恒久不変な日本砂漠-46 本当に地球上の人間社会は「ワンチーム」なのか?
The more you learn about the Park Chung-hee assassination case, the more you realize that South Korea, like the USA, likes assassinations with guns, like the assassination of former Prime Minister Shinzo Abe(朴正煕暗殺事件の全容を知れば知るほど、サプアは、USA同様、安倍晋三元総理暗殺事件のような銃による暗殺が好きな国民だと痛感させられないか)!
■893国家中国を甘やかし寛大極まりない関与策を取り続け、木のテッペンにまで登らせてしまったUSA民主党の世紀の不作為
●日本は、歴史的にありとあらゆる影響を中国から受けてきたが、ただの一度も中国と真っ向から対峙したことはなかったのでは?
○日本の希望に満ちた未来は、敢然と侠気を持って、近隣諸国と完全無欠に隔絶しない限り、ゼロ、零、皆無、ナッシング。
◇1979年10月26日、「朴正煕暗殺事件(/10・26事件/宮井洞事件)」発生。
何でも、1979年10月26日夜、ソウル特別市鍾路区宮井洞にあるKCIA所有秘密宴会場で、歌手やモデルなどの部外者も出席したうえで、大統領を迎えた晩餐会が、開催されていたとか。
朴正煕大統領の古い友人だったはずのKCIA部長金載圭は、「反政府学生らによる釜山の『USA文化館占拠事件(釜馬民主抗争)』での学生運動弾圧が生ぬるい」と朴正煕大統領からしばしば叱責され、ライバル関係にあった車智澈大統領府警護室長からも、「野党新民党金泳三の総裁就任に対する阻止工作失敗の責任を取れ! KCIAは無能だ」と怒鳴られていて、後継者争いから脱落したと自覚し始めていたとか。
となると、サプア人は、どこまでもサプア人。
自分の落ち度などどこ吹く風の「恨」、「恨」。
こともあろうに、KCIA部長金載圭は、2人の殺害を計画(??)。
別の部屋に、そっと陸軍参謀総長鄭昇和大将を招待しておいて、直属の部下である第二次長補金正燮に相手をさせていたとか。
この夜も、2人のKCIA部長金載圭への叱責は激しく、長時間に及んだとか。
けれども、歌手らが晩餐会場に入って場の雰囲気が和やかになると、KCIA部長金載圭は中座して、直属の部下である朴興柱と朴善浩を呼び、銃声が聞こえたら控え室の大統領府警護員(車智澈の部下)を射殺するように命令。
そして、再び晩餐会場に戻り、KCIAの失態に話が及ぶと、午後7時41分、KCIA部長金載圭は、「閣下、こんな虫けらのようなヤツを連れて、政治がちゃんとできますか?」と叫び、おもむろに2人にそれぞれ1発ずつ拳銃を発射。
しかし、KCIA部長金載圭の拳銃が故障し、また、銃声を電気のショートと勘違いした職員(?)によってブレーカーが落とされたため、室内の電気が消えたとか。
そこで、KCIA部長金載圭は、晩餐会場を一度出て、警護員らを射殺した朴善浩から拳銃を借りると再び晩餐会場に戻り、2人にとどめとして1発ずつ銃撃。
このとき晩餐会場には、他に大統領府秘書室長金桂元や歌手沈守峰と女子大生申才順も同席していたが、難を逃れたとか。
それから、KCIA部長金載圭は、自分が大統領と大統領府警護室長の射殺犯であることを隠して、陸軍参謀総長鄭昇和のもとを訪れ、陸軍参謀総長鄭昇和や朴興柱らをともなって現場を離れ、自分の牙城である南山のKCIA庁舎ではなく、陸軍本部に向かい、陸軍参謀総長鄭昇和参謀総長に戒厳令の布告を迫ったとか。
しかし、軍上層部にそれほどのパイプもないKCIA部長金載圭の説得は無為に終わったとか。
その後、金桂元秘書室長の証言によって、KCIA部長金載圭の蛮行が明らかになると、緊急国務会議で逮捕令が出され、11月27日午前0時40分、大統領殺害犯として国軍保安司令部に逮捕されたとか。
その直後、全国に非常戒厳令が敷かれ、陸軍参謀総長鄭昇和が戒厳司令官に就任したとか。
すぐさま、戒厳司令部合同捜査本部長に就任した国軍保安司令官全斗煥陸軍少将によって捜査が進められ、KCIA部長金載圭とその直属の部下らには、後に軍事法廷で死刑が宣告。
朴正煕の死によって大統領権限代行となった崔圭夏国務総理は、事件の一報を耳にしたとき、「金日成がこのことを知ったらどうなることか?」と涙ながらに語ったとか。
この現役大統領の残忍非道な暗殺の訃報は、サプアでは防衛上の見地からすぐには報じられず、その結果、USAの報道が先行したため、USAに友人・知人がいるサプア人は、いち早く大統領の死を知ることとなったも。
どうあれ、この事件を機に、KCIAの影響力は一気に落ち、国軍保安司令部司令官兼合同捜査本部長である全斗煥と参謀総長兼戒厳司令官鄭昇和が実権を掌握。
しかし、その後、鄭昇和は事件当時現場に居ながら事実確認をしなかったことで、大統領殺害の共犯容疑をかけられ、全斗煥によって逮捕(粛軍クーデター)。
軍部に疎く非常事態の収拾能力を持たなかった崔圭夏は、翌1980年にかけて全になし崩し的に実権を奪われ、第四共和国体制の終焉、第五共和国体制が成立したとか。
ところで、これでメチャクチャ奇妙なことに気づくのは、東仙坊だけではあるまい。
CIAやKCIAの「政治的用具」として跋扈し、USA政府や日本政府を席巻し逆利用していたはずの文鮮明は、このとき、何をしていたのか?
何しろ、朴正煕大統領にサプアを追放されていて、USAにいたことは間違いないが、KCIAに相当な影響力を持っていたことは間違いないのでは?
そう、その莫大な金銭力で、KCIA部長金載圭をそそのかした可能性だってあるのでは?
十八番の逆恨みで…。
There is no reason why the CIA is unaware of the KCIA's movements, so could the assassination of the South Korean president be behind the scenes by the USA, no, no, Sun Myung Moon(CIAがKCIAの動きに気づいていないワケがないから、サプア大統領暗殺事件は、USAが、イヤイヤ、文鮮明教祖が裏で操ったのかのどちらかかも)?
To be continued...
■893国家中国を甘やかし寛大極まりない関与策を取り続け、木のテッペンにまで登らせてしまったUSA民主党の世紀の不作為
●日本は、歴史的にありとあらゆる影響を中国から受けてきたが、ただの一度も中国と真っ向から対峙したことはなかったのでは?
○日本の希望に満ちた未来は、敢然と侠気を持って、近隣諸国と完全無欠に隔絶しない限り、ゼロ、零、皆無、ナッシング。
◇1979年10月26日、「朴正煕暗殺事件(/10・26事件/宮井洞事件)」発生。
何でも、1979年10月26日夜、ソウル特別市鍾路区宮井洞にあるKCIA所有秘密宴会場で、歌手やモデルなどの部外者も出席したうえで、大統領を迎えた晩餐会が、開催されていたとか。
朴正煕大統領の古い友人だったはずのKCIA部長金載圭は、「反政府学生らによる釜山の『USA文化館占拠事件(釜馬民主抗争)』での学生運動弾圧が生ぬるい」と朴正煕大統領からしばしば叱責され、ライバル関係にあった車智澈大統領府警護室長からも、「野党新民党金泳三の総裁就任に対する阻止工作失敗の責任を取れ! KCIAは無能だ」と怒鳴られていて、後継者争いから脱落したと自覚し始めていたとか。
となると、サプア人は、どこまでもサプア人。
自分の落ち度などどこ吹く風の「恨」、「恨」。
こともあろうに、KCIA部長金載圭は、2人の殺害を計画(??)。
別の部屋に、そっと陸軍参謀総長鄭昇和大将を招待しておいて、直属の部下である第二次長補金正燮に相手をさせていたとか。
この夜も、2人のKCIA部長金載圭への叱責は激しく、長時間に及んだとか。
けれども、歌手らが晩餐会場に入って場の雰囲気が和やかになると、KCIA部長金載圭は中座して、直属の部下である朴興柱と朴善浩を呼び、銃声が聞こえたら控え室の大統領府警護員(車智澈の部下)を射殺するように命令。
そして、再び晩餐会場に戻り、KCIAの失態に話が及ぶと、午後7時41分、KCIA部長金載圭は、「閣下、こんな虫けらのようなヤツを連れて、政治がちゃんとできますか?」と叫び、おもむろに2人にそれぞれ1発ずつ拳銃を発射。
しかし、KCIA部長金載圭の拳銃が故障し、また、銃声を電気のショートと勘違いした職員(?)によってブレーカーが落とされたため、室内の電気が消えたとか。
そこで、KCIA部長金載圭は、晩餐会場を一度出て、警護員らを射殺した朴善浩から拳銃を借りると再び晩餐会場に戻り、2人にとどめとして1発ずつ銃撃。
このとき晩餐会場には、他に大統領府秘書室長金桂元や歌手沈守峰と女子大生申才順も同席していたが、難を逃れたとか。
それから、KCIA部長金載圭は、自分が大統領と大統領府警護室長の射殺犯であることを隠して、陸軍参謀総長鄭昇和のもとを訪れ、陸軍参謀総長鄭昇和や朴興柱らをともなって現場を離れ、自分の牙城である南山のKCIA庁舎ではなく、陸軍本部に向かい、陸軍参謀総長鄭昇和参謀総長に戒厳令の布告を迫ったとか。
しかし、軍上層部にそれほどのパイプもないKCIA部長金載圭の説得は無為に終わったとか。
その後、金桂元秘書室長の証言によって、KCIA部長金載圭の蛮行が明らかになると、緊急国務会議で逮捕令が出され、11月27日午前0時40分、大統領殺害犯として国軍保安司令部に逮捕されたとか。
その直後、全国に非常戒厳令が敷かれ、陸軍参謀総長鄭昇和が戒厳司令官に就任したとか。
すぐさま、戒厳司令部合同捜査本部長に就任した国軍保安司令官全斗煥陸軍少将によって捜査が進められ、KCIA部長金載圭とその直属の部下らには、後に軍事法廷で死刑が宣告。
朴正煕の死によって大統領権限代行となった崔圭夏国務総理は、事件の一報を耳にしたとき、「金日成がこのことを知ったらどうなることか?」と涙ながらに語ったとか。
この現役大統領の残忍非道な暗殺の訃報は、サプアでは防衛上の見地からすぐには報じられず、その結果、USAの報道が先行したため、USAに友人・知人がいるサプア人は、いち早く大統領の死を知ることとなったも。
どうあれ、この事件を機に、KCIAの影響力は一気に落ち、国軍保安司令部司令官兼合同捜査本部長である全斗煥と参謀総長兼戒厳司令官鄭昇和が実権を掌握。
しかし、その後、鄭昇和は事件当時現場に居ながら事実確認をしなかったことで、大統領殺害の共犯容疑をかけられ、全斗煥によって逮捕(粛軍クーデター)。
軍部に疎く非常事態の収拾能力を持たなかった崔圭夏は、翌1980年にかけて全になし崩し的に実権を奪われ、第四共和国体制の終焉、第五共和国体制が成立したとか。
ところで、これでメチャクチャ奇妙なことに気づくのは、東仙坊だけではあるまい。
CIAやKCIAの「政治的用具」として跋扈し、USA政府や日本政府を席巻し逆利用していたはずの文鮮明は、このとき、何をしていたのか?
何しろ、朴正煕大統領にサプアを追放されていて、USAにいたことは間違いないが、KCIAに相当な影響力を持っていたことは間違いないのでは?
そう、その莫大な金銭力で、KCIA部長金載圭をそそのかした可能性だってあるのでは?
十八番の逆恨みで…。
There is no reason why the CIA is unaware of the KCIA's movements, so could the assassination of the South Korean president be behind the scenes by the USA, no, no, Sun Myung Moon(CIAがKCIAの動きに気づいていないワケがないから、サプア大統領暗殺事件は、USAが、イヤイヤ、文鮮明教祖が裏で操ったのかのどちらかかも)?
To be continued...