恒久不変な日本砂漠-46 本当に地球上の人間社会は「ワンチーム」なのか?
Even the Chinese Communist Party, which has a big lie, shouldn't have owned the Senkaku Islands on the islands attached to Taiwan even though it has never owned Taiwan in history(大ウソつき中国共産党でも、台湾を歴史的に一度も領有したことがないのに、台湾の附属島嶼の尖閣諸島を領有しているはずはないのでは)!
■893国家中国を甘やかし寛大極まりない関与策を取り続け、木のテッペンにまで登らせてしまったUSA民主党の世紀の不作為
●日本は、歴史的にありとあらゆる影響を中国から受けてきたが、ただの一度も中国と真っ向から対峙したことはなかったのでは?
○中国共産党に、おバカ習近平に、「尖閣諸島」が自国の領土なんて言わせているのは、金のために魂を売ったUSAの「チャイナゲート」のハゲタカどもと我が国の内にいる「チャイナスクール」のアンポンタンども。
東仙坊、少なくとも明代に、尖閣諸島を中国が領有していなかったということをなんとなく感じることはできた。
海がキライな大陸国家の明が、何とかもっと海嫌いと思えるモンゴル族の元から王朝を奪い返し、台湾島よりはるか遠方に位置する絶海の孤島群である尖閣諸島を領有化しようとなどしているヒマなどなかったはず。
というのも、万里の長城の向こうには、追われたばかりの元の残党が残っているはず。
となると、台湾島より東に170㎞遠方にある孤島の尖閣諸島、名前もつけていなかったどうでもいい島を自分たちの飛び地にしようとか、直轄領にしようとか、考えるワケもなかったはず。
ところで、それで俄然気になってきたことが、1つ。
それは、では、台湾島が、明代に中国領土だったのか?という疑問。
誰がどう考えても、中国の領土であったはずもないのでは?
だとすると、台湾島自体が、まだ中国に帰属していないうえ、その存在がほとんど知られていなかった時代に、台湾島の附属島嶼である尖閣諸島が、航海者の関心を惹いたとは到底思えないのでは?
にもかかわらず、明代から「冊封使録」などの歴史文献に、釣魚島に関する記載があり、釣魚島が琉球に帰属していなかったことを示しているとか、明代から、釣魚島は中国領土として中国の防衛区域に含まれていたなんて、平然と大ウソつきの中国は言い出しているのである。
そして、明の提督が編纂した著書「沿海山沙図」に、尖閣諸島が明記されているから、自分たちの領土だと言い張っているのである。
どうだろう?
倭寇が猛威を奮っていた当時の状況を考慮すれば、明の防衛力が尖閣諸島付近にまで及んでなどと考えられないのでは?
ということは、尖閣諸島名の記述は、「倭寇の襲来する経路にあたる福建の防衛上、特に注意すべき区域という意味に止まる」としか思えないのでは?
どちらにしても、台湾島が、どこの領土でもなかったときに、その附属島嶼である尖閣諸島が、明国のモノだったと言うこと自体が矛盾なのでは?
それでも、自分の欲しいモノは自分のモノというデタラメ黒社会国家中国が、簡単に諦めるはずもナシ。
釣魚島を記録する日本の最も早い文献、1783年、林子平が著した「三国通覧図説」に収録されている「琉球三省並三十六島之図」では、釣魚島を琉球36島以外に記し、かつ中国大陸と同色で示しているのは、釣魚島が中国領土の一部であることを示しているということだと大ハシャギ。
確かに、その江戸時代の彩色写本2種類が保存。
1つでは、日本は、青緑色、琉球は、赤茶色、中国本土と尖閣諸島は、うす茶色、台湾と澎湖は、黄色。
もう1種では、日本は、緑色、琉球は、黄色、中国本土と尖閣諸島は、桜色、台湾は、ネズミ色。
どうだろう?
これらの写本では、色分けと領土との関係は必ずしも一致しないことを示しているのでは?
なぜなら、中国政府は、「尖閣諸島は、台湾の附属島嶼」という公式見解しているのに、尖閣諸島「釣魚臺」は、台湾と異なる色で彩色になっているのでは?
それだけじゃない。
台湾島内に記載された「台湾県」、「諸羅県」、「鳳山県」は、対岸の福建省に属する公式の行政府なのに、大陸側と台湾で彩色が異なっているのでは?
そうなると、当時の未開の東アジアの地図なんて、一事が万事、そんな程度のものなのでは?
1762年、ポルトガル人の「航海針路図」には、釣魚島・その付属島嶼が台湾に属することが明確に示されている(???)。
1809年、フランス地理学者ピエール•ラビーら描いた「東中国海沿岸各国図」には、釣魚島、黄尾嶼、赤尾嶼が、台湾島と同色で描かれている(???)。
1811年、UKで出版された「最新中国地図」、1859年、USA出版の「コットンの中国」、1877年、UK海軍作成の「香港から遼東湾に至る中国東海沿海海図」の地図では、いずれも釣魚島が中国の版図に組み入れられている(???)
1816年、ロンドン出版の「東インド、中国、豪州周辺の航海指南」には、台湾の付属島嶼が明確に記載されており、その中には釣魚島を含む各島の経緯度も明記されている(???)。
どうあれ、領有宣言1つしてしないのに、よく言うよと本当に思わないか?
China, which knows nothing but habits and Ichamon, would only decline back to a primitive and wild medieval country, like Russia(難癖やイチャモンをつけることしか知らない中国は、ロシア同様、プリミティブでワイルドな中世の国に戻って衰退してゆくだけ)!
To be continued...
■893国家中国を甘やかし寛大極まりない関与策を取り続け、木のテッペンにまで登らせてしまったUSA民主党の世紀の不作為
●日本は、歴史的にありとあらゆる影響を中国から受けてきたが、ただの一度も中国と真っ向から対峙したことはなかったのでは?
○中国共産党に、おバカ習近平に、「尖閣諸島」が自国の領土なんて言わせているのは、金のために魂を売ったUSAの「チャイナゲート」のハゲタカどもと我が国の内にいる「チャイナスクール」のアンポンタンども。
東仙坊、少なくとも明代に、尖閣諸島を中国が領有していなかったということをなんとなく感じることはできた。
海がキライな大陸国家の明が、何とかもっと海嫌いと思えるモンゴル族の元から王朝を奪い返し、台湾島よりはるか遠方に位置する絶海の孤島群である尖閣諸島を領有化しようとなどしているヒマなどなかったはず。
というのも、万里の長城の向こうには、追われたばかりの元の残党が残っているはず。
となると、台湾島より東に170㎞遠方にある孤島の尖閣諸島、名前もつけていなかったどうでもいい島を自分たちの飛び地にしようとか、直轄領にしようとか、考えるワケもなかったはず。
ところで、それで俄然気になってきたことが、1つ。
それは、では、台湾島が、明代に中国領土だったのか?という疑問。
誰がどう考えても、中国の領土であったはずもないのでは?
だとすると、台湾島自体が、まだ中国に帰属していないうえ、その存在がほとんど知られていなかった時代に、台湾島の附属島嶼である尖閣諸島が、航海者の関心を惹いたとは到底思えないのでは?
にもかかわらず、明代から「冊封使録」などの歴史文献に、釣魚島に関する記載があり、釣魚島が琉球に帰属していなかったことを示しているとか、明代から、釣魚島は中国領土として中国の防衛区域に含まれていたなんて、平然と大ウソつきの中国は言い出しているのである。
そして、明の提督が編纂した著書「沿海山沙図」に、尖閣諸島が明記されているから、自分たちの領土だと言い張っているのである。
どうだろう?
倭寇が猛威を奮っていた当時の状況を考慮すれば、明の防衛力が尖閣諸島付近にまで及んでなどと考えられないのでは?
ということは、尖閣諸島名の記述は、「倭寇の襲来する経路にあたる福建の防衛上、特に注意すべき区域という意味に止まる」としか思えないのでは?
どちらにしても、台湾島が、どこの領土でもなかったときに、その附属島嶼である尖閣諸島が、明国のモノだったと言うこと自体が矛盾なのでは?
それでも、自分の欲しいモノは自分のモノというデタラメ黒社会国家中国が、簡単に諦めるはずもナシ。
釣魚島を記録する日本の最も早い文献、1783年、林子平が著した「三国通覧図説」に収録されている「琉球三省並三十六島之図」では、釣魚島を琉球36島以外に記し、かつ中国大陸と同色で示しているのは、釣魚島が中国領土の一部であることを示しているということだと大ハシャギ。
確かに、その江戸時代の彩色写本2種類が保存。
1つでは、日本は、青緑色、琉球は、赤茶色、中国本土と尖閣諸島は、うす茶色、台湾と澎湖は、黄色。
もう1種では、日本は、緑色、琉球は、黄色、中国本土と尖閣諸島は、桜色、台湾は、ネズミ色。
どうだろう?
これらの写本では、色分けと領土との関係は必ずしも一致しないことを示しているのでは?
なぜなら、中国政府は、「尖閣諸島は、台湾の附属島嶼」という公式見解しているのに、尖閣諸島「釣魚臺」は、台湾と異なる色で彩色になっているのでは?
それだけじゃない。
台湾島内に記載された「台湾県」、「諸羅県」、「鳳山県」は、対岸の福建省に属する公式の行政府なのに、大陸側と台湾で彩色が異なっているのでは?
そうなると、当時の未開の東アジアの地図なんて、一事が万事、そんな程度のものなのでは?
1762年、ポルトガル人の「航海針路図」には、釣魚島・その付属島嶼が台湾に属することが明確に示されている(???)。
1809年、フランス地理学者ピエール•ラビーら描いた「東中国海沿岸各国図」には、釣魚島、黄尾嶼、赤尾嶼が、台湾島と同色で描かれている(???)。
1811年、UKで出版された「最新中国地図」、1859年、USA出版の「コットンの中国」、1877年、UK海軍作成の「香港から遼東湾に至る中国東海沿海海図」の地図では、いずれも釣魚島が中国の版図に組み入れられている(???)
1816年、ロンドン出版の「東インド、中国、豪州周辺の航海指南」には、台湾の付属島嶼が明確に記載されており、その中には釣魚島を含む各島の経緯度も明記されている(???)。
どうあれ、領有宣言1つしてしないのに、よく言うよと本当に思わないか?
China, which knows nothing but habits and Ichamon, would only decline back to a primitive and wild medieval country, like Russia(難癖やイチャモンをつけることしか知らない中国は、ロシア同様、プリミティブでワイルドな中世の国に戻って衰退してゆくだけ)!
To be continued...