖縄縣八重山郡尖閣列島』」と表記してあるとか。
そして、この「感謝状」に記された遭難事件の存在を裏づける公電なども発見されているとも。
②尖閣諸島・久場島の西側に領土・領海の境界を示す点線が明確に引かれた地図。
尖閣諸島・久場島を示す「Hoapin-su」の西側に「……」との点線。
そして、他の資料とつき合わせて調べたところ、点線は、領土・領海の境界を示しており、地図上で、久場島を日本領と認めていたことは、歴然とも。
尖閣諸島を日本領だと判断したUKの地図は、最先端の航海技術と各国機関への情報網をもつUK海軍の調査に依拠。
尖閣諸島周辺は、ともにUK領となっていた香港と朝鮮半島南部沖の巨文島を結ぶ海上ルート上で、UK海軍にとって重要な航路。
◎海洋大国UKの「スタンフォード地図店」1887年発行の「ロンドン・アトラス」(オーストラリア国立博物館)
③久場島の西にラインが引かれ、尖閣諸島が日本領として琉球併合前の沖縄と同じ色分けをされた地図。
◎ドイツの地図製作大家アドルフ・シュティーラが1868年作成した「ハンド・アトラス」(東京総合図書館所蔵)
どうだろう?
この2つの地図とも、日清戦争(1894~1895年)前の地図なのだから、中国側の「日清戦争を通じて、日本が尖閣を奪った」とする主張を覆せることだけは間違いないのでは?
④中華人民共和国政府が、1969年に発行した尖閣諸島を日本名で表記した地図。
どうだろう?
尖閣諸島が、歴史的、国際法的に日本領土だと証明する数々の動かぬ証拠の1つなのでは?
それに対し、「1、2枚の地図を探したところで歴史的事実は覆せない」とか、「必要ならば釣魚嶼が中国に属すると明確に表記する地図を100枚でも1000枚でも探し出せる」というへのツッパリだけでは、恥ずかしすぎるのでは?
⑤1893年、熊本県在住の井澤弥喜太ら3人が、石垣島からアホウドリ捕獲のために「胡馬島」へ向かう途中で遭難し、清国に漂着、清国地方官に保護された彼らが海経由で日本に移送されたことがあったとか。
そこで、外務大臣陸奥宗光の命を受けた上海総領事館が、地方官に謝意を伝える公文書を作成し、福建省海防官に送付。
そして、1893年、日清間で往復書簡など計9通。
その9通目の書簡は、その公文書を清国側が受領、了承したことを日本政府に返信したものとか。
◎「井澤弥喜太外二名、清国へ漂流したる節、救助したる同国地方官へ謝意伝達之件」という日本人の遭難記録(外務省外交史料館所蔵)
◎日清間で往復書簡など計9通
その清国側の対応は、「茲准前由、除呈報移行外(ここに上述の通り、各地方官に報告・通知する)」というものとか。
どうだろう?
もし清国が、尖閣諸島を領有していたのなら、井澤弥喜太らが渡航しようとしたことに対して何らかの抗議をするはずなのでは?
そうしなかったということは、清国が尖閣諸島を自国の領土とは見なしていなかったことの証左なのでは?
Before giving out meaningless money as a cash dispenser in the world, we should distribute a leaflet “The Senkaku Islands must be Japanese territory” in languages around the world, with novelties in collaboration with Pikachu and Kitty(世界のキャッシュディスペンサーとして意味のない金配りをする前に、ピカチュウやキティとコラボしたノベルティをつけて、世界中の言語で「尖閣諸島は日本の領土」というリーフレットを配布すべき)!
To be continued...
■893国家中国を甘やかし寛大極まりない関与策を取り続け、木のテッペンにまで登らせてしまったUSA民主党の世紀の不作為
●日本は、歴史的にありとあらゆる影響を中国から受けてきたが、ただの一度も中国と真っ向から対峙したことはなかったのでは?
○中国共産党に、おバカ習近平に、「尖閣諸島」が自国の領土なんて言わせているのは、金のために魂を売ったUSAの「チャイナゲート」のハゲタカどもと我が国の内にいる「チャイナスクール」のアンポンタンども。
2016年4月、我が日本政府が、尖閣諸島が日本固有の領土であることを示す資料約750点を内閣官房HPに公開。
何でも、新たに見つかった尖閣諸島に関する資料には、清朝時代に日本人が尖閣諸島に向かったことを清国側が問題視しなかったことを示す中国側書簡など約300点が含まれているとか。
もちろん、大ウソつきの中国、ウソをつき続ける必要から、敏感に反応。
2016年4月19日、中国外交部華春瑩報道官、「釣魚島とそれに付属する島嶼島は中国固有の領土であり、それを示す十分な歴史的、法律的根拠がある(???)。日清戦争以前から西洋の地図において釣魚島の名称は広く使用されており、中国に属することが明確に示されていた(?)。日清戦争以降、日本は釣魚島を含む台湾およびその付属島嶼に対して長期的な植民地支配を行った。第二次世界大戦終結後、関連する法律文書に基づき、釣魚島は中国に返還された(?)。日本が苦心して資料を探し出し、一部を都合よく解釈し、歴史を分断しようとしても、釣魚島が中国に属するという事実を変えることはできない」と反論。
では、どんな新しいモノが、あったのか?
①1920年5月20日付の「中華民国駐長崎領事 馮冕」からの漢文で書かれた「感謝状」。
領事の公印も押印された中国側の列記とした公文書。
何でも、1919年、福建省から漁に出た中国漁民31人が嵐で遭難し、彼ら尖閣に住んでいた日本人の島民や八重山郡石垣村の住民らが救助。遭難した中国漁民を無事本国へと送り返したことについて、中国側が「感謝状」を贈呈してきたとか。
その「感謝状」の中で、「漁民が遭難して流れ着いた場所を、『日本帝国沖縄縣八重山郡尖閣列島』」と表記してあるとか。
そして、この「感謝状」に記された遭難事件の存在を裏づける公電なども発見されているとも。
②尖閣諸島・久場島の西側に領土・領海の境界を示す点線が明確に引かれた地図。
尖閣諸島・久場島を示す「Hoapin-su」の西側に「……」との点線。
そして、他の資料とつき合わせて調べたところ、点線は、領土・領海の境界を示しており、地図上で、久場島を日本領と認めていたことは、歴然とも。
尖閣諸島を日本領だと判断したUKの地図は、最先端の航海技術と各国機関への情報網をもつUK海軍の調査に依拠。
尖閣諸島周辺は、ともにUK領となっていた香港と朝鮮半島南部沖の巨文島を結ぶ海上ルート上で、UK海軍にとって重要な航路。
◎海洋大国UKの「スタンフォード地図店」1887年発行の「ロンドン・アトラス」(オーストラリア国立博物館)
③久場島の西にラインが引かれ、尖閣諸島が日本領として琉球併合前の沖縄と同じ色分けをされた地図。
◎ドイツの地図製作大家アドルフ・シュティーラが1868年作成した「ハンド・アトラス」(東京総合図書館所蔵)
どうだろう?
この2つの地図とも、日清戦争(1894~1895年)前の地図なのだから、中国側の「日清戦争を通じて、日本が尖閣を奪った」とする主張を覆せることだけは間違いないのでは?
④中華人民共和国政府が、1969年に発行した尖閣諸島を日本名で表記した地図。
どうだろう?
尖閣諸島が、歴史的、国際法的に日本領土だと証明する数々の動かぬ証拠の1つなのでは?
それに対し、「1、2枚の地図を探したところで歴史的事実は覆せない」とか、「必要ならば釣魚嶼が中国に属すると明確に表記する地図を100枚でも1000枚でも探し出せる」というへのツッパリだけでは、恥ずかしすぎるのでは?
⑤1893年、熊本県在住の井澤弥喜太ら3人が、石垣島からアホウドリ捕獲のために「胡馬島」へ向かう途中で遭難し、清国に漂着、清国地方官に保護された彼らが海経由で日本に移送されたことがあったとか。
そこで、外務大臣陸奥宗光の命を受けた上海総領事館が、地方官に謝意を伝える公文書を作成し、福建省海防官に送付。
そして、1893年、日清間で往復書簡など計9通。
その9通目の書簡は、その公文書を清国側が受領、了承したことを日本政府に返信したものとか。
◎「井澤弥喜太外二名、清国へ漂流したる節、救助したる同国地方官へ謝意伝達之件」という日本人の遭難記録(外務省外交史料館所蔵)
◎日清間で往復書簡など計9通
その清国側の対応は、「茲准前由、除呈報移行外(ここに上述の通り、各地方官に報告・通知する)」というものとか。
どうだろう?
もし清国が、尖閣諸島を領有していたのなら、井澤弥喜太らが渡航しようとしたことに対して何らかの抗議をするはずなのでは?
そうしなかったということは、清国が尖閣諸島を自国の領土とは見なしていなかったことの証左なのでは?
Before giving out meaningless money as a cash dispenser in the world, we should distribute a leaflet “The Senkaku Islands must be Japanese territory” in languages around the world, with novelties in collaboration with Pikachu and Kitty(世界のキャッシュディスペンサーとして意味のない金配りをする前に、ピカチュウやキティとコラボしたノベルティをつけて、世界中の言語で「尖閣諸島は日本の領土」というリーフレットを配布すべき)!
To be continued...