たびたび大洪水襲来のある日本砂漠-4 「猿のスケ」の醜悪このうえない猿芝居的大団円!!! 〈11〉
It must be an inescapable human flaw that those who think they're clever are quick to try to take advantage of others(自分を賢いと思い込んでいるヤツらは、すぐに狡猾かつ阿漕に人を利用しようとするところが、救い難い人間的欠陥)!
■「歌舞伎」を必要以上に日本の伝統演劇と崇高化すると、勘違いし思い上がった歌舞伎役者どもが蛮行に走るのが、この21世紀!!
●歌舞伎役者どもに、本来、「普通ではない振る舞いや身なりのヒト」、つまり、軽挙妄動をしがちな「サイコパス」や「パラノイア」が多いのは、ごく当たり前!
○3代目市川猿之助一門を離脱している「猿のスケ」に、甘い言葉で近づいてきたもう一人がいる。
まあ、厳密に言えば、3代目市川猿之助が病に倒れ車イス生活になったうえ、3代目市川猿之助の伴侶の藤間紫が急逝してしまったことから、日々の暮らしが不便になった3代目市川猿之助の世話をする(?)名目で、同じ寝たっきりの自分の夫を放っておいて、溺愛する一人息子とのために、3代目市川猿之助の寝床(?)に通いづめになった女性の方から、その3代目市川猿之助の代理人的女性に近づいてきたと言うべきかもしれないが…。
◆そう、3代目市川猿之助の実弟である4代目市川段四郎の妻で、「猿のスケ」の母親である喜熨斗延子が、「なんとか息子をお願いします」、「どうか一門に戻してください」、「できたら『市川猿之助』を襲名させてやってください」、「あの子は、アナタの『スーパー歌舞伎』に本気で憧れているんです」と、お百度参り状態で、その仲介をしてくれたのが、その3代目市川猿之助の利権を守りたいということで香川照之とすでにコンセンサスを取っていた、3代目市川猿之助の介護から一門の人事(?)まで諸事万端をサポート(?)していた3代目市川猿之助よりも30歳以上年下の元「博多座」スタッフ女性(ここでは、便宜上、「scheming woman : スキミング・ウーマン」と呼ぶ)。
実際、藤間紫の一周忌が明けた後、3代目市川猿之助と同棲を始めているというから、このスキミング・ウーマン、それなりに大した女性なのでは?
とにかく、利権を確保するためにも血縁者に跡目を継がしたい3代目市川猿之助、その意向を受けつつその利権を保持していたいスキミング・ウーマン、そして、表面上は和解を装いながら積年の復讐のために息子に「市川猿之助」の跡目を継がせたい香川照之の3者は、1つの深慮遠謀に邁進する。
①2011年、まず、香川照之が、「突然の歌舞伎界への進出」を宣言。
そして、自宅にこもり歌舞伎の稽古漬けの毎日を公表。
②3代目市川猿之助も、「脳梗塞に倒れて以来8年ぶりの舞台復帰」を表明。
そして、その壮絶な痛みと闘いながらのリハブに打ち込む様子と、愛息(?)である香川照之と孫に稽古をつける様子を、公表。
実際、そのために、一時、愛息一家と同居したほど。
しかし、それをスキミング・ウーマンがイヤがり始めたので、その後、香川照之宅近くのマンションに引っ越し、そこに愛息と孫を呼び寄せて稽古を継続。
③2011年、そんななか、3代目市川猿之助は、香川照之とスキミング・ウーマンが十分に粉をかけてセットした通りに、市川亀治郎を呼び出す。
そして、「140年間1日も絶えることなく続いてきた猿之助の名跡を受け継いでほしい」、「アナタが演じる『義経千本桜』の『四ノ切』を観て、アナタに『市川猿之助』の名跡を譲る決意した」と、どこまでも建前で語りかける。
すると、「猿のスケ」こと市川亀治郎は、天にも昇る気持ちになって、引き受ける。
事実、2012年、「猿のスケ」は、「4代目市川猿之助」を襲名した際、「市川亀治郎の名前には愛着があったが、伯父への恩返しになればと思って引き受けました。日本の誇る伝統芸能の歌舞伎をますます盛り上げていきたい。伯父にはなかった女形もしっかり演じ切りたい」と殊勝に述べている。
④2011年、3代目市川猿之助、市川亀治郎の4代目市川猿之助襲名と自身の2代目市川猿翁襲名、香川照之とその息子政明の歌舞伎界進出発表の際に、「浜さん、ありがとう。恩讐の彼方に、ありがとう」と、前妻浜木綿子に対して感謝の言葉(??)を述べたとか。
⑤2012年、「猿のスケ」、4代目市川猿之助を襲名し、「古典の舞台にも立ちながら、新しい歌舞伎を模索する」と公言。
その4代目襲名披露公演には、12代目市川團十郎と11代目市川海老蔵が出演。
ただし、市川右近をはじめ、2代目市川猿翁の弟子の多くが、澤瀉屋を離脱
⑥2012年、香川照之、9代目市川中車を襲名、息子香川政明、5代目市川團子襲名。
即座に、5代目市川團子、「スーパー歌舞伎 ヤマトタケル」で初舞台。
それから、2013年、歌舞伎座の「春興鏡獅子」胡蝶で、国立劇場賞特別賞を受賞し、その才能を一端を披露。
それで、オモシロい話が、これ。
Actors who aren't handsome and look good as heels tend to be considerate and gentle, but there might be exceptions to this rule(眉目秀麗でなくヒール役が似合う役者には、本来は、思いやりのあるやさしい性格の人が多いのに、ご多分に漏れずやはり例外がいるらしい)!
To be continued...
■「歌舞伎」を必要以上に日本の伝統演劇と崇高化すると、勘違いし思い上がった歌舞伎役者どもが蛮行に走るのが、この21世紀!!
●歌舞伎役者どもに、本来、「普通ではない振る舞いや身なりのヒト」、つまり、軽挙妄動をしがちな「サイコパス」や「パラノイア」が多いのは、ごく当たり前!
○3代目市川猿之助一門を離脱している「猿のスケ」に、甘い言葉で近づいてきたもう一人がいる。
まあ、厳密に言えば、3代目市川猿之助が病に倒れ車イス生活になったうえ、3代目市川猿之助の伴侶の藤間紫が急逝してしまったことから、日々の暮らしが不便になった3代目市川猿之助の世話をする(?)名目で、同じ寝たっきりの自分の夫を放っておいて、溺愛する一人息子とのために、3代目市川猿之助の寝床(?)に通いづめになった女性の方から、その3代目市川猿之助の代理人的女性に近づいてきたと言うべきかもしれないが…。
◆そう、3代目市川猿之助の実弟である4代目市川段四郎の妻で、「猿のスケ」の母親である喜熨斗延子が、「なんとか息子をお願いします」、「どうか一門に戻してください」、「できたら『市川猿之助』を襲名させてやってください」、「あの子は、アナタの『スーパー歌舞伎』に本気で憧れているんです」と、お百度参り状態で、その仲介をしてくれたのが、その3代目市川猿之助の利権を守りたいということで香川照之とすでにコンセンサスを取っていた、3代目市川猿之助の介護から一門の人事(?)まで諸事万端をサポート(?)していた3代目市川猿之助よりも30歳以上年下の元「博多座」スタッフ女性(ここでは、便宜上、「scheming woman : スキミング・ウーマン」と呼ぶ)。
実際、藤間紫の一周忌が明けた後、3代目市川猿之助と同棲を始めているというから、このスキミング・ウーマン、それなりに大した女性なのでは?
とにかく、利権を確保するためにも血縁者に跡目を継がしたい3代目市川猿之助、その意向を受けつつその利権を保持していたいスキミング・ウーマン、そして、表面上は和解を装いながら積年の復讐のために息子に「市川猿之助」の跡目を継がせたい香川照之の3者は、1つの深慮遠謀に邁進する。
①2011年、まず、香川照之が、「突然の歌舞伎界への進出」を宣言。
そして、自宅にこもり歌舞伎の稽古漬けの毎日を公表。
②3代目市川猿之助も、「脳梗塞に倒れて以来8年ぶりの舞台復帰」を表明。
そして、その壮絶な痛みと闘いながらのリハブに打ち込む様子と、愛息(?)である香川照之と孫に稽古をつける様子を、公表。
実際、そのために、一時、愛息一家と同居したほど。
しかし、それをスキミング・ウーマンがイヤがり始めたので、その後、香川照之宅近くのマンションに引っ越し、そこに愛息と孫を呼び寄せて稽古を継続。
③2011年、そんななか、3代目市川猿之助は、香川照之とスキミング・ウーマンが十分に粉をかけてセットした通りに、市川亀治郎を呼び出す。
そして、「140年間1日も絶えることなく続いてきた猿之助の名跡を受け継いでほしい」、「アナタが演じる『義経千本桜』の『四ノ切』を観て、アナタに『市川猿之助』の名跡を譲る決意した」と、どこまでも建前で語りかける。
すると、「猿のスケ」こと市川亀治郎は、天にも昇る気持ちになって、引き受ける。
事実、2012年、「猿のスケ」は、「4代目市川猿之助」を襲名した際、「市川亀治郎の名前には愛着があったが、伯父への恩返しになればと思って引き受けました。日本の誇る伝統芸能の歌舞伎をますます盛り上げていきたい。伯父にはなかった女形もしっかり演じ切りたい」と殊勝に述べている。
④2011年、3代目市川猿之助、市川亀治郎の4代目市川猿之助襲名と自身の2代目市川猿翁襲名、香川照之とその息子政明の歌舞伎界進出発表の際に、「浜さん、ありがとう。恩讐の彼方に、ありがとう」と、前妻浜木綿子に対して感謝の言葉(??)を述べたとか。
⑤2012年、「猿のスケ」、4代目市川猿之助を襲名し、「古典の舞台にも立ちながら、新しい歌舞伎を模索する」と公言。
その4代目襲名披露公演には、12代目市川團十郎と11代目市川海老蔵が出演。
ただし、市川右近をはじめ、2代目市川猿翁の弟子の多くが、澤瀉屋を離脱
⑥2012年、香川照之、9代目市川中車を襲名、息子香川政明、5代目市川團子襲名。
即座に、5代目市川團子、「スーパー歌舞伎 ヤマトタケル」で初舞台。
それから、2013年、歌舞伎座の「春興鏡獅子」胡蝶で、国立劇場賞特別賞を受賞し、その才能を一端を披露。
それで、オモシロい話が、これ。
Actors who aren't handsome and look good as heels tend to be considerate and gentle, but there might be exceptions to this rule(眉目秀麗でなくヒール役が似合う役者には、本来は、思いやりのあるやさしい性格の人が多いのに、ご多分に漏れずやはり例外がいるらしい)!
To be continued...