恒久不変な日本砂漠-46 本当に地球上の人間社会は「ワンチーム」なのか?
What do the North Koreans living in Japan, who live comfortably and subsidized in our prosperous country, expect from their motherland, a poor country that still refuses to break free(豊かな我が国で安穏と補助を受け暮らしている北の在日のヒトたちは、極貧国からいまだに抜け出そうとしない母国のチンピラ極貧国に、何を期待しているのか)?
■893国家中国を甘やかし寛大極まりない関与策を取り続け、木のテッペンにまで登らせてしまったUSA民主党の世紀の不作為
●日本は、歴史的にありとあらゆる影響を中国から受けてきたが、ただの一度も中国と真っ向から対峙したことはなかったのでは?
○日本の希望に満ちた未来は、敢然と侠気を持って、近隣諸国と完全無欠に隔絶しない限り、ゼロ、零、皆無、ナッシング。
日本の政治屋の初めての訪朝は、国家破綻に怯え巨額の援助金を渇望する金日成にとって、まさに「棚からボタモチ」だったはず。
訪朝中、金日成の依頼で、金丸信は、金日成と2人だけで密談。
それはそうだと思わないか?
日本政府が全く考えていなかった戦後の補償まで持ち出してくれるのだから、福の神に見えたはず。
その意味では、金の延べ棒をプレゼントすることなど、朝飯前だったはず。
ちなみに、そのときの日本の首相は、海部俊樹。
ともあれ、文鮮明は、「国際勝共連合」メンバーの与党自民党が北との間にパイプを作ったことを大歓迎。
それに、文鮮明には、USAでの立場を取り戻す絶好のチャンスに恵まれていた。
1985年、ロナルド・レーガン政権が、レバノンでシーア派テロリスト集団「ヒズボラ」に捕らえられているUSA軍兵士の解放を目的として、1979年のイランのUSA大使館人質事件で国交断絶していたイランと裏取引をした世界的政治スキャンダル事件が勃発。
いわゆる「イランゲート」である「イラン・コントラ事件」。
そのうえ、USA国家安全保障会議からイランへ武器を売却し、その代金をニカラグアの反共右派ゲリラ「コントラ」の援助に流用していたということまで発覚。
このとき、USAのイランと「コントラ」の双方の交渉窓口は、ロナルド・レーガン政権副大統領ジョージ・H・W・ブッシュ。
そこで、「世界基督教統一神霊協会」は、USAで、その黒子のように東奔西走し、「コントラ」に資金を提供したり、USA内外の様々な極右・反共組織にも資金を提供し、ジョージ・H・W・ブッシュを全面サポートしたとか。
それだけじゃない。
文鮮明、共和党のリーダーであるジョージ・H・W・ブッシュへ何億ドルもの金と人身御供としての女性信者を注ぎ込み、自分の立場の保全と優遇を図ったとか。
それを象徴する話がある。
1995年、1992年創設のNGO「WFWPI(Women's Federation for World Peace International: 世界平和女性連合インターナショナル」東京ドーム集会に、ジョージ・W・ブッシュ前大統領夫妻が出席し、講演。
夫人のバーバラは、「按手」を受けた文鮮明の熱心な信奉者だったとも。
とにもかくにも、文鮮明は、北と接触することを真剣に模索し、対北人脈の中枢に食い込んだ日本の「国際勝共連合」の政治屋どもと綿密に相談する。
1991年、盧泰愚大統領が北方外交に意欲を示すと、自動車事業で、中国・広東省に北との接触を仲介。
中国共産党を懐柔し、その手配で、サプア政府に無断で、電撃訪朝し、平壌で、金日成と会談。
そして、会談で、離散家族再会に取り組むこと、核査察を受けること、自由陣営国家からの投資を受け入れること、軍需産業を除外した経済事業に「世界基督教統一神霊協会」のフロント企業が参与すること、南北頂上会談を行うこと、金剛山開発の実地などについて合意。
このころ、ちょうど北はUSSRからの重油供給停止を契機に経済的困難に直面していたので、経済、軍事両面で、「世界基督教統一神霊協会」が果たした貢献はほとんど無限大。
それはそうである。
文鮮明を「人間のクズ、カルト、純金と金銭の亡者」と呼んでいた金日成と反共主義者である文鮮明が、熱いハグを交わし、金丸信と同じような至れり尽くせりの大歓迎を受けたというのだから。
それを象徴するのが、1992年4月15日、金日成競技場で行われた主席生誕80歳を記念するこれまたマスゲーム。
スタンドの人文字には、併合時代の独立運動家など8人のサプア人の名前。
その最後に、な、な、なんと「文鮮明」の名前。
もっとも、この人文字、1億円以上の献金をした人も讃えられるからとか。
どうあれ、この金日成との会談以来、文鮮明が、南北統一と米朝関係改善の仲介役になったことは間違いナシ。
If you learn a little bit of history, you might be able to understand the separation of church and state, which is nothing more than a rice cake in a picture(政教分離など絵に描いた餅でしかないことは、ほんの少し歴史を学習すれば、イヤというほど理解できるのでは)!
To be continued...
■893国家中国を甘やかし寛大極まりない関与策を取り続け、木のテッペンにまで登らせてしまったUSA民主党の世紀の不作為
●日本は、歴史的にありとあらゆる影響を中国から受けてきたが、ただの一度も中国と真っ向から対峙したことはなかったのでは?
○日本の希望に満ちた未来は、敢然と侠気を持って、近隣諸国と完全無欠に隔絶しない限り、ゼロ、零、皆無、ナッシング。
日本の政治屋の初めての訪朝は、国家破綻に怯え巨額の援助金を渇望する金日成にとって、まさに「棚からボタモチ」だったはず。
訪朝中、金日成の依頼で、金丸信は、金日成と2人だけで密談。
それはそうだと思わないか?
日本政府が全く考えていなかった戦後の補償まで持ち出してくれるのだから、福の神に見えたはず。
その意味では、金の延べ棒をプレゼントすることなど、朝飯前だったはず。
ちなみに、そのときの日本の首相は、海部俊樹。
ともあれ、文鮮明は、「国際勝共連合」メンバーの与党自民党が北との間にパイプを作ったことを大歓迎。
それに、文鮮明には、USAでの立場を取り戻す絶好のチャンスに恵まれていた。
1985年、ロナルド・レーガン政権が、レバノンでシーア派テロリスト集団「ヒズボラ」に捕らえられているUSA軍兵士の解放を目的として、1979年のイランのUSA大使館人質事件で国交断絶していたイランと裏取引をした世界的政治スキャンダル事件が勃発。
いわゆる「イランゲート」である「イラン・コントラ事件」。
そのうえ、USA国家安全保障会議からイランへ武器を売却し、その代金をニカラグアの反共右派ゲリラ「コントラ」の援助に流用していたということまで発覚。
このとき、USAのイランと「コントラ」の双方の交渉窓口は、ロナルド・レーガン政権副大統領ジョージ・H・W・ブッシュ。
そこで、「世界基督教統一神霊協会」は、USAで、その黒子のように東奔西走し、「コントラ」に資金を提供したり、USA内外の様々な極右・反共組織にも資金を提供し、ジョージ・H・W・ブッシュを全面サポートしたとか。
それだけじゃない。
文鮮明、共和党のリーダーであるジョージ・H・W・ブッシュへ何億ドルもの金と人身御供としての女性信者を注ぎ込み、自分の立場の保全と優遇を図ったとか。
それを象徴する話がある。
1995年、1992年創設のNGO「WFWPI(Women's Federation for World Peace International: 世界平和女性連合インターナショナル」東京ドーム集会に、ジョージ・W・ブッシュ前大統領夫妻が出席し、講演。
夫人のバーバラは、「按手」を受けた文鮮明の熱心な信奉者だったとも。
とにもかくにも、文鮮明は、北と接触することを真剣に模索し、対北人脈の中枢に食い込んだ日本の「国際勝共連合」の政治屋どもと綿密に相談する。
1991年、盧泰愚大統領が北方外交に意欲を示すと、自動車事業で、中国・広東省に北との接触を仲介。
中国共産党を懐柔し、その手配で、サプア政府に無断で、電撃訪朝し、平壌で、金日成と会談。
そして、会談で、離散家族再会に取り組むこと、核査察を受けること、自由陣営国家からの投資を受け入れること、軍需産業を除外した経済事業に「世界基督教統一神霊協会」のフロント企業が参与すること、南北頂上会談を行うこと、金剛山開発の実地などについて合意。
このころ、ちょうど北はUSSRからの重油供給停止を契機に経済的困難に直面していたので、経済、軍事両面で、「世界基督教統一神霊協会」が果たした貢献はほとんど無限大。
それはそうである。
文鮮明を「人間のクズ、カルト、純金と金銭の亡者」と呼んでいた金日成と反共主義者である文鮮明が、熱いハグを交わし、金丸信と同じような至れり尽くせりの大歓迎を受けたというのだから。
それを象徴するのが、1992年4月15日、金日成競技場で行われた主席生誕80歳を記念するこれまたマスゲーム。
スタンドの人文字には、併合時代の独立運動家など8人のサプア人の名前。
その最後に、な、な、なんと「文鮮明」の名前。
もっとも、この人文字、1億円以上の献金をした人も讃えられるからとか。
どうあれ、この金日成との会談以来、文鮮明が、南北統一と米朝関係改善の仲介役になったことは間違いナシ。
If you learn a little bit of history, you might be able to understand the separation of church and state, which is nothing more than a rice cake in a picture(政教分離など絵に描いた餅でしかないことは、ほんの少し歴史を学習すれば、イヤというほど理解できるのでは)!
To be continued...