来年正月のコピーライターの本業で忙殺され、まだまだ書き込みたいことがいっぱい残っていることを気にしつつ、なにもできなかったこの数日間。そんな短期間でも、
I am fed up with hearing that kind of the bad news(オイオイ、もういい加減にしてくれよ)!と言いたくなるほど、相変わらずの毎日毎日殺人事件の海。天候と一緒で、これが決して異常なのでなく、すでに恒常となってしまっている世の中なのかもしれない。
東京足立区の首都高速6号高架下へ、27歳男性が21歳女性を別れ話のもつれからロープで絞殺して遺棄した事件。
神奈川県川崎市で、70歳男性が67歳妻の頭を鈍器で撲殺し死体を遺棄した事件。
群馬県高崎市で51歳女性が55歳の夫をオノで首を切って殺害した事件。
I can’t stand it any longer(もう我慢できない)!どこにぶつけていいかわからない、なんともいえない憤怒が体中から、次から次へとわき上がってくる。そして、今度はそんな自分自身までが怖くなってくる。悲しい。胸が痛む。胃が疼く。
I couldn’t forgive myself either(このままでいいのか)?!とても複雑な気持ちになり、自分がJason Bourneだったら、「The Bourne Ultimatum」にしてやるのに、と内心自分に言訳しなければいられない。自分はほんとうに正義の味方、東仙坊なのか?
Listen to me very carefully(いいか、よく聞け)!人を殺めることがよくないのは、当たり前。
ところが、こんな時代だから、もしかして、どうして悪いのか?と訊いてくるヒトもいるだろうから、より単純明快に答えておく。
いいか理屈じゃない。心をもつ人間なら、人を殺めていけないどころか、殴ってさえもいけない。なぜなら、
I am watching you(お天道さまが見ている)からに決まっている。
因果応報。
人を殺めたら、想像を絶する地獄に必ず落ちる。そして、数学上最大の何無量大数倍の苦痛を味わうことになる。こんな風に言うと、だったら余計何がなんでも地獄に行ってみたい、勝手だろ!と言い出す気の狂った餓鬼が出てくるはず。
東仙坊はそんな
asshole(バカ)に先にアドバイスする。
ボツアナかソマリアかタンザニアにでもさっさと行って、ボランティア活動でも一生懸命してみろ、現実にそれが味わえるはず。あるいは、いますぐバグダッドにでも行って、復興活動でもやってみろ、ロシアンルーレットみたいにそれが味わえる。それすらできないなら、誰にも絶対見つからない場所に行っていますぐ自殺しろ!いいか、絶対に見つからない場所でだぞ。
こんなことを言うと、そうでなくても一種の自殺ブームの昨今、不謹慎だ!非人間的だ!と集中砲火を浴びるに決まっている。
特にwiseでnaiveな人権派と称する弁護士(もう笑うしかない可哀想なcrippled inside)が攻撃してくるだろう。wise manといえばマフィアの意味であり、naive personといえば未熟なヒトの意味であることを考えると、その正体がよくわかる。
さてここで、ちょっと[自殺]について、東仙坊の独自の見解を述べておきたい。確かに、ここ数年いやもう十数年になるかもしれないが、「自殺増加傾向」、「中高年の自殺急増」、「若者の自殺傾向顕著」などとよく新聞の見出しになっている。それはあたかも凶悪な少年犯罪、残酷な殺人事件、低劣な弱きをくじく拝金主義的詐欺事件の増加と比例しているかのように見える。けれども、それらのどの記事の中にも「なぜ自殺が悪いのか」、「なぜ自殺してはいけないのか」とは一切書かれていなかった。ただ、なんとなくこれ以上自殺者を増やしてはいけない、緊急予防策が必要、自殺予防センターやいのちの電話の設置、などとあるだけだった。個人の人権と宗教の自由が保障されているのだから、「神様が与えてくれた尊い命を粗末にするな」、「他人に迷惑かけることになるんだからやめなさい」などと、一概に言えないことぐらいは理解できる。無能な政府や官僚ではあるまいし、何が問題点なのかぐらいは有能なマスコミのはずなのだから、その自己責任として明確に指摘すべきである。
このブログへのコメントで、カンケリお侠さんが的確かつ端的に指摘しているように、『自殺は結果的にどんな方法を選んだとしても人様に迷惑をかけるのだから、してはいけない』。
Exactly you are right, Kankeri-okyo(カンケリお侠さんの言う通り)!東仙坊もそれに尽きると同感する。
キリスト教はもちろん、あの自爆テロを奨励しているかのようなイスラム教でも、金のためなら親兄弟さえ殺していいかのような儒教でも、宗教上自殺を認めていない。
いまの我が国の儒教ブームの発端は、金のためなら親兄弟さえ殺していいということなのだと誤解して欲しくない。
これはあくまで
paradox(逆説)。
確かに、東仙坊が全く宗教に興味を覚えない不埒な無神論者であることは紛れのない事実である。しかしながら、ここまで我が国の社会からモラルが、モラールが喪失してしまった現状では、そんな東仙坊でも、いま儒教に、とりわけ儒家思想に真摯に学ぶべきだと考えている。とりわけ、他人に対するやさしさを表現する「仁」、正しい行いを守ることを表現する「義」、円滑な社会秩序を維持するための「礼」、親によく従うことを表現する「孝」、正直で裏表のないことを表現する「忠」を見直すときなのである。
それでは、具体的に自殺がどんな迷惑をどれほど他人にかけるのかということを、東仙坊の実体験に基づき挙げてみたい。
最初は、高校時代の秋、湘南のヒト気のない海、その頃のガールフレンドとデートしていた時のこと。
空は青くとも波は荒く、肌寒いお陰で握っている彼女の手が異常なほど温かく感じられ、うるさい波音よどんどん大きくなれ、お願いだから誰も海岸に近づいてくるな、と内心必死に考えていた。そういえば、殺風景な海岸に黒く打ち上げられた海藻が最初から不気味な気がしていた。
突然頭上でキーッという自転車のブレーキ音がしたかと思うやいなや、一人の男が黒い服を脱ぎながらテトラポットだらけの海に入っていった。そして、いったい何をするのだろうとその方向を追ってしまった瞬間、「オーィ、そこの若いの、ちょっと手を貸してくれ」、その男が大声を上げた。言われるまま近づくと、男は何かを引き上げようとしていた。「手を貸せ!」「そこを持て!」「何してる!もっとしっかり持て!」「どうした?男だろ、力を入れろ!」「可哀想にな!何があったか知らないが、何も死ななくたっていいじゃないか!」「生まれてくるはずの赤ちゃんだって、可哀想じゃないか!」男は一方的に終始怒鳴りまくり、無駄にしか思えないのに、引き上げた後、懸命に人工呼吸を心臓マッサージを試みた。いったいぜんたい実際のところ、その間どのくらいの時間がたったのだろうか?
やがて、救急車が来て自分の役目は終わった。男はそこからすぐ近くの派出所の巡査だった。「ご苦労さん」と一言いってから、ほんの少しだけ教えてくれた。その入水自殺をした妊婦は、遺書を見つけた家族から届けが出されていた捜索手配中の近県の女性らしいこと、そして海岸に沿った国道を偶然通りがかったトラックの運転手が「海に変なものが浮かんでる」と110番通報してくれたことで発見できたこと。
ではその間、肝心の東仙坊はというと、ただただ震えつづけ、
Oh!my God(どーして)!はもちろん、なんの言葉も発せられなかったばかりか、ひどいショックを受け泣きじゃくっている彼女を慰めることもできなかった。もちろん、当時まだ未成熟だったこともあるし、生まれて初めて他人の屍に接触したということもあったかもしれない。とにかく、恐怖のあまりパニックになってしまった。
これを読んで、東仙坊もたいしたことがないと感じる人は、入水自殺の現実を知らな過ぎる。亡くなった女性には大変な罰当たりになることかもしれないが、ご冥福を祈りつつ。正確にその実態をその時の自分の所感を記述したい。その入水自殺した女性の表情は苦悶に満ち、鬼の形相でしかなく、妊娠していたせいもあったかもしれないが、全身がパンパンのゴムボートのように膨れ上がり、まさに巨大な化け物にしか見えなかった。
それがトラウマになってしまったのか、いまなおその海岸に近くすら通れないし、いまなおジュゴンの写真すら見ることができない。どうやら実際のところも、入水した最初の苦痛は相当のものらしい。
次は、まだオートバイにヘルメット着用が義務づけられていなかった時代の師走、北風を切って颯爽と気持よさそうに周りには見せながら、その痛いほどの寒さに手はかじかみ体の芯まで凍りそうでゥッと不気味に呟いたりし、クライアントに向かって疾走していた。現在と大違いで街はイルミネーションはまばらで活気もなく薄暗い未来を象徴していた。
「もうすぐきっと雪になる。早く帰らなきゃ」少しスピード上げながら、ある鉄道の高架線下のガードをくぐり抜けようとした瞬間、何かが上から降り注いできて、ベチョッとちょうど頭のてっぺんに当たった。その感触は生理的にぞっとむずむずする好きなものじゃなかった。「鳥の糞?」、「
Shit(クソッ)!」思わずバイクを止め、おもむろに頭に手を当てた。初めは手がすっかり冷え切っていて感覚がなくなっていたせいなのかと思った。手のひらにべっとりと赤い液体のようなものがある。
「
What hell is this(なんだ、これ)?」虫の知らせに近い戦慄が走った。なのに、条件反射のような怖いものを垣間見たくなる衝動を抑えられず、ついつい上を見上げてしまった。
駅には電車が停まっていた。不気味なほど大きなサーチライトに、白い服を着た人たちと白いヘルメットの紺の服を着た人たちが車両の下で懸命に何か作業をしている様子が映しだされていた。
次の瞬間には東仙坊は、駅の側の汚いトイレに駆け込んでいた。そして掃除のされていない便器にただただ吐いていた。その間、電車に飛び込んだ自殺者のことなんか一度も考えなかった。当然、そのおぞましい血が男のものなのか、女のものなのか、何歳ぐらいのヒトのものなのかとも考えなかった。絶対に出合いたくなかった妖怪を見てしまった気がして、氷のように冷たい蛇口の水で、何度も何度も頭を洗い続けた。
そうしながら、茫然と「この寒さの中で、あの救急隊や駅の作業員たちはいったいどんな気持で遺体の肉片を拾い集めているのだろう?」、「いま運転手はどんな気持でいるのだろう?」、「その電車に偶然乗り合わせていた乗客のほとんどが、何でこの電車に、こんなときに、こんな時間に、冗談じゃないよ、きっと怒っているだろうな」などと思い浮かべていた。
東仙坊はその後数日間、食事が全く喉を通らなかった。
次は、ちょうど4年前の真夏、まだ茹だるように暑かったその日、地方都市の居酒屋で数十年ぶりに再会した友人と呑み交わし、いい気分で上野に向かう最終特急に飛び乗った。何でこんなに冷房を強くするのか気が知れないと思いつつも、いい時間を過ごした時だけがもたらせてくれる独特のとろけるようなほろ酔いで、すぐにうとうとしてしまった。前から2両目だった。
「キーッ!キキキーッ!グターン!」金属がヤメローって叫んでいるかのような擦れる大音響とともに、電車が急停止した。
「
Are you sure (ほんとかよ) ?」目を覚ました瞬間、東仙坊は確信していた。足もとから突き上げるような手ごたえがあった。電車は全く動こうともせず、辺りに奇妙なほどの静寂が広がっていた。ほとんどの乗客もすでに理解していたのか、あるいはうたた寝していたせいなのか、誰一人として音を立てないので、このまま宇宙の彼方まで連れていかれてしまうような錯覚になった。
いつものあの傍若無人でうるさい車内放送さえなかったせいだ。しばらくすると、外で静かに歩き回る人たちの砂利を踏む音がし始めた。どうやら電車までが居眠りし始めてしまったようだった。
「
How come did you kill yourself (何も、自分で死ぬことはないと思うけどな、死ぬほど死にたくなくても死んでしまう人だっているのに…)? 」
実際、その2日前、東仙坊はクライアントの担当者の1人である40歳の男性から電話をもらっていた。彼は末期の肝臓ガンに冒されていて、余命3カ月と医者から宣告されていた。本音では行きたくなくても、たびたび見舞いに行っていた。なにしろ彼の衰弱ぶりは目を覆うもので、かける言葉が見つからなかった。そんな彼にその宣告期限日がついに来てしまったのだという。
「お願いです。死にたくないんです。なんとかしてください」彼はまた泣きながら必死に訴えてきた。「医者は予言者じゃないんだから。死んだらどうするかは、死んだときに考えるしかないと思うよ。誰だって、いつかは必ず死ぬ。『
All is the same(みんな一緒さ)』オレも…。それこそ、地球も、太陽系も、銀河系も。ってことは、いま、どうあろうと少なくとも生きているんだから、生きているからできることをやるしかないじゃないか…。つまり、絶対死んでしまったらできなくなると思うことを」、「オレは家族といたいだけなんだ」。「じゃ、泣いていたり、オレに電話する時間も惜しんで、家族といろよ。できる限り、家族と触り、話し、笑い。キミの想い出を家族にいっぱい作ってやれよ。それしかないじゃないか…」。
唐突に、慇懃無礼で抑揚のない車内放送が始まった。「ただいま小動物を巻き込んだために列車は緊急停止しております。お急ぎのところ、乗客の皆様には大変ご迷惑をおかけしております。小動物を除去次第運転を再開いたしますので、いましばらくお待ちください」さりげなく窓の外の様子を伺った。あのときのように間違いなく救急隊も加わっている。
「小動物だって?タンタン、タヌキ?コンコン、キツネ?鉄道会社にいっぱいいるムジナ??そうか、肉片が粉々に散ってしまっている、そういうことなんだ。もしかすると、人間としてのカタチさえ残っていないんだろう」。
東仙坊はあのときの光景を思い浮かべながら、柄でもなく鉄道で働く人たちに、鉄道事業者に同情した。「いったい誰がこの仕事に就く際に、こんな不快な地獄でやるようなことをさせられと想像したのだろうか?彼らは食事を毎日楽しく摂れるのだろうか?毎日安眠できるのだろうか?この遺体除去の費用ってどのくらいかかるのだろうか?それって、もしかすると遺族に請求するの?横柄で不遜な鉄道会社のことだからそのぐらいするだろうな…。どちらにしても自殺するなら鉄道だけは止めたほうがいいとだけは、自殺願望者に進言したい。なんていったって小動物扱いなんだから…」。
ここまでお読みいただけば十分にご理解いただけたと確信する。
カンケリお侠さん!どうですか?
第3者の自殺によって、この東仙坊でさえ、これだけひどくブルーな気分にさせられたのである。
そんな東仙坊だからこそ、誰も明確には言わない自殺をされては困るほんとうの理由を挙げてみたい。
「
To tell the truth(正直言って)」
まず逆に、自殺されても困らないばかりか、してもらったほうが助かる理由を想定してみればよくわかる。
第一に、現在我が国の国庫は財政破綻している。なのに福祉社会を装うために、それこそ真の労働意欲もない人たちまでを支えるために生活保護などコストをかけなければならない。そのうえ、無能がゆえに弱気な社会保険庁は必然のないヒトにも国民年金を払わなければならない状況になりつつある。つまり自己破産者やホームレスや
NEET(単なるタコ)なる不可解な非社会者が跋扈し、社会の中で
noblesse oblige(高貴な道徳観)や人間性をもち真剣に粉骨砕身した人間は、その棄てることのできない
foolish pride(人間的過ぎるプライド)から、完全武装した騎兵隊に包囲された老インディアンが槍一本で突撃するかのように自殺する。
それによって、中高年の場合は、保障したくない保険会社が儲かり、国はどうせすぐ税金すら払えなくなるだろう人間にその後の無駄な税金を支払わなくてすみ助かるのである。
若者の場合、国は最初は間違いなく当てにしていた納税者かつ年金負担者が一人減ることを憂慮する(実はこれこそが少子化問題の本質そのものなのである!)が、すぐにそんな人間はどうせ将来犯罪でも起こすに違いない。そうなったとき被害者遺族に余計な税金を払わなくてすむと考え直しホッとする。そして、無能な警察も犯人を検挙できないことによる恥をかかなくてすむと安心する。
第二に、世界的食糧危機が叫ばれ始めてかなりになる。それに追い討ちをかけるような自然災害と環境破壊なのである。なんて言っても、食糧は反比例。人間が減れば減るほど少し安心になるのである。実際問題としても、我が国の食糧自給率は26%しかなく、グルメとか飽食とかいって世界一食材を無駄にしている。美味しいのをたくさん食べたいヒトは自殺者の増加に大喜びなのである。
ちなみに、東仙坊は私見ながら、我が国土のキャパシティからして、人口は明治時代に入った頃の3千万人ぐらいが適切だと考えている。
それでは、自殺をされて困るほんとうの理由の核心に触れる。
なんといっても最大の理由は、されてしまった家族が、友だちが、同僚や仲間が、意志に関係なくそれに巻き込まれる他人が、悲しくやり切れない気分になる。そればかりか、直面させられた人間はもとより、直面してない人間もいろいろ話を聞いてしまうので、PTSDのようにその情景が脳裏に突然浮かんでくる。そして、その残りの人生ずーっとなんともいえない暗澹たる気持にさせられる。
「
Completely a suicide must kill own family (自殺者は自分の家族も殺す)」
特に遺族は経済的にもその負担をさせられる。
自殺者の後処理に、管轄自治体、管轄官庁などに膨大なコストがかかり、結局それを国が税金で負担させられるから迷惑なのである。例えば鉄道会社の場合は、後処理コストにダイヤの乱れのコストが加わり、天文学的な額になってしまうようである。自殺の名所のようにさせられてしまった、東尋坊、青木ケ原樹海、華厳の滝、錦ケ浦、高島平団地などの自治体や住民は、そんな現実があるのだからもっと声を大にして正直に怒るべきである。
「
Go to hell suicide(地獄に落ちろ、自殺者)!」と立ち上がったらどうだろう?
これらが理由のすべてであり、これ以外に何もないと東仙坊は確信する。
ついでに、「生きることそのものに意味を見つけられないから」、「死ぬことだけがいきがい」自殺してしまった若者?ばか者に一言。
「冗談じゃない!馬鹿も休み休み言え!キミたちに生きることの意味とか、生きがいとかなんて言われたくない!いまなお半世紀以上も毎日毎日、生きていること意味を見つけようと、ただただ必死にいまも生きている。それでもさすがに最近は、明日の朝は生きて起きられるかな?と毎晩寝る前に考えたりもする。そして幸運にも朝生きて起きることができたら、still alive(よしっ)って感じで、またやらなきゃならないことをただただこなすだけ。
So fucking what(だからなに)?
生きがい?それは生きていられるってこと以外にあるわけないだろう。キミたちは自殺してみて、イスラム原理主義者の若者みたいにユートピアでも見つけられたのかい?それなら早く教えてくれよ。ただし、幽霊で現われるのはごめんだよ。ほんとうにユートピアに行けるならすぐ自殺するよ。こんな風に毎日胸くそ悪いことばかりが続くのだから…
そういえば、なんかの本で、あの親鸞上人が高弟から、導師様(なんか呼び方が違う気がする)浄土ってほんとうにあるのでしょうか?って尋ねられたとき、そんなこと知るか、オレだって行ったことない(死んだことがない?)って親鸞上人が答えたって読んだことがあったけど、どう?天国はある?ところで生きがいが見つけられたかい?なにか変?死にがいを見つけられたかい?死んだ意味がわかったかい?
特に、整形手術の失敗を世の中に知って欲しいと自殺サイトで知り合った仲間と練炭心中して死んだ女の子に尋ねたい。疲れは取れたかい?
こんな東仙坊でも、地球が誕生して46億年、太陽が誕生して120億年、銀河系が誕生して240億年であること、人類がミトコンドリアに始まり、魚、猿、人と進化してきたこと、いま地球上で生きている63億の全人間が20万年にアフリカにいたイヴの子供であることも知っている。
なのに、いまこうして徹夜でキミたちに言いたいためにこのブログを必死に作っている。そんなもんじゃないか人生なんて。よしてくれ!これは生きがいなんかじゃない!生きていることの責任みたいなものでしかない!
最後に、どうせ自殺をするなら、経済的にも精神的にも、他人はもちろん、家族や友だちや仲間に絶対迷惑のかからない方法をそれこそ死んだ気で自分で考えて実行すべきだったね。ヒトに相談してしまったら、その時点で自殺にはならなくなってしまうということもわからなかったのかい?どっちみちそんな方法は見つからなかったとは思うけど…」
東仙坊は、結局、自殺も人を殺すことにほかならないと断言する。全く同じように、卑怯なことも絶対してはいけない。これも理屈じゃない。我が日本人にとって、それは最も恥ずべき行為だから。万一そんなことをしてしまったら、穴に入るだけではすまない。切腹するしかないのである。なぜなら、卑怯な行為は、なにより、
The heart of your mother must be cried (母親の心を泣かせる)からである。
その意味で、強姦ほど卑怯な犯罪もない。
話がだいぶ横道にそれてしまったが、これでようやく本題に戻れ、東仙坊も寝られそう。
もちろん、犯罪に優劣や大小があるわけではない。いかなる犯罪も決して許されるもではない。武士道精神を持ち、魂の高潔さ、モラルの尊さを何よりも大切にする我が日本人にとって、強姦ほどその本性に合わない犯罪はないといいたいのである。
その割には、年々全国で増加傾向にありながら、その検挙率が平成17年度でも50%に満たないのである。
よくよく考察してみると、我が日本人のもう一方の本性が大きく関係している。その伝統的な「事なかれ主義」と「依存体質」である。我が国の現在の警察にとって、親告罪であり、微妙なプライバシーを持つ強姦犯罪では、極めてデリケートで繊細で人間味のある捜査が必要になる。しかしながら、今般そんなデリカシーのある人材が警察に入るわけも、警察で育つわけもなく、どうしてもその対応に躊躇が生じてしまうようである。
また、被害者は被害者で、どうしてなの?どうしてくれるの?どうしたらいいの?どうしよう?と不屈の精神を持つことができず、そーっと暗くて忌まわしい過去として背負ってしまうのである。
そして、周りはというと、しょうがないんじゃない?忘れるしかないんじゃない?それこそ殺されちゃったわけじゃないんだから、と、見て見ぬふりをしてしまうのである。
それらの思惑が複雑に交錯して、結果的に卑劣な強姦魔を幇助してしまっているのが実情である。
その最たる例が、昨年8月、乗客40名(男性15名位)もいたJR北陸線特急サンダーバード内で、21歳の女性が36歳の植園貴光なる
mother fucker(クソッタレ)によって「逃げると殺す」などと大声を上げながら1時間近く触り続けた後、「何をジロジロ見ているんだ」などと他の乗客を恫喝しつつ、車内のトイレでなぜか堂々と強姦してしまった事件である。
この間誰一人として制止しようとか車掌に通報しようとしなかったという。おそらく歴史上我が日本人にとって最も屈辱的な犯罪になってしまった。それにしても、ここまで見て見ぬふりをするとは、もってのほかで、万死に価する。傍観していた40人の同じ穴のムジナは残りの人生その穴に入ったまま出てきてはいけない。
そんなていたらくだから、昨年末、東京都世田谷区で、28歳の那須野亮なる
idiot(アホ)によってそのバイト仲間の22歳の女性を強姦目的で簡単に殺害してしまったのである。しかも何もかもが一方的で、食事を誘ったが断られ、もうダメだと思って更衣室の彼女のバッグから鍵を盗み合鍵を作り、彼女の部屋で待ち伏せするとはなんとも最低で劣悪極まりなくて、まさに言語道断。死刑に処すべきである。きっと周りのだれかがこの空気を感じていたに決まっているはず。ここでも、残念なことに、また見て見ぬふりが行われてしまったようである。
それにしても、この卑劣な犯行を「思いがかなわず」なんて報道するマスメディアにも責任がないのか?このクソッタレのどこに彼女への思いがあると感じるのか?こんな時世である以上、28歳にもなって人を愛することの基本的な意味さえ知らない、未成熟なアホが存在してしまっているのもしかたないことかもしれない。ならばなおさら、なぜ周りが、とくに親が、こんなクソッタレに見て見ぬふりをしてしまうのだろうか?
さらに挙げれば、この夏、岐阜県で100人以上の連続婦女暴行犯として逮捕された39歳の愛宕博昭なる
son of a bitch(クソッタレ)に至っては、周りが、見て見ぬふりしていただけでなく、それを助長させていたとしか考えられない。実に不愉快極まりない話である。
この腐り切った社会を少しでも住みやすくしたいのなら、どんな犯罪よりも早く強姦犯を検挙すべきであると、東仙坊は提案する。
ましてや今回の川口のケースは強姦未遂殺人犯なのである。それにしてもこの時点でまだ捕まっていない。
7月の強姦強盗事件を簡単に検挙できなかった、情報公開さえもしなかった埼玉県警のことだから、その後ろめたさで、積極的に捜査してないのでは?とついつい疑いたくもなってくる。もちろん、そんなことはないと信じてはいるのだが…。不安を煽りたいからではなく、そんなヒトのクズがホシだと確信している以上、少し心配になってきている。
そこで、東仙坊から、これ以上の強姦被害者を生まないために、社会的対処の発想そのものを変えることを提案したい。それは「強姦を絶対許さない」というような他力本願なものではなく、「強姦に断じて屈しない」と自分から勇気を持って立ち向かう姿勢が重要であると考えるようにならなければならない。
簡単に言うと、最初は、いまオトコ(男と書きたくない)は根本的に発狂していて、女性をモノとして見ていて、人間の愛し方を知らない
jerk(アホ)であるという性悪説の見地に立って、じっくり観察すること。
次に、自分の周りのヒトたちも、弱気で見て見ぬふりをしがちで頼りにならないことが多いと覚悟しておくこと。
そして最も大切なことは、自分自身の弱気をくじき、社会と関わりながら自分を成熟させておくこと。だから、それでも万一そんなクソッタレやアホの被害者になってしまったら、自分に恥じたり、自分を責めたりせずに、警察に被害届を出すこと。もちろん、ここにも問題があることは、この東仙坊、百も承知している。その対策については、最後に触れる。
なぜそうしなければいけないかというと、再三再四言っているように、強姦は女性にとってはもちろん人間社会にとって、最も卑劣な犯罪だからである。それに屈することは一生の不覚になる。とにかく、そんな不逞の輩にプライバシーもへったくれもあるわけがない。日本中に、世界中に、強姦オトコの顔写真をプロフィールを見せまわり続ければいい。本来恥ずかしがり屋の日本人のオトコのはずだから、きっと誰もしなくなる。ましてや暴行殺人などをした最低最悪のevil(悪魔)は、即刻その場で獄門さらし首にすればいい。ところが、現行の刑法では、死刑がなぜかないのである。
Actually I am exhausted(ほんとに疲れた)!ついに二日目の朝が来た。このあたりで一旦止めにしないと自分が危なくなってきた。こうして書き込んでいる間に、何が何でも、このブログをUSAが戦争で使った
HUMINT(人間による情報収集活動)のようにしたくなってきた。必ずそうしてみせる。また、これからは犯人のプロファイリングだけでなく、事件の新たなる分析などもやってゆこうと考えた。
最後に約束通り、万一被害に遭ってしまった場合の対応策を公言したい。この人間通の東仙坊がその相談にのろう。
I am gonna be the rape mentor(強姦相談引受人)というのも、リサーチしたところ、せっかく勇気をもって被害届を提出に警察に行っても、「そんな格好してるからだよ」、「あんな場所にあんな時間にどうして行ったの」、「自分にスキがあったんじゃないの」、「それでその後どんなふうにされたの」など、興味本位に不謹慎に無神経に女性サイドの落ち度を捜査員が衝いてくることが多かったり、さらに捜査員の質問で傷口を抉られたり、酷い場合には捜査員からの直接的なセクハラまでがあるらしいと聞いたからである。
ほんとうの最後に、このブログへ最初の質問を書いてくれた「鬼ゴッコ」さんの質問に次回答えることを約束しておく。そして、「とおりゃんせ」さん、「カンケリお侠」さん、3名の方々のネームを東仙坊は一生忘れません。
Thanks a lot(ありがとう)!