たびたび大洪水襲来のある日本砂漠-4 「猿のスケ」の醜悪このうえない猿芝居的大団円!!! 〈13〉
Perhaps the reason why Kabuki's “Omodakaya” has developed so much must be because the actors in the family devoted themselves to intense training so that anyone could play any role(歌舞伎の「澤瀉屋」が一大発展したのは、その一門で抱える役者たちが、誰もがどの役でもこなせるような猛稽古に明け暮れたから)!
■「歌舞伎」を必要以上に日本の伝統演劇と崇高化すると、勘違いし思い上がった歌舞伎役者どもが蛮行に走るのが、この21世紀!!
●歌舞伎役者どもに、本来、「普通ではない振る舞いや身なりのヒト」、つまり、軽挙妄動をしがちな「サイコパス」や「パラノイア」が多いのは、ごく当たり前!
○実は、東仙坊、3代目市川猿之助の「スーパー歌舞伎」によって、名実ともに一大カリスマ大名跡になった「市川猿之助」を擁する「澤瀉屋」。
その3代目市川猿之助が病に倒れ舞台に上がれなくなって約10年、その間に、その跡目相続と「澤瀉屋」看板維持に奔走していた藤間紫が死去し、3代目市川猿之助の意を代弁する同棲者スキミング・ウーマンが口出しをし始め、長い間実の息子でありながら息子の扱いを受けていなかった3代目市川猿之助の嫡男と孫が一門入りしてきて、一門を離脱していた3代目市川猿之助の弟の嫡男「猿のスケ」が4代目市川猿之助を襲名したことで、実際のところ、「澤瀉屋」内部では、抗争に近い壮絶な葛藤、確執、反目が生じるようになっていたに違いないと確信している。
それはそうである。
自分がやっとのことで育て上げた「スーパー歌舞伎」のネームバリューと権益を堅持したい市川猿翁、堅持させたいその同棲者のスキミング・ウーマン、世が世ならそれらは自動的に自分のモノになっていたはずだと考えている市川中車、なぜ最初から自分に跡目を継がせなかったんだと不満タラタラの4代目市川猿之助である「猿のスケ」。
それら4者のそれぞれの魂胆がそれぞれに見え隠れし、到底、一枚岩になるはずはなかったはず。
それはそうである。
歌舞伎役者を志すような人たちは、それぞれに自意識過剰な自己陶酔型が多く、忍耐があまり好きじゃないはずで、モノゴトを功利的に捉えがちだから。
事実、「市川猿之助」の大名跡が想像以上の重圧だったのか、「猿のスケ」、「どこかで命を削っている。イヤなことはボク絶対にしないから。休む間がなくても、歌舞伎界の人気回復のためには、この状況で走り続けるしかない。市川猿翁は、もっと過酷だったはず。自分は睡眠時間も十分に取れている」と告白しつつも、3代目市川猿之助とは明らかに違って、自分のお気に入り(?)の外様役者たちを重用し、次々にイイ配役で起用する多国籍軍化を推進。
そう、3代目市川猿之助が、自分の弟子にかなり厳しく物言いも激しくても、芝居になると身内の役者にイイ配役を回す気配りができたのとは、まさに正反対。
その煽りを喰ったのが、きちんと芝居のできる一門のベテラン役者。
しかも、身内の精鋭部隊でも気に入らないと簡単に切ってしまう強権をやたらめったら発揮するから、軋轢を生んだ。
そもそも、いつも父親4代目市川段四郎が「兄市川猿翁は太陽、自分は月」と自嘲気味に言うことに不満の「猿のスケ」、母親延子からの「オマエなら先代を超える太陽になれるわよ」という檄に威を借りて、「我こそが『市川猿之助』だ」と傍若無人に振る舞えば振る舞うほど、他人の意見をねじ伏せれば伏せるほど反感を買うのも当たり前。
そのうえ、兄弟のように仲のいいく(?)香川照之が自分のバックについているのだから、心配ないとばかりに暴君化。
まあ、「市川猿之助」という大名跡ブランドだけを錦の御旗に掲げた、へのツッパリ型虚勢。
それに、敢然と立ち向かったのが、1975年、3代目市川猿之助に弟子入り、部屋子となっていた市川右近。
そう、「次の市川猿之助」の呼び声が高かった3代目市川猿之助の愛弟子。
何しろ、慶應義塾大学法学部政治学科卒業のこのご仁、「澤瀉屋」の一員として「スーパー歌舞伎」など数々の演目に出演してきただけでなく、3代目市川猿之助が主宰する「21世紀歌舞伎組」座長まで務めた役者。
それが、3度の結婚歴、2度の離婚歴を抱えつつ、2006年結婚した3人目の9歳年下妻との間に2010年長男タケル(3代目市川猿之助の当たり役ヤマトタケル)が誕生すると、2017年2代目死去から80年を経て上方歌舞伎の名跡「市川右團次」の名を復活させ、3代目市川右團次を襲名し、「高嶋屋」を名乗る。
さらに、長男タケルが、歌舞伎座にて、「澤瀉屋」門弟筋では初となる二世代目の初御目見得、そして、2017年、2代目市川右近を襲名。
どうだろう?
このご仁は、「澤瀉屋」にとって、かなり重要な存在だったのでは?
Naturally, the power struggle between cousins who play the role of heels who couldn't become brilliant and charismatic heroes should become ugly(華のあるカリスマヒーローになれないヒール役顔の従兄弟同士の権力争いが、醜悪なものになるのは当然)!
To be continued...
■「歌舞伎」を必要以上に日本の伝統演劇と崇高化すると、勘違いし思い上がった歌舞伎役者どもが蛮行に走るのが、この21世紀!!
●歌舞伎役者どもに、本来、「普通ではない振る舞いや身なりのヒト」、つまり、軽挙妄動をしがちな「サイコパス」や「パラノイア」が多いのは、ごく当たり前!
○実は、東仙坊、3代目市川猿之助の「スーパー歌舞伎」によって、名実ともに一大カリスマ大名跡になった「市川猿之助」を擁する「澤瀉屋」。
その3代目市川猿之助が病に倒れ舞台に上がれなくなって約10年、その間に、その跡目相続と「澤瀉屋」看板維持に奔走していた藤間紫が死去し、3代目市川猿之助の意を代弁する同棲者スキミング・ウーマンが口出しをし始め、長い間実の息子でありながら息子の扱いを受けていなかった3代目市川猿之助の嫡男と孫が一門入りしてきて、一門を離脱していた3代目市川猿之助の弟の嫡男「猿のスケ」が4代目市川猿之助を襲名したことで、実際のところ、「澤瀉屋」内部では、抗争に近い壮絶な葛藤、確執、反目が生じるようになっていたに違いないと確信している。
それはそうである。
自分がやっとのことで育て上げた「スーパー歌舞伎」のネームバリューと権益を堅持したい市川猿翁、堅持させたいその同棲者のスキミング・ウーマン、世が世ならそれらは自動的に自分のモノになっていたはずだと考えている市川中車、なぜ最初から自分に跡目を継がせなかったんだと不満タラタラの4代目市川猿之助である「猿のスケ」。
それら4者のそれぞれの魂胆がそれぞれに見え隠れし、到底、一枚岩になるはずはなかったはず。
それはそうである。
歌舞伎役者を志すような人たちは、それぞれに自意識過剰な自己陶酔型が多く、忍耐があまり好きじゃないはずで、モノゴトを功利的に捉えがちだから。
事実、「市川猿之助」の大名跡が想像以上の重圧だったのか、「猿のスケ」、「どこかで命を削っている。イヤなことはボク絶対にしないから。休む間がなくても、歌舞伎界の人気回復のためには、この状況で走り続けるしかない。市川猿翁は、もっと過酷だったはず。自分は睡眠時間も十分に取れている」と告白しつつも、3代目市川猿之助とは明らかに違って、自分のお気に入り(?)の外様役者たちを重用し、次々にイイ配役で起用する多国籍軍化を推進。
そう、3代目市川猿之助が、自分の弟子にかなり厳しく物言いも激しくても、芝居になると身内の役者にイイ配役を回す気配りができたのとは、まさに正反対。
その煽りを喰ったのが、きちんと芝居のできる一門のベテラン役者。
しかも、身内の精鋭部隊でも気に入らないと簡単に切ってしまう強権をやたらめったら発揮するから、軋轢を生んだ。
そもそも、いつも父親4代目市川段四郎が「兄市川猿翁は太陽、自分は月」と自嘲気味に言うことに不満の「猿のスケ」、母親延子からの「オマエなら先代を超える太陽になれるわよ」という檄に威を借りて、「我こそが『市川猿之助』だ」と傍若無人に振る舞えば振る舞うほど、他人の意見をねじ伏せれば伏せるほど反感を買うのも当たり前。
そのうえ、兄弟のように仲のいいく(?)香川照之が自分のバックについているのだから、心配ないとばかりに暴君化。
まあ、「市川猿之助」という大名跡ブランドだけを錦の御旗に掲げた、へのツッパリ型虚勢。
それに、敢然と立ち向かったのが、1975年、3代目市川猿之助に弟子入り、部屋子となっていた市川右近。
そう、「次の市川猿之助」の呼び声が高かった3代目市川猿之助の愛弟子。
何しろ、慶應義塾大学法学部政治学科卒業のこのご仁、「澤瀉屋」の一員として「スーパー歌舞伎」など数々の演目に出演してきただけでなく、3代目市川猿之助が主宰する「21世紀歌舞伎組」座長まで務めた役者。
それが、3度の結婚歴、2度の離婚歴を抱えつつ、2006年結婚した3人目の9歳年下妻との間に2010年長男タケル(3代目市川猿之助の当たり役ヤマトタケル)が誕生すると、2017年2代目死去から80年を経て上方歌舞伎の名跡「市川右團次」の名を復活させ、3代目市川右團次を襲名し、「高嶋屋」を名乗る。
さらに、長男タケルが、歌舞伎座にて、「澤瀉屋」門弟筋では初となる二世代目の初御目見得、そして、2017年、2代目市川右近を襲名。
どうだろう?
このご仁は、「澤瀉屋」にとって、かなり重要な存在だったのでは?
Naturally, the power struggle between cousins who play the role of heels who couldn't become brilliant and charismatic heroes should become ugly(華のあるカリスマヒーローになれないヒール役顔の従兄弟同士の権力争いが、醜悪なものになるのは当然)!
To be continued...