恒久不変な日本砂漠-46 本当に地球上の人間社会は「ワンチーム」なのか?
When a father who seems to be the heir to his father-in-law's company suddenly commits suicide, isn't it common for both the family relationship at home and at home to be shattered at once(突然、義父の会社の跡継ぎのような父親が自殺などすると、実家と自分の家の家族関係の両方が一気に粉砕してしまうことは、よくあることなのでは)?
■893国家中国を甘やかし寛大極まりない関与策を取り続け、木のテッペンにまで登らせてしまったUSA民主党の世紀の不作為
●日本は、歴史的にありとあらゆる影響を中国から受けてきたが、ただの一度も中国と真っ向から対峙したことはなかったのでは?
○日本の希望に満ちた未来は、敢然と侠気を持って、近隣諸国と完全無欠に隔絶しない限り、ゼロ、零、皆無、ナッシング。
③今までのところまでで判明した、この世紀のクソッタレの一人の蛮行実行までのプロセス!!!
1)父親の自殺、そして、長男の大病。
母親は、父親の跡取りの婿養子(?)だったはずの夫自殺、それもまだ小さな子ども3人も残しての一方的な自殺に、メチャクチャショックを受け、そのストレスとフラストレーションでなかば発狂しそうになっていたはず。
そして、それを長男の小児ガン(脳腫瘍?)発覚と大手術に追い打ちをかけられ、ほとんど自分も自殺寸前だったはず。
それはそうである。
奈良県の小都市で、夫に自殺され、3人の小さな子ども抱えた後家の居場所など、どこにもなかったはず。
そう、実家はもちろん、自分の家族のなかにも…。
そんなヤングレディーが、宗教、ここではカルトにのめり込むのも、ある意味、自然だったはず。
というのも、まがりなりにも社長の娘として生まれ、メガタウンの大阪で大学生活を謳歌した母親にとって、人生の挫折を学ぶヒマがなかったばかりか、人生などガチガチ生きる必要もなく、流されるままにいい加減に生きればいいだけだという涅槃にたどり着くオケージョンもなかったに違いない。
その意味では、夫との結婚が、恋愛をともなったモノでもなかったのかもしれない。
どうあれ、東仙坊、少し触れたが、「孟子」が説いたところの「外に強大な敵国がなく、外国からの攻撃がなかったら、その国は必ず滅亡する」という言葉、つまり、「人間は生まれたときから死ぬまで孤立無援で、渡る世間は鬼ばかりだからこそ、絶えずストレスとフラストレーションのなかでひたすら淡々と生き続けるしかないのだ」という涅槃に行き着いていなかったことは間違いナシ。
また、「枯寂」という言葉、「生きている限り、淡々として物寂しく静かに、何も余計なことをせず、この世を投げるようにしつつも、自分の欲するモノを追求する努力を怠らないこと」を知らなかったに違いない。
それより何より、宗教なるものが、あくせく働かず、ラクをして稼ぎたいとか、命を懸けた武力で人の上に立ちたいとかいうジコチュウ丸出しの願いを叶えるために、どこまでも悪辣で、執拗で、一度掴んだら逃がさないようにできた、万能のトリックだということさえ知らなかったに違いない。
そこで、宗教の真実について、ヴォルテールが、「占卜の術としての宗教を考え出したヤツはどこのどいつか、バカ者に出くわした最初のペテン師さ」と嘲笑したように、東仙坊、一度真剣に書き込んでおきたい。
人間とってのたった一つの絶対的真実は、ただの一人も、「病、衰、老、死」を免れないということだけ。
宗教は、この人生において絶対不可避の「苦」に、飛びついた。
そして、宗教は、その成り立ちからして、神を祭ること、政。
そのうえ、金を巻き上げるための切り口上。
何か得体の知れない仕かけやもったいぶった怪しげな文言や経文やパフォーマンスなどで、平然と人間の悩みを救うとのたまい、その恐怖や悲嘆に乗じて、ゴマカシ、宥め、いつのまにかマヒさせる、宗教マジック。
なかには、不老不死、死後の永生、成仏、地獄への阻止、天国行きを補償するモノも。
どうだろう?
人間に死という絶対的なモノがある限り、永遠に繁盛しそうでは?
そもそも、宗教の原点は、「ユダヤ教」ヤハウェのついた大ウソ、「天地創造し、全知全能で、宇宙に偏在する人格的唯一の絶対神」。
その人類最大の大ウソを取り上げたのが、多くの宗教、なかでも、「キリスト教」。
そして、「キリスト教」の卓越した伝道師パウロが、布教のために作為的に作ったのが聖書。
すると、「ユダヤ教」と「キリスト教」のいいとこ取りをして、簡単にしたのが、「コーラン」とともにマホメットが作った「イスラム教」。
どうだろう?
ちょっと勉強すれば、宗教が、その程度のモノだと誰もが理解できるのでは?
そう、鰯の頭も信心から…。
Don't you think that the fact that the basis of religion is a lie based on humankind's greatest imagination shows the essence of religion(宗教の大元が人類最大のイマジネーションによる大ウソであることが、宗教の本質を表わしていると思わないか)?
To be continued...
■893国家中国を甘やかし寛大極まりない関与策を取り続け、木のテッペンにまで登らせてしまったUSA民主党の世紀の不作為
●日本は、歴史的にありとあらゆる影響を中国から受けてきたが、ただの一度も中国と真っ向から対峙したことはなかったのでは?
○日本の希望に満ちた未来は、敢然と侠気を持って、近隣諸国と完全無欠に隔絶しない限り、ゼロ、零、皆無、ナッシング。
③今までのところまでで判明した、この世紀のクソッタレの一人の蛮行実行までのプロセス!!!
1)父親の自殺、そして、長男の大病。
母親は、父親の跡取りの婿養子(?)だったはずの夫自殺、それもまだ小さな子ども3人も残しての一方的な自殺に、メチャクチャショックを受け、そのストレスとフラストレーションでなかば発狂しそうになっていたはず。
そして、それを長男の小児ガン(脳腫瘍?)発覚と大手術に追い打ちをかけられ、ほとんど自分も自殺寸前だったはず。
それはそうである。
奈良県の小都市で、夫に自殺され、3人の小さな子ども抱えた後家の居場所など、どこにもなかったはず。
そう、実家はもちろん、自分の家族のなかにも…。
そんなヤングレディーが、宗教、ここではカルトにのめり込むのも、ある意味、自然だったはず。
というのも、まがりなりにも社長の娘として生まれ、メガタウンの大阪で大学生活を謳歌した母親にとって、人生の挫折を学ぶヒマがなかったばかりか、人生などガチガチ生きる必要もなく、流されるままにいい加減に生きればいいだけだという涅槃にたどり着くオケージョンもなかったに違いない。
その意味では、夫との結婚が、恋愛をともなったモノでもなかったのかもしれない。
どうあれ、東仙坊、少し触れたが、「孟子」が説いたところの「外に強大な敵国がなく、外国からの攻撃がなかったら、その国は必ず滅亡する」という言葉、つまり、「人間は生まれたときから死ぬまで孤立無援で、渡る世間は鬼ばかりだからこそ、絶えずストレスとフラストレーションのなかでひたすら淡々と生き続けるしかないのだ」という涅槃に行き着いていなかったことは間違いナシ。
また、「枯寂」という言葉、「生きている限り、淡々として物寂しく静かに、何も余計なことをせず、この世を投げるようにしつつも、自分の欲するモノを追求する努力を怠らないこと」を知らなかったに違いない。
それより何より、宗教なるものが、あくせく働かず、ラクをして稼ぎたいとか、命を懸けた武力で人の上に立ちたいとかいうジコチュウ丸出しの願いを叶えるために、どこまでも悪辣で、執拗で、一度掴んだら逃がさないようにできた、万能のトリックだということさえ知らなかったに違いない。
そこで、宗教の真実について、ヴォルテールが、「占卜の術としての宗教を考え出したヤツはどこのどいつか、バカ者に出くわした最初のペテン師さ」と嘲笑したように、東仙坊、一度真剣に書き込んでおきたい。
人間とってのたった一つの絶対的真実は、ただの一人も、「病、衰、老、死」を免れないということだけ。
宗教は、この人生において絶対不可避の「苦」に、飛びついた。
そして、宗教は、その成り立ちからして、神を祭ること、政。
そのうえ、金を巻き上げるための切り口上。
何か得体の知れない仕かけやもったいぶった怪しげな文言や経文やパフォーマンスなどで、平然と人間の悩みを救うとのたまい、その恐怖や悲嘆に乗じて、ゴマカシ、宥め、いつのまにかマヒさせる、宗教マジック。
なかには、不老不死、死後の永生、成仏、地獄への阻止、天国行きを補償するモノも。
どうだろう?
人間に死という絶対的なモノがある限り、永遠に繁盛しそうでは?
そもそも、宗教の原点は、「ユダヤ教」ヤハウェのついた大ウソ、「天地創造し、全知全能で、宇宙に偏在する人格的唯一の絶対神」。
その人類最大の大ウソを取り上げたのが、多くの宗教、なかでも、「キリスト教」。
そして、「キリスト教」の卓越した伝道師パウロが、布教のために作為的に作ったのが聖書。
すると、「ユダヤ教」と「キリスト教」のいいとこ取りをして、簡単にしたのが、「コーラン」とともにマホメットが作った「イスラム教」。
どうだろう?
ちょっと勉強すれば、宗教が、その程度のモノだと誰もが理解できるのでは?
そう、鰯の頭も信心から…。
Don't you think that the fact that the basis of religion is a lie based on humankind's greatest imagination shows the essence of religion(宗教の大元が人類最大のイマジネーションによる大ウソであることが、宗教の本質を表わしていると思わないか)?
To be continued...