緊急プロファイリング 山口下関市女児絞殺事件-suppliment(追補)-2!?
The love seems like buying the betting ticket of a certain horse from your intuition in the Derby(恋愛は、ダービーで自分の直感からある馬の馬券を買うようなもののごとし)!
今日は、ダービーだと言われて、すっかり忘れてしまっている自分をどこか自嘲気味に笑っている。
昔は、自分のインスピレーションを信じ、かなりの大勝負をした覚えがある。
今はもう遠い昔…。
そうしていたら、今度はどのくらい前だかはっきり覚えていないが、まだまだ髪がフサフサだった東仙坊、「カツラ(?)」のハイセイコーなんて、名前があまりに可哀想過ぎると嫌って、ダービーで大損したことまで思い出した。
そして、さらに、20代前半に当時同居していた女性とUSAケンタッキー州ルイビルのチャーチルダウンズ競馬場に行き、ケンタッキーダービーで「Secretariat(セクレタリアト:事務局職員)」がブッチギって勝つのを観戦し、「こりゃ、まるで倦怠期ダーメダだ」と言って、その後、別れることになったことまで思い出した。
何だか、祇園精舎の鐘の音が聞こえてきそう…。
さて、本題に入る。
東仙坊、その緊急プロファイリング 山口下関市女児絞殺事件-1の冒頭で、「恋愛はリスクがいつもともなうもの、ウソをついているヒマなどないほど目を大きく見開いてウソを見分けるもの。だからこそ、恋愛は人を信じることのノウハウを学ぶことができるもの。そして、愛する相手が自分ではない以上、当然、希望と絶望との両方があり、そのどちらもを素直に観念して受け入れるしかないもの。極論すれば、人生にとって最も大切な恋愛だって、自分の命同様、自分の意思に無関係にいつか終わるもの、永遠ではないもの。それでも、生きている限り本気で生きるしかないのと同様、自分の信じる相手を本気で愛し続けるしかないもの。ある意味、シャンペングラスを愛する限り重ね続けるようなもの。いつ崩れるかは自分でもわからないからこそ、目を見開き集中して重ねるしかないもの」と書き込んだ。
さらに、「自分自身の命すらプレシャスにとらえず、なんとなく情念のままに怠惰な生き方をしていると、人の命までをどうでもいいやと簡単にそれでいて残酷に安く扱うようになるのも、極めて当然かも。そして、愛情など微塵もないだけでなく、どうにでもなれとばかりに何も先のことを考えず、思わず人を殺してしまうのかも。それこそ、自分が死んだ気で人を殺してしまうのかも。とりわけ、自分の子どもは自分のモノというような未成熟な感覚しか持ち合わせていない母親は?」とも書き込んだ。
また、「ホシが合鍵で入ったようなことになってきているが、果たして本当にそうなのか?そうだとすると、わざわざドアを午前5時ごろドンドン叩いたことは、メチャクチャ変だと思わないか?」とも書き込んだ。
そのうえ、「母親自身はもちろん、そのぐらい母親と近いヒト、もしくはヒトたちの犯行ということだけは確実と思っているのは、東仙坊だけではあるまい。少なくとも、この犯行が計画的でなかったことだけは、間違いないと思わないか?」とも書き込んだ。
実際、この事件の残酷非道なホシである悪魔の化身的オトコ、鍵がなかったため窓から侵入したことがわかったばかり。
さらにまた、あらかじめ計画して人を殺す「謀殺」ではなく、一時の激情によって殺意を生じ人を殺す「故殺」だったことも、ほぼ確定的。
つまり、事件の真相は、かなり簡潔明瞭。
何が何でも被害女児の母親ともう一度関係を持ちたくてウズウズし、どうしようもなくなった悪魔の化身的オトコ、「あのオンナのカラダが忘れられない…」、いや「あのオンナ、もう一度やればオレにまた夢中になる」と勘違いの自信を持って、夜這いのごとく被害女児宅に侵入したに違いない。
ところが、意に反し、母親はいない。
それでも、息を殺して、最初は静かに母親を待ち伏せしていたに違いない。
それこそ、静かに子どもたちの疲れ切って爆睡している寝顔を見つめながら、3ヵ月前まで同居していたときと同じように…。
ところが、なかなか母親は帰ってこない。
そのうち、もしかしたら…とある想像に悩まされ始めた。
「あのオンナ、きっと今夜も他のオトコとやりまくってるんだ…」
悪魔の化身的オトコ、突然、その想像のトリコになり、言いようのない嫉妬の焔を燃やし続けて、独りイライラし出したに違いない。
そんなとき、母親似の二女の寝顔が無性に腹立たしく思えてきた。
「そもそも、他の子どもはよくなついてくれたのに、母親ベッタリの、いや母親ソックリのキサマのせいで、オレたちはうまくいかなくなったんだ…」
激しい嫉妬のあまり、その逆上の矛先は、次第次第に被害女児の寝顔に向き始めたに違いない。
「あのクソオンナ。今ごろ、今ごろ、どこかで他のオトコと…許せねぇ。思い知らせてやる。オレを、このオレ様を、コケにしやがって。わかった、わかった。思い知るがいい…このオレにこんな仕打ちをするとどんなことになるか! はっきりと、はっきりとわからせてやる!」
それで、そばにあった扇風機の電気コードを切り取り、それで被害女児の首を絞めてしまったのが顛末なのでは?
もしかしたら、被害女児がその間に目を覚まし、キライなオトコの顔を見て、大声を出しそうになったのかも知れないが…。
もちろん、ルビコン川を渡り切ってしまった後の悪魔の化身的オトコの行動など、何もかもがデタラメなアドリブ以外の意味はないはず。
どちらにしても、被害女児殺害は、メチャクチャ嫉妬し我を忘れてしまった恥知らず悪魔の化身的オトコの母親への見せしめのための単なる生贄。
そう考えると、凄惨な被害女児の遺体遺棄状況に、凄く納得できないか?
どうあれ、6歳の被害女児は、母親の救いようのないオトコ狂いの犠牲者であることだけは間違いない。
その意味では、東仙坊がプロファイリングしたように、母親が陰の共犯者とも言える側面はあると思うのだが…。
そこで、この2人の大バカ者に代表される欲望のままに安易に男女関係を作るヤングに、特に子どものいるヤングママにご忠告。
たかが人間、性的欲望が止まることを知らないのは、当たり前。
けれども、仮にも母親になってしまった以上は、それを好き勝手に発散する前に子どもへの責任を最優先するのが、人間としての義務。
そうである以上、自分の欲望のハケグチでしかない程度のオトコを、安易に自宅に連れ帰り、自分の子どもと交流させることは、絶対に慎むべき。
そんなことさえ容易にできないのなら、最初から母親になるべきではない。
それが人間の母親のあるべき姿で、動物の母親とのせめてもの違い。
とりわけ、「このオトコは人間的な魅力がない」とか、「どこか性格に問題がある」と直感したなら、冗談でも自分の子どもに会わせることさえ避けるべき。
そうしていないと、子どもがDV被害者になるだけでなく命を落とすようなことになると肝に銘じるべき。
どうだろう?
それが最低限の母親の責任、人間としての自制心では?
その意味で、確かに、恋愛は、ギャンブルのような一面も持つ。
リスク覚悟でお金をつぎ込んで参加しなければ、絶対に何も変わらないし、めくるめくサティスファクションやエクスタシーもない。
もちろん、参加しなければルーザーにならなくてもすむが、その代り絶対にウイナーにもなれない。
たった一度の人生、リスクを冒しても、恋愛をするのが人間。
だからこそ、やっぱり、この馬こそ、この選手こそ、このボートこそ、このバイクこそ、この犬こそ、この馬車こそ、このカードこそ、この牌こそ、この台こそ…と直感することが何よりも大切。
それがない場合は、直情的につき合うべからず。
また、途中で気づいたら、即座に別れるべきで、同居などもってのほか。
それこそ、この直感が外れたら二度と恋愛さえしないというぐらいの覚悟で選択すべし。
そのためにも、普段からとことん自分の直感をシャープに研ぎ澄ますべし。
それによって結果がどうなろうと、つまり、例えうまく行こうが行くまいが、いつも自分の心の中に洩れることなく閉じ込めて、表面上、なかでも子どもの前では、いかなるときも明るく笑顔で元気で何ごともなかったようにしてるべし。
それこそが、子どもを持つ人間の恋愛の絶対不可欠条件。
ところが、昨今、すぐあからさまに一喜一憂し、子どもにまで簡単に紹介したり情けなくてみっともないヒトばかりで、メチャクチャ問題。
それ以前に、失うことを恐れギャンブルに全く参加しなかったり、あるいは、ほんの少しの愛しか賭けないくせに、愛の八百長レースだ! 納得いかないから賭けた愛を返せ! やっぱり賭けるの止めたからオレの愛を返して1とレース後に主催者側に詰め寄る幼稚な大バカ者ばかりで、極めて残念。
つまり、自分の不甲斐無さを自覚せず、相手を攻撃するジコチュウばかりで、最悪。
とにかく、本当に自分の子どもがカスガイと思うなら、情念でオトコを求めないこと。それに尽きると思わないか?
Even if the loneliness of the woman sleeps with a man of the waste of the neighborhood, it must be not healed(オンナの寂しさは、そのへんのクズのオトコと寝たって癒されない)!
今日は、ダービーだと言われて、すっかり忘れてしまっている自分をどこか自嘲気味に笑っている。
昔は、自分のインスピレーションを信じ、かなりの大勝負をした覚えがある。
今はもう遠い昔…。
そうしていたら、今度はどのくらい前だかはっきり覚えていないが、まだまだ髪がフサフサだった東仙坊、「カツラ(?)」のハイセイコーなんて、名前があまりに可哀想過ぎると嫌って、ダービーで大損したことまで思い出した。
そして、さらに、20代前半に当時同居していた女性とUSAケンタッキー州ルイビルのチャーチルダウンズ競馬場に行き、ケンタッキーダービーで「Secretariat(セクレタリアト:事務局職員)」がブッチギって勝つのを観戦し、「こりゃ、まるで倦怠期ダーメダだ」と言って、その後、別れることになったことまで思い出した。
何だか、祇園精舎の鐘の音が聞こえてきそう…。
さて、本題に入る。
東仙坊、その緊急プロファイリング 山口下関市女児絞殺事件-1の冒頭で、「恋愛はリスクがいつもともなうもの、ウソをついているヒマなどないほど目を大きく見開いてウソを見分けるもの。だからこそ、恋愛は人を信じることのノウハウを学ぶことができるもの。そして、愛する相手が自分ではない以上、当然、希望と絶望との両方があり、そのどちらもを素直に観念して受け入れるしかないもの。極論すれば、人生にとって最も大切な恋愛だって、自分の命同様、自分の意思に無関係にいつか終わるもの、永遠ではないもの。それでも、生きている限り本気で生きるしかないのと同様、自分の信じる相手を本気で愛し続けるしかないもの。ある意味、シャンペングラスを愛する限り重ね続けるようなもの。いつ崩れるかは自分でもわからないからこそ、目を見開き集中して重ねるしかないもの」と書き込んだ。
さらに、「自分自身の命すらプレシャスにとらえず、なんとなく情念のままに怠惰な生き方をしていると、人の命までをどうでもいいやと簡単にそれでいて残酷に安く扱うようになるのも、極めて当然かも。そして、愛情など微塵もないだけでなく、どうにでもなれとばかりに何も先のことを考えず、思わず人を殺してしまうのかも。それこそ、自分が死んだ気で人を殺してしまうのかも。とりわけ、自分の子どもは自分のモノというような未成熟な感覚しか持ち合わせていない母親は?」とも書き込んだ。
また、「ホシが合鍵で入ったようなことになってきているが、果たして本当にそうなのか?そうだとすると、わざわざドアを午前5時ごろドンドン叩いたことは、メチャクチャ変だと思わないか?」とも書き込んだ。
そのうえ、「母親自身はもちろん、そのぐらい母親と近いヒト、もしくはヒトたちの犯行ということだけは確実と思っているのは、東仙坊だけではあるまい。少なくとも、この犯行が計画的でなかったことだけは、間違いないと思わないか?」とも書き込んだ。
実際、この事件の残酷非道なホシである悪魔の化身的オトコ、鍵がなかったため窓から侵入したことがわかったばかり。
さらにまた、あらかじめ計画して人を殺す「謀殺」ではなく、一時の激情によって殺意を生じ人を殺す「故殺」だったことも、ほぼ確定的。
つまり、事件の真相は、かなり簡潔明瞭。
何が何でも被害女児の母親ともう一度関係を持ちたくてウズウズし、どうしようもなくなった悪魔の化身的オトコ、「あのオンナのカラダが忘れられない…」、いや「あのオンナ、もう一度やればオレにまた夢中になる」と勘違いの自信を持って、夜這いのごとく被害女児宅に侵入したに違いない。
ところが、意に反し、母親はいない。
それでも、息を殺して、最初は静かに母親を待ち伏せしていたに違いない。
それこそ、静かに子どもたちの疲れ切って爆睡している寝顔を見つめながら、3ヵ月前まで同居していたときと同じように…。
ところが、なかなか母親は帰ってこない。
そのうち、もしかしたら…とある想像に悩まされ始めた。
「あのオンナ、きっと今夜も他のオトコとやりまくってるんだ…」
悪魔の化身的オトコ、突然、その想像のトリコになり、言いようのない嫉妬の焔を燃やし続けて、独りイライラし出したに違いない。
そんなとき、母親似の二女の寝顔が無性に腹立たしく思えてきた。
「そもそも、他の子どもはよくなついてくれたのに、母親ベッタリの、いや母親ソックリのキサマのせいで、オレたちはうまくいかなくなったんだ…」
激しい嫉妬のあまり、その逆上の矛先は、次第次第に被害女児の寝顔に向き始めたに違いない。
「あのクソオンナ。今ごろ、今ごろ、どこかで他のオトコと…許せねぇ。思い知らせてやる。オレを、このオレ様を、コケにしやがって。わかった、わかった。思い知るがいい…このオレにこんな仕打ちをするとどんなことになるか! はっきりと、はっきりとわからせてやる!」
それで、そばにあった扇風機の電気コードを切り取り、それで被害女児の首を絞めてしまったのが顛末なのでは?
もしかしたら、被害女児がその間に目を覚まし、キライなオトコの顔を見て、大声を出しそうになったのかも知れないが…。
もちろん、ルビコン川を渡り切ってしまった後の悪魔の化身的オトコの行動など、何もかもがデタラメなアドリブ以外の意味はないはず。
どちらにしても、被害女児殺害は、メチャクチャ嫉妬し我を忘れてしまった恥知らず悪魔の化身的オトコの母親への見せしめのための単なる生贄。
そう考えると、凄惨な被害女児の遺体遺棄状況に、凄く納得できないか?
どうあれ、6歳の被害女児は、母親の救いようのないオトコ狂いの犠牲者であることだけは間違いない。
その意味では、東仙坊がプロファイリングしたように、母親が陰の共犯者とも言える側面はあると思うのだが…。
そこで、この2人の大バカ者に代表される欲望のままに安易に男女関係を作るヤングに、特に子どものいるヤングママにご忠告。
たかが人間、性的欲望が止まることを知らないのは、当たり前。
けれども、仮にも母親になってしまった以上は、それを好き勝手に発散する前に子どもへの責任を最優先するのが、人間としての義務。
そうである以上、自分の欲望のハケグチでしかない程度のオトコを、安易に自宅に連れ帰り、自分の子どもと交流させることは、絶対に慎むべき。
そんなことさえ容易にできないのなら、最初から母親になるべきではない。
それが人間の母親のあるべき姿で、動物の母親とのせめてもの違い。
とりわけ、「このオトコは人間的な魅力がない」とか、「どこか性格に問題がある」と直感したなら、冗談でも自分の子どもに会わせることさえ避けるべき。
そうしていないと、子どもがDV被害者になるだけでなく命を落とすようなことになると肝に銘じるべき。
どうだろう?
それが最低限の母親の責任、人間としての自制心では?
その意味で、確かに、恋愛は、ギャンブルのような一面も持つ。
リスク覚悟でお金をつぎ込んで参加しなければ、絶対に何も変わらないし、めくるめくサティスファクションやエクスタシーもない。
もちろん、参加しなければルーザーにならなくてもすむが、その代り絶対にウイナーにもなれない。
たった一度の人生、リスクを冒しても、恋愛をするのが人間。
だからこそ、やっぱり、この馬こそ、この選手こそ、このボートこそ、このバイクこそ、この犬こそ、この馬車こそ、このカードこそ、この牌こそ、この台こそ…と直感することが何よりも大切。
それがない場合は、直情的につき合うべからず。
また、途中で気づいたら、即座に別れるべきで、同居などもってのほか。
それこそ、この直感が外れたら二度と恋愛さえしないというぐらいの覚悟で選択すべし。
そのためにも、普段からとことん自分の直感をシャープに研ぎ澄ますべし。
それによって結果がどうなろうと、つまり、例えうまく行こうが行くまいが、いつも自分の心の中に洩れることなく閉じ込めて、表面上、なかでも子どもの前では、いかなるときも明るく笑顔で元気で何ごともなかったようにしてるべし。
それこそが、子どもを持つ人間の恋愛の絶対不可欠条件。
ところが、昨今、すぐあからさまに一喜一憂し、子どもにまで簡単に紹介したり情けなくてみっともないヒトばかりで、メチャクチャ問題。
それ以前に、失うことを恐れギャンブルに全く参加しなかったり、あるいは、ほんの少しの愛しか賭けないくせに、愛の八百長レースだ! 納得いかないから賭けた愛を返せ! やっぱり賭けるの止めたからオレの愛を返して1とレース後に主催者側に詰め寄る幼稚な大バカ者ばかりで、極めて残念。
つまり、自分の不甲斐無さを自覚せず、相手を攻撃するジコチュウばかりで、最悪。
とにかく、本当に自分の子どもがカスガイと思うなら、情念でオトコを求めないこと。それに尽きると思わないか?
Even if the loneliness of the woman sleeps with a man of the waste of the neighborhood, it must be not healed(オンナの寂しさは、そのへんのクズのオトコと寝たって癒されない)!