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甘ちゃんアマチュア探偵団

情報化が模倣犯罪、劇場型犯罪を助長しているなら、犯罪抑止、犯罪摘発も、精度の高い情報がすべて。このブログは、人間通を自負するコピーライター東仙坊が迅速な犯人検挙のために、人間的プロファイリングをするものである。

恒久不変な日本砂漠-46  本当に地球上の人間社会は「ワンチーム」なのか?

USA should trust Japan more and more, and Japan should become more and more trusted by USA(USAは、もっともっと日本を信頼すべきだし、日本は、もっともっとUSAから信頼されるようにすべき)!

■世界は一つと寝言をのたまわっているヒトたちは、893国家やマフィア国家やチンピラ国家が好き勝手に世界を蹂躙している現実をどう感じているのか?

●人類が今までに創設した数々の国際機関には、自国から落ちこぼれた無能な官僚どもが集まっているということを、日本人も頭に入れて置く必要がある。

○日本が、世界の人々の訪れたい国NO.1になったのは、国や地方自治体が、オリンピックや万博などの巨大イベントを開催したからでも、いろいろなゆるキャラを作っていろいろなイベントで集客しているからでもなく、世界に誇る世界で8番目の「日本文明」を見事に開花させているからではないのか?

東仙坊、いくら育ての親でも、親は親だから、愛する我が子のためにいつも必ず一肌脱いでくれると思い込むことは止めるべきと書き込んできている。
そう、親への感謝の気持ちを持ちつつも、丁々発止、親が変なことやイカガワシイことや人道に反しそうなことをしそうになったら、子どもとしてきちんと諫めたり落ち着かせたり思い留まらせる責任があるのは、当たり前。
所詮、どの国だって最優先するのは、自国の国益。
その点からすると、国益と国益が合致しないことがあるのも、これまた当たり前。
そこで、小さな極東の島国の「モンゴロイド」のせいか、外国を過信しがちの不可解なほど卑屈な本当に外交ベタの我が国の他国との同盟についても、少し触れておきたい。
まず、イヤでも取り上げたいのは、その全盛期に全世界の陸地と人口の4分の1を版図に収めた世界史上最大の面積を誇った正真正銘の超大国、大英帝国との関係。
1854年、江戸幕府を代表する長崎奉行水野忠徳とジェームズ・スターリング提督との間で、不平等条約である「日英和親条約」を調印。
1902年、ロシア帝国の極東進出政策への対抗を目的として、駐UK日本公使林董とUK外相第5代ランズダウン侯爵ヘンリー・ペティ=フィッツモーリスの間で、「日英同盟」なる軍事同盟(攻守同盟条約)を締結。
1921年、ワシントン海軍軍縮会議の結果、太平洋の島々における相互の権利尊重と現状維持を図った、USA、UK、日本、フランスの間で調印された「四ヵ国条約」成立にともなって、1923年、「日英同盟」は、失効。
では、どういうプロセスでその同盟が結ばれ、どんな効果があったのか?
1895年、日本が、日清戦争で清国を破ったために、中国大陸をめぐる情勢が一変。
しかも、日本への巨額賠償金を支払うために清国が、ロシア帝国とフランスから借款、その見返りとして露仏両国に清国内における様々な権益を付与したから、ますます混沌。
列強諸国による中国分割が促進され、群雄割拠。
その結果、阿片戦争以来の清国におけるUK一国の半植民地状態が一気に崩壊。
シベリア鉄道の満洲北部敷設権獲得で明白なように、ロシアの満洲や北中国への進出は激化。
フランスも、フランス領ベトナムから進出し、雲南省、広西省、広東省、四川省など南中国を勢力圏に入れるほど。
ちなみに、ロシアとフランスは、1893年「露仏同盟」を締結
それに対抗し、UK首相第3代ソールズベリー侯爵ロバート・ガスコイン=セシルは、清国の領土保全を訴えることで露仏が中国大陸におけるUKの権益を食い荒らすのを防ごうとトライ。
1896年、UKは、ドイツ帝国と連携し、露仏に先んじて清国に対日賠償金支払いのための新たな借款を与えることで英独両国の清国内における権益を承認させることに成功。
そして、フランスとも協定を締結し、英仏両国ともメコン川上流に軍隊を駐屯させず、四川省と雲南省を門戸開放することを約定。
1897年、山東省でドイツ人カトリック宣教師が殺害された事件を口実に、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世率いるドイツ軍が清国に出兵、膠州湾を占領し、そのまま租借地として獲得。
これについて、UKは、最初のうちは、ドイツがロシアの南下政策に対する防波堤になると考えて歓迎するも、ドイツ皇帝が山東半島全体をドイツ勢力圏と主張し始めるに及んで、ドイツへの警戒感がグーンと上昇。
1898年、ロシアが、遼東半島の旅順を占領し、大連にも軍艦を派遣し、清国を威圧しそのまま旅順と大連をロシア租借地。
これに対抗し、UKは、これまでの「清国の領土保全」の建前を覆して、清国に砲艦外交をしかけて、「ロシアが旅順占領を辞めるまで」という期限で山東半島の威海衛をUK租借地。
同時に、ドイツが露仏と一緒になって、この租借に反対することを阻止するために山東半島をドイツ勢力圏と認めたが、これはUK帝国主義にとって最も重要な揚子江流域にドイツ帝国主義が進出していくことを容認するもので、UKにとって大きな痛手。
植民地大臣ジョゼフ・チェンバレンは、「UKが『光栄ある孤立』の政策を続ける限り、清国の運命はUKの利益と願望に反したカタチで決まる」と演説、そして、「クリミア戦争のときのように、いずれかの強国と軍事的に連盟することが今後必要になるはずだ」と訴求。
1899年、ロシア帝国主義の満洲と北中国全域の支配体制は、より盤石。
1900年、義和団の乱に乗じて、ロシアは満州を軍事占領。
ロシアは満州からの撤兵の約束をしたが、なかなか撤退しようとせず、むしろ南の朝鮮半島にも触手を伸ばすようになる始末。
これに、UKと日本は警戒を強め、両国の間に対ロシアという共通の紐帯。
そんななか、伊藤博文や井上馨らがロシアとの妥協の道を探っていたが、山縣有朋、桂太郎、西郷従道、松方正義、加藤高明らはロシアとの対立は遅かれ早かれ避けられないと判断し、UKとの同盟論を提唱。
そして、同盟国関係の事例研究からも、UKは、ロシアに比べ、条約順守の事例が多いと判断。
結局、日露協商交渉は失敗し、外相小村寿太郎により「日英同盟」締結の交渉が進められ、伊藤博文ももはや「日英同盟」に反対はせず、1902年、「日英同盟」を締結。

Our country should form a strong military alliance with the Brexit UK, the same small island nation full of cynicism and irony(我が国は、同じ小さな島国でシニスムとアイロニー溢れるブレグジットしたUKと強固な軍事同盟を結ぶべき)!

To be continued...



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東仙坊 

東仙坊 tohsenboh.jp
コピーライター歴三十有余年。人間通の東仙坊が、人間の弱気と恥ずかしい業が生む、情けなくてみっともない犯行を、徹底的に追及、究明。

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