Concerning the life, there might be not the thing which is serious as brothers(世の関係で、兄弟ほど難しいものはないかも)!
東仙坊、大統領選たけなわの兄弟の国のテレビを、ずっと注視していた。
外交というより日本について、どう言うかに関心を持っていたからである。
ところが、連日、テレビでは、「ナロー!」、「ナロー!」ばかり。
えっ、日本の「このナロー!」と罵詈雑言を繰り返していたのか?って?
違う、違う。
大統領選そっちのけで韓国最初の人工衛星ロケット「Naro(羅老:ナロ)」打ち上げのことばかりだったということ。
それこそ、隣のキチガイの国同様、まさに夢中だったということ。
10月26日、3号機打上げを試みるも、燃料漏れが発見され(?)、再び延期…。
11月29日、再び3号機打上げを試みるも、今度は駆動ポンプの不具合が発見され(?)、再び延期…。
そのたびに、メチャクチャ落胆した兄弟の国の人々の「クソー!」と言う声が画面を通して聞こえてきたから。
というのも、その裏から、単純な国威発揚というよりは、すでに何度も成功している日本にだけはもう負けたくないという気持ちが十分に伝わってきていたから。
それはそうだと思わないか?
今回の挫折で、打上げが延期されたり失敗したのは、な、な、なんと計7回。
そもそも、1998年、2010年までに宇宙ロケッを開発することを目標に韓国航空宇宙研究院だけで固体燃料ロケットを開発していたのに、2005年までに液体燃料「長距離宇宙ロケット」を作るように変更。
それなのに、2002年、韓国航空宇宙研究院は途方に暮れ、2004年、ロシアのクルニチェフ国家研究生産宇宙センターと契約し共同開発。
費用総額約8,200億ウォン、約5,025億ウォンが羅老開発費、約3,200億ウォンが羅老宇宙センター建設費。
2009年8月、1号機打上げを試みるも、失敗。
2010年6月、2号機打上げを試みるも、失敗。
その間、日本が打ち上げをどんどん成功。
また、いつものように、何が何でも汚名挽回を図りたかったようで、その気持ちは何となくわかる気がしないか?
それにしても、部品を国産化したとか言っておきながら、まだフランス製品を使用しているとは?
相変わらずそこまでムキにならなくても…と、正直、思わないか?
東仙坊、個人的には、「経済も、科学技術も、勝ちを譲るよ。けれども…」という気持ちなっていたが…。
また、そのなかなか打上げを成功させられないことが、隣のキチガイの国が人工衛星ロケットという名のミサイル打ち上げにこだわる理由の一つにもなっているのでは?
ちなみに、大統領選のテレビ討論では、女性大統領候補は、「日本の正しい歴史認識が必要だ」と得意の後ろ向き志向で、男性大統領候補は「未来志向の関係を発展させるが、歴史問題では断固として対処しなければならない」といつも通りのエセ未来志向だったから、今後も何一つ変わらないと思わないか?
これもそれも、昔から近親憎悪ほど根深いものはないからでは?
本当に、そろそろ本気で兄弟の縁を切るときだと思うが、どうだろう?
確かに、それは容易ではない。
何しろ、我が日本には、政治屋やお金大好き経営者を中心に、隠れ兄弟の国のヒトがいっぱいなのだから…。
それでも、その傀儡政権でしかなかった民主党保育園児政府が終われば、少しは改善されるかも?
そういえば、前回の4月の隣のキチガイの国のミサイル発射のときも、兄弟の国からはその探知追尾情報をもらえなかったのでは?
それ一つとっても、兄弟愛は風前の灯なのでは?
にもかかわらず、世界一のお人好しの日本の方は、兄弟に心遣いばかり…。
ゴルフで、サッカーで、野球で、音楽で、どんどん稼がしてあげるだけでなく、来年の正月も「Soul Train(ソウルトレイン)」ならぬ「Seoul Plane(ソウルプレーン)」。
本当に太っ腹では?
そこで、注目すべきことがある。
レイムダックの管直人が最後っ屁で、朝鮮高校無償化法案を通そうとしたように、同じレイムダックのドジョウがするかもしれない最後っ屁。
なぜなら、11月24日、竹島問題で中断され無期限延期になっていた、経済・金融問題などを協議する2006年廃止の5回目の定期会合「日韓財務対話」を、韓国の企画財政省で開催したからである。
ま、ま、まさか、あれほど何度も助けてやったのに非難されることはあっても感謝一つされたことのなかった、「日韓通貨スワップ協定」という名の実質的な経済援助を再び限度額引き上げをしてやるのではあるまいな?
それだって、昨年10月に限度額を総額700億ドル(当時の為替レートで5.5兆円)まで増額してあげたのをゼロにしたのかと思いきや、まだ130億ドルも残してあげているのでは?
同じ貿易依存国でありながら日本と違って外貨のない国になのだから、一切それを廃止すべきでは?
えっ、そんなことをしたら中国に頭を下げてしまうって?
それでいいんじゃないの?
歴史的には?
At least our country has not become the dependency except that it was occupied historically by the USA(少なくとも我が国は歴史的にアメリカ合衆国に占領されたこと以外、属国になったことはない)!
If the sun refuse to shine...(もし太陽が輝くのを拒んだら…)!
東仙坊、因果応報、天網恢恢疎にして漏らさず…お天道様は、何もかもを見ていると確信している。
うまく説明できないが、そんなバイブレーションみたいなものを感じている。
そう、あたかも、物質が小さな原子の集合で…。
原子は、電子と原子核で…。
原子核をさらに細かくするとクォークという極微の粒子で…。
電子やクォークのように、これ以上、細かく分けられない最小単位が素粒子で…。
物質をつくる素粒子には、固有の質量がある…。
しかし、質量は最初からあったのではなく、ヒッグス粒子によってもたらされたもの。
それも、宇宙が約137億年前、ビッグバンと呼ばれる火の玉状態で誕生したとき、すべての素粒子は質量がゼロ。
素粒子は、真空中を何の抵抗も受けずに光速で自由に動いていた。
そ、そ、その10兆分の1秒後、宇宙が急速に冷えて真空の性質ががらりと変わる「相転移」。
すると、陰に潜んでいたヒッグス粒子が真空を埋め尽くすように現れ、素粒子は粘り気のある「ヒッグス粒子の海」にどっぷりと漬かる状態。
つまり、プールの中を歩くと、水の抵抗を受けて体が重くなるように、素粒子はヒッグス粒子の抵抗を受けて動きにくくなり、重さを持つようになった。
東仙坊、よくわからないが、「神の粒子」ヒッグス粒子のように、お天道様が人間を見ていると感じている。
と、と、ところが、肝心の本物のお天道様の様子が変?イチロー状態と知って、メチャクチャショック。
4月19日、磁石のS極とN極がひっくり返るような磁場の反転が太陽の北極で起きつつあることを、国立天文台などのチームが2006年に打ち上げの太陽観測衛星「ひので」で観測し、発表。
何でも、通常は同時に反転する南極の磁場には変化の兆しはなく、過去に17世紀半ばから18世紀初頭にかけて地球に寒冷化をもたらせた時期の太陽の状況似ているというから、気にならないか?
2008年の観測では、北極の磁場はマイナスの性質を多く持っていたが、2011年には急激に減少、逆にプラスの磁場が現れ、ついにマイナスからプラスへ完全反転。
その一方、南極の磁場はプラスのまま。
太陽の磁場は約11年周期で反転し通常は北極と南極がいっぺんに変わるが、次の反転は2025年ごろと予測されていたのに、一体何が太陽で起きているのか?
どうあれ、北極だけ反転すれば、地球は間違いなく寒くなるというから、オヤッと思わないか?
この夏の消費電力を、今までにない猛暑がくるとどこかの方々は臆面もなく見積もっていたのでは?
それは、さらに証明される。
5月31日、太陽の活動が過去20年間で次第に低下していて、今後10~20年は低下傾向が続くと、国立天文台とNASAの研究チームが発表。
何でも、国立天文台電波望遠鏡で観測した1992~2012年のデータを解析。
2000年4月の極大期の前後について北極・南極周辺の活動を比較した結果、最近の約10年間はそれ以前と比べて活動の強さが約3割低下したことを突き止めたというから、どこか納得しないか?
当然、太陽活動が低下すると、地球を包む太陽の磁場が弱まり、地球に届く宇宙線が増加。
大気中の水蒸気と反応して雲ができやすくなり、日射量の減少などで地球を寒冷化させるもの。
そもそも、太陽は黒点が増えて活動が活発化する極大期と、黒点が減り静穏になる極小期を約11年周期で繰り返すはずだったのに、本当に太陽で何が起きているのか?
そして、それはさらにまた証明される。
6月4日、太陽の活動が低下する異変が起き、磁場や黒点数の変動周期が通常と全く異なる状態になっていることを、再び国立天文台などのチームが発表。
何でも、プラス極とマイナス極はペアで存在するため、現在は北極と南極がともにプラスで、赤道付近に2つのマイナス極が出現した異例の4重極構造になっていて、これまでにない不思議な現象だというのである。
しかも、なぜこのような状態になったのかは全く不明。
そのうえ、磁場の反転周期も崩れていて、極域の磁場の観測から、次回の反転は2013年5月と予想されており、従来の約11年周期を大きく上回るのは確実。
しかも、現在の周期の黒点数は、前の周期の半分近くまで低下。
もともと、磁場の反転周期は、太陽の活動の周期に基づいているはずで、このように太陽全体の活動が低下している中、磁場だけは南北のバランスや周期を崩しながら、活発期のような反転をするのは、明らかに異常だというのである。
ちなみに、南極の氷床を分析すると、過去6500年間の太陽の黒点数が極端に減った時期は15回で、うち12回は欧州で気温が低下した寒冷期と一致。
特に1645~1715年の「マウンダー極小期」と呼ばれる時期は、北半球の平均気温が0.6℃低下し、ロンドンのテムズ川が凍りスケートができ、日本でも京都の平均気温が2.5℃下がったというから、イヤな気がしないか?
なぜなら、その時期にも、太陽は4重極構造になっていたというのである。
また、観測された黒点の大半は太陽の南半球にあったという記録があり南北のバランス崩壊が明白で、太陽活動が低下しているときは、発期に戻る周期が13~14年に伸びるとの報告もあり、現在の状況とピッタリ符合しているというから、不気味では?
ついでに、5月10日、NASAは、太陽の表面に地球の直径の10倍もの幅がある巨大な黒点群を観測。周辺ではモンスター級の爆発現象「太陽フレア」が7回発生。地球でオーロラが観測される可能性があると発表していたことを知っているか?
磁場の影響で太陽のガスの対流が妨げられてできる黒点は温度が4000℃と、通常の太陽表面温度の6000℃に比べて低いため暗く見えるもの。
どうだろう?
宇宙誕生の構造がわかったなどと増長している人間に、太陽が怒っていると感じるのは、東仙坊だけなのか?
おまけに、6月3日、NASAは、ハッブルの観測で得られたデータを基にコンピューターを使って2つの銀河の将来の位置を予測し、「地球がある銀河系は、40億年後、重力で引きつけられて近隣のアンドロメダ銀河と衝突する。しかし、双方の銀河には十分な隙間があるため、星の衝突はない。その後、分離と衝突を繰り返し、60億年後に1つの銀河に融合する。将来、太陽は今よりもさらに銀河の中心から離れた位置にあるかもしれないが、太陽や地球が破壊されることはない」と発表したことを知っているか?
ちなみに、アンドロメダ銀河は地球から約250万光年離れた比較的近い位置にあり、時速約40万㎞で地球に近づいているというのだが…。
None'll still be there...(そこには誰もいなくなる)!
I guarantee as for we human beings, anyone has human strength potentially(我々人間は、誰もが潜在的に人間の強さを持っている)!
生まれながらに、人間は、笑顔を取り戻す強さを持っている。
絶望を乗り越える、「人間の強さ」持っている。
そして、どんなに強い人も、それなりの弱さを持ち、どんなに明るい人も、人には決して見せない悲しみや不安をそっと抱えている。
逆に、どんなに弱い人も、本当は「人間の強さ」を秘かに隠し持っている。
誰もが、「人間の強さ」を、潜在的にしっかりと保持している。
つまり、人間は弱くもあるが、どこまでも強いもの。
それこそが、人間の人間たる人間らしさ。
こんな不安な今だからこそ、その「人間の強さ」を内からグッと引っ張り出し、より高めることが、求められていると思わないか?
この「ポジティブ心理学」に、大輪を咲かせたのが、ショーン・エイカーの「The happiness advantage(ハッピネス・アドバンテージ:幸福優位) 7つの法則」。
「努力すれば、成功して、幸せになれる」を、「幸せだからこそ、努力して、成功できる」と、幸せが前提条件であることをデータ検証し、見事に証明している。
えっ、幸せは人それぞれ異なるって?
その通り。
それでも、職場における幸福感、何か仕事を成就したときの満足感は、いかに自分の仕事を愛しているかの「バロメーター」になることは、間違いない。
人生でアクティブに幸福感を創造していくことは、人生における「ビジネス(真剣に取り組むべき課題)」そのもの。
そこで、仕事上の幸福感は、単なる気分ではなく、仕事観と結論しているから、インクレダブル。
その「法則1:ハピネス・アドバンテージ:幸福優位性(幸福感は人間の脳と組織に競争優位をもたらすという原則)」で、「幸せが先か、成功が先か」として、収入面でも健康面でも、まずは幸福感ありきで状況が好転すると説いているから、小気味いい。
確かに、幸せになることは、適度な食事や運動を心がけることと同様、大切な日々の健康管理の一環。
職場でも、家庭でも、適度にポジティブな状態を保つことは、そのまま自分を大切にすることにも繋がるもの。
そのためには、幸福感が高まる取り組みを日常生活の中で習慣化してしまえば効率がいいというのも、ナルホド。
また、「法則6:20秒ルール(変化へのバリアを最小化して悪い習慣をよい習慣に変える方法)」で、「人間は単なる習慣のかたまり」というUSA心理学祖、ハーバード大学故ウィリアム・ジェームズの言葉を引用。
20秒程度のちょっとした手間をかけることで生活習慣を大きく改善することの有効性も説いているから、さすが。
何でも、朝の運動を習慣化するべく、トレーニングウェアと靴下を着たまま寝て、起き抜けに「運動しようか?どうしようか?」と迷う気持ちを追い払うことに成功するというから、凄くリアル。
つまり、習慣にしてしまうことは、目標を設定することと同様、「やろうか?どうしようか?」を巡る数限りない選択肢の「やってどうなる?」、「どうやってやろうか?」、「別のことをやったほうがいいか?」などを減らすというから、実に納得。
その結果、頭の中で次から次へと困惑しエネルギーを使い果たさず行動でき、確かに得策。
そもそも、人間の脳は賢さと同時にズル賢さを併せ持っていて、朝の運動が脳の活性化によいとわかっていても、自らそれを拒絶するためにありとあらゆる手練手管を行使するのもまた同じ脳の働きというのも、オモシロい。
ともあれ、自分にとってよいことだという知識があることと、それを実行することは全く別物なのでは?
「1日に何本タバコを吸いますか?」、「お酒はどの程度飲みますか?」、「ちゃんと運動はしていますか?」と聞かれるお決まりの問診。
これに「あなたはどのくらい幸せですか?」という新しい質問を加えるべきと提唱するのが、幸福研究第一人者、「幸せ博士」の異名、イリノイ大学心理学部名誉教授・ギャラップ社シニア・サイエンティスト、エド・ディーナー。
◇1日に何本タバコを吸いますか? -3年 (20本/1日)
◇ちゃんと運動はしていますか? +3年
◇お酒はたしなむ程度にしていますか? +2年
◇あなた、お酒の飲み過ぎですね。 -7年
◇あなたは幸せですか? +9.4年
この「幸福感が強いと9.4年もの長生きにつながる」という数字を人間・動物を対象とした160以上の調査研究の分析には、さすがにビックリしないか?
人生に対する幸福感や満足感、ポジティブな感情(喜びや感謝など)とネガティブな感情(悲しみやイライラなど)の有無、楽観的な考え方の有無などが質問項目。
どの研究からも、人間の健康と寿命は、日々どのような気分で過ごすかで決定されることが判明したというから、鮮烈。
一方、抑鬱や不安感を抱えていたり、日々の活動に楽しみがなかったり、悲観的だったりすると、病気にかかる危険性や短命となる可能性も高いというのだから、ただただ感心。
ミシガン大学心理学部クリストファー・ピーターソン教授が、「斜に構える」姿勢がエクササイズの大きな弊害とる研究結果を発表していて、興味深い。
ポジティブ心理学について学ぶとは、スポーツ観戦ではない。実際に自分自身がプレーヤーとして参戦しないことには、ポジティブ心理学の本質を体得できない。
これはポジティブ心理学のエクササイズに限ったことではないが、コメンテーターとして傍観を決め込んでいる限は、何ら現実を前向きに切り拓き、新しい価値を生み出せないというのも、凄く納得しないか?
人間のポジティブな機能に着目する流れは、イスラエルの健康社会学者であるアーロン・アントノフスキーが、「ストレス対処力(sense of coherence)」という概念を提唱したことが、キッカケ。
「本当に人間が健康でいるためには、健康の謎を解く必要がある」として、それまで医学や心理学が「疾病要因」だけに焦点を絞ってきたことを反省し、「健康要因(元気になる力or傘?)」を探る必要があると、説いたことが、最初。
米国心理学者、キャロル・D・リフの「心理的ウェル・ビーイング 」にも、着目。
「幸福感」とか「ハピネス」という言葉に置き換えられる「ウェル・ビーイング」とは異なり、「危機や不安時に遭遇した時にこそ高められる人間のポジティブな心理的機能」が「心理的ウェル・ビーイング 」。
不安なときこそ、「こういう人生でありたい」、「こういう自分でいたい」という崇高な問いを何度も繰り返すもの。
具体的には、「人生における目的」や「自分が大切に思う人」を明確にして、「自分の気持ち」や「決断」を信じた人ほど、「充足感のある人生を送れる」というもの。
そのために、その日の「幸せ探し」を1日の終わりにやることが秘訣。
ポジティブな感情に心の針が傾いた瞬間を思い出し、仕事がうまくいったとか、おいしいものを食べたとか、誰かの役に立ったとか、温かい気持ちを持てた瞬間があったとか、誰かと楽しい会話ができたといった些細な幸せを何でもいいから思い出し、少しだけ心を整えるだけで、OK。
そんな単純なことで?って?
人間の感情は、複雑な半面、実に単純。
ポジティブな感情を少しでも高めることができれば、「こういう人生でありたい」、「こういう自分でいたい」と思い描いたイメージにつながる行動が喚起されるもの。
第一、不安な感情に気持ちが左右されているときには、前に進む気になかなかなれない。
しかし、心の針がポジティブな感情に傾いたときには、不思議と「自分の気持ち」「決断」を信じることができるもの。
何かを期待して行動を起こすのではなく、「自分がこうありたい」から行動するべき。
極めて単純なこの繰り返しが、心理的ウェル・ビーイングを高め、不安を軽減できるもの。
先行きが見えない社会だからこそ、「何かハッピーだったね」と幸せに敏感に反応できる柔軟性が求められるということ。
そして何よりも、「これでいいんだ」と前向きな決断できるように、ちょっとした幸せ探しをすべき。
健康とは、身体的・精神的・社会的に良好な状態(well-being)、幸福。
そもそも、「ネガティブ」と「ポジティブ」は、コインの表と裏のような関係ではなく、全く別の次元の存在。
人間が健康で幸せに生きるためには、ポジティブな要因である元気になる力を増やし、人間の強さを引き出すことが、欠かせないということ。
ムリやり悲しみや不安などのネガティブな感情をなくそうとか、減らそうとするのではなく、少しだけ視点をずらして、「人年の強さ」を増やしていくことができれば、不安な時代の中にあっても、前向きになれるもの。
困難な出来事に遭遇したとしても、幸せになれるもの。
「人間の強さ」は、なにげない日常の中に存在しているもの。
それが、ついつい不安感が蔓延してくるとネガティブな感情に引きずられ、とかくベクトルが自分の内側の方にばかりを向いてしまうもの。
そんなときこそ、ベクトルを強引に外に向ければいいだけ。
自分のためではなく、他人のために、何かをすると、思わぬ自分の「強さ」に気づいたり、出遭ったりするということなのだが…。
When the human being lives for somebody, the human get used to being strong naturally(人間は、誰かのために生きていると、自然に強くなれる)!
We should learn “Positive psychology” now(今こそ、我々は、「ポジテイブ心理学」を学ぶべき)!
2011.3.11は、間違いなく私たち日本人に、世界中の人たちに、「Human strength(ヒューマン・ストレングス:人間の強さ」と「Power of love(愛の力)」を、それこそ、圧倒的なパワーで教えてくれた。
大切な人の存在、思いやり、ガマンすること、親切にすること、勇気を持つこと、働ける場所や仕事ががあるということ、家があるということ、「絆」…。
それらが、自分たちに内在している「元気の素」を、いつのまにか活性化していたことを教えてくれた。
そもそも、人類誕生以来、どんなに制度や法律ができようとも、将来への不安がなくなったことなどなかったはず。
そして、これから先も、永遠に不安がなくなることなどないはず。
最初から最後まで、人生に安心や安全など、あるはずがないもの。
それは、たかが人間が、宇宙のチリみたいな存在で、大自然にイソウロウさせてもらっている肩身の狭い存在でしかないこと。
されど人間だからこそ、どんな不安の中でも、人間の強さを発揮し、助け合って生きるしかないということ。
その真実を、間違いなく教えてくれた。
では、どうしたら、人間の強さを発揮できるのか?
それは、決して難しことでも何でもない。
不安なときほど、自分のためではなく、誰かの人のために、ひたむきに目の前にあるやれることをやればいいだけ。
とにかく、何らかの仕事をすること。
その仕事が、元気が出る力、誰かにために働くことこそが、人間の強さ…。
その人間のポジティブな側面、人間の強さを大切にすれば、必ず幸せを引き寄せられるもの。
危機や困難こそ、人間が成長する絶好のチャンスと考えればいいだけ。
えっ、仕事がないからできないって、ここで言う仕事は稼ぐことだけのための仕事ではなく、人のためや社会のための貢献のこと。
この根幹的考え方を支えてくれるのが、ここ10年ぐらいにメチャクチャ脚光を浴びている、「Positive psychology(ポジティブ心理学)」。
それは、巷間、安易に言われている「ポジティブ・シンキング(前向きな思考)」や「オプティミズム(楽観主義)」とは、全く似て非なるもの。
「ポジティブ心理学」の「ポジティブ」とは、ネガティブ一辺倒に偏った個人や組織における「バランスの是正」を目指すべく、ポジティブを志向するところから生まれた「方向性」のこと。
ネガティブ過剰でも、ポジティブ過剰でも、現実を正しく認識することはできないということ。
とにもかくにも、自分の枠に頑迷固陋に捉われず、柔軟に見方を変えてみようということ。
そうして、でバランスのよい地点に到達することが大切ということ。
それこそが、「ポジティブ心理学」が、「バランス心理学」や「パースペクティブ(大局観)心理学」とも呼ばれる所以。
そもそも、「ポジティブ心理学」の目的は、最先端の学術的知識を追求し、その知識を現実の世界へと応用すること。
その「知識(know:ノウ)を、本当に実行に移す(how:ハウ)こと。
もともと、「ポジティブ心理学」という言葉自体は、1930年ころにも存在。
けれども、1998年当時のUSA心理学会会長マーティン・セリグマン(ペンシルベニア大学教授)がコラム「Building human strength: Psychology’s forgotten mission(人間の強さを構築すること。心理学の忘れられた使命)」で、精神病理や傷害などネガティブな人間の弱い側面ばかりに心理学が焦点を当ててきたことを反省し、もっと「人間の優れた機能(human strength:ヒューマン・ストレングス)」に注目すべきと提案したのが、普及の発端。
「Positive social science(ポジティブ・ソシアル・サイエンス:ポジティブ社会科学)」、「Work, love and play(ワーク・ラブ・プレイ:働くこと、愛すること、遊ぶこと)」と発展しながら、一気に開花。
そこで、新たに「ポジティブ心理学」、「人間一人一人のもっとも建設的な時質である、楽観性、勇気、職業倫理、未来志向性、対人スキル、喜びと洞察の能力、社会的な責任などがどういうものであるかを理解し育成することを重視する、新しい方向を目指す学問である」と定義されたもの。
つまり、「ポジティブ」とは、「Human strength(ヒューマン・ストレングス:人間の強さ)」のことで、誰もが必ず持っている人間のポジティブな側面「人間の強さ」を見つけ、日々の仕事や子育て、恋愛、遊びに役立てることをゴールとする考えのこと。
そのマーティン・セリグマンの「Authentic Happiness(オーセンティック・ハピネス:世界でひとつだけの幸せ―ポジティブ心理学が教えてくれる満ち足りた人生」に、興味深い実験結果が表されている。
人間・動物に対して、無気力にさせる状況を作り出し不快な刺激を与えたところ、人間・動物ともに、3分の2はそのまま無気力。しかし、3分の1は決して与えられた状況に屈することがなかったというから、ナイスでは?
ちなみに、10分の1は、初めから完全に無気力だったというから、これまたオモシロいのでは?
そこで、3分の1の人間が備える、無気力となることを防ぐメカニズム(?)を研究することによって、あとの3分の2の人間にとって有益な「処方箋」を考えたというから、お見事。
また、毎晩寝る前に、その日に起きた出来事で、自分がウレシかったことやアリガタかったことを、最低5つ(3つでも可)書き留めてみる、「感謝の日記」という有名なエクササイズを推奨。
さらに、「意識して人に親切にする」というエクササイズを組み合わせてみるという方法、1週間のうちの1日を選んで5つの親切なことをしてみるというエクササイズなども提案。。
これらのエクササイズはいずれも、ポジティブ心理学の研究から、幸福度アップと幸福感の持続に効果があると実証されているというから、パチパチパチ。
人に親切にするといっても、何も大げさに構える必要はなく、道端のゴミを拾ったり、駅の階段でお年寄りの荷物を持ってあげたりといった些細なことでもよいというから、実に実践的。
しかも、あくまでも「自分の健康のため」と割り切って、社会的な損得勘定は抜きにしてやることが肝要というから、納得。
東洋には「陰徳を積む」という古来の美学があるが、まさに、その精神でエクササイズに臨むべきとまで言っているから、感動。人に感謝されようがされまいが、自分が意識してそのような行為を通し学べたことに感謝できれば、その出来事を「感謝の日記」に加えることができるという、自己啓発法。
おかげで、鬱病の発症が年々急速に若年化していることに対する予防策として、特に学校教育や企業現場から、引っ張りダコというから、やはり深刻かも?
確かに、ジャック・アタリは、世界が今日の金融危機に陥ったのは、「楽観主義」で現実を正しく認識せず、常に目標達成に突き進むことを助長する「ポジティブ・アティチュード(積極的な態度)」や「ポジティブ・シンキング」が、卑屈な企業経営陣どもを洗脳してしまった影響を指摘している。
バーバラ・エーレンライクも、自分が乳ガンを患ったとき、怒りや悲しみにある自分の気持ちを汲み取ってもらえず、とにかく治療に効果があるからと、医療従事者をはじめ周囲から一様に「ポジティブ・シンキング」をするよう説き伏せられ続けたことに対し、強い嫌悪感を隠していない。
どちらにしても、重要なポイントは、「何でもかんでも、やみくもにハッピーにポジティブに」というのは、ダメということ…。
It must be no use positively for you to be happy whatever it takes(何が何でも、ハッピーにポジティブには、ダメ)!
To be continued...
Do the government and a bureaucrat and the people of the atomic energy irregularity think that an earthquake shall be never generated(政府や官僚や原子力ムラの人々は、もう二度と地震が起きないと思っているのか)?
東仙坊、情けなくてみっともない、オコチャマ政府、無能官僚ども、傲慢な「原子力ムラ」の恥知らずどもに、どうしても質問してみたいことがある。
12月27日、内閣府の有識者会議(?)は、駿河湾から四国・九州沖の海底に延びる浅い海溝の「南海トラフ」沿いで想定される最大規模の地震の震源域を従来の約2倍に拡大し、東日本大震災よりも広くなり、そのエネルギーの大きさに換算すると約3倍になるという中間報告を公開。
震源域の拡大により地震の規模はマグニチュード9になる可能性になるというから、覚悟すべきでは?
従来の想定では、東海、東南海、南海3地震が連動した場合の震源域は、プレート境界の深さ10~30kmの領域で、駿河湾から四国沖の約6万1000平方km。
その地震の規模はM8.7。
今回、最新の調査結果を踏まえて、そ、そ、それが北側や南西方向に拡大し、面積は約11万平方km。
北側震源域は、従来、フィリピン海プレートと陸側プレートの境界が固着している深さ30kmまでのプレート境界面を想定していたが、プレート境界のやや深い部分(最大深さ約40km深さ)でも通常の地震とは異なる低周波の地震が発生していて、この領域も震源域に拡大。
西側震源域は、宮崎県内の調査で宝永地震などによる堆積物が見つかり、宮崎県沖で起こるM7.5前後の地震も連動する可能性を考慮し、日向灘南部まで拡大。
東側は、駿河湾のプレート境界から内陸部につながる富士川河口断層帯の北端まで拡大。
つまり、今、西日本大震災が起きたら、日本大震災になるのでは?
フィリピン海プレートがユーラシアプレートの下に沈み込み、西日本の太平洋沖に延びる「南海トラフ」。
そこでは、過去100~150年間隔でマグニチュード8の巨大地震と津波が繰り返されていて、巨大地震のうち、300~500年に1回は津波が特に大きくなるというから、ママならないのでは?
近い将来に、もしかしたら、今日発生するかもしれない東海、東南海、南海連動地震…。
こうした地震が最後に起きたのは、1707年の宝永地震。
また、高知県内の堆積物の分析から、約2000年前に発生した津波が、史上最大級の可能性があるというのだから、もう観念するだけでは?
そのうえ、津波の想定波源域に追加された、津波地震が起きる南海トラフ沿いの深さ10kmより浅いプレート境界についても、津波高は従来想定の2倍程度になるというのだから、仮にいま起きたら、完全に降参なのでは?
どうだろう?
このことを一体どう考えるのか?
メチャクチャその解答を知りたいのは、東仙坊だけではないと思うが…。
補償がどうこうだとか?
そんなノンキなことを言っている場合ではないのでは?
この20~30年の間に、今日にも起こるかも知れない(?)連動型地震が発生したら、格安エネルギーを生む原発が経済活動のために必須などと、バカなことを言っていられないのでは?
そもそも、大自然の原則を無視し、自分たちの営利を貪ろうとすること自体が、とんでもない大自然への裏切りなのでは?
とりわけ、たかが人間が、その付け焼刃的科学力で大自然をコントロールできると錯覚すること自体、メチャクチャ不遜だと思わないか?
我々人間など、たかが無限の宇宙の一瞬のチリのような存在。
かなり遅れて、大自然に参加している新参者。
大自然の猛威の前では、諦観するしかないのでは?
それでも、されど人間、私利私欲から離れ、淡々と人間らしく生きるだけでは?
さて、今年、東日本大震災、フクシマノブイリ人災事故に遭遇し、人生の儚さ、無常をイヤというほど、我々は痛感させられた。
誰だって、こんな大災害に直面するのは、好きじゃない。
けれども、これを機に、我々が生きているように、他の生命も、地球も、宇宙も生きているということをイヤというほど意識すべき。
東日本大震災が起きたのだから、これでしばらくは地震が起きないと思い込むのは、かなり傲慢。
今日また、地震が起きるかどうか?
誰にもわからないのでは?
少なくとも、もし今、この西日本大震災が発生したら、果たして対応できるのか?
大自然は、我々の意向に合わせて、生きていてくれるのか?
もしそうなったら、日本中で、フクシマノビイリが起きるのでは?
ポジティブに生きるということは、何も考えないで、バカになって前に進めということではないのでは?
その大自然の呼吸を感じるためにも、我々は、経済活動という虚構を旗印に、他の生きているものを、地球を、宇宙を好き勝手にするのを止めるべきなのでは?
そして、月明かりのように、一人でもいいから誰かのために、明るく輝くような生き方をすべきなのでは?
そう真摯に反省することこそが、不運にも犠牲になってしまった鎮魂では?
どちらにしても、我々日本人一人一人がモラルを再生し、日本を振り込め詐欺社会から抜け出さない限り、この国は、本当に月になってしまうと思うが…。
日本の未来のためにも、どこまでも冷静に落ち着いて、一人の人間として生まれ生きていることの摩訶不思議さを感じながら、マジメに毎日を過ごすべきなのでは?
I think we Japanese never look good with all way of life money(我々日本人には、金がすべての生き方が絶対に似合わない)!