心のブラックホール-10 放ってオキナァと言えない「沖縄」!?
At first more than anything we have to teach our children that they would keep the faith(何よりも先に信念を貫くことを子どもに教えるべき)!
東仙坊、モラル再生を錦の御旗に掲げる以上、随意的にも不随意的にも、子どものモラルの芽生えについても言及せざるを得ない。
いくら基本的にすべてが家庭内での躾にかかっていると確信していても、何をどう言っても大いなる徒労、空虚感を味わうだけと覚悟していても、「The Greening of America(緑色革命)」時代をヒッピーとして生きた自分を懸命に思い出しつつ、砂漠に水を撒き、発芽を待つ気分で、言うだけ言うしかない。
子どもの世界で、学ばなければならないことは、keep the faith(信念を貫くこと)だけ。
平たく言えば、いい悪い抜きで、友だちを、仲間を、自分を絶対に裏切らないこと。
もちろん、その前に、友だちを、仲間を選び抜き、ウソのない関係を築くこと。
ただし、それは自分に合うか合わないか、自分が楽しいか楽しくないかではなく、生理的にイヤと直感したら、正々堂々と関係を断つ勇気を持って一緒にいること。
とにかく、卑しいこと、さもしいこと、セコイことは論外で、純粋に正義を追及すること。
先生から悪戯を叱責されるなら、自ら正直に手を上げて自分の非を認めることは大事。
けれども、友だちや仲間を売るのはダメ。
そして、その際、自分で手を上げないような卑怯者とは、はっきりと縁を切ること。
どうあれ、より人間的になろうと、その試行錯誤を必死で繰り返すこと。
それしかないと思わないか?
その意味で、万引するような子ども、弱きを集団でいじめるような子どもは、間違いなくscumbag(スカンバッグ:最低なイヤなヤツ)…。
そうしながら、一人の人間として目覚めてゆくのでは?
実は、東仙坊、沖縄にいい思い出しかない。
とりわけ、沖縄の人たちの何とも言えないほど控え目でいて、どこかヌボーッとした大らかなやさしさと気配りに感動させられることばかりだった。
それどころか、ヤマトンチュウの東仙坊が、真夜中にレンターカーを脱輪させ途方に暮れていたとき、ある一家が総がかりで手伝って助けてくれたことは、昨日のことのように覚えている…。
それがどこか空気が変わった気がして、沖縄に近づかなくなって、5、6年は経つ。
案の定、成人式のたびに見させられる、沖縄の若者の心の荒廃が気になっていた。
宗主国支配が始まって以来、我が国の軸は折られたまま、不似合いなまでの上昇志向を押しつけられ、富の保有を目指され、「何もそこまでして、そこまで他人の足を引っ張って」という本来のバランス感覚を喪失し、人を信じない周りを必要以上に気にする社会に我が国はなっている。
そして、そういう社会を忌み嫌ったはずの沖縄は、さらに心が崩壊してしまった気がする。
もしかしたら、沖縄にこそ、我が国の精神性の理想の原点、「そこそこでいい。それでも、なんとかなる。ちょっと助け合えば」という美しい停滞があったかも知れないのに…。
その2つのことを同時に裏付けるようなイヤな事件が起きた。
11月18日未明、沖縄県うるま市の中学2年生γ(14歳)が、市内の病院で出血性ショックで死んだ。
11月17日午後8時半ごろ、119番通報してきた同級生4の話で、「プレハブ小屋の屋根から転落した」ということだった。
ところが、その遺体に殴られたアトがあったために、もう1人の同級生を加えた5人に任意で事情を詳しく聞いたところ、11月20日、同級生たちの証言は綿密な口裏合わせに基づいたウソで、事実は、別の同級生3人(いずれも13歳)を加えた8人による集団暴行殺人と判明した。
何でも、うるま市具志川の空き地に中学2年生γを呼び出し、午後5時15分ごろ~午後8時10分ごろまでの間、生意気だと殴る蹴るなどの暴行を加え殺害、このうち4人が近くのスーパーまで運び、消防に通報したというのである。
メチャクチャ暗澹とする話だと思わないか?
8人対1人の多勢に無勢…。
人の命を奪う最低の卑劣で卑怯な行為をしておきながら、口裏合わせでそれを乗り切ろうとした卑屈さ…。
当然、逮捕された14歳の5人と補導された13歳の3人の8人には、この先、イヤと言うほど仲間を殺害した責任と後悔を味わってもらうしかない。
それにしても、3日間もシラを切ったということに、凄くガッカリしないか?
どこにも、子どもらしい潔さが感じられないからである。
すると、案の定、情けなくてみっともない通っていた中学校の校長と教頭のコメントが出てきた。
「8人の生活態度に関しては、よくグループで行動し、登校しなかったり、教諭の指導に従わなかったりして問題行動があった。2年生になってから7月頃までの間、中学2年生γの母親から8人との関係について複数回相談があった。中学2年生γと8人の関係から、イジメとして対応してきた。何らかの目に見えない上下関係、力関係があった。ただ、文部科学省は、本人からの訴えがなければイジメとしての報告義務を課しておらず、中学2年生γ本人からの訴えがないうちに、中学2年生γがグループから離れつつある中でこの事件が発生するまで市教育委員会に報告しなかった。力が至らなかったことを痛切に感じている。指導を始めたばかりでショック。ご遺族や関係者に申し訳ない」…。
学校なんて、この程度だと思うが…。
それこそ、親は学校に相談することで逃げずに、自分で命懸けで子ども守るしかないはず。
そ、そ、そうしていたら、11月22日、沖縄県うるま市で、別の中学校の2年生女子生徒π(14)が、同じ学校の3年生女子6人ら計9人から集団暴行を受け、約1ヶ月の重傷を負っていた話が出てきて、ビックリ仰天。
何でも、11月16日夕方、女子生徒πは夕、3年生女子らから公園に呼び出され、目隠しをされた上で殴る蹴るの暴行を受け、肋骨を折ったというのである。
ここまでくると、単に親の問題と片づけるわけにはいかないかも…。
放ってオキナワとはいかない。
学校、地域で、子どもの心の荒廃について真剣に考えるときかも。
東仙坊、その解決策を提案するのに、最適な事件を見つけた。
11月20日、大阪府堺市の二つの市立中学の少年グループが6人対6人で殴り合う乱闘をしたとして、大阪府警少年課などは、決闘などで双方のグループの14歳の少年4人を大阪地検堺支部に書類送検、当時13歳の8人を堺市子ども相談所に通告した。
少年同士の乱闘に、大阪府警が決闘容疑を適用したのは過去20年で1件だというから、多少不謹慎でも興味津々…。
何度も言うように、暴力を礼賛するつもりは毛頭ないが、ここにヒントがあると確信する。
なぜなら、最近にないピュアな公明正大さがあるからである。
それは、決闘前に、少年らの互いのリーダーが「素手で殴り合い、武器は使わない」、「相手がギブアップしたらそれ以上攻撃しない」などのルールを決めてあったということ。
そのうえで、7月14日午後4時半ごろ、堺市内の空き地で6人対6人で乱闘したということ。
誤解を恐れずに言えば、かなり痛快では?
つまり、これならそのまま、バレーボールで決着をつければいいだけでは?
もう少しで、完璧なのにと思わないか?
もっとも、その決闘の理由の稚拙さだけはどうしても納得できないが…。
学校周辺の駅前などの少年のたまり場を占拠する地位をめぐってでなんて、どう考えてもただのjackass(チンピラ)で、情けなくてみっともないだけ。
どうだろう?スポーツでの決着と言うのは?
本来、それこそイージーな代理決闘のようなものだったのでは、スポーツは?
それを家族が糧を得るためのコマーシャルなものにしてしまったから、こんなことになるのでは?
その意味で、スポーツが一番卑しくて、さもしくて、セコイものになっているのが、沖縄だと思うが…。
I think it should have been a thing the sports were familiar and enjoyable in Okinawa(沖縄ではもともとスポーツは身近で楽しむものだったはず)!
東仙坊、モラル再生を錦の御旗に掲げる以上、随意的にも不随意的にも、子どものモラルの芽生えについても言及せざるを得ない。
いくら基本的にすべてが家庭内での躾にかかっていると確信していても、何をどう言っても大いなる徒労、空虚感を味わうだけと覚悟していても、「The Greening of America(緑色革命)」時代をヒッピーとして生きた自分を懸命に思い出しつつ、砂漠に水を撒き、発芽を待つ気分で、言うだけ言うしかない。
子どもの世界で、学ばなければならないことは、keep the faith(信念を貫くこと)だけ。
平たく言えば、いい悪い抜きで、友だちを、仲間を、自分を絶対に裏切らないこと。
もちろん、その前に、友だちを、仲間を選び抜き、ウソのない関係を築くこと。
ただし、それは自分に合うか合わないか、自分が楽しいか楽しくないかではなく、生理的にイヤと直感したら、正々堂々と関係を断つ勇気を持って一緒にいること。
とにかく、卑しいこと、さもしいこと、セコイことは論外で、純粋に正義を追及すること。
先生から悪戯を叱責されるなら、自ら正直に手を上げて自分の非を認めることは大事。
けれども、友だちや仲間を売るのはダメ。
そして、その際、自分で手を上げないような卑怯者とは、はっきりと縁を切ること。
どうあれ、より人間的になろうと、その試行錯誤を必死で繰り返すこと。
それしかないと思わないか?
その意味で、万引するような子ども、弱きを集団でいじめるような子どもは、間違いなくscumbag(スカンバッグ:最低なイヤなヤツ)…。
そうしながら、一人の人間として目覚めてゆくのでは?
実は、東仙坊、沖縄にいい思い出しかない。
とりわけ、沖縄の人たちの何とも言えないほど控え目でいて、どこかヌボーッとした大らかなやさしさと気配りに感動させられることばかりだった。
それどころか、ヤマトンチュウの東仙坊が、真夜中にレンターカーを脱輪させ途方に暮れていたとき、ある一家が総がかりで手伝って助けてくれたことは、昨日のことのように覚えている…。
それがどこか空気が変わった気がして、沖縄に近づかなくなって、5、6年は経つ。
案の定、成人式のたびに見させられる、沖縄の若者の心の荒廃が気になっていた。
宗主国支配が始まって以来、我が国の軸は折られたまま、不似合いなまでの上昇志向を押しつけられ、富の保有を目指され、「何もそこまでして、そこまで他人の足を引っ張って」という本来のバランス感覚を喪失し、人を信じない周りを必要以上に気にする社会に我が国はなっている。
そして、そういう社会を忌み嫌ったはずの沖縄は、さらに心が崩壊してしまった気がする。
もしかしたら、沖縄にこそ、我が国の精神性の理想の原点、「そこそこでいい。それでも、なんとかなる。ちょっと助け合えば」という美しい停滞があったかも知れないのに…。
その2つのことを同時に裏付けるようなイヤな事件が起きた。
11月18日未明、沖縄県うるま市の中学2年生γ(14歳)が、市内の病院で出血性ショックで死んだ。
11月17日午後8時半ごろ、119番通報してきた同級生4の話で、「プレハブ小屋の屋根から転落した」ということだった。
ところが、その遺体に殴られたアトがあったために、もう1人の同級生を加えた5人に任意で事情を詳しく聞いたところ、11月20日、同級生たちの証言は綿密な口裏合わせに基づいたウソで、事実は、別の同級生3人(いずれも13歳)を加えた8人による集団暴行殺人と判明した。
何でも、うるま市具志川の空き地に中学2年生γを呼び出し、午後5時15分ごろ~午後8時10分ごろまでの間、生意気だと殴る蹴るなどの暴行を加え殺害、このうち4人が近くのスーパーまで運び、消防に通報したというのである。
メチャクチャ暗澹とする話だと思わないか?
8人対1人の多勢に無勢…。
人の命を奪う最低の卑劣で卑怯な行為をしておきながら、口裏合わせでそれを乗り切ろうとした卑屈さ…。
当然、逮捕された14歳の5人と補導された13歳の3人の8人には、この先、イヤと言うほど仲間を殺害した責任と後悔を味わってもらうしかない。
それにしても、3日間もシラを切ったということに、凄くガッカリしないか?
どこにも、子どもらしい潔さが感じられないからである。
すると、案の定、情けなくてみっともない通っていた中学校の校長と教頭のコメントが出てきた。
「8人の生活態度に関しては、よくグループで行動し、登校しなかったり、教諭の指導に従わなかったりして問題行動があった。2年生になってから7月頃までの間、中学2年生γの母親から8人との関係について複数回相談があった。中学2年生γと8人の関係から、イジメとして対応してきた。何らかの目に見えない上下関係、力関係があった。ただ、文部科学省は、本人からの訴えがなければイジメとしての報告義務を課しておらず、中学2年生γ本人からの訴えがないうちに、中学2年生γがグループから離れつつある中でこの事件が発生するまで市教育委員会に報告しなかった。力が至らなかったことを痛切に感じている。指導を始めたばかりでショック。ご遺族や関係者に申し訳ない」…。
学校なんて、この程度だと思うが…。
それこそ、親は学校に相談することで逃げずに、自分で命懸けで子ども守るしかないはず。
そ、そ、そうしていたら、11月22日、沖縄県うるま市で、別の中学校の2年生女子生徒π(14)が、同じ学校の3年生女子6人ら計9人から集団暴行を受け、約1ヶ月の重傷を負っていた話が出てきて、ビックリ仰天。
何でも、11月16日夕方、女子生徒πは夕、3年生女子らから公園に呼び出され、目隠しをされた上で殴る蹴るの暴行を受け、肋骨を折ったというのである。
ここまでくると、単に親の問題と片づけるわけにはいかないかも…。
放ってオキナワとはいかない。
学校、地域で、子どもの心の荒廃について真剣に考えるときかも。
東仙坊、その解決策を提案するのに、最適な事件を見つけた。
11月20日、大阪府堺市の二つの市立中学の少年グループが6人対6人で殴り合う乱闘をしたとして、大阪府警少年課などは、決闘などで双方のグループの14歳の少年4人を大阪地検堺支部に書類送検、当時13歳の8人を堺市子ども相談所に通告した。
少年同士の乱闘に、大阪府警が決闘容疑を適用したのは過去20年で1件だというから、多少不謹慎でも興味津々…。
何度も言うように、暴力を礼賛するつもりは毛頭ないが、ここにヒントがあると確信する。
なぜなら、最近にないピュアな公明正大さがあるからである。
それは、決闘前に、少年らの互いのリーダーが「素手で殴り合い、武器は使わない」、「相手がギブアップしたらそれ以上攻撃しない」などのルールを決めてあったということ。
そのうえで、7月14日午後4時半ごろ、堺市内の空き地で6人対6人で乱闘したということ。
誤解を恐れずに言えば、かなり痛快では?
つまり、これならそのまま、バレーボールで決着をつければいいだけでは?
もう少しで、完璧なのにと思わないか?
もっとも、その決闘の理由の稚拙さだけはどうしても納得できないが…。
学校周辺の駅前などの少年のたまり場を占拠する地位をめぐってでなんて、どう考えてもただのjackass(チンピラ)で、情けなくてみっともないだけ。
どうだろう?スポーツでの決着と言うのは?
本来、それこそイージーな代理決闘のようなものだったのでは、スポーツは?
それを家族が糧を得るためのコマーシャルなものにしてしまったから、こんなことになるのでは?
その意味で、スポーツが一番卑しくて、さもしくて、セコイものになっているのが、沖縄だと思うが…。
I think it should have been a thing the sports were familiar and enjoyable in Okinawa(沖縄ではもともとスポーツは身近で楽しむものだったはず)!