たびたび大洪水襲来のある日本砂漠-4 「猿のスケ」の醜悪このうえない猿芝居的大団円!!! 〈8〉
In any world, even if feuds and conflicts arise between families that have become popular, or even within each family, it must be because a great interest would move(どの世界でも人気が出た宗家一門同士が、もしくは、それぞれの宗家内部で、確執や葛藤が生まれのも、大きな利権が動くようになるから)!
■「歌舞伎」を必要以上に日本の伝統演劇と崇高化すると、勘違いし思い上がった歌舞伎役者どもが蛮行に走るのが、この21世紀!!
●歌舞伎役者どもに、本来、「普通ではない振る舞いや身なりのヒト」、つまり、軽挙妄動をしがちな「サイコパス」や「パラノイア」が多いのは、ごく当たり前!
○東仙坊、3代目市川猿之助が、古典的歌舞伎とは明らかに異なる宙乗りや派手な立ち回りなどエンターテイメント要素の強い現代歌舞伎「スーパー歌舞伎」を創始することで、比較的歴史の浅い傍流だった「澤瀉屋」を人気一門に押し上げた花形役者であると書き込んできている。
そして、その「澤瀉屋」の二枚看板は、「市川猿之助」と「市川段四郎」。
なかでも、先祖代々襲名され続けてきている「市川猿之助」なる名跡は、極めて特異で、初代が名乗って以来1日も途絶えたことがなく、一度も養子を取ることなく血縁者が後継。
事実、初代と2代目は親子、2代目と3代目は、祖父と孫。
ともあれ、「オモダカ」という薬草を扱う薬屋に生まれ、江戸時代に浅草で「立師」を「殺陣師」と呼び替えた坂東三太郎の息子喜熨斗亀次郎が、初代市川猿之助を名乗ったことでスタートした、「澤瀉屋」は、「古典的な歌舞伎を革新する進取の気風を持ち味」に、その芸風で名門入りしたことは、確か。
もっとも厳密に言えば、「澤瀉屋」の真のルーツは、明治・大正時代に、「平家女護島」の「俊寛」、「仮名手本忠臣蔵」の高師直などが当たり役になった2代目市川段四郎だと言えるとか。
どうあれ、300人ほどいる歌舞伎役者の中でも、自分の名を前面に出して大きな興行を打てるのは、「成田屋」の「團菊」市川團十郎や「音羽屋」の尾上菊之助などほんの一握り。
そこに、何百年も前の歌舞伎の興業歴史を調べ上げ「スーパー歌舞伎」として現代に甦らせ、新たなファンを獲得し、威風堂々と加わったのが、プロデューサーとしての能力も発揮した「澤瀉屋」の3代目市川猿之助。
さて、ここから、いよいよ今回の本題に近づいてゆく。
3代目市川猿之助と4代目市川段四郎兄弟の両親は、3代目市川段四郎と女優高杉早苗。
そう、長男が祖父の「市川猿之助」の跡目を継ぎ、二男が父親の「市川段四郎」の跡目を相続。
そして、すでに書き込んだように、3代目市川猿之助は、「スーパー歌舞伎」を創造したスーパースター、カリスマ的アイドルになり、4代目市川段四郎は、その「スーパー歌舞伎」を支えつつセリフ回しと荒事系所作が得意な敵役や脇役などで活躍する歌舞伎界の重鎮。
となれば、次の「市川猿之助」、すなわち、4代目市川猿之助は、3代目市川猿之助の息子が継ぐことになるはず。
事実、1965年、3代目市川猿之助は、共演をキッカケに宝塚歌劇団出身の女優浜木綿子と結婚し、そして、設けた一男が、香川照之なるアンポンタン。
ところが、3代目市川猿之助、2人を棄て、踊りの師匠で24歳年上の藤間勘十郎の妻の16歳年上藤間紫と不倫し、その元へ移り住んだために、1968年、離婚。
香川照之を浜木綿子が引き取り、45年間父親と隔絶させたまま、女優を続けながら育て上げたとか。
一方、3代目市川猿之助は、1985年、ようやく藤間勘十郎と離婚できた藤間紫を、1995年、自分が演出する澤瀉屋一座総動員の超大作「西太后」に主演(自分も準主役の恭親王)させたりしながら、なぜか2000年になって、正式に結婚。
す、す、すると、好事魔多し。
自分が撒いた種なのか? それとも、天に唾したせいか?
2003年のその「西太后」博多座公演で、思わぬ火の粉が3代目市川猿之助に降りかかる。
舞台上で、突然、3代目市川猿之助のロレツが回らなくなってしまったのである。
それでも、なんとか終演にこぎつけ、病院に駆け込み診察を受けると、脳梗塞と診断され、そのまま緊急入院。
そう、結局、この日が、3代目市川猿之助のファイナルステージになってしまったのである。
もっとも、それでもなお、翌日から、3代目市川猿之助の恭親王役は、一番弟子市川右近(右團次)が代演。
では、それまで右近が演じていた光緒帝役をどうしたのか?
重要な役なのに適任の代役がいなかったので、まだ名題下だった市川喜猿を抜擢して切り抜けたというのだから、さすが「澤瀉屋」。
では、3代目市川猿之助によって、押しも押されぬ大名跡に成長した「市川猿之助」の跡目は一体誰に?
せっかく血縁で繋いできたのに、どうなるのか?
「澤瀉屋」の一大事になったことは、確か。
Just as many hereditary politicians are incompetent, isn't hereditary succession in the world of actors pretty unreasonable(世襲の政治家の多くが無能なように、役者の世界での世襲も、かなりムリがあるのでは)?
To be continued...
■「歌舞伎」を必要以上に日本の伝統演劇と崇高化すると、勘違いし思い上がった歌舞伎役者どもが蛮行に走るのが、この21世紀!!
●歌舞伎役者どもに、本来、「普通ではない振る舞いや身なりのヒト」、つまり、軽挙妄動をしがちな「サイコパス」や「パラノイア」が多いのは、ごく当たり前!
○東仙坊、3代目市川猿之助が、古典的歌舞伎とは明らかに異なる宙乗りや派手な立ち回りなどエンターテイメント要素の強い現代歌舞伎「スーパー歌舞伎」を創始することで、比較的歴史の浅い傍流だった「澤瀉屋」を人気一門に押し上げた花形役者であると書き込んできている。
そして、その「澤瀉屋」の二枚看板は、「市川猿之助」と「市川段四郎」。
なかでも、先祖代々襲名され続けてきている「市川猿之助」なる名跡は、極めて特異で、初代が名乗って以来1日も途絶えたことがなく、一度も養子を取ることなく血縁者が後継。
事実、初代と2代目は親子、2代目と3代目は、祖父と孫。
ともあれ、「オモダカ」という薬草を扱う薬屋に生まれ、江戸時代に浅草で「立師」を「殺陣師」と呼び替えた坂東三太郎の息子喜熨斗亀次郎が、初代市川猿之助を名乗ったことでスタートした、「澤瀉屋」は、「古典的な歌舞伎を革新する進取の気風を持ち味」に、その芸風で名門入りしたことは、確か。
もっとも厳密に言えば、「澤瀉屋」の真のルーツは、明治・大正時代に、「平家女護島」の「俊寛」、「仮名手本忠臣蔵」の高師直などが当たり役になった2代目市川段四郎だと言えるとか。
どうあれ、300人ほどいる歌舞伎役者の中でも、自分の名を前面に出して大きな興行を打てるのは、「成田屋」の「團菊」市川團十郎や「音羽屋」の尾上菊之助などほんの一握り。
そこに、何百年も前の歌舞伎の興業歴史を調べ上げ「スーパー歌舞伎」として現代に甦らせ、新たなファンを獲得し、威風堂々と加わったのが、プロデューサーとしての能力も発揮した「澤瀉屋」の3代目市川猿之助。
さて、ここから、いよいよ今回の本題に近づいてゆく。
3代目市川猿之助と4代目市川段四郎兄弟の両親は、3代目市川段四郎と女優高杉早苗。
そう、長男が祖父の「市川猿之助」の跡目を継ぎ、二男が父親の「市川段四郎」の跡目を相続。
そして、すでに書き込んだように、3代目市川猿之助は、「スーパー歌舞伎」を創造したスーパースター、カリスマ的アイドルになり、4代目市川段四郎は、その「スーパー歌舞伎」を支えつつセリフ回しと荒事系所作が得意な敵役や脇役などで活躍する歌舞伎界の重鎮。
となれば、次の「市川猿之助」、すなわち、4代目市川猿之助は、3代目市川猿之助の息子が継ぐことになるはず。
事実、1965年、3代目市川猿之助は、共演をキッカケに宝塚歌劇団出身の女優浜木綿子と結婚し、そして、設けた一男が、香川照之なるアンポンタン。
ところが、3代目市川猿之助、2人を棄て、踊りの師匠で24歳年上の藤間勘十郎の妻の16歳年上藤間紫と不倫し、その元へ移り住んだために、1968年、離婚。
香川照之を浜木綿子が引き取り、45年間父親と隔絶させたまま、女優を続けながら育て上げたとか。
一方、3代目市川猿之助は、1985年、ようやく藤間勘十郎と離婚できた藤間紫を、1995年、自分が演出する澤瀉屋一座総動員の超大作「西太后」に主演(自分も準主役の恭親王)させたりしながら、なぜか2000年になって、正式に結婚。
す、す、すると、好事魔多し。
自分が撒いた種なのか? それとも、天に唾したせいか?
2003年のその「西太后」博多座公演で、思わぬ火の粉が3代目市川猿之助に降りかかる。
舞台上で、突然、3代目市川猿之助のロレツが回らなくなってしまったのである。
それでも、なんとか終演にこぎつけ、病院に駆け込み診察を受けると、脳梗塞と診断され、そのまま緊急入院。
そう、結局、この日が、3代目市川猿之助のファイナルステージになってしまったのである。
もっとも、それでもなお、翌日から、3代目市川猿之助の恭親王役は、一番弟子市川右近(右團次)が代演。
では、それまで右近が演じていた光緒帝役をどうしたのか?
重要な役なのに適任の代役がいなかったので、まだ名題下だった市川喜猿を抜擢して切り抜けたというのだから、さすが「澤瀉屋」。
では、3代目市川猿之助によって、押しも押されぬ大名跡に成長した「市川猿之助」の跡目は一体誰に?
せっかく血縁で繋いできたのに、どうなるのか?
「澤瀉屋」の一大事になったことは、確か。
Just as many hereditary politicians are incompetent, isn't hereditary succession in the world of actors pretty unreasonable(世襲の政治家の多くが無能なように、役者の世界での世襲も、かなりムリがあるのでは)?
To be continued...