たびたび大洪水襲来のある日本砂漠-4 「猿のスケ」の醜悪このうえない猿芝居的大団円!!! 〈5〉
An asshole who didn't practice kabuki until his mid-40s shouldn't be in a kind world where he could become a leader on the kabuki stage, right(40代半ばまで歌舞伎をやっていなかったヤツが、歌舞伎の舞台のリーダーになれるほど甘い世界ではないはずなのでは)?
■「歌舞伎」を必要以上に日本の伝統演劇と崇高化すると、勘違いし思い上がった歌舞伎役者どもが蛮行に走るのが、この21世紀!!
●歌舞伎役者どもに、本来、「普通ではない振る舞いや身なりのヒト」、つまり、軽挙妄動をしがちな「サイコパス」や「パラノイア」が多いのは、ごく当たり前!
○東仙坊、正直、突然の代役が、実のところは見事な演技だったのかどうかは知るヨシもないが、明治座創業150周年「4代目市川猿之助奮闘歌舞伎公演」と銘打った歌舞伎版「ワンマンショー」なのに、演出も「猿のスケ」だというのに、誰も金を返せと揉めないどころか、逆に観客が駆けつけ、営業的にはウハウハだというから、感心している。
何でも、昼の部も、夜の部も、もちろん主役は、「猿のスケ」。
昼の部は、1979年、3代目市川猿之助初演で宝塚のスタイルを取り入れた歌舞伎レビュー「不死鳥よ 波濤を越えて―平家物語異聞―」。
夜の部も、3代目市川猿之助が1984年明治座で初演した、6役早替わり宙乗りの「御贔屓繫馬」。
しかも、その日の朝、「猿のスケ」自身が、「体調不良で休みたい(?)」と明治座に直接連絡していたというから、ワケワカメ(???)。
どちらにしても、代役を務めたという萬屋の中村隼人、澤瀉屋の市川團子は、大したもの。
とりわけ、これで、3代目市川猿之助の孫で、4代目「猿のスケ」の甥で、市川中車の長男で、澤瀉屋の名跡である市川團子を名乗る19歳が、5代目市川猿之助を継承することは、確実。
お贔屓筋たちも、完全に納得。
ここで、どうしても触れておかなければならないことが、1つ。
宗家の芸を中心とする演劇である歌舞伎では、世襲が基本。
ただし、嫡男ができない名跡役者もいるし、仮にいたとしても嫡男が役者に向かなかったり、イヤがる場合もあるはず。
それでは、お家芸が途絶えてしまうので、養子や部屋子(部屋に預けられた子ども役者)というカタチで、継承することもあるはず。
事実、当代一の女形と言われる坂東玉三郎は、14代目守田勘弥の部屋子となり、その後、養子となって5代目坂東玉三郎を襲名しているはず。
そうなると、俄然腑に落ちないのが、3代目市川猿之助は、なぜ嫡男である香川照之に跡を継がせなかったのか?
まさか、我が子が生まれた瞬間、直感で、コイツは、モラルなきアンポンタンに違いないと見抜いていたワケではあるまい。
では、なぜその嫡男の嫡男、すなわち、孫に5代目市川猿之助に継がせたいと、実際はそうでないのに御曹司として扱い、役者として小さいころから経験を積む機会を与え、幼心にその責任と運命を自覚させようとしたのか?
少なくとも、その試みは成功し、この大騒動の中で、その未来の5代目市川猿之助、市川團子は、敢然と光を放っているのでは?
そして、歌舞伎の世界ではまだヨチヨチ歩きの自分で「カマキリ」と呼ぶ最悪な父親、市川中車を喰わせているのでは?
事実、親子2人が主演共演している歌舞伎座での6月大歌舞伎「傾城反魂香」は大盛況(?)だというのでは?
そう、9代目市川中車自身は、自分の息子を5代目市川猿之助にさせるために尽力しようと46歳で歌舞伎役者になっただけ。
そして、その息子の8歳での東京・浅草寺で行われた恒例の「お練り」の5代目市川團子襲名の舞台に一緒に上がり、自分は緊張とプレッシャーのあまりヨレヨレなのに、息子はケロッと舞台を勤め上げ、楽屋でもゲラゲラ笑ってパワー全開だったのを見て、「コイツは、大物か? アホか?」と驚愕していたはず。
そんなことだから、今回の稽古中、「猿のスケ」からリーダーが替わったかのように皆に檄を入れている父親を見て、未来の5代目市川猿之助、「精神的に追い詰められていて、夜、眠れないんだよ。睡眠薬飲んでるんだよ」と冷笑していたとか。
それに対し、カマキリは、「飲んでない! 少し黙ってなさい」と怒っていたとも。
The background of this incident must be just a ugly battle between the stupid cousins who have a similar atmosphere and a similar face(今回の事件のバックグラウンドは、どこか雰囲気も顔を酷似している大バカ従兄弟同士の「大名跡」の利権争いが、醜悪なチクリ合いになっているだけ)!
To be continued...
■「歌舞伎」を必要以上に日本の伝統演劇と崇高化すると、勘違いし思い上がった歌舞伎役者どもが蛮行に走るのが、この21世紀!!
●歌舞伎役者どもに、本来、「普通ではない振る舞いや身なりのヒト」、つまり、軽挙妄動をしがちな「サイコパス」や「パラノイア」が多いのは、ごく当たり前!
○東仙坊、正直、突然の代役が、実のところは見事な演技だったのかどうかは知るヨシもないが、明治座創業150周年「4代目市川猿之助奮闘歌舞伎公演」と銘打った歌舞伎版「ワンマンショー」なのに、演出も「猿のスケ」だというのに、誰も金を返せと揉めないどころか、逆に観客が駆けつけ、営業的にはウハウハだというから、感心している。
何でも、昼の部も、夜の部も、もちろん主役は、「猿のスケ」。
昼の部は、1979年、3代目市川猿之助初演で宝塚のスタイルを取り入れた歌舞伎レビュー「不死鳥よ 波濤を越えて―平家物語異聞―」。
夜の部も、3代目市川猿之助が1984年明治座で初演した、6役早替わり宙乗りの「御贔屓繫馬」。
しかも、その日の朝、「猿のスケ」自身が、「体調不良で休みたい(?)」と明治座に直接連絡していたというから、ワケワカメ(???)。
どちらにしても、代役を務めたという萬屋の中村隼人、澤瀉屋の市川團子は、大したもの。
とりわけ、これで、3代目市川猿之助の孫で、4代目「猿のスケ」の甥で、市川中車の長男で、澤瀉屋の名跡である市川團子を名乗る19歳が、5代目市川猿之助を継承することは、確実。
お贔屓筋たちも、完全に納得。
ここで、どうしても触れておかなければならないことが、1つ。
宗家の芸を中心とする演劇である歌舞伎では、世襲が基本。
ただし、嫡男ができない名跡役者もいるし、仮にいたとしても嫡男が役者に向かなかったり、イヤがる場合もあるはず。
それでは、お家芸が途絶えてしまうので、養子や部屋子(部屋に預けられた子ども役者)というカタチで、継承することもあるはず。
事実、当代一の女形と言われる坂東玉三郎は、14代目守田勘弥の部屋子となり、その後、養子となって5代目坂東玉三郎を襲名しているはず。
そうなると、俄然腑に落ちないのが、3代目市川猿之助は、なぜ嫡男である香川照之に跡を継がせなかったのか?
まさか、我が子が生まれた瞬間、直感で、コイツは、モラルなきアンポンタンに違いないと見抜いていたワケではあるまい。
では、なぜその嫡男の嫡男、すなわち、孫に5代目市川猿之助に継がせたいと、実際はそうでないのに御曹司として扱い、役者として小さいころから経験を積む機会を与え、幼心にその責任と運命を自覚させようとしたのか?
少なくとも、その試みは成功し、この大騒動の中で、その未来の5代目市川猿之助、市川團子は、敢然と光を放っているのでは?
そして、歌舞伎の世界ではまだヨチヨチ歩きの自分で「カマキリ」と呼ぶ最悪な父親、市川中車を喰わせているのでは?
事実、親子2人が主演共演している歌舞伎座での6月大歌舞伎「傾城反魂香」は大盛況(?)だというのでは?
そう、9代目市川中車自身は、自分の息子を5代目市川猿之助にさせるために尽力しようと46歳で歌舞伎役者になっただけ。
そして、その息子の8歳での東京・浅草寺で行われた恒例の「お練り」の5代目市川團子襲名の舞台に一緒に上がり、自分は緊張とプレッシャーのあまりヨレヨレなのに、息子はケロッと舞台を勤め上げ、楽屋でもゲラゲラ笑ってパワー全開だったのを見て、「コイツは、大物か? アホか?」と驚愕していたはず。
そんなことだから、今回の稽古中、「猿のスケ」からリーダーが替わったかのように皆に檄を入れている父親を見て、未来の5代目市川猿之助、「精神的に追い詰められていて、夜、眠れないんだよ。睡眠薬飲んでるんだよ」と冷笑していたとか。
それに対し、カマキリは、「飲んでない! 少し黙ってなさい」と怒っていたとも。
The background of this incident must be just a ugly battle between the stupid cousins who have a similar atmosphere and a similar face(今回の事件のバックグラウンドは、どこか雰囲気も顔を酷似している大バカ従兄弟同士の「大名跡」の利権争いが、醜悪なチクリ合いになっているだけ)!
To be continued...