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甘ちゃんアマチュア探偵団

情報化が模倣犯罪、劇場型犯罪を助長しているなら、犯罪抑止、犯罪摘発も、精度の高い情報がすべて。このブログは、人間通を自負するコピーライター東仙坊が迅速な犯人検挙のために、人間的プロファイリングをするものである。

恒久不変な日本砂漠-46  本当に地球上の人間社会は「ワンチーム」なのか?

Whether it's a developed capitalist state, a monarchy state, or an immature democratic state, isn't it true that our country was free to choose what we wanted to see during our tour of Europe and the USA(先進国の資本主義国家だろうが、君主制国家だろうが、未熟な民主主義国家だろうが、我が国は欧米視察で見たい放題選び放題だったのでは)?

■世界は一つと寝言をのたまわっているヒトたちは、893国家やマフィア国家やチンピラ国家が好き勝手に世界を蹂躙している現実をどう感じているのか?

●人類が今までに創設した数々の国際機関には、自国から落ちこぼれた無能な官僚どもが集まっているということを、日本人も頭に入れて置く必要がある。

○日本が、世界の人々の訪れたい国NO.1になったのは、国や地方自治体が、オリンピックや万博などの巨大イベントを開催したからでも、いろいろなゆるキャラを作っていろいろなイベントで集客しているからでもなく、世界に誇る世界で8番目の「日本文明」を見事に開花させているからではないのか?

第二次世界大戦で、軍事同盟まで締結しながら、無残にも敗戦国仲間となった我が日本とドイツ。
そして、戦後、必死にリバイタラズし、今やその卓越したテクノロジーとインダストリーで世界の羨望を浴びている日本とドイツ。
では、この両国が、歴史的にどうのように外交関係を構築してきたのか?
東仙坊、簡単に検証してみたい。
我が日本が、ドイツと正式に国交を開始したのは、1861年、江戸幕府が、プロイセンと交わした「日独修好通商条約」だとか。
そして、歴史上、我が日本で大奮闘したドイツ人が、長崎出島のオランダ商館医(?)フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト。
この出島3学者の1人のお方、現在のバイエルン州の世界遺産登録のEU屈指の宮殿と庭園で知られる「ロマンチック街道」の起点であるビュルツブルク生まれ。
貴族階級に属するドイツ医学界名門家系で、大学では、医学や植物学などを修めた、同郷会議長。
そして、大学卒業後、母の住む田舎町で診療所を開業していたのに、なぜか東洋に関する研究を志し(?)、オランダ国王侍医の紹介でオランダ軍医となり、日独国交が始まる38年前の1823年、27歳のときに長崎に赴任。
何でも、メチャクチャプライドの高い男で、許可されていた男同士の決闘を生涯33回も行い、顔に傷を負っていたとか。
そんな男だから、坂本龍馬や薩長土肥の志士たちと幕府が睨み合う幕末の日本にきても、泰然自若。
そうこうしているうちに、医師としての名声を高め、出島の外に出ることも特別許可されたとも。
そこで、長崎郊外に「鳴滝塾」を開設し、全国から俊秀を集め、西洋医学を伝授。
それから、商家出のお瀧を娶り、娘おいねを生んだとか。
1826年、江戸に上り、将軍徳川家斉に謁見
1828年、一時帰国しようとした際、収集品の中に、ご禁制の日本地図があったために、国外追放処分。
いわゆる「シーボルト事件」で、江戸で幕府天文方高橋景保の下に保管されていた伊能忠敬の「大日本沿海輿地全図」の縮図の写しをシーボルトに贈ったことから、高橋景保ほか十数名が処分されたとか。
すると、1858年、国外追放処分が解除され、翌1859年、63歳で再来日。
すでに娘は、弟子たちの指導の下、日本初の女性産科医になっていたとか。
さて、1867年、「尊王」の大義名分の下、江戸幕府15代将軍徳川慶喜が朝廷に対し大政奉還を行い、朝廷は、玉松操と大久保利通らが作成した「王政復古の大号令」を宣言。
そうして、成立した明治政府が目指したのは、天皇を中心とする国家体制。
そう、「天皇の権限を利用して、人民をコントロールする支配体制を築くこと」。
では、初めての明治維新国家、どのようなビジョンでどんなポリシーを持とうとしたのか?
そもそも、国民たちによる国作りなど未経験、ピュア・バージンなのだから、すでにいろいろな弊害が発生していても、西洋の先進資本主義国家からヒントを得るしか道はナシ。
そこで、1871年、江戸幕府政権時に西洋諸国間と結んだ不平等条約改正の予備交渉と欧米先進国の文物の調査を目的に、岩倉具視を全権大使、大久保利通と木戸孝允を全権副使、伊藤博文、山口尚芳など中堅官吏が随行する大規模な使節団、いわゆる「岩倉使節団」を欧米諸国、USA、UK、フランス、ロシア、イタリア、そしてドイツに視察のために派遣。
その目的の1つであった不平等条約の改正は成功しなかったが、西洋文明や西洋の政治形態を実際に触れ、日本の近代化を推進する大きな原動力にしたことは事実。
特に、国会形態、憲法作成、政党設立に多大な影響を受けたとか。

Why did Germany fit the spectacle of the Meiji government's “Iwakura Mission” which visited Europe and the USA in order to create the basic form of Japan as a nation(日本の国としての基本形態を創造するために欧米を視察した明治政府の「岩倉使節団」のお眼鏡に、なぜドイツが適ったのか)?

To be continued...

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東仙坊 

東仙坊 tohsenboh.jp
コピーライター歴三十有余年。人間通の東仙坊が、人間の弱気と恥ずかしい業が生む、情けなくてみっともない犯行を、徹底的に追及、究明。

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