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甘ちゃんアマチュア探偵団

情報化が模倣犯罪、劇場型犯罪を助長しているなら、犯罪抑止、犯罪摘発も、精度の高い情報がすべて。このブログは、人間通を自負するコピーライター東仙坊が迅速な犯人検挙のために、人間的プロファイリングをするものである。

腐乱した大和魂-12 消えゆくサプアへのファイナル弔辞!?

If the story of this Yakuza representative is on par, would it be bright in the future of Japan(この893の代表の話が額面通りだったら、日本の未来に光明が見えてくるのでは)?

――代紋は従来通り「山菱」でいく?
そうです。綱領もこれまで通り。事務所に掲げる写真は三代目田岡一雄親分のだけ。定例会は田岡親分の誕生日が3月28日ですから、毎月28日。月会費についてはオール10万です。直参が10万円。年間120万円。直参が率いる組では当然10万円以下の会費になる。5万、1万というところも出てくるでしょう。上に立つ者が贅沢しなければ十分やっていけます。それと、組織本体としては他団体と交際しません。交際は個人、個人にお任せする。なぜ外交しないのか。湯水のようにカネを使うからです。末端から吸い上げたカネで外交しては本末転倒です。若い者おっての親分ですから。田岡親分は若い者が金銭を持ってきたときに、「オレは子分に食わせてもらうほど落ちぶれていない」と断ったそうです。なぜそんなことができたのか。芸能興業、神戸港の港湾荷役で軍資金を蓄えたんです。下の者に「アガリを持ってこい」じゃない。分配です。上に立つ者は富を分配する覚悟が絶対必要です。
――しかし、田岡三代目の時代には警察が組員の行う正業を認めた。今は正業さえ認めず、潰す?
私はそこを考えたんです。なぜそうなったのか。田岡三代目が定めた「山口組綱領」には、「侠道精神に則り国家社会の興隆に貢献せんことを期す」とある。その教えに我々が反している。バブル経済以降、カネカネと走った中で、田岡三代目の意に反する組織運営をした結果が反社会的集団のレッテルだ、と。おこがましいかもしれませんが、「任侠団体」と冠につけたのは要するに我々の最終目標が「脱反社」だからです。ここに持っていきたい。それにはどうしたらいいか。田岡親分の綱領がせっかくあるのですから、自主的に何ができるか、考える。一つは治安維持ですね。当局がどこまで把握しているかわかりませんが、不良外国人、特に中国、中東、アフリカ・ナイジェリア人あたりが増えてきている。それと半グレ。オレオレ詐欺だけは止めなさいと。存在自体を撲滅とはいきませんが、やはり指導してやってアウトローであっても、男らしい生き様を教えてやることはできる。それとテロ対策当局のアンテナも立派なものでしょうが、我々裏社会特有のアンテナも同時にある。当局の検挙率は低いのでは? ゴマをする意味ではなく、「綱領」にあることですから、月に一度の定例会で読み上げるだけでなく、実践すべきなのです。USA、EUには「PMC(民間軍事会社)」がある。いずれかに本社を、東南アジアに支社なりを作り、そこと我々が個々に契約すれば、海外での邦人警護も可能になる。去年から右翼人とか元自衛官とか、何人かに会うてるんです。熱い心を持っている人もいます。中には我々も同じ船(民間国防隊)に乗りたい、という人もいます。右翼も任侠と共闘できるとの感触を持っていますが、先方に迷惑をかけてもいけない。今、リンクのさせ方を思案中なんです。893は893らしく。
――これまでのシノギについては従来通り?
そうですね。そこは自営業といいますか、自分の腕次第ですから。そもそも、893とはそういうところですから。月会費も10万円以下です。そこから皆さん、心と体に余裕が生まれてくると思うんです。稼業の者いうたら「遊び人」です。組事務所に頻繁に顔出ししなかったら忠誠心がないとかいうのはガチガチ管理ですね。893はもともと自由人ですから、綱領以外は全部自由にしてもらえば、心に自然と余裕が出てくる。それで兄弟分同士、仲間同士で助け合いができると思うんです。損得抜きで助け合いっこするというのが我々の世界の美徳のはず。今は今月の上納金、来月の臨時徴収、どうしようと自分のことで一杯一杯で、仲間を救えないんです。自分としてはいろんな意味で893らしくを強調したい。ワイシャツは白、サングラスはするな、毛は染めるな、こういうのは全部撤廃しました。茶髪も結構です。サングラスも好きな人はかけてください、カッターシャツも色つきでいい。皆さん、目一杯、オシャレしてください。だから4月30日の発会式のとき、自分もわざと青色のカッターシャツを着ていきました。893なんですから893らしく。その中で国家社会への貢献という三代目の思いを腹に入れて、そこにちょっとした罪悪感もありながら、こんな自由に遊んで暮らしてる、ラクしてんだからと、貢献する気持ちが生まれる。何か人のためになれんかなと。そこの土地土地でいいじゃないですか、地元に貢献する。そういう世界に戻したいんです。
――任侠団体 山口組の発足は山口組の自由化、民主化という要素も含んでいる?
そうですよね。土台にそこがないと人のためとか、できないんです。統一を前提とする「第三」であるところ、まあ世間をお騒がせしてますけど、実は我々の大義はここにあるんだ、一日も早く一つにしたいんだと訴えたいんですね。
どうだろう?
このオトコが、このオトコの言う「PMC」が絶対的に必要な我が国になっている気がしないか?
そ、そ、そうしたら、5月28日、神奈川県川崎市の登戸で、それを暗示するかのような凄惨な事件がまた起きて、ビックリ仰天!!!
それも、大勢巻き込み型自殺&弱者対象劇場型無差別刺殺テロというから、唖然呆然。
難癖やイチャモンをつける、いったんブチ切れると自制が効かなくなる、自分以外には徹底的に容赦ナシ、どこまでも暴力的でヤケクソ…どうだろう?
ごく典型的なチンピラ893キャラなのでは?
まだまだある。
円満じゃない不憫な家庭環境、幼少期に血縁である父親の兄の家に引き取られたメチャクチャ目立たないイジケ虫、他人の家に勝手に入り込み金魚鉢を覗いたような小中学校以後の行動不明のハグレ者、実際、そのころまでの合同写真しかないところもポイント。
そして、家出をしたり戻ったりしつつ、な、な、なんと51歳の引きこもり。
それから、「庭の木の葉がフェンスから飛び出し、道を歩いていた自分に当たった」とか、「犬の鳴声がウルサイ。ぶっ殺すぞ」とお得意の近隣トラブル。
そんなクソッタレが、ポケットに現金10万円をなぜか突っ込み、自宅近くの小田急線読売ランド前駅から登戸駅まで向かい、黒の軍手をし、両手に刃渡り30㎝の柳刃包丁、リュックに刃渡り25㎝の文化包丁と刃渡り20㎝の刺身包丁、スクールバス待ちのハイソ風私立のクリスチャン系小学生(義理の兄? 従兄?の母校)たちの列の後部につき、その父兄の39歳男性を殺害し45歳女性を重体にし、小6の11歳女児を殺害したうえ17人の児童を刺し、自分も頸動脈を切って自殺したとか。
その間、10数秒だったというから、ただただ絶句。

Don't you think that this Yakuza might have been able to prevent theatrical indiscriminate terrorism by this 51-year-old suicide bomber(ついついこのヤクザなら、今回の51歳の自爆テロリストによる劇場型無差別テロを阻止できたかもしれないと思ってしまわない)?

To be continued...

腐乱した大和魂-12 消えゆくサプアへのファイナル弔辞!?


Just because Yakuza was raised in Japan, is it really fashionable to live for Japan(日本で育った893だからこそ、日本のために生きるなんて本当なら実にオシャレなのでは)?

東仙坊、どこか本題から外れそうでも、このたかが893、されど893の在日サプア人の考えが、在日サプア人そのものにイイ影響を与えるのでは?と、もう少し、その生き方についてチェイス。
――ついに新団体結成です。感想はどうです?
一言で申し上げると、こういう形を取らざるを得なかったことが残念至極である、と。というのは、一昨年8月27日、神戸山口組は盃の重みを崩壊させてまで、盃以上の大義を前面に出し、立ち上がった。その大義の一つは山口組を正し、次代に伝える。もう一つは、「オレたちはどうなってもいい。若い者の未来のために」です。私は首脳たちから詳しく大義を聞かされ、胸を熱くし、情熱をもって全国の組織を先頭切って回らせていただきました。多いときは百数十名、少なくても50~60名を前に、繰り返し大義を代弁させてもらったんです。で、結局はそれがウソとわかってしまった。名古屋方式とは、ざっくり言って多額の上納金、出身団体弘道会への贔屓、人の進言・諫言を聞かない、の3つです。それを否定すべく立ち上がったワケですが、神戸山口組の組織運営、中でも山健組の組織運営が名古屋方式そのものだった。はっきり申し上げると、六代目山口組の司組長、髙山清司若頭、神戸山口組の井上組長、正木年男総本部長、この4名の方々が現役でいる限り、山口組は統一されないと、今は確信しています。
――4名が引退しないと再統一はあり得ない?
そう。私のような若僧が引退勧告というのはおこがましいが、本当に山口組のため、若い者の将来を少しでも考えられるなら、引退すべきだと私は考えています。そして、次の中堅どころにですね、恨み辛みがまだ薄い世代にバトンを渡して、潔く再統合させてやり、皆をこの抗争状態から解放させ、ラクにさせてやってほしいと切に願ってます。2つの大きな船はこれからじわり、じわりと沈んでいきます。どうすればいいのか、自分なりに一生懸命考えさせてもらったんです。大きな船のすぐ横に、若手中堅が中心となった救命ボート的な船を置くことによって、2つの船から移り乗ってもらう。今、早急にできることはこれしかないと判断しました。
――と、抗争が激化する方向にはいかない?
理想論になりますけど、一人も傷つかず、命を落とさず、一つの山口組になることがベストです。
――組長が法的に「使用者責任」を問われることを恐れて、若い者にケンカするなと命じる。年寄りたちにはイイだろうけど、それでは若い者が飯を食えない。若い人たちがそう考えて、今回の分裂に至ったのか、と当初は考えました?
本来の893らしさという点では一理ある考えと思います。法が整備され、893への厳罰化が進む中で致し方ない部分もあるでしょうけど、893らしくない山口組ですよね。
――任侠団体山口組では組長に就かず代表に留まった。が、将来、組長をやらざるを得ないのでは?
以前から同志の皆さんから、「この抗争はいつまで続くのですか? 大義がない。私利私欲だ」という声がありました。そのたびに、「もう少し辛抱してくれ、ガマンしてくれ」と言い含めてました。日増しに立ち上がれという声が強まり、苦肉の策として「年内に終わらす。遅くとも年明けには」と励まし続けてきた。実際に数名の大御所のオジサン方から、六代目サイドとのやり取りを聞かせてもらう中で、司組長自身がなんとか早い段階で神戸を戻らせたいと望んでいると実感してました。司組長からすれば、戻れば親子ゲンカですむ。戻らなければ晩年の悪評が定着してしまう。自分はなるほどなと手応えを感じてました。年内か年明けという期限は、根拠あっての発言なんです。
――世代間で考え方が違う。若手が結集し直して理想の893組織を作る。よくわかる。しかし、単なる結集では烏合の衆になってしまう。リーダーシップを執る人間が必要だ。六代目側、神戸残留側にはたしてリーダーシップを執れる人間がいるのか?
私が今組長になり、同志一同が盃事をしたい、と。私が「はい、そうですか」とお受けしたら、「ああ、織田は組長になりたくて私利私欲で第三極を作ったのか」という印象を両山口組の皆さんに与えかねない。組長になりたくて神戸山口組を出たのじゃない。求められても最後まで固辞して組長の座は空席、私はあくまでも同志の代表だ、と。そういうカタチに是が非でもしないと、ダメだと自分はそう思ってます。
――代表というカタチは今後何年も続くのか?
理想とするところはこの大型救命ボートに中堅、若手の皆さんがどんどん乗り込み、第三極が一番大きくなって、自然と他の2つが少なくなることで、最終的には統一したい。志を達成できたら、組長の座を固辞したまま、身を引いて堅気になることが、私利私欲で始めたことではないという証明になると考えてます。
――4月29日、織田代表と池田幸治本部長(真鍋組組長)が神戸側から絶縁処分になった。神戸側、六代目側から今後、圧力が強まると見る?
圧力は想定してますが、六代目側は想像が難しい。自分らが絶縁した組織から絶縁された組織です。ただこっちも山口組を名乗り、「山菱」の代紋を掲げてますから。どういう受け取り方をするのか?

True positive thinking must be essential for Koreans living in Japan to live normally(在日サプア人が日本で普通に生きるには、本物のポジティブシンキングが絶対不可欠)!

To be continued...

腐乱した大和魂-12 消えゆくサプアへのファイナル弔辞!?


If Japan's Yakuza doesn't control Japan firmly, Japan will collapse from within(日本の893が日本をしっかり支配していないと、これまた内から日本が崩壊する)!

東仙坊、この「任侠団体山口組」の織田絆誠(金禎紀)なるオトコの言葉を額面通りに受け取ったら、コヤツ、かなりの日本人の魂を持った哲学者だな…とある種の感慨を覚えている。
それはそうだと思わないか?
いかなる時代にもいかなる社会にも、社会的弱者は必ず存在する。
自由主義や民主主義の基盤が「セルフヘルプ」と言い切られている現代、どこまでもともに助け合うこと、共助、共生、共存共栄が重要と言うのだから、実にワンダフル。
しかも、日本以外は宗教的かつ抽象的な概念なのに、このオトコが言うのは、超リアルな目の前にある満足、目の前にいる人のために自分が何をできるかということだけ。
どうだろう?
かなりお見事なロジック、フィロソフィーなのでは?
「我々は、これまでの固定観念をひっくり返し、自分らの主義主張をはっきり伝えることも必要だと考えました。業界を根底から覆すつもりです。苦しむ同志を、早急に救わなければならないのです。今回、私がこうした行動を取ったことは、同業者の皆さんからすると意外の一言だったでしょう。私には井上邦雄神戸山口組組長への忠誠心の塊のようなイメージがありましたから。今回はそうした個人的評価を落とす覚悟で、あえて立ち上がった。私の人物評より、全国で苦しむ多くの同志たちを、早急に救うことをより重要かつ最優先すべきことだと考えたからです。神戸山口組を立ち上げたということは、確かに盃の意味を崩壊させた。しかし、それ以上の大義があったのです。六代目側では多額の上納金、それに六代目山口組司忍組長の出身母体である弘道会への贔屓、さらに下からの進言諫言を聞かないという問題があった。若い者は非常に苦しんでいました。だから、我々はいったん外に出て、外から正すのだと。私は全国の組織を回り、その大義を代弁してきたのです。我々は私利私欲を満たすために出たのではない。山口組を残すため、若い者の将来のため、いつか二つを一つにするためなんだと。ところが、六代目側から出た神戸側だったのに、その内実は六代目側と同じだった。表向き上納金は安くなったと言われていましたが、実態としてはそうではなかった。また、井上組長が組長を兼務する山健組への贔屓、さらに進言諫言を聞かない。これはオカシイ、矛盾だらけじゃないですかと。全国の同志たちからも、不平が噴出した。矛盾に気がついてしまったのです。『この抗争には大義がない。私利私欲じゃないか』という声が結成後わずか半年足らずで出始めました。それに対し、私は、「もう少し辛抱してくれ」と言い含めてきた。これは早く再統一しないと神戸側が沈んでしまうという危機感が、日増しに強まっていました。私は、『遅くとも2016年内、もしくは2017年の年明けには終わらす』と同志たちを励ましてきた。それは神戸側の重鎮から、六代目司組長が神戸を戻らせたいと望んでいるとの感触を聞いていたからです。我々が襟を正し、六代目側も襟を正す。身贔屓のない公平な山口組なら、二つは一つになれたものと今でも確信しております。六代目側から分裂したこの1年8ヵ月、特に、2016年9月5日のサイン騒動以降、真剣に思い悩み、なぜかを問う連続でした。なぜこうなるのか? 自分なりに考えた結論として、テッペンに座ることを目的とすると、座った途端に人は変わってしまうと。テッペンに座るまでは皆イイ人です。身銭も惜しまず使うし、進言諫言も聞く。凄くものわかりがいい。でも、そこがゴールだとホッとするのでしょう。本来組長になることは、大きな責任感から、そこをスタートにしなければいけない。そう捉えることができる人がテッペンに座るべきです。だからこそ、任侠団体山口組は組長をあえて置かない。しかも、盃を交わさない。盃に縛られて、アクションを起こせないという現実がありましたから。この先、2つの大きな船はじわりじわりと沈んでいくでしょう。誰かが何かしないといけない。だから、この大きな船の横に、若手中堅が中心の救命ボート的な船を置き、2つの船から乗り移ってもらおうと考えた。若手の皆さんにどんどん乗り込んでもらい、我々第3極がいちばん大きくなり、ほかの2つが少なくなれば、最終的に一つに統一される。もちろん、今でも、私たち任侠団体山口組の『志』に共鳴してもらえるならば、六代目側とでも神戸側とでも、すぐにでも統一したいと考えております。あるべき893の姿を取り戻したい。現在は、もう893が稼げる時代じゃない。今までは高い上納金で苦しめられてきましたが、我々の月会費は直参が10万円で、直参が率いる組ではそれ以下。組織として他団体と交際しないので、それで十分やっていける。下のものから金を吸い上げるのではない。むしろ逆に上に立つものは、富を分配する覚悟が必要です。それに事務所当番もありません。金が要らない、自由がある。そこで精神的な余裕が生まれる。お互いが助け合うこともできます。そこに絆が生まれる。盃を交わさなくてもできる固い絆です。バブル期以降、我々893社会は拝金主義で、諸外国の犯罪集団と同じレベルまで自らを落としてしまった。そこが、我々が反社会的集団と言われる所以です。銀行の通帳は持てない、家も借りられない、車も買えない。本来、893はそういうものではなかった。だから我々は、『脱反社』の目標を掲げ、そこに挑もうと思っています。脱反社の柱としては三代目田岡一雄組長が定めた『山口組綱領』がある。『俠道精神に則り国家社会の興隆に貢献せんことを期す』という精神。それを体現するために、行動を起こそうと思い立った。『任侠団体』という冠をあえてつけたのはまさにそのためでした」

Koreans in Japan should learn the way of their existence from the Japanese Korean yakuza with Japanese souls(在日サプア人は、その存在のあり方を日本人の魂を持った在日サプア人893から学ぶべき)!

To be continued...




腐乱した大和魂-12 消えゆくサプアへのファイナル弔辞!?


I feel shocked that the Korean Japanese mentor who teaches natural way of life to natural Japanese who become antisocial forces is in the world of Japan's yakuza(反社会勢力になるのが自然の在日サプア人に、その普通の生き方を教えてくれる在日サプア人メンターが、日本の893の世界いることに衝撃を覚えている)!

朝鮮半島でのアイデンティティ・ロスの落ちこぼれ民族サプア、我が国にきても、そのイジケタ性格、弾かれた性格、歪んだ性格に、何の変わりもナシ。
それでいて、とにかく目立つのが好き、ラクして稼ぐのが好きだから、行き着く先は自明の理。
そう、893…。
六代目山口組組長司忍(篠田健市)は言っている。
「山口組には家庭環境に恵まれず、いわゆる落ちこぼれが多く、 在日サプア人や被差別部落出身者も少なくない。こうした者に社会は冷たく、差別もなくなっていない。心構えがしっかりしていれば893にならないというのは正論だが、残念ながら人は必ずしも強くはない。こうした者たちが寄り添い合うのはどこの国でも同じだ。それはどこかに理由がある。社会から落ちこぼれた若者たちが無軌道になって、カタギに迷惑をかけないように目を光らせることも我々の務めだと思っている」
どうだろう?
どこかなんとなく納得するのは、東仙坊だけではあるまい。
事実、六代目山口組若頭の在日サプア人、髙山清司も、「暴力団構成員のうち6割が同和(被差別部落)、3割が在日サプア人、1割が同和でない日本人」と明言しているとか。
会津小鉄会四代目会長の在日サプア人、高山登久太郎は、「893の世界に占める在日サプア人は3割程度、しかし、自分のところは約2割だ」と言っているとも。
実際、893の約10%が在サプア人で、2016年、刑務所に入った受刑者のうち暴力団加入者国籍別比率は、日本国籍1370人約98.8%、サプア人11人約0.7%だとか。
また、2008年、22の指定暴力団のうち、七代目酒梅組、金在鶴、極東会、曺圭化、松葉会、李春星、三代目福博会、金寅純、九州誠道会、朴植晩、稲川会、辛炳圭と在日サプア人がトップだったとか。
もっとも、それは昔からで、柳川組、柳川次郎(梁元錫)、東声会、町井久之(鄭建永)などがいたとも。
実は、そんな中で、東仙坊、目を見張った言動をする在日サプア人の893を見つけた。
そのオトコ、「日本に育ててもらった以上、日本のために命を捧げる893を目指す」と威風堂々と公言したから、ついつい興味津々。
何でも、オトコの祖父、金燕西が、戦前、済州島から法律を学ぶため大阪に移住したとか。
そして、「親日派」だった祖父は軍需工場を設立したものの、戦争で工場や自宅は壊滅し、全財産を失ったとか。
そして、敗戦後のドサクサで、祖父の子ども、そう、オトコの父親は893に。
やがて、カエルの子はカエル、オトコも、「子どもながらに、ヤクザの世界は人種差別がないと信じて、この世界に飛び込みました」 とか。
そのオトコとは、在日サプア人3世、織田絆誠(金禎紀)。
何でも、神戸山口組若頭補佐から若頭代行、山健組副組長、山健組から3分の1の勢力を引き連れ、神戸山口組の直参、直系組55団体を率いる「任侠団体山口組」の組長(?)だとか。
ちなみに、オトコのモットーは、「893は893らしく」。
「893なんだから服装は自由、黒服を強制しない。組員は安い会費で生活に余裕を持ち、せいぜいオシャレを楽しみ、社会貢献せよ」と公言しているから、どこかユニークでは?
そのうえで、「ヤクザにとって大事な盃事を否定するのが本意ではないんです。ただ山口組では、五代目渡辺芳則組長以降、この30年間、盃が諸悪の根源になってきた。盃を下ろした側は子分に対して、白い物を黒いといっても許されると考える。盃を下ろされた側は親分からどんな理不尽なことを言われても、吞み込む、耐え抜いてこそ子分だといった変な美学がまかり通っている。盃を下ろすまでは、組長になる人はそれぞれイイ人なんです。が、下ろしたとたん、子分からお金の吸い上げ自由、自分の勝手と考える。こういった盃ならいらないということです。しかるべき人物が現れ、トップになっても変わらないと確信できた段階で、組長の座にお迎えしたいと考えてます」と言って、組長を置かず、親子盃、兄弟盃もせず、月会費はオール10万円以下で、金がかかるから他団体と交際せず、本部事務所も置かないというから、ついつい興味を覚えないか?
何しろ、このオトコ、「893、暴力団が社会から排除されず認められるためには社会的な有用性を示さなければならない。具体的には、不良外国人グループや半グレ集団の排除、善導であり、海外在留邦人の警護などで認められるようにしたい。国民が我々を『反社会的組織』でないと認めたとき、山口組三代目田岡一雄の時代のように、営む『正業』が認められる」とも言っているのである。
どうだろう?
東仙坊、893を容認したりサポートするつもりなど毛頭ないが、このオトコのロジックにこそ、在日サプア人のアイデンティティのあり方が垣間見れる気がするのだが…。

If Japan's yakuza is not firm, the collapse of Japan's back society will collapse and it will have an adverse effect on the front society(日本のヤクザがしっかりしないと我が国の裏社会の崩壊が崩壊し表社会にまで悪影響を及ぼす)!

To be continued...




腐乱した大和魂-12 消えゆくサプアへのファイナル弔辞!?


If you come to Japan and are not prostitutes or terrorists, are you welcome(日本にきて売春婦やテロリストにならないサプア人なら、大歓迎できるのでは)?

●NHK
①「日本と朝鮮半島」ディレクター田容承
元テレビ朝日「報道ステーション」ディレクター、2004年、番組内での北やサプアに関する報道の仕方について意見が対立したことで同僚を乱打し週刊誌沙汰。
②「よみがえる海峡を越えた絆・朝鮮通信史400年」ディレクター李紀彦
③ドキュメンタリーディレクター玄真行
④NHK報道ディレクター今理織
⑤ハングル講座「アンニョンハシムニカ」チーフプロデューサー朴元瑛源
2006年、子会社「NHKエデュケーショナル」に出向中、児童買春で警視庁に逮捕され、東京簡裁から罰金50万円の略式命令を受け、2007年6月26日、懲戒免職処分。
そして、イヤでも注目せざるをえないのが、講談社編集次長朴鐘顕
大阪府堺市出身の在日サプア人三世で、大阪府立三国丘高校、京都大学法学部卒、なぜかサプア籍。
このクソッタレ、2016年、なぜか東京都文京区の自宅で、日本人の妻を殺害したというのに、いまだ自殺と否認しているオタンコナスとか。
とにもかくにも、東仙坊、Mr.崔碩栄を少しでも見習って、真実のサプアの歴史を学べば!と一言。
それはそうだと思わないか?
1942年刊の「半島労務者勤労状況に関する調査報告」なるものがあるとか。
それによると、確かに、サプア人の賃金は、50円未満75%、日本人は、50円以上が82%とあるとか。
ところが、勤続年数で比較すると、サプア人労働者は勤続3年以上の人が1人もいないのに対し、日本人労働者は勤続3年以上が45.8%。
どうだろう?
その違いは、当時の給与体系からすれば、当然だったのでは?
同じことは、サプアが主張する慰安婦(プロの売春婦)の総数、20万人。
当時のサプアの人口が2500万人なのだから、20歳から40歳までの女性の数もせいぜい250万人程度。
言われているように20万人と仮定すると、な、な、なんと12人に1人が慰安婦だったということ。
どうだろう?
女性国民皆売春婦だったということ?
どうだろう?
言われているように、多くても2万人あたりだったのでは?
極めつけが、常軌を逸したおバカ茶髪大統領の「3・1独立運動で7500人が殺害された」という演説。
サプア政府機関が出した推計でも、「725~934人」と明記されているのでは?
ついでに、関東大震災におけるサプア人虐殺事件も、サプア側は6000人が殺されたとわめくが、その行為自体にメチャクチャ問題があるけど、その数字はやはり200~300人ぐらいなのでは?
どちらにしても、海を隔てた自然豊かな国だった日本列島に、早くからサプアのハグレどもが、中国人などと一緒に渡ってきて、それなりの文化交流があったことだけは確実。
とりわけ、朝鮮半島において戦乱が激化したときには?
そんな中で、伽耶と百済とは特にウマが合ったはず。
実際、「日本書紀」の「推古紀」には、612年、百済からきた路子工(芝耆摩呂)が須弥山の形や呉橋を建造。
同じく「日本書紀」の「天智紀」には、西日本各地に残る朝鮮式山城は、百済滅亡後に日本に亡命してきた百済人の指導で建設。
「日本書紀」の「応神紀」には、王仁(和邇吉師)が、日本に「千字文」と「論語」を伝えたこと。
さらに、「日本書紀」には、日本列島における初期の漢字の導入が百済系を中心とした渡来人を経由して行われたことが明記されているとも。
そう考えると、一体全体、我が国の中にサプア人がどれだけいることか?
もちろん、日本の発展に貢献してくれた人々も大勢いたに違いないし、そうではないヒトびとも大勢いたに違いないと思うが…。

It must be natural that anti-Japanese activists would like to get inside our mass media now under information warfare(情報戦たけなわの現在、反日活動家どもが我が国のマスメディアの内部に入りたがるのは当然では)?

To be continued...











































腐乱した大和魂-12 消えゆくサプアへのファイナル弔辞!?


Do you not want Korean athletes, singers and other cultural people who are active in Japan, athletes such as athletes to say that they love Japan proudly(日本で活躍するサプア人の芸能人や歌手などの文化人やスポーツ選手などのアスリートに、堂々と日本が好きと言ってほしくないかい)?

東仙坊、現在、日本で活動するサプア籍、または北籍(?)の弁護士が、な、な、なんと200~300人程度(???)もいると知って、正直、戦慄している。
それも、まだ在日サプア人の方々ならまだしも、あちらの国籍のままのヒトもかなりいるというから、メチャクチャ不可解。
我が国での弁護士資格獲得、まさかサプア人には無試験で授与しているのでは?と疑いたくなるほど。
それを象徴する話が、これ。
3月12日、日本弁護士連合会(日弁連)は、15人の副会長の1人にサプア籍の白承豪弁護士(57歳)を選出したというから、ビックリ仰天。
日弁連での外国籍の副会長選出は初めてというが、そういうことでいいのか?
何しろ、この方、1962年、ソウル生まれ、1974年、家族とともに沖縄に移住。1980年、琉球大卒業。1990年、司法試験に合格したというが、日本国籍をお取りになってはいないのでは?
ご本人は、「私が副会長になったことが、日本社会が差別のない社会へと進む契機になれば(???)」、「自分は自身が所属する兵庫県弁護士会から推薦されたのであり、サプアを代表するものではない(?)」、「国籍や障害を差別しない、開かれた組織である日弁連が私を副会長として受け入れた」とおっしゃられているが、デモ好き、テロ好き、大声好き、ブチ切れ好きのサプア人の性格で果たして本当に大丈夫なのか?
そもそも、あのデタラメなサプアの反日教育をどう感じているのか?ぐらいは自分で説明する義務があるのでは?
では、マスメディア界は?
もちろん、自虐史観に取りつかれたままの親韓派の在日サプア人どもが、こちらもワンサカ。
親韓派勢力を下支えするかのように、懸命に日本貶め報道一筋。
その代表格が、なぜか旭日旗を社旗にしながら何の攻撃も受けない旭日新聞。
東仙坊、半分以上がサプア人なのでは?と疑っているほど…。
そんな新聞だから、やはり奇っ怪なヤツらゴロゴロ。
当然のごとく、何とも不可解な社員がいる。
その典型が、現在、朝日新聞国際編集部所属する金漢一なるご仁。
父親が慶尚南道居昌郡出身で、1938年ころ、中国を経て日本に移り住んだとか。
そして、1964年生まれ、1970年、福島県郡山市の福島朝鮮初中級学校に入学。
その後、宮城県仙台市の東北朝鮮初中級学校に転校。
1987年、「英文朝日」に入社。 2000年、旭日新聞の人材再配置過程で記者。
2001年、サプア領事館において国籍を北からサプアに変更し、「ヘラルド朝日」のスタッフライター。
2005年、「サプア高校の青春 ボクたちが暴力的だったワケ」を出版。
それによると、自分がサプア高校生だったころ、日曜日には仙台の繁華街に繰り出し、集団で「日本人狩り」にいそしんだとか。
そして、警察に捕まって呼び出されても、教師と一緒に、「我々サプア人を強制連行した日本政府が悪いんだ」と話を政治問題に振り向け、警察官を黙らせ、お目こぼしをさせていたとか。
実は、東仙坊、逆に立場から、このご仁の指摘する警察のサプア学生への異様に甘い対応の数々を学生時代からよく知っているのだが…。
とにかく、どこかすべてに異常なのは今も昔も同じ。
ともあれ、東仙坊、個人的にとても気になるのが、これらのヤツら。
●TBS
①報道番組「Nスタ」ディレクター朴眞煥
ソウル出身、サプア空軍元将校、記者を経て、2005年から日本在住、京都大学大学院修了。
②TBS元執行役員金茂紀(金平茂紀)
東京大学文学部社会学科卒。
③TBSサンデーモーニング番組責任者金富隆(?)
共同通信を経て、TBS。
④TBSドラマプロデューサー韓哲
早稲田大学商学部卒。
⑤TBS編成制作本部スポーツ局金景敏
京都大学卒。
⑥記者李民和
在日サプア学生同盟元委員長

There must be quite a few anti-Japanese activists among the Koreans who have entered Japan's political and legal circles(日本の政界や法曹界に入り込んだサプア人たちには、反日活動家がかなり多い)!

To be continued...

腐乱した大和魂-12 消えゆくサプアへのファイナル弔辞!?


If Koreans who are contributing for the national interest of Japan say that they like Japan more and more, there might be no possibility that Japan and Korea can become a normal relationship(日本の国益のために貢献してくれているサプア人たちが、どんどん日本が好きと声を上げてくれれば、日韓が普通の関係になれる可能性がゼロではないはずだが…)!

東仙坊、声高に「特別永住者」制度を廃止すべきと叫んでいるのは、我が日本を心から愛し、できたら日本で住むだけでなく日本人なりたいと、そして、日本国籍を取得したいと願っている在日サプア人たちのためにである。
そう、どの国よりも思いやりに溢れ、心配りと気配りに優れ、繊細で美しく寛容な日本で生活するのが、とにかくポジティブで忍耐強い日本人が好きというサプア人の方々に、その素直な気持ちを正直に吐露してほしいだけ。
そのうえで、できたら、さらなる日本の国益のために、日本の社会と文化のためにもっともっと貢献してほしいと思うからに他ならない。
事実、我が国には、そんな日本を愛し日本に献身するサプア人の方々はいっぱい。
財界では、すでに取り上げた元「特別永住者」であるマルハン代表取締役会長韓昌祐をはじめ、アイリスオーヤマ創業者大山森佑(故・趙森佑)、MKタクシー創業者青木定夫(故・兪奉植)、ロッテ創業者重光武雄(辛格浩)、ソフトバンク代表取締役会長兼社長孫正義(安本正義)など。
芸能人やスポーツマンや歌手にいたっては、まさにワンサカ。
特に、野球、サッカー、レスリング、ゴルフなどは独壇場。
「特別永住者」を公表している日本の俳優曺成河(?)、「サプア国民勲章」を受勲している張本勲から、金田正一、金本知憲、清原和博、新井貴浩、力道山、長州力、大山倍達、美空ひばり、小林旭、菅原文太、高倉健、佐久間良子、都はるみ、和田アキ子、五木ひろし、山口百恵、小柳ルミ子、井上陽水、矢沢永吉、沢田研二、松山千春、八代亜紀、伊藤蘭、松任谷由美、松坂慶子、沢口靖子、松田優作、岩城混一、安田成美、つかこうへい、大鶴義丹、豊川悦司、藤原紀香、木村拓哉まで。
厳密に言えば、ほとんど全員までと言えるほど。
そして、やっぱり、強制性交で逮捕された新井浩文(朴慶培)も。
本質的にジコチュウで目立って稼ぐのが好きだから、これも当然。
どうだろう?
メチャクチャ我が国に貢献している人々ばかりでは?
だからこそ、「特別永住者」なんていうトボケタ制度は不必要で、自助努力で我が国に大きく貢献した在日サプア人の方々に、イヤイヤ、単に日本で暮らしたがるサプア人の普通の方々に、こんなときだからこそ正々堂々と、「自分はサプア人だったけど、日本人になりたくて日本人になって日本で生きている」とか、「どの国よりもこの国を愛するからこそ宣誓して日本国籍を手にした」とか、「大好きな日本人と一緒にさらに日本を魅力的にする一助になりたい」と言ってほしいと思わないか?
そうすれば、たちまちヘンテコリンな反日などなくなると思わないか?
とにかく、よくワケのわからない「特別永住者」システムなど即刻に廃止すべき。
そして、我々日本人と本当に共生できる在日サプア人になってもらうべき。
その意味では、まず率先してその出自をフェアに明らかにしてほしいのが、サプアのスパイのようにしか動こうとしない在日サプア人で政界や法曹界やマスメディア界に跋扈している胡散臭いサプア人ども。
そう、日本を内から本来の美しい日本を醜悪にしようとしている歪んだヒトたち。
5月14日、在日コリアン金竜介弁護士が、理由のない懲戒請求を申し立てられたとして、東京都の男性に55万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は、男性の行為を差別(?)と認定し、1審東京地裁判決を減額 し、33万円の支払いを命じたとか。
そして、萩原秀紀裁判長、「在日コリアンであるために懲戒請求の対象になった。民族的出身に対する差別意識で、合理性が認められない」と判断したというのだが、そのどこが差別なのかわからないことだらけ。
それはそうだと思わないか?
被告は(およそ950人もの被告らは?)、2016年4月、東京弁護士会なるものが、サプア学校への適正な補助金交付を求める会長声明を出したことに対し、2017年11月~12月にかけて、「違法であるサプア学校への補助金交付の会長声明に賛同、容認、その活動を推進することは、弁護士の確信的犯罪行為である。利敵行為としての声明のみならず、直接の対象国である在日サプア人で構成されるコリアン弁護士会との連携も看過できない。この件は、別途外患罪で告発している。あわせてその売国行為の早急な是正と懲戒を求めるものである」と東京弁護士会に所属する金弁護士ら在日コリアン弁護士8人と弁護士会の役員だった10人に懲戒請求したというのでは?
ということは、少なくとも、この原告らが含まれていると判断されても仕方がないのでは?
しかも、東京弁護士会は、2018年4月、これらの懲戒請求をすべて退けているのでは?
だとするなら、まず仮にも弁護士ならば、自分たちの声明の論拠を公明正大に説明すべきで、逆訴訟するのは矛盾しているのでは?
それは、心のどこかにその懲戒請求を差別問題にして騒ぎを大きくしてやるという恣意や作為があったということなのでは?
そもそも、国連から制裁を受けている国の学校に補助金なる名目で血税を支給する合理性を詳細に説明すべきなのでは?
また、言論の自由がある我が国なのだから、声高に何を言うのも自由というのなら、弁護士らしくその論法で懲戒請求者たちを論破すべきなのでは?
そして、そんな摩訶不思議な東京弁護士会に所属する在日コリアン弁護士なのだから、当然、その声明に加担しているとみなされるのもやむをえないのでは?
もし、そうでないなら、我々は、サプア学校への適正な補助金交付を求める東京弁護士会会長声明に加わっていないという声明を自ら出すべきなのでは?
とにもかくにも、プロフェッショナルなら、まずそのテリトリーの中で自己表現するのがスジなのでは?

Anti-Japanese Koreans who intend to collapse Japan from within have already swept the political world, the legal community and the mass media world(日本を内から崩壊しようと企てる反日サプア人どもが、すでに日本の政界や法曹界やマスメディア界を席巻してしまっている)!

To be continued...














































東仙坊、緊急、謝罪コメント!!!

I'm so sorry. That's all(ゴメンナサイ。それだけ)!

東仙坊、再三再四、書き込んできたが、情けないほどのpc音痴。
もっと正直に告白すれば、せっかくのDOCOMOの売り込み詐欺に引っかかって購入させられたタブレットもすでに何年間も放置のまま。
そんなことだから、必然的に携帯電話もガラケー(?)。
もちろん、スマホに買い換える気など毛頭ないが…。
それゆえ、団員の一人から、スマホで東仙坊のブログを読もうとすると、変な注意(?)がついているから、何とかした方がイイよとメールをもらっても全くのお手上げ。
それで、実は、前から、何とかしたいと思っているけど、情けないことに何もできないでいることを、イヤでも思い出している。
それは、同じく団員たちから何度も何度も、「最悪よ」と言われている、ブログについているという低劣なアフィリエイト広告(???)。
実際、それは自分のpcでもブログの右上に小さくあることを確認し、何とかしたいなと思っていはいるのだが…。
それもこれも、ブログのフォーマットを作成してくれたpcおたくの元部下がメチャクチャ忙しそうなので、何も言えずに何の対応もできないまま。
どうかそのみっともなさをご理解のうえ、イヤな思いをした方がいらっしゃったら、本当にゴメンナサイ。
ともあれ、団員の一人からのメールによると、スマホで東仙坊のブログに入ろうとすると、「安全じゃない」という文字情報がついているという。
それを知って、東仙坊、はたと困惑してしまった。
このブログを読んだら、「命を狙われるぞ」という意味なのか?
それとも、「多額のお金を請求されるぞ」ということなのか?
「公安調査庁に裸にされるぞ」ということなのか?
「読むと北やサプアのテロリストに襲われるぞ」ということなのか?
本当に日本語は難しい???
そこで、あまりに眠たくなったので、逆に考えてみた。
仮に「安全です」という文字情報があったら、余計にどこか安全じゃない気がしてこないか?
そう、国や家族を守ることが何よりも大切なのに、「憲法を守れば平和になる」と言う不気味なヒトたちがたくさんいるように…。
日本の平和は宗主国のUSA軍が常駐してくれているからなのに、「USA軍はいらない。USA軍は出ていけ」と言うピンボケのヒトたちがたくさんいるように…。
クソの役にも立たない国連を、「いまだに問題を解決してくれる機関だ」と寝惚けたように叫ぶヒトたちがたくさんいるように…。
世界の鼻つまみ役人どもが自分の懐を潤わすためにやっているスモールビジネスである「世界遺産」の名をほしがる日本の文化を真に理解できていないヒトたちがたくさんいるように…。
それにしても、これは誰がどうしてつけたのか?
それはそうだと思わないか?
なぜ「読むな!」とか、簡潔に言わないのか?
それだけでも、したり顔でものを言う鉄面皮のヤカラどもなのでは?と思ってしまうのだが…。
どちらにしても、すぐ謝る日本人の典型である、東仙坊、「安全じゃない」のも文字情報に不快な思いをなされた方には、ひたすら、謝罪するだけ…。
本当にゴメンナサイ!!!

I would like fix it up as soon as I could(できるだけ早く何とかしたいのだが…)!

腐乱した大和魂-12 消えゆくサプアへのファイナル弔辞!?

Even in Japan, there must be many Koreans who contribute to the Japanese economy and society through their desperate efforts.
If such people say that they wanna become Japanese, it is decided that the anti-Japanese movement and the like will soon be overdue(在日サプア人でも、その必死の努力で日本の経済や社会に貢献している人々は、たくさんいる。そういう人々が、日本人になりたいとどんどん言ってくれれば、反日運動などすぐに下火になるに決まっている)!


東仙坊、「特別永住者」システムを廃止すべきと痛感する2つ目の理由が、やはり、これ。
我が国の国益に適わない在日サプア人犯罪者への大甘な対応。
外国人の日本からの強制退去には、「薬物犯罪で有罪となったもの、売春や不法入国に関与したもの、そのほか無期または1年を超える懲役もしくは禁錮に処せられた者」などの明確な要件(出入国管理および難民認定法第24条)があるとか。
そ、そ、それなのに、「一般永住者(とその配偶者)」、「特別永住者(とその配偶者)」、「日本人の配偶者と子・特別養子の外国人」、「定住外国人」については必ずしもその限りではないとは、なぜ? どうして? 何で?と大声を挙げたくならないか?
どうだろう?
これこそが、我が国でサプア人の性労働や蛮行が多い原因なのでは?
事実、在日サプア人の検挙数は、在日外国人のうちの最多のはず
んもかかわらず、再犯の可能性の高い大バカの在日サプア人が出所後も日本国内に留まることができるなんて、メチャクチャ矛盾しているのでは?
ともあれ、「特別永住者」には、強制退去となる条件が他の外国人よりもメチャクチャ限定的(特例法第22条)。
内乱罪(付和随行を除く)、内乱予備罪、内乱陰謀罪、内乱等幇助罪、外患誘致罪、外患援助罪、それら未遂罪、予備罪、陰謀罪で禁錮刑以上に処せられた(執行猶予がついた場合は除く)ケース。外国国章損壊罪、私戦予備罪、私戦陰謀罪、中立命令違反罪で禁錮刑以上に処せられたケース。外国の元首、外交使節またはその公館に対しての犯罪で禁錮刑以上が処せられ、かつ法務大臣が(外務大臣と協議のうえ)日本の外交上の重大な利益が損なわれたと認定されたケース。無期または7年を超える懲役または禁錮に処せられ、かつ法務大臣が日本の重大な利益が損ねられたと認定されたケース。
それらのケースで、ようやく国外強制退去。
そして、「特別永住者」以外の外国人の退去強制手続が、「出入国管理および難民認定法第24条」規定の退去強制事由(20項目以上)に基づくのに対し、「特別永住者」には同条は適用されない。
なお、実際に7年以上の懲役または禁固刑に処せられた「特別永住者」は存在するが、法務大臣が日本の重大な利益が損ねられたと認定したことがないため退去強制は行われたことはいまだないとか。
重大事件の犯罪者自身が希望してサプアへの永住帰国した結果として(?)特別永住許可が失効した事例はあるとも(殺人事件で無期懲役判決を受け仮釈放された金嬉老、2つの経済事件で計13年半の懲役刑を受け刑期途中でサプアに移送された許永中)。
また、16歳以上の外国人を対象として日本に入国する外国人は、一般永住者、日本に生まれ育った人(?)、中国残留孤児、日系南米人も含め全員指紋の押捺(J-BIS)と顔写真の提出が義務づけられているが、「特別永住者」は、「外国籍生徒」、「外交」または「公用」の在留資格に該当する活動を行おうとする者、国の行政機関の長が招聘する者とともに、これらを免除。
また、その審査に当たっては通常の外国人には、上陸拒否事由に該当する場合は再入国許可が得られても上陸拒否されるが、「特別永住者」の場合は、有効な旅券を有しているか否かのみが審査され、上陸拒否事由に該当したとしても再入国OK。
さらに、通常の外国人の場合、再入国有効期限の上限5年に対し、「特別永住者」の上限は6年、しかも、再入国の許可を受けて出国した者について、当該許可の有効期間内に再入国することができない相当の理由があると認めるときは、その者の申請に基づき、1年を超えず、かつ、当該許可が効力を生じた日から7年を超えない範囲内(通常の外国人の場合は6年を超えない範囲)で有効期間の延長可。
そして、有効な旅券および「特別永住者証明書」を所持して、日本から出国する者に適用される「みなし再入国許可」については、有効期間2年間(通常の永住者については1年間)の「みなし再入国許可」があったものとみなされるとか。
それから、通常の外国人の場合、パスポートや在留カードを携帯していない場合、刑事罰として20万円以下の罰金に処せられる可能性があるが、「特別永住者」の場合は、行政罰としての10万円以下の過料に処せられる可能性に留まり、携帯義務違反を理由に現行犯逮捕や強制捜査の対象にはならない(提示義務違反は刑事罰対象)とか。
そして、「特別永住者」には、在留管理制度の変更に伴い導入された、在留カードの対象外となっており、これに類似したカード状の「特別永住者登録証明書」を発行。
その携帯義務はないが、入国管理局職員等から提示を要求された場合は、保管場所まで同行するなどして提示することが必要とか。
どうだろう?
普通の日本人はもとより、日本に歓んで住んでいるサプア人の人たちのためにも、「特別永住者」のシステムなど即刻廃止すべきなのでは?
それで耳を傾けたいのが、元(?)「特別永住者」を公言している、大手パチンコ店グループ・マルハン代表取締役会長、韓昌祐、通称名、西原昌佑の言葉。
何でも、1931年、サプア慶尚南道泗川郡三千浦の小作農の家に生まれた彼、1945年、 日本でレンガ工だった実兄の誘いに密航船に乗り込み下関市から密入国。
そして、すぐに日本の戦後の混乱に紛れ、「特別永住者」資格を取得したとか。
つまり、日本国を欺いて入国。
このお方、「世界中どこにでも差別はあります。日本人がサプア人を差別するといいますが、サプア人の中国人差別はどうだ、と訊くんです。それほどサプアでは中国人を差別する(?)。世界でチャイナタウンがないのはサプアだけです。差別に打ち勝つ、差別を撥ね返すたった一つの道は、自分たち自身が教養と見識をもって社会貢献する。これしかないんです」と言いつつも、「在日差別への憤りが行動の原点。戦争での加害者の立場であることをきちんと受け止めたうえで(?)友好の土台を築いていきたい」とか、「日本の政治家たちが過去の植民地支配について知らないフリをしている。日本の政治家たちがドイツのように、周辺国に対しきちんと謝罪すべきだ(??)」と、どこか歪んでのたまわれているのでは?
では、密航で日本に入ったこの方に、なぜ我が日本政府は、1999年、勲三等瑞宝章、2016年、紺綬褒章と二度も授与しているのか?
2015年、フォーブス誌ランキングで、日本で7番目に資産が多い人物(資産42億ドル相当?)だと何もかもが許されるのか?
凄く変なのでは?

I respect Koreans such as Sotetsu Lee and Zenka Go who have Japanese citizenship and work for Japan from the bottom of my heart(日本国籍を持ち日本のために働く李相哲や呉善花のようなサプア人たちを心の底から尊敬する)!

To be continued...






腐乱した大和魂-12 消えゆくサプアへのファイナル弔辞!?


If you are born as a human being, it must be natural that you wanna live in Japan, where you are free and buzz so far(せっかく人間として生まれたなら、ここまで自由でボーッとしてられる日本で暮らしたくなるのは、人間として当たり前)!

東仙坊、我が国で日本人と普通にコミュニケーションし合いきちんと普通に生活をしているサプア人の名誉のためにも、そのヘンテコな「特別永住者」システムを廃止すべきと確信している。
そして、それこそが、サプアの些末的で稚拙な歴史捏造による反日を、日本貶めを直ちにストップさせることに繋がるとも確信している。
そう、在日サプア人が少しでも自分に正直に人間らしくあってくれればいいだけ。
それはそうだと思わないか?
ウソ、ウソ、ウソだらけのパクリ、タカリ、ユスリ、ハッタリ国家の母国よりも、思いやりと粋、そう、スマートネスあふれる日本の方が好きだから日本で暮らしているはず。
ともあれ、東仙坊、「特別永住者」システムを廃止すべき理由をいくつか詳細に挙げておきたい。
その1つ目が、「特別永住者」への甘い甘い「国民年金」のような「福祉給付金」と「生活保護」支給。
「国民年金法」の「国籍条項(20歳以上60歳未満の日本国民)」の規定により、在日外国人の「国民年金」加入を認めていなかったが、「難民条約」へ加入した際に(1982年)その「国籍条項」は撤廃され、在日外国人にも「国民年金」加入OK。
そして、「国民年金」を受給するには60歳までに最低25年間の加入期間が必要ということから、1986年、制度改正により「平和条約国籍離脱者」は、20歳以上60歳未満のうち1961年4月から1981年12月まで在日していた期間も遡って「老齢基礎年金」合算対象期間(年金額算定の基礎に含められないが、受給資格期間に参入することができる期間。通称、カラ期間)として追加。
また、「国民年金」発足の1961年当時、すでに高齢等であったため加入要件を満たすことのできなかった日本人高齢者に対して支給された「老齢福祉年金」や「障害基礎年金」に相当する「福祉給付金」を、「国民年金」の国籍条項撤廃(1982年)後、経過措置が認められた1986年にすでに60歳を越えていて加入要件を満たせなかった「特別永住者」に対しても採るよう各自治体に要求。
すると、全国800以上(?)の自治体が、日本人の老齢福祉年金のケースとほぼ同額の月額5000円~3万数千円の「福祉給付金」支給額を決定し要件を満たす申請者に支給。
ちなみに、それは、1)1926年4月1日以前に生まれた「特別永住者」、2)1982年1月1日前から日本国内で外国人登録している「特別永住者」、3)1982年1月1日以前から重度心身障害者であった「特別永住者」(障害者福祉給付金の場合)、4)生活保護を受けていない、
公的年金も受給していない「特別永住者」、5)前年の所得が基準額以下の「特別永住者」。
なお、「高齢者福祉給付金」と「障害者福祉給付金」の同時受給は不可で、加入可能であった外国籍貧困高齢者に「生活保護」が支給されている例が多いとか。
ちなみに、2012年末、65歳以上の在日サプア人の割合は、約20%で約11万人強(?)。
2015年、日本における「生活保護」総件数は、160万2552世帯212万7841人、うち外国人受給世帯は4万4965世帯6万9914人、全体のうち外国人の「生活保護」受給率は、世帯数2.8%、人数3.3%、年間1200億円規模とか。
国籍別でみると、日本人、約155万世帯205万7927人、在日サプア人、29482世帯37239人、在日フィリピン人、5333世帯1万3200人、在日中国人、4966世帯8716人。
年齢層でみると、在日フィリピン人受給者の79%が、44歳以下、在日中国人受給者の31%が、44歳以下、48%が64歳以下、という数字に比べ、在日サプア人の受給世帯では、高齢者世帯(65歳以上だけの世帯)が59.7%、世帯全員の年齢構成も65歳以上が56.5%と、在日サプア人の「生活保護」受給者は高齢者率が著しく高いとも。
その背景には、1982年まで外国人が国民年金に加入できなかったこと、また1982年当時、35歳以上の者は当時加入しても60歳までの必要な加入期間(25年間)に届かないと思い加入しない者、いずれ本国へ帰国するつもりでいたためかけ金がムダになると考え加入しなかった者などが多く、当時から日本に住んでいた在日サプア人には低年金・無年金の老人が多いことが一因とか。
さらに、近年、多国籍移民の流入によりニューカマーの中国人、フィリピン人、ブラジル人、ベトナム人の「生活保護」受給件数が上昇。
もっとも、定住が長く永住権をもつ人口で最多である在日サプア人の高齢者層以外の受給件数も他外国人より多いのは、永住権を持ち定住が長くなるにつれて永住権を持たない外国人より「生活保護」が受けやすくなるためとか。
それに対し、厚生労働省は、「国籍を問わず、同じ判断基準で『生活保護』支給をするかどうか決めていて、優遇の事実はない(???)」とほざいているが、本当にそうなのか?
最高裁第二小法廷でさえ、2014年7月18日、「外国人は、『生活保護法』の対象ではなく、受給権もない。受給権を行使できるのは居住国ではなく、その人間の国籍のある国に対してのみ」と結論しているのでは?
どうだろう?
凄く違和感を覚えないか?

Why don't you think that Japan pampered Koreans, so they felt they were being fooled by Japan(なぜか日本がサプア人を甘やかすから、かえって彼らが日本にバカにされている気持ちになったと思わないか)?

To be continued...














































腐乱した大和魂-12 消えゆくサプアへのファイナル弔辞!?

Immigration and refugee issues must be now a problem all over the world. Even in Japan, don't you think it has been awake since the end of the war(今、世界中で問題になっている移民と難民問題。我が日本でも、戦後、ずっと起きているのでは)?

③「特別永住者」証明書の有効期間。
◇16歳以上の方、各種申請・届出後7回目の誕生日まで(特別永住者証明書の更新をする場合、更新前の有効期間満了日後の7回目の誕生日まで)
◇16歳未満の方、16歳の誕生日まで。
④「特別永住者」の主な権利。
ただし、他の在留資格の外国人が同じ権利を持つものも含まれる。
◇在留期限がなく、在留期間更新が不必要(特別永住者&一般永住者)。
他の外国人と異なり、在留資格に制限がなく、母国はもちろん、日本での経済活動も全く自由。
また、5年以内であれば、母国と日本の間を自由往来OK。
◇一部公務員を除き、職業制限ナシ(定住外国人)。
◇生活保護申請資格(定住外国人)。
◇「平和条約国籍離脱者の子孫」、すなわち、「特別永住者」の子孫は、「特別永住許可」申請可。
再入国許可期限が、3年の場合は、4年、4年の場合は、5年に延長。
◇「特別永住者証明書」の常時携帯義務ナシ。
◇日本への入国時、入国審査が日本人と同じゲート、顔写真撮影や指紋採取が省かれるなど「一般永住外国人」とは違った扱い。
◇退去強制は、以下の場合のみ、他の在留資格に比べ非常に限定的(特例法第9条)。
また、7年を越える刑に処せられた凶悪犯などでも、国外退去になった例ナシ。
さらに、この特権は、子孫にいたるまで無期限。
内乱に関する罪、外患に関する罪、国交に関する罪、外国の元首、外交使節、またはその公館に対しての犯罪により禁錮以上の刑に処せられた者。
外交使節またはその公館に対する犯罪行為により禁錮以上の刑に処せられた者で、法務大臣においてその犯罪行為により日本国の外交上の重大な利益が害されたと認定した者。
それ以外の罪で無期または7年を超える懲役または禁錮に処せられた者で、法務大臣においてその犯罪行為により日本国の重大な利益が害されたと認定した者。
どうだろう?
普通の日本人なら、まずなぜそこまで在日サプア人の方々に献身しなければならないのか?と思うのでは?
普通の関係になるには、在日サプア人の方々への異様な特別待遇をいい加減止めるべきだと思わないか?
少なくとも、一度喪失すると二度と再取得不可というこの「特別永住者」なる制度を見直すべきときなのでは?
どちらにしても、「両親の一方が『特別永住者』であった場合、特別永住許可を申請可」という点と、「3代目以降も継続可」という点だけは改善すべきなのでは?
そこで、注目すべきが、「出入国管理および難民認定法」第22条2項。
「特別永住者」の配偶者または子である場合においては、次の各号に適合することを要しない(?)。
素行が善良であること。
独立の生計を営むに足りる資産または技能を有すること
つ、つ、つまり、犯罪歴があり、生活能力のない者であっても、「特別永住者」の配偶者や子だったら、何をしても、イヤイヤ、何もしなくても日本に永住し続けられる保証つきなのである。
ち、ち、ちょっと待って!と言いたくなるのは、東仙坊だけではあるまい。
そもそも、「特別永住者」なることは、本来は、「権利」ではなく、「許可」のはず。
ということは、このままでは、在日サプア人の方々に蛮行のライセンスを与えることになってしまうのでは?
ちなみに、外国人が日本の「永住権」を得られる要件と比較してみれば、それは一目瞭然。
外国人が日本の「永住権」を得られる要件。
素行が善良であること
独立の生計を営むに足りる資産または技能を有すること
③その者の永住が日本国の利益に合すると認められた場合。
④原則は10年以上引き続き我が国に在留していること。
高度技術者等は、社会・経済・文化等の分野における我が国への貢献が認められる者については、引き続き5年以上在留していること。
特区内における貢献者は特定事業等において、引き続き3年以上在留していること。
どうだろう?
やはり、「特別永住者」をなくすべきなのでは?

After all, people who think from the bottom of their heart that they would like to be Japanese should be asked to make a “Loyalty Declaration” to Japan(日本人になりたいと心の底から思ってくれる人たちには、やはり、日本への「忠誠宣言」をしてもらうべき)!

To be continued...
























腐乱した大和魂-12 消えゆくサプアへのファイナル弔辞!?


Whether it is human beings or country-by-country, there must be no way that a relationship that gives half or vague benefits to one or the other could create a good relationship(人間同士だろうと、国同士だろうと、どちらかに中途半端で曖昧な特典を与えるような関係が、イイ関係を築くはずもない)!

東仙坊、昨年時点で、在日サプア人の「特別永住許可者」、すなわち、「特別永住者」がまだ32万1416 人とその全体の98.8%もいると知って、日本に在留する外国人全体(約273.1万人)の11.8%もいると知って、目玉が飛び出るほどビックリ仰天。
しかも、沖縄県那覇市の最新推計人口(318501人)とほぼ同じというから、どこか納得しつつも、やはり目がグルグル。
ちなみに、サプア人以外の「特別永住者」は、中国人、1126人、台湾人、948人、USA人、811人。
また、「特別永住者」とは別に、「永住者」の在留資格を持つ在日外国人の数は、74万9191人。
さらに、その居住地区は、三大都市圏の10都府県に集中していて、近畿圏(大阪・兵庫・京都の3府県)45%、首都圏(東京・神奈川・埼玉・千葉の4都県)22%、中京圏(愛知・三重・岐阜の3県)11%で、3大都市圏を合わせると実に78%、3分の2超が、これらの地域に集中しているとか。
もっとも、サプア外交通商部によると、帰化者も含め「在日僑胞(チェイルキョッポ)」は、89万5725人(?)。
昨年、日本にいる「在日僑胞(チェイルキョッポ)」は、総数で48万2882人(?)、サプア人、45万2701人(?)、北、3万181人(?。
ともあれ、その「特別永住者」の実態がよくわからないので、懸命にリサーチ。
①日本にいる「永住外国人」は100万人以上(?)。
約35万人の「特別永住者」、約67万人の「一般永住者」。
「特別永住者」の約90%が在日サプア人で、他の外国人とは扱いが別。
しかも、就労制限もなく、基本的に日本人と同様に就労OK。
それだけじゃない。
普段の生活で使う「通称名」の他に「本名」が使える利点(?)。
他の外国人労働者とは異なり、「在留カード」がナシなうえ、「特別永住者証明書」が交付され、就職の際に提示する義務もナシ。
また、外国人が日本で就職する場合(公務員を含む)、「雇用対策法」により「在留カード」を企業へ提出し、企業はそれをハローワークへ届け出なければならないが、その適用ナシ。
それゆえ、面接で採用担当者が、むやみに「特別永住者証明書」の提示要求することは不可。
さらに、「通称名(?)」は、住民票、印鑑登録証明書、免許証に「本名」と併記して記載され、銀行口座やクレジットカードも「通称名」で作成、OK。
そのせいで、なぜか口座をたくさん持てるはず。
雇用保険や社会保険の資格取得届が「通称名」でも、無効になることナシ。
外国人を雇用した場合の外国人雇用状況報告制度による厚生労働大臣への届出も、除外。
まだまだある。
日本人と同様に、所得税など控除OK。
給与から他の従業員と同様に、所得税と住民税を控除。
海外在住の親族でも、6親等内の血族または3親等内の姻族で、16歳以上の方に送金している場合には、生計同一を示すことで、その人数分の控除OK。
ただし、海外在住の扶養親族については親族関係書類と送金関係書類の提出が必要で、外国語の場合はすべて和訳を添付する必要あり。
どうだろう?
なんとなく在日サプア人が特別待遇されていることがわかるのでは?
しかも、剥奪されたはずの日本国籍が取れるとかで、在日サプア人の日本国籍取得累積者数は約37万2千人(実際は100万人超???)もいるというのでは?
そして、帰化する場合、世界が、サプアさえが実行している「忠誠宣言」が要求されないというのでは?
ということは、パスポートや就職のために帰化?する在日サプア人もいるということで、二重国籍はメチャクチャ不公正なのでは?
②「特別永住者」認定の要件。
1)「平和条約国籍離脱者」または「平和条約国籍離脱者の子孫」で、1991年11月1日(入管法特例法施行日)現在で、次の各号のいずれかに該当していること。
(1)次のいずれかに該当すること。
ア 「1952年法律第126号第2条第6項」の規定により在留する者(平和条約国籍離脱者として当分の間在留資格を有さなくても日本に在留することができるものとされた者)。
イ 「日本国に居住するサプア国民の法的地位および待遇に関する日本国とサプアとの間の協定の実施に伴う出入国管理特別法(旧日韓特別法・廃止?)」の規定により永住の許可(いわゆる協定永住)を受けている者。
ウ 入管特別法改正前の「入管法」の規定に基づき永住者の在留資格を有して在留する者。
(2)旧入管法に基づき平和条約関連国籍離脱者の子の在留資格をもって在留する者。
2)平和条約国籍離脱者の子孫で出生その他の事由により上陸の手続を経ることなく日本に在留する者で、60日以内に市区町村長を通じて法務大臣に特別永住許可申請をして許可を受けた者 。
3).平和条約国籍離脱者または平和条約国籍離脱者の子孫で、「日本人の配偶者等」、「永住者の配偶者等」、「定住者」の在留資格を有する者で、地方入国管理局で法務大臣に特別永住許可申請をして許可を受けた者。

In fact, it might be often more and more unpleasant to be sweetened than sweetened ones(実は、甘やかす方よりも甘やかせられている方が、どんどん不快になっていくことが多いかも)!

To be continued...




腐乱した大和魂-12 消えゆくサプアへのファイナル弔辞!?

Can we trust a country that is flooded with political terrorist groups that could attack the Red Cross(赤十字を襲撃できる政治テロリスト集団が跋扈している国を信頼できるのか)?

東仙坊、そんな訴訟事案よりも深刻な問題だと思うのが、テロリストを称賛する異常な国家サプアらし過ぎる、1959年の「新潟日赤センター爆破未遂事件」。
何でも、1959年2月13日、サプアの「三・一独立運動」を支持しサプアを放棄せよと小日本主義を提唱していた石橋湛山内閣が、「在日サプア人の北帰還問題は基本的人権に基づく居住地選択の自由という国際通念に基づいて処理する」と閣議了解すると、サプアはマジ切れ。
さらに、1959年8月、カルカッタで、日朝赤十字社間の「帰還協定」が締結されると、1959年8月25日、在日サプア人たちを煽動し、「日本赤十字本社(?)」に乱入させたというから、完全にキチガイ。
1959年9月、サプア政府は、日本に戻ることなくサプアに帰還したままであった「在日義勇兵(在日サプア人サプア軍志願者)」たちに、在日サプア人の北への帰還事業を阻止するために日本に潜入して妨害工作活動を行えと命令。
そして、サプア民団にKCIAの工作員どもを偽装入会させ、政財界へたちまち浸透。
1959年12月4日、日本赤十字社と新潟港に通じる鉄道線路を破壊しようと、雷管を装填した4本組ダイナマイト3束の計12本とガソリン1ℓ缶4本を隠したウィスキー箱を持って集結したサプア人テロリストどもを新潟で一網打尽に逮捕し、日本赤十字社と新潟港に通じる鉄道線路への卑怯なテロを未然に阻止したというから、パチパチパチ。
どうだろう?
いくらそうでなくても不毛だった国土が内戦でさらに荒廃し世界最貧国になったからといって、卑劣極まりないテロを起こそうとするなんて、メチャクチャ信用できない国なのでは?
それも、サプア領事館の金永煥三等書記官が中心だったというから、正真正銘のテロ国家なのでは?
実際、サプア政府は、朝鮮戦争中、「保導連盟事件」や「居昌事件」などで、共産主義者との関係を疑われたサプア国民を裁判ナシで数十万人も虐殺しているというのでは?
本当にサプアにだけはあーだこーだ言われたくないと思わないか?
どちらにしても、このテロ計画で、イヤらしいサプア政府が、在日サプア人をいろいろな工作活動に利用することに味を占めたことだけは確実。
そして、中途半端な位置づけのまま、日本国籍を保持せず、日本国内で得意のイチャモンで勢力を拡大し続けた在日サプア人…。
それに、初めて、正式な位置づけがされたのが、1965年の「日韓基本条約」締結。
それにともない、「在日サプア人の法的地位(協定永住)」について定めた「日韓法的地位協定」締結により、在日サプア人に「協定永住」という在留資格が正式に認められたのである。
そう、「協定永住許可者」の誕生である。
ここで、「日韓基本条約」なる相互条約について、念のために触れておきたい。
お互いの国に残した財産はお互いに放棄するが、戦後もその国に住んでいる人たちの財産は例外としたはず。
ということは、在日サプア人の財産は保護されたはず。
さて、そこで気になるのが、この条約が、本来、サプアが日本に支払いをすべき条約であるべきだったはず。
なぜなら、日本がサプアに持っている財産や請求の方がはるかに多く、戦後もサプアに留まった日本人より日本に留まったサプア人の方がはるかに多かったはず。
どうだろう?
その意味では、メチャクチャ不平等条約だったと言えるのでは?
ともあれ、正式なポジションを獲得した在日サプア人は、本来のオオカミ気質剥き出しに、我が日本を気のイイ金を持ったヒツジと決め込んだに違いない。
せっかくサプア民団が、「日本語を使い、日本の風習に従う社会同化は義務」とアドバイスしてくれているのに、ことあるごとに、ゴネル、タカル、ユスル、パクルの「ル」尽くし。
実際、日本政府も、なぜか痒いところにまで手を届かせ、至れり尽くせりの大盤振る舞いのオモテナシ。
そして、少しでも、その濡れ手に粟のオモテナシがヤバくなると、たちまち、1977年、今度は、在日サプア民団(民団)主導で、「差別撤廃・権益擁護運動」や在日サプア人の参政権獲得運動を開始。
それでも、目が覚め始めた普通の日本人たちが、在日サプア人への「スペシャルサービス」に疑義を感じ始めると、親韓派だらけの我が国の議会、1991年11月1日施行の法律「日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法」、いわゆる「入管特例法」を成立させ、巧妙に在日サプア人を保護。
そう、サプア人のみが対象となっていた「協定永住許可者」を、サプア籍、台湾籍の永住者も合わせて、「特別永住許可者」として、一本化。
そして、朝鮮半島や台湾から戦前・戦中に日本に移住、もしくは密航し、サンフランシスコ講和条約に基づき、日本国籍を失った人々に対して、在留の資格、または当該資格を有する者とし、その永住資格は2代目まで継承OKで、3代目以降については25年後に再協議していたのを3代目以降もOKと定めたのである。
それから、「外国人登録証明書」を廃止し、「特別永住者証明書」を交付したというのである。
また、「1991年日韓外相覚書」には、「地方自治体選挙権については、サプア政府より要望が表明された」と明記されたというのである。

I was impressed by the fact that there is a small group of Koreans in Korea, who must be majestically attacking the contractors(サプアに徴用工のウソを堂々と暴いている小さなサプア人集団がいることに感激)!

To be continued...

















腐乱した大和魂-12 消えゆくサプアへのファイナル弔辞!?


If you really wanna be friends, why should we talk to each other that it hurts(本当に友人になりたいなら、お互いに片腹痛いことも言い合うべき)?

協定永住許可者」なる不可解な言葉にあるトリックは、その対象が我が国と一緒に世界と戦った仲間であるサプア人だけなのに、かつて日本国籍を有していた外国人(?)としたこと。
つまり、サプア人だけへの「スペシャルサービス」であることをはぐらかしたこと。
では、なぜそんな変なことがなされたのか?
1910年、日韓併合後、朝鮮半島で選挙はナシ。
それなのに、内地国籍の日本人に参政権はナシ。
また、サプア人は、本土への移住制限されたと同時に日本の徴兵の未対象。
やがて、1942年、内地のサプア人には、選挙権と参政権を付与。
その結果、大日本帝国議会の議員や貴族議員になったサプア人まで出現。
と、と、ところが、日本の敗戦とともに、在日サプア人に日本国籍がなくなったばかりか、このころもいたキチガイ反日大統領、な、な、なんと在日サプア人の受け入れを拒否。
冗談じゃない、こんなバカなことがあってたまるか、何とかしてくれ!と表向きは激怒しつつも、よかった、よかった、これで日本にいられる…というのがそのときの在日サプア人の本音。
しかも、日本で幸せに豊かに暮らしていたはずだから、なおさら…。
特に、そこそこの財産を築いていた在日サプア人は、ウハハ。
それで、実に興味深い話が、これ。
1959年、北への帰還事業開始されると、在日サプア人に北出身者は数%だったのに、当時、日本の残した最新のインフラがたくさんあり南よりも豊かそうに思えた、それにワンサカ、在日サプア人が参加。
そうして北に行った在日サプア人は、北住民から「ジェッキ(蔑称・チェポ)」として、日本人の少し上程度の最下層扱いだったというから、思わず笑ってしまわないか?
これもそれも、北が我が国で、戦後、学校創設に邁進したのに、サプアはナシ。
そのために、在日サプア人の40%が北の学校に通うハメになっていたというのだから、ある意味、当然かも。
実際、1959年、親韓派のオピニオンリーダーである旭日新聞も、「在日サプア人とは、GHQや日本政府の手配を拒んで自ら日本に残留したもの」と明確に報道しているとか。
ところで、第二次世界大戦の敗戦で、ポツダム宣言を受諾し、日本にいる旧植民地住民であるサプア人の日本国籍を剥奪したものの、母国サプアが在日サプア人の受け入れを拒否しただけでなく、在日サプア人本人たち自身が日本に残りたいと言い出したから、当惑した日本政府が選んだ道が、どこまでも優柔不断でいい加減で摩訶不思議な「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く外務省関係諸命令の措置に関する法律(1952年法律第126号第2条第6項)」の成立。
それは、ポツダム講和条約発効日をもって日本国籍を喪失した外国人となったサプア人に対し、「これで名実ともに日本国籍を失ったことになっただろうが、法律で在留資格および在留期間が決定されるまでの間、引き続き在留資格を有することなく本邦に在留することができるから心配するな」というワケのわからない泥縄式のもの。
そう、つまり、在日サプア人は、「日本国籍保有者」ではないが、「特別に日本在留を許されたサプア人」と扱われるようにしたというから、メチャクチャ不可解で中途半端。
もちろん、そうなれる要件としては、第二次世界大戦終戦前から引き続き居住している、在日サプア人およびその子孫ということだったが、あの基本的にデタラメな性格の狡猾なサプア人のこと、戦後のドサクサに紛れて密航してきたサプア人が混じって、グジャグジャ。
その結果、当然のように起きたのが、デタラメなサプア人ならではなの小狡いイカサマ。
巣鴨刑務所に戦犯として拘禁されていた29人のサプア人(+1人の台湾人)どもが、「平和条約発効と同時に日本国籍を喪失したので、『平和条約11条(日本国は、連合国軍戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、かつ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする)』にいう日本国民には該当せず、拘束を受けるべき法律上の根拠はない」と、1952年6月14日、「人身保護法」による釈放請求裁判を提起。
しかるに、1952年7月30日、我が国の最高裁判所は、「戦犯者として刑が科せられた当時日本国民であり、かつ、その後引き続き平和条約発効の直前まで日本国民として拘禁されていた者に対しては、日本国は『平和条約第11条』により刑の執行の事務を負い、平和条約発効後における国籍の喪失または変更は、右義務に影響を及ぼさない」と、コヤツらに刑期満了または仮釈放まで服役させたとか。

When everyone leaves the country and is far away, they wanna be proud of their home country for some reason(誰もが国を離れて遠くにいるとなぜか自分の母国を誇りに思いたがるもの)!

To be continued...









腐乱した大和魂-12 消えゆくサプアへのファイナル弔辞!?


If Korean people who like Japan and live in Japan become more honest with themselves, Japan must become a better living country(日本が好きで日本で暮らすサプア人の方々がもっと自分に正直になってくれたら、日本がますますより住みやすいイイ国になる)!

東仙坊、この2000年ぐらいの間に、我が日本に一体どれだけのサプア人がやってきているのか?と考えては、ただただ戦慄を覚えている。
おそらく「和をて貴しとなす」の美しい国に、糞便とともに暮らすモラルと無縁な猥雑このうえないサプア人は夢を見るような気持ちで競って住み着いたに違いない。
そして、日本人になろうと懸命に努力してきたに違いない。
そう、どこまでも自分にも人にも正直に、それでいてバランスよく理解し合える民族の一員になってきたに違いない。
どこかそう確信できるのだが、どうだろう?
実際、第二次世界大戦終了直後の、1945年だけでも、およそ200万人(?)のサプア人が日本にいたとか?
そこで、そのころの動きを、時系列的に詳細にチェック。
1910年の日韓併合により日本国籍となったサプア人は、1945年、第二次世界大戦の日本敗戦によるポツダム宣言受諾で、在日旧植民地出身者は、1952年4月28日まで、法律上なお日本国籍を保持することが決定
②1945年末、GHQの指令で、非日本人の送還開始。
1945年12月、清瀬一郎弁護士らの主張により、旧植民地出身者(サプア人・台湾人・樺太人)を戸籍から外し、そのうえで戸籍法適用を受けない者の参政権を「当分ノ内停止」する内容の「衆議院議員選挙法改正案」が可決。
在日サプア人の150万人前後が、1946年3月までに日本政府の手配でサプアに帰還
けれども、徴用で来日した245人が日本に残留
④1946年、GHQと日本政府は、「旧植民地出身者を『日本国籍を保有するとみなされる』とし、地方の法律・規則に服すことを決定。
⑤1947年、GHQと日本政府は、在日サプア人に「日本学校に通学することを義務づける」とともに、これにより都道府県は、「サプア学校閉鎖令」を発令。
⑥1947年、最後のポツダム勅令である「外国人登録令第11条」により、「台湾人のうち内務大臣の定める者およびサプア人は、この勅令の適用については、当分の間、これを外国人とみなす」とされ、これにより日本に居住する旧植民地出身者には「外国人登録申請義務」が課せられ、その移動(日本列島内及び朝鮮半島から日本列島への移動を問わず)に特別な規制がかかったとか。
もっとも、勅令は入国管理に関するものではなく、朝鮮半島から日本列島への移動を含め国内移動として規制だったとか。
⑦1948年4月14日~4月26日、「阪神教育事件」、そう、ほとんどの平和ボケ国民が平和憲法と崇める「日本国憲法」下で唯一の非常事態宣言が布告されたテロ事件が、大阪府兵庫県で発生。
何でも、「サプア学校閉鎖令」に反発した、暴力テロが大好きの在日サプア人、そうニセ日本人とキチガイ日本共産党が起こした暴動とか。
ともあれ、この事件以後、大阪府と兵庫県の在日サプア人への減税や減免などの「特別なオモテナシ」はハンパじゃなくなったとも。
まあ、在日サプア人の怖さにビビったのか?
あるいは、在日サプア人に取り込まれたのか?
あるいは、在日サプア人がほぼ乗っ取ったのか?
とにもかくにも、この事件が、戦後の異様な在日サプア人への「特別なオモテナシ」のプロトタイプになったことだけは確か。
⑧1952年、日本政府は、「サプア人は講和条約発効の日をもって日本国籍を喪失した外国人となる」という通達を出し、旧植民地出身者は名実ともに日本国籍を喪失。
そして、日本国籍を失った在日サプア人は、法律で「在留資格および在留期間が決定されるまでの間、引き続き在留資格を有することなく本邦に在留することができる(?)」とされたとか。
ただし、日本国籍者でい続けるか、サプア籍や中華民国籍に戻るかの選択肢は、当事者にナシだったとか(???)。
これは、旧植民地出身者の国籍は「選択可能」であることが当時の国際基準であったのに、通達によって一方的に国籍を剥奪したのはかなり乱暴だが、我が国の最高裁判所が、この通達が国際的な承認を得た「サンフランシスコ講和条約第2条(領土の放棄または信託統治への移管)」にともなうものであると解釈したからだとも。
もっとも、ほとんどの在日サプア人は、日韓併合による日本国籍の保持に興味などなく、これらの日本国籍喪失措置に異議を唱えなかったとか。
えっ、甘ったれ屋の彼らがそんなオイシイ話を自ら簡単に棄てるワケがないって?
そ、そ、その通り。
サプア政府が、まるで現在のように、日本政府の要請があっても在日サプア人の送還を拒否したこともあるが、そこには当然のごとく(?)画期的な特別待遇、そう、甘い甘い特典が待っていたのである。
えっ、それは何だって?
かつて日本国籍を有していた外国人(?)を、「協定永住許可者(一般的な永住資格を持つ外国人である『一般永住者』とは別!!!)」として自動的に在留資格を認めたのである。

75 years after the war, it must be time to stop treating the Korean people specially(戦後75年、もういい加減、サプア人を特別扱いすることを止めるべきとき)!

To be continued...















腐乱した大和魂-12 消えゆくサプアへのファイナル弔辞!?

The cooperation of Koreans living in our country and enjoying life must be absolutely essential if we really wanna eradicate the anti-Japanese movement(反日運動の撲滅を本気で目指すなら、我が国に住んで人生を謳歌しているサプア人たちの協力が絶対不可欠)!

東仙坊、最終的に、サプアのストーカー気質丸出しのどこまでの執拗でエモーショナルな反日をストップさせるには、我が国の内にいるサプアになぜか媚びたり、おもねったりし続けるニセ日本人どもに改心してもらうしかないと結論している。
とりわけ、サプアとの二重国籍を持つ在日サプア人方々に、母国も好きだけど日本はもっと好き、だから、日本で暮らしたいと本気で思ってもらいたいと考えている。
それも、サプア人らしくどこまでもエモーショナルに、なぜ日本が好きなのかは理屈じゃない感覚的にそう感じてしまうからと思ってほしいと考えている。
そう、俗っぽくポピュラーにいいじゃん、日本が好きだから…それでって感じて…。
というのも、今さら、サプア人の方々に、歴史的に論理的に社会教養的に科学的に理解してほしいなんて言ったところで、何も変わらないからでもある。
その意味で、常軌を逸した意固地なおバカの茶髪大統領よりも、母親が済州島に出自を持つ大阪出身の在日サプア人で、幼少期から日本人専属料理人が作った寿司を好んで食べた、東京タワーに興味を持っていた、そして、スイスに留学し公立小中学校でドイツ語を学んだ、金ボンボンの方が、どこか期待できるとついつい思ってしまうのは、東仙坊だけではあるまい。
もっとも、茶髪大統領の娘も国士舘大に留学していたというから、ちょっと複雑だが…。
ともあれ、この狭い我が国に一体どれだけの本当はサプア人がいるのか?
東仙坊、改めてリサーチしたサプアの歴史によると、2600年前に成立していた我が国は、4000年前に成立していた大国の中国とほぼ互角の関係を築き、5世紀ごろまでには、国の体をなしていなかった未開の地サプアのほぼ半分を手中に収めていたとか。
それゆえ、そのころから、我が国に漢族人と一緒にサプア人が来日し始めたはず。
そして、それは我が国とどこかウマが合った仁那や百済との交流で自然増加し、それらが滅亡すると、難民として一気に増加したはず。
特に、百済王の子孫が帰化し下級官僚になりその娘を傍系である天智天皇の孫の側室にさせその子どもが天皇になったこと、さらに、その「和」氏である桓武天皇の母、百済永継(藤原内麻呂の妻)を通じ、DNAが一気に混じったということは確か。
実は、同じようなことが、戦後、1948年4月3日、「済州島四・三事件」でも起きている。
何でも、済州島で南朝鮮だけで選挙したことで南北分断に繋がると民衆が蜂起。
そのために、島民全人口の20%にあたる6万人が南朝鮮政府に虐殺され、島内の70%が焼き尽くされたとか。
また、1948年10月19日、「麗水・順天事件」が発生し、USA軍が、反乱軍のみならず暴徒8000人(???)を射殺。
これらの虐殺事件の際にも、済州島や全羅南道から、多くのサプア人が日本に不法入国し、在日サプア人化。
事実、1949年、吉田茂首相が、「在日サプア人は100万人ほどおり、その半数は不法入国で、日本で犯罪を犯す者も多く、日本の復興に全く貢献していないので、『日本の経済復興の貢献する能力を有すると思われるサプア人』以外は、日本が費用を持つので母国たる朝鮮半島に帰還してほしいという『在日サプア人に対する措置(1949年)』文書」を国連軍司令官ダグラス・マッカーサーへ提出したとか。
さらに、1950年、「朝鮮戦争」の戦火で、数多くのサプア人が日本へ密航し、日本国内の混乱に乗じて「永住権(後の特別永住資格)」を半ば強奪。
その数は、1955年までに、1万2500人超になったとか。
これに関しては、1955年、小泉純也(小泉純一郎の実父、小泉進次郎の祖父)法務政務次官が、国会答弁しているとか。
在日サプア人らは、母国に帰りたいという者が一人もいないと言える状態で、一方半島からは手段・方法を選ばず、命懸けでどんどん密航をしてきており、日本が彼らを強制送還をしようとしても、サプア政府はこれを受け入れないため、日本に入れっぱなし状態であり、朝鮮戦争で密航してきた者らを収容していた大村収容所も人員が一杯で、入国管理局だけでは手に負えない状況である
どうだろう?
戦後の荒廃し切った我が国の方が、基本的に赤貧のサプアよりもよかったということなのでは?
では、どのくらいいたのか?
ほとんどが密航者なので精確には言えないようだが、1950年の報告では、終戦後、我が国に不法入国したサプア人の総延人員は約20万人~40万人と推定され、在日サプア人推定80万人の中の半分だったとか。
そして、その密航した彼らは「外国人登録証明」を暴力と買収で獲得し、それをそのまま強引に合法化させたとも。
また、ある統計によると、18万人近くがが戦後に日本に渡って「特別永住資格」を得たとも。

About 1700 years after the exchange between Japan and Korea started, how mixed are Korean people in our country(日本とサプアとの交流が始まって約1700年、一体我が国にサプア系の人々がどのくらい混じっているのか?想像すらつかない)?

To be continued...

腐乱した大和魂-12 消えゆくサプアへのファイナル弔辞!?

Honestly, in historical education at a very ordinary school, I was thought that Korea and Japan were once good brothers(正直、ごく普通の学校での歴史教育で、サプアと日本はかつては仲のいい兄弟だったと思わされてしまっていた)!

実は、東仙坊、前回、朝鮮半島に北を軸にした核を持ったキチガイの国が誕生すると書き込んでいるが、本気でそう思ってはいない。
正直、朝鮮半島での南北統一など歴史音痴の気の狂った茶髪大統領の戯言と一笑に付している。
それはそうだと思わないか?
仮に「李氏朝鮮」が一瞬でもサプアの独立国家だったとするなら、なぜ戦後、「朝鮮民主主義人民共和国」と「大韓民国」の2つに分かれたのか?
もともとルーツもイデオロギーも違うから当たり前だと言っても、それぞれにバックボーンになっていた国同士の代理戦争だったかもしれないとしても、あれだけの内戦をし、いまだに休戦中というのは、絶対に仲よくなどできないということなのでは?
それは、どちらの建国日が、1948年だということが証明しているのでは?
えっ、サプアは、1919年3月1日が建国記念日だと言い出しているって?
本当のバカを休み休みおっしゃれ、クソダヌキさんと思わないか?
1919年、「李氏朝鮮」のラストエンペラー、太皇帝の高宗の二男、純宗の皇太子、李根殿下が梨本宮方子女王と結婚すると大騒ぎになっていたとき、そう、サプア王室が日本の王室と血縁になるという画期的なエポックを前に、高宗が突然死。
すると、得意の「高宗は毒殺された」とのデマを流し、その国葬の3月3日を前にデモを拡大。
3月1日午後、ソウル中心部のタプコル公園に、「天道教」、「キリスト教」、「仏教」の宗教指導者ら民族代表33人が集い、「吾らはここに、我がサプアが独立国でありサプア人が自由民であることを宣言する。これをもって世界万邦に告げ人類平等の大義を克明にし、これをもって子孫万代に告げ民族自存の正当な権利を永久に所有せしむるとする」という「独立宣言」を読み上げただけ。
その騒乱によって、12668人(?)が逮捕・起訴、約357人が殺害(??)されたとか。 
そして、6417人が起訴され、3789人が不起訴。
それから、有罪判決を受けたのは、3967人。
ただし、死刑・無期懲役になった者、懲役15年以上の実刑になった者、ナシ。
ちなみに、天道教教主孫秉熙ら8名が、懲役3年、崔南善ら6名が、懲役2年6ヵ月。
また、李根殿下、戦後、日本の王族でなくなるも、サプアに帰国できなかったとか。
この1919年の「三・一宣言」に対しても、北は、「投降主義分子がウッドロウ・ウィルソンの民族自決主義にムダな期待をかけ、請託と物乞いで独立を離陸させようとして繰り広げたドンチャン騒ぎ。失敗したブルジョア蜂起」と否定的だったはず。
ともあれ、これを陰で仕かけたのが、また日本人と思うのは、東仙坊だけではあるまい。
◎旗本・朱子学者、新井白石(1657~1725年)
「我国の先は馬韓からきた。熊襲と高句麗は同族ではないか?」
◎国学者、平田篤胤(1776~1843年)
「古来密接であった日朝関係において日本は支配的な立場にあった。日朝両民族はその祖先を同じくし、兄弟あるいは本家と分家に擬せられる間柄であり、本来一体となるべきである」
◎国史学者、星野恒(1839~1917年)
1890年、「本邦ノ人種言語ニ付鄙考ヲ述テ世ノ真心愛国者イ質ス」
「皇室は半島の支配者で、半島と列島はもともと一国であり、日本人とサプア人は言語的にも人種的にも同一であるゆえ、半島を再び皇室の領土に編入させるのは当然である」
「スサノオが『新羅』の主であり、サプアと日本はもとは一つの国であった」
◎歴史学者、喜田貞吉(1871~1939年)
「日鮮両民族同源論」
「近代のサプアと前近代の日本は同一で停滞していた。サプア人は早く一般国民に同化して、同じく天皇陛下の忠良なる臣民とならねばならぬ。これただに彼ら自身の幸福なるのみならず、彼らの遠祖の遺風を顕彰する所以である」
◎言語学者、金沢庄三郎(1872~1967年)
『日韓両言語同系論』
「サプアの言語は、我が大日本帝国の言語と同一系統に属せるものにして、我が国語の一分派たるに過ぎざること、あたかも琉球方言の我が国語におけると同様の関係にある」
◎大正デモクラシー主導者、吉野作造(1878~1933年)
「サプア独立運動家の呂運亨を道徳的に評価できる。関東大震災時におけるサプア人虐殺を非難する。サプア総督府は失政だった。サプアの人々に政治的自由を与え、同化政策を放棄せよ」
◎革命家(?)、宮崎滔天(1871~1922年)
「三・一運動は見上げたる行動である。サプアの人々の自由と権利を尊重し、いずれは独立を承認すべき」
どうだろう?
どうしても、サプアを普通の国にしたがるヒトたちが、我が国の内にいるのでは?
それだったら、反日という手段を選ばせるべきではないのでは?

The only way to stop Korea's persistent anti-Japanese remorse must be to have Koreans living in Japan become the real Japanese(サプアの執拗な反日貶め行動を止めるには、日本に住むサプア人の方々に本物の日本人になってもらうことしかない)!

To be continued...
















腐乱した大和魂-12 消えゆくサプアへのファイナル弔辞!?


It has always been clear that there must be many pro-Korean people in our country(我が国の国内には、親韓派のヒトびとがたくさんいることだけは昔からはっきりしている)!

東仙坊、しみじみサプアの歴史をリサーチして、つくづく痛感することは、たった1つ。
サプアの大ウソに見て見ぬフリをし、あたかもいつかは本当の兄弟に戻れる(?)とでもいうかのように、どこまで無反発で、寛容にサプアと接してきた内にいる日本人どもって、本当に日本人だったのか?ということ。
ただ、それだけ…。
実際、それは、現在も同じ。
サプア軍による火器レーダー照射問題などで日韓関係が悪化するなか、シンガポールでの国際会議に出席する際サプアの鄭景斗国防相と会談し北への対応などを協議する方向で調整を進めているというメチャクチャ不可解な岩屋毅防衛大臣、北の核・ミサイル問題に対応するためには同盟国USAにサプアも加えた日米韓3ヵ国の連携が重要だとのたまわっているが、今や北の下働き国家の感が否めないサプアの一体どこを信じ、何を頼りにできるのか?
ぜひ丁寧にご説明いただきたいと思わないか?
まだある。
日韓の国会議員による交流「日韓議会未来対話」の年内開催時期の調整をサプア側から鉄面皮にも打診してきたというから、ビックリ仰天。
何が「政府の関係とは切り離して議会交流は継続すべき(?)」という立場だと思わないか?
本当にどこまで日本を愚弄するつもりなのか?
それ以上に気になるのが、何とかそれに応えようと懸命にあたりを伺っている「日韓議員連」なる胡散臭い組織のメンバーの議員ども…。
額賀福志郎、河村建夫はもちろん、東仙坊の脳裏には、なぜか出てくるわ出てくるわ、いろいろなアグリーな顔が…。
土井たか子、福島瑞穂、辻元清美から、金丸信、小沢一郎、鳩山由紀夫、前原誠司、岡崎トミ子、福山哲郎、菅直人、こりゃダメだ、ほとんどの国会議員だ?
それにしても、世界のどこに、売春婦とテロリストをアイデンティティのアイコンにしている国が、サプア以外にあるのか?
それは、「喜び組」や「満足組」や「花売り娘」のメッカの北ですら、さすがにそれを全面に出してはいないことでも明らかなのでは?
さて、それで、さらに気になることがある。
北が、食糧支援を念頭に、「『人道主義』と恩着せがましいのは、民族に対する愚弄だ。人道主義の事業が、南北関係で大きな前進を成し遂げるように大騒ぎするのは、礼儀と道理に欠ける。昨年9月の平壌共同宣言の履行に積極的に取り組み、責務を果たすべきだ」とストレートにサプア批判を始めたこと。
それで、歴史的にどうしても指摘せざるをえないことがある。
常軌を逸した不勉強の茶髪大統領がおっしゃられる、南北統一。
それで、朝鮮半島が、南北1つの独立国であったことが、どのくらいの期間あるのか?という疑問。
厳密には、ほとんどそんな時代などなかったと言い切れるはず。
Koreaの語源である「高麗」だって、後高句麗をベースに中国人が創った国で、サプア自身がルーツと言っている「新羅」はその「高麗」に滅ぼされ、日本と親密だった百済や仁那は「新羅」に滅ぼされ、北のプロトタイプである「高句麗」も、中国と結託した「新羅」に滅ぼされているのでは?
つまり、漢族と満州族とモンゴル族をベースにした「北のルーツ国家」と中国文化日本導入の中継地になった「親日国家」は、中国の冊封国家だったサプアに滅ぼされているのでは?
それを証明するのが、1401年、明の皇帝朱元璋から下賜され、太宗の李成桂が正式にサプア国王として冊封を受けもらったその国号、「朝鮮」。
それだって、モンゴルにカラコルムがなかったら、「和寧」という国だったかもしれないというから、どこかホッとしないか。
そう、「和寧」では、国号までパクられたことになったと思うが…。
さて、そこで、ほんの一瞬、白日夢のように存在した「李氏朝鮮」で、考えてみたいことがある。
というのも、よせばいいのに、我が国が、1910年、併合してしまったのが、その「李氏朝鮮」であるからである。
李氏朝鮮の総人口、あのいい加減なサプアの発表によれば、約600万人(税や兵役を回避するために未申告者多数?)。
我が国のサプア統監府調査によると、1906年、1293万人。1910年、1300万人。1920年、1700万人。1930年、2000万人。1940年、2400万人。327万人が、内地や満州に移住。
ちなみに、現在、北、約2500万人。サプア、5000万人。
また、日韓併合以前の就学率、0。1940年、就学率、男子76%、女子33%。
ともあれ、南北統一で総選挙になったら、大統領は間違いなく金ボンボンで、核保有のキチガイ国家の誕生になるのでは?

Since the history of the Korean Peninsula, there has been almost no period in which a unified independent state existed(有史以来、朝鮮半島に統一独立国家が存在した期間はほとんどない)!

To be continued...







腐乱した大和魂-12 消えゆくサプアへのファイナル弔辞!?


We should pay attention to how Korea, who has been complimented by China, is the leader of the country(宗主国の中国にたしなめられたサプアは、どう突っ張れるのか注目すべき)!

歴史を捏造し、大ウソを世界につきまくるサプアを、一体世界はどう思っているのか?
しかも、バレバレの大ウソをつきながら、一向に恥じ入らないどころか、すべてを歴史を政治利用する日本のせいにする白々しさ。
おそらく、世界中が日本はお気の毒と感じつつも、クワバラクワバラ、サプアとは我々はなるべく関わらないようにしようと内心決意しているに違いない。
それにしても、あれだけ歴史を政治利用し日々反日に勤しみながら、ヌケヌケと「日韓両国関係の根幹が揺るがないよう、互いに知恵を集めなければならないが、最近は日本がそのような問題を国内政治に利用し、問題を増幅させている傾向があるようで非常に残念だ」と言い切れる無神経さはやはり極めて異常なのでは?
そう、そのウソの論理は、盗人ならではのもの。
1990年代以降、壱岐島の安国寺の経典(大般若経)、対馬の観音寺などの仏像が、サプア人窃盗団に盗まれ、サプアへ持ち去られる事件が続発。
そして、持ち去られたまま返還されていないものが、メチャクチャ多数。
当然のごとく、日本側が盗まれたモノの返還を要求するも、サプア側は、よりによって、「倭寇や豊臣秀吉のサプア出兵で略奪されたものを取り返しただけ(?)」と応じないとか。
それだけじゃない。
いくら日本側がその所持の証拠を差し出しても、一切無視。
では、それが倭寇や豊臣秀吉のサプア出兵で略奪されたモノである証拠を提出したらいかがと言っても、これまた一切無視。
そ、そ、それなのに、我が国はなぜサプアに泥棒!返せ!と簡潔に要求し、それに応えないのなら、今後、サプア人を一切入国禁止にするとなぜ言えないのか?
それは、竹島についても同じ。
歴史的事実に照らしても、かつ国際法上も明らかに日本固有の領土だと言うのなら、なぜ不法占拠を許したままでいるのか?
領土を命懸けで守れない国が、本当に独立国なのか?
力尽くで取り戻せないのなら、情けなくみっともなく、いつものように泣き寝入りすればいいのでは?
どちらにしても、なぜかサプアとは本気で対峙しないから、サプアがあんなダダッコになってしまったのでは?
そう、すべてが身から出たサビ。
そして、それこそが、サプアを普通の国に戻すための唯一の残された手段なのでは?
事実、1990年代、サプアでベストセラーになったのが、日本をこれでもかと否定する「日本はない(??田麗玉著)」、「ムクゲの花が咲きました(??金辰明著)」。
何でも、サプアでは昔から「日韓戦えば」はエンターテインメント小説の骨子の定番で、そのほとんどが「日本が武力で竹島を奪いにくる」ことの仮想戦争だとか。
そして、その日本の攻撃に対しサプアが北と共同開発した核ミサイルを最後に東京沖に報復発射するストーリーだというから、笑っていられないのでは?
どうだろう?
それなら、よっぽど中国の方がマシと思ってしまわないか?
実際、日清戦争後のサプアの宗主国だった中国の記録があるとか。
◆1595年、 戚継光、「紀效新書」。
これは日本のサムライが明に攻めてきたときに初めてわかったことである。彼らは舞うように跳び回り、前方への突進は光が閃くようで、我ら明の兵は、恐れおののくのみだった。日本人はよく躍動し、一息で一丈(約3m)も飛び込んできて、刀の長さは五尺なので一丈五尺の間隔があっても攻撃される。我が兵の剣では近づき難く、槍では遅すぎて、サムライと遭遇すれば皆両断されて殺される。これは彼らの武器が鋭利であり、両手で振れる強力で重い刀を自在に用いているためである。
◆明末期、「揮刀如神」。
日本のサムライの剣術はまるで神のごとしだ。我々の兵士はサムライを見れば皆身がすくみ逃げ腰になる。剣術に優れたサムライだが剣術だけではなく、飛び道具の扱いも我が銃兵と互角である。 弓の扱いも我が弓兵と互角、その他あらゆる兵科と比べても不足が見つからない。本当に日本人は殺戮者だ。その家には刀を持たぬものはなく、子どものころから武術を鍛えられ始め、壮年にいたれば手に負えなくなる。
◆1621年、程宗猷、「単刀法選」。
日本剣術は神秘的だ。左右への跳躍が凄まじく誰にも予測できない。そのため長技を使っても毎回刀に負けてしまう。
どうだろう?
相手を認めることこそが、人間が人間として成長する第一歩なのでは?
それにしても、なぜサプアは我が国と対等な関係ではガマンできないのか?

Korea should be ashamed a little as North Korea is completely ignored by North Korea, even if it only sends the autumn wave(あれだけ秋波を送っているのに、北に徹底的に無視されるサプアは、少しは恥じ入るべき)

To be continued...












腐乱した大和魂-12 消えゆくサプアへのファイナル弔辞!?


South Korea's true nature must be that if you wanna lose weight, you will do it all the time(騙せるのならとことん騙してやるというのが、サプアの本性)!

東仙坊、サプアの決定的な歴史的マイナス要因は、そのアイデンティティ・クライシス、モラル・ロス、学歴コンプレックス、文化コンプレックスからの卑屈極まりないイジケ精神。
それは、ボッタクリ、パクリ、タカリ、ユスリ、とにかく、人の弱味につけ込もうというサモシイ精神。
もっとも、それは赤貧なのに努力せずに喰うことを考える根本的な人間的欠陥からのものだから、直しようがナシ。
まあ、糞便とともに何も感じずに生活できる神経を持ち合わせているのだから、ムリもないのかも。
そう、根っからの「奴婢」根性丸出しの不気味な集団。
それゆえ、国家間での礼儀など微塵もないその傲慢な態度は、世界から嘲笑の的。
しかも、それを恥じ入らないで、どこまでも平然としていられるところは、逆に出色もの。
それにしても、まさか人間がそこまですぐバレるようなウソなどつくまいと思い込むところを逆手にとって、ウソをつきまくる品性のなさは昔から世界に比類なきもの。
その大ウソの典型が、戦後になって、「『日韓併合』は無効だった」と執拗に主張し始めたこと。
それに驚いたことに気を遣い、「ポツダム宣言受諾にともない無効になった」と玉虫色にしてあげた国賊どもが内にいたというから、嘆かわしくないか?
そ、そ、そうしたら、性懲りもなく図に乗ったサプア、「大韓民国臨時政府が日本に宣戦布告した」と大ウソをつき、挙句の果てに、「戦勝国としてサンフランシスコ講和条約の席に着かせろ!」と言い出したというから、やはり、正真正銘のキチガイ。
とにかく、我が国に対する卑劣で卑怯なイヤガラセの数々は、言語道断のものばかり。
まだまだ、象徴的なものがある。
1868年、「書契事件」。
何と、サプアが、「日本が西洋化し、中国の皇帝のみが使える『皇』や『勅』の文字が国書に使われているのが許せない」と我が国の国書の受け取り拒否した事件。
1873年、「日本の外交官が蒸気船に乗って洋服で釜山にきたことが許せない」と報復に出ただけでなく、「日本夷狄に化す、禽獣と何ぞ別たん、我が国人にして日本人に交わるものは死刑に処せん」と布告したというから、「征韓論」ではなく、「征韓」してしまわなかったのは、実に不可解では?
1875年、「江華島事件」。
測量中の日本の軍艦にサプア側から発砲。
1882年、「壬午軍乱」。
閔妃派の新式軍隊に不満を持つ旧式軍隊の暴動、親日派や日本人教官を殺害。
この事件で最も注目すべきは、あの我が国の国旗をそのままパクりながら一向に替えようとしない「太極旗」の誕生の由来。
さすがに、宗主国の明からやり過ぎと叱責され、日本に賠償金50万円の支払い、日本に謝罪使を派遣、公使館に日本兵の駐屯承認することになったサプア、そのときの謝罪使が自国の国旗がないことに気づき、船内で考案したのだとか。
そのサプアのコウモリのような卑屈な外交の典型が、このようなやり方。
「日清戦争」を煽って、清からの独立をえたことに味を占め、1904年勃発した「日露戦争」を煽ったサプア。
1905年、USAがその和平交渉の仲介に登場し、ウィリアム・タフト陸軍長官と桂太郎総理との間で、「桂・タフト協定」を締結。
サプアが日露戦争の直接の原因であり、サプアが単独で放置されるなら、再び同じように他国と条約を結び、日本を戦争に巻き込むだろうから、日本はサプアがまた外国との戦争を日本にさせるような条約を締結できないようにしなければならない。日本はフィリピンに野心はない。極東の平和は日米英三国によって守られるべきであり、USAは日本のサプアにおける指導的地位を認めてほしい」という日本に、タフトは、「日本がサプアの保護国となることが東アジアの安定性に直接貢献する」と同意し、セオドア・ルーズベルト大統領の全面支持を伝えたとか。
すると、1902年、日英同盟を締結していたUKも、「サプアで様々な特殊利益を日本が持ち、日本が利益を増進するために必要な政策を取ることを認める」と支持。
そこで、1905年9月5日、「ポーツマス条約」で、「サプアの政治、軍事、経済上の特別権利が日本にある」と確認し合い、日本とサプアとの間で、「乙巳保護条約」を締結。
そ、そ、それなのに、サプアは、イケシャアシャアと、1906年、オランダのハーグでの万国平和会議に、「『乙巳保護条約』は日本に脅迫されて締結したもので無効だ」と密使を派遣(ハーグ密使事件)。
しかし、ロシアの議長もそれを受け付けなかったばかりか、会議への参加も認めなかったとか。
どうだろう?
今も何一つその無礼な外交方法に変わりはないのでは?
サプアが普通の国になることなど、地球が滅亡しても不可能なのでは?

It must be Korea's way of lying that makes it seem like there is no way to make a lie like that(そんなすぐにバレるウソなどつくワケがないと思わせるのが、サプアのウソのつき方)!

To be continued...

腐乱した大和魂-12 消えゆくサプアへのファイナル弔辞!?

※SHOHEI fatigueのために、up忘れ、sorry!!!

With regard to the Korean peninsula, it should be answered that becoming irrelevant with China becomes a national interest for each other(朝鮮半島に関しては、中国とともに無関係になることがお互いの国益になると答えを出すべき)!

東仙坊、サプアの歴史を改めて顧みて、最終結論に至ったことが、いくつか…。
◇サプアに国家としてのアイデンティティが欠如していることは、今に始まったことではなく、歴史的にあった試しが一度もないということ。
それもこれも、もともと隣の大国である中国にずっと従属せざるをえない環境にあるだけでなく、そのコミュニティの基盤がずっと漢民族であり、せいぜいそれに満州族とモンゴル族が混じった民族。
その意味でも、純粋なサプア民族など存在の痕跡、全くナシ。
あえて挙げておくなら、サプアのルーツとされている「新羅」の王族の3始祖、「朴」、「金」、「昔(ソク)」のうち、「昔」氏が、日本の但馬か丹後あたりの出身ということ。
また、遠い昔から我が日本とケミストリーができた仁那や百済の人々、とりわけ、百済王の子孫が帰化し下級官僚になりその娘を傍系である天智天皇の孫の側室にさせその子どもが天皇になったということ。
さらには、その「和」氏である桓武天皇の母、百済永継(藤原内麻呂の妻)を通じ、DNAが混じったということ。
実際、仏教や木綿などノ伝来は百済の人々のおかげ。
◇再三再四指摘してきたように、半島が持つ「吹溜り」としての独特の悲哀が、サプアにも明白にある。
逃れ者、イジけ者、はみ出し者、一攫千金を夢見る者などなど…。
とにかく、人を信じられない、人からの愛を受けたことのない、人のために自分を捧げたことのない、それゆえ、大きな徒党を組んだことのないジコチュウどもが自然に集まった場所。
そう、モラルと全く無縁なうえ、教養など全くなく読み書きすらできないヤカラどもばかりの世界。
そういうヤツらの共通の特徴は、何でも人のせいにすること、そして、必要以上に教養に弱いということ。
そのせいか、サプアからの我が国への最悪の贈り物が、女性蔑視と封建制のベースになる朱子学。
特に、女性をモノのように贈り合う習慣の伝来は、我が国の劣化に直結。
それにしても、サプアの女性を貢ぐこと、貢ぐこと、その数は昔からハンパじゃない。
どうあれ、宗主国の中国以上の中華思想や華夷思想や事大主義に基ずくサプアのデタラメ外交は、昔から。
その約束事など何とも思わない、目先の自分益を追うための朝令暮改どころか、時々刻々豹変ぶりは、まさに彼らの真髄。
それゆえ、我が国が昔からサプアと距離を取ったのも、極めて自然。
また、こんなデタラメな国に従ったり、負けたりする国もナシ。
事実、サプアは自分たちが勝手に下と見下していた蛮族(?)の満州族の従属国に長い間なったほど。
さらに、5世紀には、我が日本が朝鮮半島のほとんどを抑えていたはず。
雄略天皇が、明確に、「昔から我が祖先は、自ら甲冑をつけ山川を越え、安んじる日もなく、東は毛人を征すること五五国、西は衆夷を服すること六六国、北の方の海を渡って平らげること九五国に及んでいます」とおっしゃられているはず。
どちらにしても、我が日本がサプアよりも下だったことどころか、対等であったことさえ一度もナシ。
では、なぜそんなサプアにいつまでも寛大な対応を取ってきたのか?
「盗人猛々しく」、「盗人にも三分の理」とばかりに平然とウソをつくサプアに、「盗人に追い銭」的に忍耐を重ねるのは、なぜ?
まるで書き言葉さえなかったサプアにハングルを創ってあげたように…。
我々はサプアのようなニセ兄弟ではなく、本物の兄弟である中国から、「宋襄之仁(ソウジョウノジン)」という言葉を学んだはずなのでは?
そう、不必要な情けや哀れみをかけたために、かえってヒドい目に遭うこと
東仙坊、これでイヤでも考えざるをえないのが、明治以降の「日鮮同祖論」や「日鮮両民族同源論」や「日韓両言語同系論」。
そもそも、「宋襄之仁」とは、古代中国、春秋時代に宋の襄公が、敵国の楚と戦った泓水の戦いからきているはず。
紀元前638年、楚軍は宋を攻めようと泓水を渡り始めた。
宋軍も川のほとりまで迎撃に出た。
襄公の部下、目夷が、「楚軍が川を渡りきる前に攻撃しましょう」と進言するも、襄公は、「そんな卑怯なことはできん。敵の弱みにつけ込むのは君子ではない」と情けを見せ、敵が川を渡りきってから戦闘に入る。
結果、宋軍は大敗し、襄公自身も矢を受け、その傷がもとで2年後に世を去ることになったとか。
この故事が、「春秋左氏伝(シュンジュウサシデン)」にある「宋襄之仁」の由来のはず。
ようは、敵に対する情けを否定的な意味として伝えるもので、大陸的価値観では、襄公は無能で愚かな人物のはず。
ともあれ、この故事、現代でも、「ビジネスには機略も必要、宋襄之仁だけではいけません」といったカタチで使われているとか。
ちなみに、同じ中国の兵法書「孫子」で、「兵は拙速を尊ぶ」とか、「兵は詭道なり」と、とにかく勝てばいい、勝つために手段を選ばないのが戦いのセオリーと教えているとか。
どうだろう?
東仙坊、何度も何度も繰り返し指摘してきたが、サプアの扱いは中国に学ぶべきなのでは?

Why do we Japanese soon become generous to Koreans()?

To be continued...




腐乱した大和魂-12 消えゆくサプアへのファイナル弔辞!?


It must be Korea, a strange country, who wanna be clearer than Japan from the past until it was clearly forged history(歴史を明らかに捏造してまで昔から日本よりもスバらしい国だったということにしたがる、世にも不思議な国がサプア)!

⑭1591年5月、宗主国である明に懸命におもねるサプア、「征明の先導役をやれ!」という豊臣秀吉の国書を受け、明に奏聞するべきか右往左往。
と、と、ところが、明では、すでに4月に琉球を訪れた商人陳申が通報し、それが福建と浙江の巡撫という地方官僚を介し、「日本が明侵攻を計画しサプアがその先導役となる」という正式な報告として受け取っていたというから、サプアがお気の毒。
どうだろう?
今のサプアと瓜二つなのでは?
1591年8月、それでも、明は、来訪した金応南の説明に満足し、サプア節使を慰労して銀2万両を授与。
そ、そ、そうしたら、タイミング悪く、遼東都司から征明嚮導の真偽を詰問する文書が、同じころにサプア朝廷に届いて、またまた慌てふためいてウロウロ。
サプア朝廷は、柳成龍と崔岦が作成したサプア国王名義の「陳倭情報奏文」を韓応寅に持たせて急派。
1591年9月、薩摩の在日明国人の医師許儀俊の「すでにサプアは日本に服属して征明嚮導に協力しようとしている」というオイウチとなる報告が明にあり、また琉球王国からも使者がきて奏聞。
それだけじゃない。
鄭迥や蘇八といった帰化中国人の複数の情報筋からも、「サプアが日本に服属した」という報告が明に挙がる。
それでも、白々しく、サプア通信使を日本に送った事実はひた隠しにしたまま、1592年、明の朝廷に陳奏文が提出し、改めて日朝交渉の経緯を釈明。
そして、今同様、責任を他人に押しつける得意の戦法で、「中国人による通報などはサプアに対する誣告だ」と大声を上げ、「日本の出兵計画などとんでもないことだ。そんな大それたことなどするはずはない。ウソだ」と言いくるめようとするも、明が「征明嚮導」の疑念を払拭するには至らず、戦役が起こった後も、明の猜疑心は消えなかったとか。
それどころか、サプアがないと言っていたサプア出兵が現実のものとなったことで明側の疑念はさらに深まり、遼東の明将らはサプア朝廷を難詰し、指揮権の統一にも反対し、サプア民衆の日本軍協力を疑い、サプアに対しては一定の距離を置いたとか。
⑮1598年、豊臣秀吉の死で、なんとか「文禄・慶長の役」は終結するも、戦乱でさらに疲弊したサプア朝廷の内乱は未収束どころか、ますます拡大。
権威の後ろ盾を明に求めた李成桂は、軍師であった鄭道伝の進言により、国内を、仏教を崇めた「高麗」時代とは一転して、朱子学を国教化。
しかし、鄭道伝自身が王子の序列争いに巻き込まれて斬首されてしまったとか。
兄たちを蹴落として王位を奪った李芳遠の後を継いだ世宗以後の君主は、平和に腐心して儒学思想を極端に信奉。
そうすると、自然に、人臣の間に家長的名文主義や排他主義が蔓延。
官人となるためには誰もが儒学を学ばねばならなかったが、書院ごとに儒生は徒党をなして、官人になってからも先輩につき従って政権掌握を目指すようになって、士禍と党争が激化。
勲旧派(中央貴族層)vs士林派(新興両班層)。
士林派から分裂した東人派(改革)vs西人派(保守)。
東人派はさらに南人派vs北人派。
サプア朝廷の秩序はグジャグジャ、王や后、王子、外戚、中央と地方の両班が、絶え間ない勢力争いに明け暮れ、陰謀や粛清を数世紀に渡って続け、国力は浪費され、人臣には混乱が生じ、国家は衰退。
その典型が、茶髪大統領に似た、サプア王、宣祖(李昖)。
コヤツ、儒学の発展と講学には非常に熱心であったが、極端に権威主義的で、しばしば逆鱗に触れて家臣に厳罰を降す気まぐれな王で、政治に飽き、徳がなく、人民に好かれていなかっただけでなく、いくつもの致命的な判断の誤りを犯していたとか。
どうだろう?
ソックリでは?
ちなみに、サプア王朝官僚で、豊臣秀吉に謁見したことのある金誠一(1538~1593)、「鶴峯集」で、「倭奴幾ばくもなし、半ばは叛民、極めて寒心すべし(日本人はまもなく反乱者。メチャクチャ気にすべし)」と言いつつも、日本は「征韓」などしないとミスジャッジ。
サプア王朝正史「宣祖実録(1603年)」には、「人心怨叛し、倭と同心」、「賊兵の数、半ばは我国人というが、然るか」。
李烱錫の「壬辰戦乱史(1977年)で、「李氏朝鮮が、『分党政治と紀綱の紊乱、社会制度の弊害と道義観の堕落、朝臣の無能と実践力の微弱性、軽武思想と安逸な姑息性、事大思想と他力依存性、国防政策の貧困』などの弱点を露呈していたことが侵略を受ける間接的要因となった」
ここでの重要なポイントは、江戸時代末期に日本で書かれた「征韓偉略」によると、「豊臣秀吉の軍隊が漢城に入城したとき、日本の兵士の半ばはサプアの民だった」ということ。
⑯1636年、中国本国を攻略前の清に攻められ、サプア国王が皇帝に三跪九叩頭(サンキキュウコウトウ)させられ、清の完全従属国家。
この後、日本が「日清戦争」で清を破る、1897年まで、サプアは非独立国家。
そして、「大韓帝国」になるも、1910年、日韓併合。
1948年、第二次世界大戦の日本の敗戦で、「大韓民国」が成立。

The Korean peninsula is from China, a large and permanent country. If so, we shouldn't be involved with the Korean peninsula(朝鮮半島は恒久不変に大国である中国のもの。そうだとするなら、我々は余計に朝鮮半島と関わるべきではない)!

To be continued...






















腐乱した大和魂-12 消えゆくサプアへのファイナル弔辞!?


In the ranks, Korea is always lower than Ryukyu, and even if it is an equal country to Japan, the insistence of Korea would continue to be vain(ランクでは琉球よりも下だったくせに、日本と対等な国だったと虚勢を張り続けるサプアの品性のなさは昔も今も同じ)!

⑪元の高麗侵攻以来、元の属領となっていた「高麗」は、当然のごとく、王統もモンゴル貴族化。
恭愍王の代になって、「紅巾の乱」で元の力が弱まり、自立を目指そうとして始めたのが、元の皇后を出した奇氏(奇皇后)の勢力を粛清することというのだからから、どうだろう?
今と何も変わらない根深さでは?
そんな内向き志向だから、当然のように、倭寇と紅巾軍に悩まされ国内外が大混乱になったはず。
そして、明の「冊封」を受けようとしたという理由で、恭愍王が親モンゴル派に暗殺されたということも、今とほとんど同じなのでは?
「高麗」は、一時的に北モンゴルとの関係を復活させるも、この内乱を制した武人の李成桂が、1392年、禅譲を受け、主君恭譲王から王位を継ぎ、明の洪武帝から「朝鮮」の国号と「権知高麗国事」の号を賜って、「李氏朝鮮」を創始。
2年後には、旧主を含む「高麗(KOREA)」の王統は皆殺しにされたというから、???
ともあれ、サプアでも日本と同様に、1401年に明の建文帝から第3代の太宗が誥命と金印を下賜。
中国で「靖難の変」。
1403年、永楽帝が改めて、太宗を「サプア国王」として封じて、正式に「冊封」体制を確立。
ここにも、重要なポイントがある。
サプアは、日本よりも明との交流が密で、年に3回朝貢使節を送るという1年3貢。
そして、元旦、冬至、聖節(中国皇帝誕生日)、千秋節(中国皇太子誕生日)には、「望闕礼(ボウケツレイ:皇帝や国王と離れた場所にいて直接に拝謁できないときに宮闕のある方を向いて礼を行う儀式) 」を執り行い、サプア王と王世子は明制の官服である冕服を着て、王城漢城より明の皇帝に向けて遥拝儀礼を行って、百官と共に万歳三唱したというから、かなり卑屈では?
しかしながら、その「虎の威を借る狐」の本性丸出しに、1419年、サプアの太宗上王と世宗が、「応永の外寇(己亥東征)」。
な、な、なんと227隻1万7千余の大軍勢で、「倭寇討伐」は口実に壱岐と対馬を侵攻したというから、明らかに戦争をサプアから仕かけてきたということ。
もっとも、サプアは宗貞盛の600人というわずかな手勢によって撃退され撤退したというから、どこまでもサプアらしいと思わないか?
ともあれ、その卑屈な盗人猛々しいやり方こそが、サプアの本性、「賊反荷杖(悪事を働いた賊が、開き直って武器を振り上げ抵抗する)」のあり方。
では、何で我々がそんなヤツらに、「倭」と呼ばれなければならないのか?
そもそも、「倭」とは、「魏志倭人伝」にあるほどの中国発祥の日本の蔑称。
それなのに、この「応永の外寇」当時、サプアの官僚は、日本人を「倭奴(わど)」と表記していたとか。
また、「倭寇」とは、13世紀~16世紀、倭人、主に日本人が行なった朝鮮半島沿岸での海賊行為。
もっとも、実際は、日本人だけでなく、高麗人も混ざっていたし、中国人海賊も多かったとか。
それはそうだと思わないか?
当時の東アジアには国籍の概念は存在するはずもないから、日本列島の人であろうが、大陸や半島に住む人であろうが、明確に区別されるはずもナシ。
⑫1501年~1525年、明、日本、サプア、琉球、東南アジア諸国の環シナ海地域においては、それまでの勘合貿易などの朝貢形式の明王朝主導の貿易ではなく、海禁政策に反する非合法な中国人や倭寇商人、堺や博多の豪商などを中心にした貿易ネットワークが構築されていたとか。
⑬1544年、サプアで、「蛇梁倭変」。
つまり、サプアで倭船20余隻が慶尚道蛇梁鎮に攻め入りサプア水軍を殺傷、それに怒ったサプアが「歳遣船」を止め、今後、日本国王と大内氏と弐氏の使節以外の日朝通交は禁止すると通告してきたとか。
これに対馬の宗氏が偽使を用い、サプアと締結した来航者取締規則が、1547年の「丁未約条」。
そうしながら、宗氏は、内心、「かつては綿布などを輸入していたが、今ではサプアから入るのは虎の毛皮や陶磁器などの嗜好品や仏像など必要のないものばかり。我が先祖はサプアからの輸入で稼ごうと一字の姓が多いサプアのマネをして一字に改名までしたが、我々を属国か何かと勘違いしている節がある。この際、サプアから手を引いた方がいい」と結論していたから、サプアに駿馬を求め、それにサプアが応えたので、サプアは日本に服属していると明に伝えたとか。
それに、サプアの司憲府大司憲林百齢が、激怒。
もっとも、それ以前から、日朝貿易に従事する大内義隆が明の北京へ派遣した湖心碩鼎ら遣明使が、「日本はサプアを服事させているから、席次はサプアより上にすべし」と要請していたというが…。
王直などの中国人大頭目が率いる倭寇が、五島列島などを根城に跋扈。
1554年6月、済州島で、唐人と倭人の同乗する船が、サプア水軍と衝突。
1555年、「乙卯の倭変」、倭冦が、明の南京やサプアの全羅道を侵略。
1555年、「達梁倭変」、王直らがサプアの全羅道で起こした事件。
1557年、「丁巳約条」が締結。
1588年、1586年、日本の天下統一を実現した豊臣秀吉の「海賊停止令」発布によって、終息。

Japan's worst mistake must be that it has adopted lion science from Korea(我が国の最大の過ちは、サプアから朱子学を取り入れてしまったこと)!

To be continued...

腐乱した大和魂-12 消えゆくサプアへのファイナル弔辞!?

Japan, which has historically built an equal relationship with China historically, only needs to be close to China in order to deal with Korea, which continues to belong to China(中国とほぼ対等な関係を歴史的に構築してきた我が日本は、その中国の属国であり続けるサプアと対処するには、中国と親密になればいいだけ)!

⑥10世紀、「新羅」が衰退し、「後高句麗」と「後百済」との「三国時代」。
そして、「後高句麗」を継承した「高麗」が統一。
また、926年、「渤海」が、「契丹(遼)」に征服されたとか。
812年~906年、小規模な海賊による「新羅」の入寇(外国から攻め入ってくること)」。
997年~1001年、高麗海賊(?)による入寇。
1019年、「高麗(&傘下の女真族)」による「刀伊」の入寇。
1224年から、5回に渡って、「高麗」の金州(現・中国領)や巨済島などに、初めて倭人海賊が襲来。
いわゆる「倭寇」。
「高麗」は、大宰府に、海賊取締りを要請するも、日本は無視
やがて、元に攻められ、「高麗」は降伏し、元の保護国化。
1271年、珍島や済州島に逃げた「三別抄(高麗王朝軍事組織)」が、日本に救援を求めるも、日本は無視
1274年と1281年、元の軍勢(モンゴル人、南宋人、高麗人)が日本の九州北部を侵攻
いわゆる、「元寇」。
ちなみに、歴史的に日本を攻めたことは一度もないと平然とうそぶく茶髪大統領がいるキチガイの国では、現在でも、これを「麗蒙の日本征伐」とのたまわっているとも。
ともあれ、その「文永の役(1274年)」、「弘安の役(1281年)」の二度の蒙古襲来を、北条時宗の鎌倉幕府が勇猛果敢に撃退したというから、パチパチパチ。
どちらにしても、元と「高麗」のクソッタレどもの、対馬や壱岐での童女や童子への蛮行は許し難いものがあったとか。
⑧日本は、南北朝時代の動乱期で、1350年ごろから、「倭寇(庚寅倭寇)」が活発化。
それもこれも、「承久の乱(1221年)」で敗者を支持し厳しい立場となった西国武士団が海に活路を求めたのを始まりだとか。
どうあれ、倭寇襲来に脅える「高麗」、軍備が荒廃して満足に戦えず、倭人(投化倭人:投降する倭寇)を巨済島や南海県などに住まわせ、ときに食料を供給することで鎮撫しようとしたが、倭寇はそこを新たな出撃地としただけで海賊活動は止めなかったとか。
そのうち、逃亡した禾尺・才人といった高麗賤民なども倭寇に合流。
1375年、家臣団を連れて投降した倭人の藤経光を誘殺しようとして失敗し、逆に倭寇から「高麗」は激しい報復を受けたとか。
1380年、サプアで、「鎮浦大捷」と呼ばれる高麗水軍による倭寇500隻の撃退。
そして、海賊取締を要請したが日本の北朝に無視され、1389年、対馬に高麗軍を差し向ける「康応の外寇」を行ったとか。
⑨「高麗」が滅び、「李氏朝鮮」に代わると、太祖李成桂は日本に禁寇を要求。
1392年、南北朝合一を果たし動乱を治めたばかりの足利義満は、日本側として初めてこれに応じ今川了俊を倭寇取締に抜擢し、守護大名大内義弘に命じて倭寇を鎮圧。
⑩1402年、足利義満は、京都北山に明使の返礼を受け入れて、建文帝の「冊封」を受諾。
中国で「靖難の変」。
1404年、永楽帝は改めて足利義満を「日本国王」として「冊封」して金印を下賜。
以後1547年までの150年間で19回に及ぶ、遣明船(勘合船)が出されて、「勘合貿易」。
ところで、実質的には朝貢でしかない「冊封」、日本の場合、10年1貢という特異なもので、あくまで儀礼的。
それゆえ、4代将軍足利義持、1411年、冊封関係は断絶。
6代将軍足利義教、一時復活させるが、以後も途切れがちで、1551年、勘合貿易を独占していた大内氏の滅亡によって、日明関係はほぼ断絶
ここで、東仙坊、「冊封」について、少々。
「冊封」を受けた国の君主は、王や侯といった中国の爵号を授かり、中国皇帝と君臣関係を結ぶこととか。
これよって中国皇帝の形式的臣下となった君主の国のことを、「冊封国」と呼ぶとも。
だからといって、「冊封」関係を結んだからといって、そのまま中国の領土となったという意味ではないとか。
「冊封国」の君主の臣下たちは、あくまで君主の臣下であって、中国皇帝とはどこまでも無関係。
ただし、毎年の朝貢、中国の元号・暦を使用することなどが義務づけられ、中国から出兵を命令されることもあるが、その逆に、攻撃を受けた場合は中国に対して救援を求めることができるとか。
ようは、「冊封国」の義務は多くが理念的なものでしかなく、違約しても、中国王朝側もその他に実利的な理由がない限りは、これをわざわざ咎めるようなことをしないのが通例だったとか。
まあ、その根底にあるのが、勘違いハナハダシイ「華夷思想」。
世界を「文明」と「非文明」に分ける文明思想で、中国を文化の高い華(文明)であるとし、周辺部は礼を知らない夷狄(非文明)として、峻別すること。
実にオモシロいと思わないか?
中国はともあれ、なぜそんな「華夷思想」をサプアが持っているのか?と笑いたくならないか?

If we wish for peace in Asia, Japan and China should be mutually exclusive with the Korean peninsula(アジアの平和を願うなら、日中は、お互いに朝鮮半島と関わらないようにすればいいだけ)!

To be continued...
















腐乱した大和魂-12 消えゆくサプアへのファイナル弔辞!?

Why Korea thoroughly hated Hideyoshi Toyotomi, and detest him yet(なぜサプアは徹底的に豊臣秀吉を毛嫌いし、今なお恨み骨髄に徹するのか)?

東仙坊、ここまでで想像できる、サプアが異常で執拗な「恨」に基づくストーカー的反日パラノイアになってしまった原因を挙げておきたい。
まず、「文禄・慶長の役」での日本の豊臣軍の進攻に、簡単に首都を明け渡し、スゴスゴと宗主国の明に泣きついてしまったこと。
そして、戦果を取り繕うために捕虜を偽造し、無関係の囚人を日本兵と称して明に献上したこと。
次に、サプア水軍を操り見事に日本軍に対抗した英雄、李舜臣に、派閥争いから度重なる「讒言(事実を曲げたり、ありもしない事柄を作り上げたりして、その人のことを目上の人に悪く言うこと)」を与え、「文禄の役」の終わりごろには利敵行為を糾弾し水軍指揮権を剥奪してしまったばかりか、危うく刑死寸前までに追い込んでしまったということ。
どうだろう?
メチャクチャ、サプアらしくて恥知らずな行為だと思わないか?
それから、そうでなくても赤貧だったのに、ますます深刻な財政難に陥り、ほとんど亡国状態になってしまったということ。
そして、日本軍の大名の幾人かに、多数のサプア人を「奴婢」として連れ帰られてしまったこと
最後に、豊臣秀吉から講和の条件に、サプア八道のうち南の四道を日本に割譲しろ、サプア王子および家老を1、2名、日本に人質として差し出せと言われてしまったこと。
どうだろう?
そのくらいでしか思いつかないのでは?
どちらにしても、その理由を探るには、七面倒臭くても、興味のないサプアの本当の歴史をできる限り知るしかない。
①地政学的に、半島であるということは、世界共通であるが、いわゆる「吹き溜り」…。
実際、紀元前12世紀、中国の「殷」の落ちこぼれどもが、今の北のあたりに、「箕子朝鮮」を建国したとのたまわっているが、まだ立証されてはいない。
しかし、前漢(紀元前3~1世紀)の時代に北京近くにあった「燕」の落ちこぼれどもが、「衛氏朝鮮」を建国したのは、事実かもしれないご様子。
どちらにしても、これらの「古朝鮮」、本質的に漢民族の国。
②「衛氏朝鮮」が「前漢帝国」に併合されると、三国時代(2~3世紀)までは、北部と中部は、「楽浪郡(漢→魏→晋)」。
ソウルより南部の「韓」は、すでに「馬韓」、「弁韓」、「辰韓」と小国に分裂。
まさに、すでに、イヤン、バカーン、弁解、震撼状態。
ということは、もともと誰もが自分が喰うことしか考えないジコチュウだから、何もかもバラバラ。
③4世紀、「楽浪郡」が滅亡し、満州の「高句麗」が北部に進出。
「馬韓」では、「百済」、「辰韓」では、今のサプア人のルーツである慶尚北道の小国「新羅」が台頭。
ちなみに、「新羅」の初代国王は、「卵から生まれた孤児(?)」、第4代国王は日本人とか。
そして、「高句麗」は、国家統一に成功し慶尚南道や慶尚西部や全羅南道東部である「仁那」を直接支配する大和朝廷と対立
④6世紀、「新羅」が、「仁那」を滅ぼし、「高句麗」が、首都を平壌に移し、「新羅」、「高句麗」、「百済」の「三国時代」到来。
7世紀、唐が、「高句麗」、「百済」を滅ぼすと、「新羅」は唐の完全属国となることで、「百済」全域と「高句麗」南部を領有。
「高句麗」の落ちこぼれどもが、「渤海」を満州から北部に建国。
さて、ここで、大きなポイントがある。
我が日本は、否応なしにサプアである「新羅」と対峙するハメになったということ。
というのも、「百済」を通して、中国文化や仏教を学んでいたからに他ならない。
もっとも、それゆえ、大和朝廷は、「百済」に領土を割譲したり、軍事援助や食糧援助をしたり、人材派遣までしたはず。
そして、ついには、朝鮮半島で戦争に突入。
663年、唐&新羅連合軍と大和朝廷&百済連合軍との間で、「白村江の戦い」
そして、大和&百済側が敗北すると、大和朝廷は朝鮮半島への直接介入を一切中止
また、「百済」の支配層は、大量に日本に亡命
どうだろう?
これで、「日鮮同祖論」が生まれた矛盾が明確になるのでは?
そう、「日鮮同祖論」は、もともとサプア人を低く見る傾向があった日本人に対して、古代、大陸文明の摂取にあたって「百済」などにお世話になったのだから、サプアを見下すな!と日本人を諭すためのフェイク・プロパガンダでしかなかったはず。
というのも、今のサプア人のルーツである「新羅」が唐とグルになって、「百済」を滅ぼしたのだから、一切今のサプア人は日本人と仲のよかった「百済人」とは全くの別の民族。
実際、大和朝廷も、その恨み深さや残虐性と協調性のなさに衝撃を受け、明確にサプアとの距離を取ったのでは?
現在の日本も、このことから学ぶべきなのでは?

Our Japanese people have never been taken care of by the ancestors of Koreans historically(我が日本民族は、歴史的にも今のサプア人の先祖に世話になったことなどない)!

To be continued...


















腐乱した大和魂-12 消えゆくサプアへのファイナル弔辞!?

Do you also wanna imagine what Asia would have been like if Hideyoshi Toyotomi didn't die(豊臣秀吉が死ななかったら、アジアはどんなことになっていたのかと想像したくならないか)?

東仙坊、では、外国の歴史家や日本史学者が、豊臣秀吉の「征韓の役」をどう捉えていたか? も、ついでにチェック。
●明治時代の御雇外国人、J・マードック(??~??)
「サプア出兵は、国内の安定のために諸大名の資源と精力を海外遠征で消費させる方策であった」
●ルイス・フロイス/ジャン・クラッセ/「東方伝道史」のルイス・デ・グスマンなど同時代の宣教師たち
「『基督信者の勇を恐れ之を滅せんことを謀り、戦闘の用に充て戦死せしめんと欲し、もし支那を掌握せば基督信者を騙して支那に移住せしめん』と秀吉が考えていた」
●ボールステイト大学準教授(現・南ミシシッピ大学教授)、ケネス・スオープ(??)
日本とサプアの間の戦争だとの見方は止めるべきだ。『明』を中心とした東アジアの支配体制・秩序への豊臣秀吉の挑戦。これはあくまで日本と中国の戦争。豊臣秀吉軍の侵攻直前に、『明』で内乱が起きたため、『明』はすぐに兵を送ることができなかった。そして、サプアの要請からではなく、自分たちの利益のために参戦した
どうだろう?
かなり豊臣秀吉の本心が浮き彫りになってきているのでは?
どうあれ、豊臣秀吉が、途中、息子の豊臣鶴松の誕生、小田原征伐、大仏建立などでの中断はあるにはあったが、「征明」が単なる思いつきの構想ではなかったことだけは間違いないのでは?
えっ、東仙坊はどう思うのか?って?
それは、今回のテーマの最後のオ・タ・ノ・シ・ミ。
では、いよいよ、文禄元年(1592年)4月12日、豊臣秀吉が、「明」の「冊封国」であるサプアに服属を要求したことを向こうが拒否したことで、勃発。
小西行長や加藤清正らの侵攻で、たった20日間で首都漢城を放棄したサプア国王宣祖は、明の援軍を仰いで日本軍に抵抗
明は、戦闘が遼東半島まで及ばぬよう日本軍を阻むために出兵。
ところが、戦線は膠着。
文禄2年(1593年)3月、漢城の日本軍食料貯蔵庫を明軍に焼かれ、日本軍はやむをえず講和交渉を開始。
明の沈惟敬、日本の小西行長と加藤清正の三者会談で、次の条件で休戦合意。
◇日本軍はサプア王子とその従者を返還すること。
◇日本軍は釜山まで後退すること。
◇明軍は開城まで後退すること。
◇明から日本に使節を派遣すること。
もっとも、明側では宋応昌と沈惟敬が共謀し、部下の謝用梓と徐一貫を皇帝からの勅使に偽装し、豊臣秀吉に、「この勅使は侘び言を伝える者だ」と報告し、日本に派遣したというから、黒社会国家は昔から。
4月18日、合意条件に基づき、日本軍は漢城を出て、明の勅使の沈惟敬、サプアの2王子とともに釜山まで後退。
5月1日、豊臣秀吉は、大友義統、島津忠辰、波多親を「改易処分(武士の身分剥奪、その所領や居城・陣屋・屋敷などを没収)」。
5月8日、小西行長と石田三成/増田長盛/大谷吉継の三奉行は明勅使とともに日本へ出発。
5月15日、明勅使は名護屋で豊臣秀吉と会見。
豊臣秀吉は以下の7つの条件を提示。
明の皇女を天皇の妃として送ること(?)
②勘合貿易を復活させること。
③日本と明、双方の大臣が誓紙を取り交わすこと。
サプア八道のうち南の四道を日本に割譲し、他の四道および漢城をサプアに返還すること
サプア王子および家老を1、2名、日本に人質として差し出すこと
⑥捕虜にしたサプア王子2人は沈惟敬を通じてサプアに返還すること。
サプアの重臣たちに、今後日本に背かないことを誓約させること
このとき、小西行長と三奉行は、明勅使に、「本国には書き直して報告すればよい」と進言したというから、まさに内にいる国賊。
どうだろう?
安倍晋三政権に酷似していると思わないか?
何が何でもその足を引っ張って引き摺り下ろそうとしている腐り切った自民党の内にいる媚中派や親韓派のニセ日本人どものようでは?
6月28日、小西行長の家臣内藤如安を、「納款表」を持った答礼使として北京に派遣。
7月中旬、釜山に戻ってきた明勅使にサプアの2王子が引き渡す。
明の宋応昌が、豊臣秀吉の降伏を示す文書が必要だと言うと、内藤如安、小西行長が偽作した「関白降表」を渡したというから、小西行長なるオトコも、相当狡猾。
しかし、慶長2年(1597年)、講和交渉決裂で、戦争再開。
慶長3年(1598年)、豊臣秀吉の死をもって、厭戦気分の強い日本軍が撤退で、未決着のまま終結。
こうして、朝鮮半島を舞台にした16世紀の世界最大規模の国際戦争、「文禄・慶長の役」は、フィナーレになったというのだが…。

If human beings are made ignorant or neglected, then they tend to be mess with others quickly and to be disgusting guys(人間って、のけ者にされたり、無視されたりすると、すぐいじけて、イヤなヤツになりがちなのでは)?

To be continued...






































腐乱した大和魂-12 消えゆくサプアへのファイナル弔辞!?

I don't know how much Hideyoshi Toyotomi was interested in China, but I could only understand that he didn't like Korea(豊臣秀吉が、どこまで中国に興味を持っていたかわからないが、サプアが好きではなかったことだけはよくわかる)!

東仙坊、にわか仕立てで検証した結果、我が国の多くの歴史家たちや日本史学者たちが、豊臣秀吉の「征韓の役」の考察で、豊臣秀吉がサプアに送った国書に、「ただただ佳名を三国に顕さんのみ(名声をはっきり目立たせたいだけ)」とあることを有力な根拠にしていることがわかった。
◎公卿、近衛信尹(征明討伐に参加しようとした公家??~??)
「三藐院記」…「征明の遠征準備中に弟である豊臣秀長の病死、息子の豊臣鶴松の死という大きな悲しみに遭遇し悲嘆に暮れ、その極みに至って、かえって自らの出陣と明国を隠居の地とする決意を新たにした」
◎親韓派の朱子学派儒学者、林羅山(1583~1657)
「豊臣秀吉譜」…「愛児鶴松を喪ったその憂さ晴らしで出兵した(?)」
◎儒学者、山鹿素行(1622~1685)
「中朝事実」…「サプアは日本の属国。豊臣秀吉が死去しなければ『明』も日本領になっていた(?)」、「神功皇后のころより『凡サプアは本朝の属国藩屏』なのだから従わぬサプアを征伐して『本朝の武威を異域にかがやかすこと』は至極当然である
◎儒学者、貝原益軒(1630~1714)
「欲のために出兵するは『貧兵』であり、驕りに任せた『驕兵』や怒りに任せた『忿兵』でもあって、天道に背いたがゆえの失敗であった」
◎儒学者、頼山陽(1781~1832)
「日本外史」…「サプア出兵は、国内の動乱を外に転じるための戦役だった(?)」、「豊臣秀吉が日本国王に冊封されて激怒したという有名な記述は近代以前に流布された典型的な誤解であり、基本的な史実に反する点があった。史料から豊臣秀吉自身が足利義満のように望闕礼を行ったと十分に判断でき、史学的には豊臣秀吉が意図して冊封体制と崩そうとしたという論拠は存在しないといっていい」
◎歴史家、徳富蘇峰(1863~1957)
「豊臣秀吉は英雄だったが、遠征動機は征服欲の発作だった」、「豊臣秀吉は、サプアを異国とは思わず、サプア国王は、島津義久同様、入洛し、豊臣秀吉の節度に服すべきものと思ったので、豊臣秀吉をあまりにも近世化した人間と考えてはならない」
◎歴史学者、中村栄孝(1902~1984)
「豊臣秀吉は名声不朽に残さんがために、我が国に知られていた東洋の諸国をば、打って一国と為すのを終局の希望として、海外経略の計画は進められていた。大帝国建設が目的で、政権確立のため、支配体制の強化を所領と流通の対外的拡大に求め、東アジア征服による解決を目指していた。その目的も手段も、ほとんど海内統一に際して群雄に臨んだ場合と異なることがなかった。征明の不可能なるを覚った後、所期の結果とは別に、勘合貿易の復活を考えただけである」
◎日本史学者、田中義成(1860年~1919年)/辻善之助(1877年~1955)など
「豊臣秀吉のは平和的外交。侵略の責任の一端がサプアや明にあった」
◎歴史学者、田保橋潔(1897~1945)
「どの文書にも勘合やその他の貿易についての言及はない」
◎日本史学者、三鬼清一郎(1935~)
「領土拡張説と勘合貿易説は二者択一ではない。対外領土の拡張も対明貿易独占体制の企ての一部である」
◎歴史学者、鈴木良一(1909~2001)
「豊臣政権の基盤は弱く商業資本に依存していた。商業資本による海外貿易の拡大要求が『唐入り』の背景にあった」
◎日本史学者、佐々木潤之介(1929~2004)
「全国統一と同時に、集権的封建国家体制建設=武士の階級的整備・確立と、統一的な支配体制の完成に努力しなければならず、統一的支配体制の完成事業は、この大陸侵略の過程で推進した」
◎日本史学者、朝尾直弘(1931~)
「家臣団内部の対立紛争を回避し、それらを統制下におくための論理として『唐国平定』が出てきた。惣無事令など日本国内統制政策の際にも『日本の儀はいうに及ばず、唐国までも上意を得られ候』という論法を用いていたことから、大陸を含む統合を視野にいれていた。サプア出兵による軍賦役を利用して身分統制令を課して新しい支配=隷属の関係を設定した」
◎日本史学者、山口啓二(1920~2013)
「自らの権力を維持するうえで諸大名への『際限なき軍役』の賦役が不可避であり、戦争状態を前提とする際限なき軍役が統一戦争終結後、海外に向けられるのも必然的動向である。豊臣秀吉の直臣団は少数の一族、子飼いの武将、官僚を除けば、兵農分離によって在地性を喪失した寄せ集めの一旗組が集まって軍隊を構成しており、戦功による恩賞の機会を求めていたので、豊臣家自体が内側で絶え間なく対外侵略を志向して、麾下の外様大名を統制するために彼らを常に外征に動員し、豊臣家の麾下に管理しておかなければならなかった」
◎歴史学者、藤木久志(1933~)
「天下統一=平和を目指す豊臣秀吉にとって惣無事令こそが全国統合の基調であった。『海賊禁止令』は単に海民の掌握を目指す国内政策だけでなく海の支配権=海の平和令に基づいており、全ての東アジア外交の基礎として位置付けられた。国内統一策、つまり、惣無事令の拡大を計る日本側におそらく外国意識はなく、また敗戦撤退の後にも、敗北の意識よりはむしろ海を越えた征伐の昂揚を残した。対明政策は勘合の復活、すなわち服属要求を伴わない交易政策であるが、サプア・台湾・フィリピン・琉球には国内の惣無事令の搬出とでもいうべき服属安堵策を採るなど、外交政策は重層性が存在し、豊臣秀吉はサプアに地位保全を前提とした服属儀礼を強制して従わないため出兵した。結果的に見れば戦役はサプア服属のための戦争であるが、それも国内統一策の延長であった」
◎歴史学者、岸本美緒(1952年~)
「16世紀と17世紀の東アジアにおける明を中心とする国際交易秩序の解体によって加熱した商業ブームが起き、この時期に周辺地域で交易の利益を基盤に台頭した新興軍事勢力の登場を必然とし、軍事衝突はこの倭寇的状況が生み出した」
◎歴史学者、村井章介(1949~)
戦国動乱を勝ちぬいて天下人となった豊臣秀吉が、より大きな自信と自尊意識をもって、国際社会に臨んだのは、当然のなりゆき」

Hideyoshi Toyotomi's fortune-telling eyes should have been so outstanding that they could see the other's true intentions in an instant(豊臣秀吉の鑑識眼は、一瞬のうちに相手の本音を見破るくらい傑出していたはず)!

To be cotinued...





















腐乱した大和魂-12 消えゆくサプアへのファイナル弔辞!?


It might be undeniable that a well-known general who studied history and people itself and saw through the development of Asia planned the conquest of Asia(歴史や人間そのものを勉強し、アジアの発展の遅れろ見抜いた知将が、アジア制覇をプランしたこと側面は否定できないかも)!

東仙坊、ここまで「文永・慶長の役」発生までのプロセスを書き込みながら、なぜ豊臣秀吉が「征明」にこだわったのか? その行きがかりの駄賃として「征韓」を考えたのか? ということを、必死に考察してみた。
確かに、当時の日本の海洋航法が、「地乗り航法(沿岸航法)」だったということも一因にある。
その「山あて」と呼ばれる周囲の景色の重なり具合から自分の位置を知る方法では、船団が沿岸を目視できる範囲から離れることはかなりリスキーで、相当配慮しなければ大洋を安全に横断することはできなかったとか。
このため日本水軍は、九州北部の肥前名護屋(現唐津市と玄海町)などから出航、壱岐(勝本)から、対馬南部(厳原)、対馬北部(大浦)、釜山と少しずつ海峡を横断し、朝鮮半島南部沿岸を西回りで北上する必要があったとか。
そう、物理的かつ戦略的な理由から、サプアが必要だっただけで、サプアなどハナから歯牙にかけてなどいなかったはず。
それはそうだと思わないか?
サプアは、経済とは無縁の極貧国家で、まともな軍隊さえ持っていないくせに、オレが、オレがと権力闘争に明け暮れる摩訶不思議な国。
それでいて、何の根拠もナシに、オレが一番と反っくり返る異常な国。
豊臣秀吉ならずとも、相手にならんと思うのは、当たり前。
ましてや、豊臣秀吉、戦国時代に我が日本を統一したほどの知力と武力の持ち主。
メインディッシュの明はともかく、オードブルに過ぎなかった「征韓」など朝飯前と考えていたのも、至極当然。
となると、で、で、では、なぜそんな豊臣秀吉が、「征明」、イヤイヤ、「東アジア帝国」、イヤイヤ、「世界帝国」の構築を夢見たのか?
そもそも、なぜ国外をターゲットにした戦争をプランしたのか?
それも、いくら当時の鉄砲生産数は世界一だったとしても、人夫(輸卒)や水夫(水主)などの非戦闘員が含むも、名護屋滞在の戦士が10万人、「征韓」と「征明」のための出征戦士が16万~20万、合わせて30万人とは、ちょっと凄すぎるのでは?
何しろ、日本の総兵力が約50万人(?)と言われていたのだから。
実は、豊臣秀吉のその本心に関しては、諸説紛々。
国内統一を成就したことからその戦士をレイオフをするためだったとか?
功労のあった臣下に分け与える領地や茶道具を集めるのに面倒臭くなったからとか?
日本国内最高で最強の権力を手にしたゆえ天皇の臣下の立場を超えその権威を凌駕するためだったとか?
台頭する諸大名の力を削ぐためだったからとか?
諸大名から強い要望があったからだったとか?
果ては、跡継ぎの弟(,異父弟?)や息子、豊臣秀家(1591年病死)や豊臣鶴松(1591年病死)が死んだことでヤケクソになったからだったとか?
欧州列強に対する備えのためだったとか?
どうだろう?
どれも当たらずとも遠からずの感じでは?
ともあれ、何とか、豊臣秀吉の本心を推し量る材料が、いくつか。
1つは、1577年10月、織田信長から「播磨征伐」を命じられた豊臣秀吉が、「『中国征伐』の後は九州を退治し、さらには進んでサプアを従へ、『明』を征伐する許可を請うた」とか。
もちろん、この「中国征伐」とは、毛利輝元の勢力圏である日本の山陰・山陽に対する進攻戦のことで、いわゆる中国進攻のことではない。
6年にも及んだその戦は、1582年6月21日、「本能寺の変」にて織田信長が横死したために未完のまま1582年6月23日に講和したというもの。
ただし、このエピソード、堀正意が、「サプア征伐記」に載せたために広く信じられているが、その真偽は定かでないとも?
2つ目は、1592年、豊臣秀吉が、豊臣秀次に送った「二十五箇条の覚書」という書状。
何でも、そこには、「明国を征服し、北京に後陽成天皇を移し、都の周辺の国々10ヵ国を進上する。関白には豊臣秀次を任命し、北京周辺の100ヵ国を与える。日本の天皇には、政仁親王か智仁親王を即位させ、日本の関白には羽柴秀保か宇喜多秀家を任命する。サプアは、羽柴秀勝か宇喜多秀家に任せ、九州は羽柴秀俊に任せる。自らはまず北京に入り、その後、寧波に居を定める。諸侯に天竺(インド)を自由に征服させる」というような独自の構想が垣間見れ、「明」に日本が取って代わるのではなく、東アジア全域に一大帝国を構築する気持ちがあった気もする(?)。
3つ目は、1592年6月、すでにサプアを併呑せんが勢いであったとき、毛利家文書および鍋島家文書に、「処女のごとき大明国を誅伐すべきは、山の卵を圧するが如くあるべきものなり。ただに大明国のみにあらず、いわんややまた天竺南蛮もかくのごとくあるべし」との書いているということ。
どうだろう?
少なくとも、かなり卓越した知将でもあった豊臣秀吉が、日本統一と同じプロセスとメソッドとノウハウで、アジアの諸国王を諸大名と同列に扱いつつ、「征明」をプランしたことはどうやら間違いないのでは?

Hideyoshi Toyotomi had never seriously dealt with Korea, which had not been part of the country from the beginning to the end(豊臣秀吉は、最初から最後までそのときも国の体をなしていなかったサプアなんかを本気で相手にしたことなかった)!

To be continued...










腐乱した大和魂-12 消えゆくサプアへのファイナル弔辞!?


For Hideyoshi Toyotomi who is full of insight and forensic sight, there should be no other person who couldn't be trusted as much as a man(洞察力と鑑識眼に富んだ豊臣秀吉にとって、口先オトコほど信用できない人は他にいなかった)!

東仙坊、豊臣秀吉からの返答である国書を受け取ったサプア通信使どもの一行が、そのバカにし切った上から目線の「明国全体を我が国の習俗に変えてしまおうと思う。自分が明征服の軍を出すときにはサプアもはせ参じるように」というような内容に一応は激怒して見せたものの、それは倭の国からの愚弄だからであって、そうでなければカタチだけの激怒でしかなかったはず。
それが国益などよりも自分益を優先させるサプア人の正体。
実際、戻って豊臣秀吉に「属国ではない」と直接談判しようとはせず、宗義智と玄蘇に文句を言った程度。
しかも、玄蘇が、豊臣秀吉の本意とは異なるウソで誤魔化したので、それを信じた金誠一は誤字と考え、「閣下」、「方物」、「入朝」の文字の書き換えを要求したというから、笑えないか?
一方の黄允吉は、どこかそこに豊臣秀吉の本心を感じ、一刻も早く帰還し報告すべきとそのまま出立。
1591年1月、玄蘇と柳川調信が同行したサプア通信使一行は、対馬に到着。
1591年2月、サプアに帰国。
1591年3月、サプア通信使は、国王に報告。
しかし、彼らが来日中にサプア朝廷では政変が勃発。
西人派の鄭澈が失脚、東人派の柳成龍が左議政。
そのために、黄允吉が「必ず兵禍あらん。倭は、今にも攻めてくる」と戦争が切迫している事実を警告するも、対抗心を剥き出しの金誠一が大袈裟と横やりを入れ、「そのような兆候はない」と主張。
柳成龍が、同じ東人派の金誠一を擁護し彼の意見が正しいことになり、黄允吉の報告を無視。
サプア通信使に同行ししていた軍官、黄進はこれを聞いて激怒し、「金誠一斬るべし」といきり立つも周囲に止められ、ジ・エンド。
ただし、玄蘇と柳川調信が東平館に滞在中、宣慰使(接待役、)呉億齢らは、日本の情勢を聞き出そうと宴。
豊臣秀吉ではなく宗氏の意向を汲む玄蘇は、「明は久しく日本との国交を断ち、朝貢を通じていない。豊臣秀吉はこのことに心中で憤辱を抱き、戦争を起こそうとしている。サプアがまずこのことを奏聞して朝貢の道を開いてくれるならば、きっと何事もないだろう。そして、日本六十六州の民もまた、戦争の労苦を免れることができる」と述べるも、金誠一が大義に背くと批判し口論に発展。
玄蘇、「昔、高麗が元の兵を先導して日本を攻撃した。日本がこの怨みを朝鮮に報いようとするのは当然のことだ」と言うと、みんな沈黙してしまったとか。
その後、サプアはサプアらしく、「倭軍」の能力を根拠なく軽視しただけでなく、外寇などないとタカを括るサプア国内世論の高まりに合わせ、労役を拒否する上奏が出されたというから、ピンボケぶりは昔から同じということか?
そう言えば、この期に及んで、令和元年5月2日、サプアのキチガイ茶髪大統領、「日本が歴史問題を国内政治に利用している。とても残念だ」とほざいたというから、入国禁止にすべきでは?
ともあれ、1591年5月、サプア朝廷は、「日本は朋友の国で、大明は君父である」として「仮途入明(仮道入明:明を攻める際、道を貸せ)」の要求を拒否。
さらに、宗氏が別に要求した斉浦と監浦の開港も拒否。
玄蘇と柳川調信はその国書を手に対馬に戻ったとか。
1591年6月、玄蘇の復命を受け、すぐに宗義智は、豊臣秀吉の使者として(?)、再び渡海し、釜山の辺将に対し、「日本は大明と国交を通じたい。もしサプアがこのコトを明に奏聞してくれるならとても幸いであるが、もしそうしなければ、両国の和平は崩れて大事に至る」と勝手に豊臣秀吉の要求をマイルドにしてまで警告し、再交渉を要望。
辺将はこれを上奏したが、サプア朝廷は、玄蘇らの言動を咎め、豊臣秀吉の国書の傲慢無礼さを憤激していたところだったので、何の返事もナシ。
1591年8月23日、豊臣秀吉が、「唐入り」と称する「征明遠征」の不退転の決意を改めて諸大名に発表。
宇喜多秀家が、真っ先に賛成。
五大老のうち徳川家康は関東にいて不在、他の大老、奉行は豊臣秀吉の怒りを恐れ、不承不承、賛意。
宇喜多秀家は、後に、豊臣秀吉の名代として、総大将。
豊臣秀吉は、帰順したと考えていたサプアを経由して明国境に向かうというこの遠征のために、国を挙げて出師の準備をさらに急ぐように推進。
1591年12月27日、豊臣秀吉は、関白職を内大臣豊臣秀次に譲り、自らは太閤と称して外征に専心。
豊臣秀吉は、「遠征軍宿営地」として「名護屋城(現在の佐賀県唐津市)」築造を指示。
黒田孝高に縄張りを命じて、浅野長政を総奉行とし、九州の諸大名に普請を分担。
壱岐を領する松浦隆信にも、勝本に「前哨基地」となる「風本城」築城を命令。
「名護屋城」の建設予定地は、松浦党の旗頭の波多氏の領土で、あのルイス・フロイスまでが、「あらゆる人手を欠いた荒れ地」と評した場所だったが、完成した名護屋城には全国より大名衆が集結し、「野も山も空いたところがない」と水戸の平塚滝俊が書状に記したほど活況を呈し、「唐入り」の期間は日本の政治経済の中心となったとも。
1592年、すなわち、文禄元年正月、総21軍に分けられた約30万(?)よりなる「征明軍」の編成。
宗義智とその義父(正室が小西行長の娘)である小西行長とが、まずサプア帰服の様子を確かめるべきだと進言したせいで、計画は急遽、中止。
これは、彼らが、サプア通信使がきたことだけをもってサプアが入朝したとウソをついてコトを進めていたことを、豊臣秀吉が度外視して「明征服」を実行に移そうとしていたことに不安を覚えたためだとか。
それはそうである。
目先のサプアの利権独占していただけの彼らは、「カタチだけでいいから、通信使を京都に派遣してくれ」とサプアに頼んでいたとか。
それゆえ、小西行長はウソを取り繕うために帰服したサプアが変心したとサプア人のように新たなウソをつき、「サプアが『征明軍』に道と城を貸すのを拒否している」とまで言ったとか。
サプア交渉で面目を失った小西行長は、その責任をすべてサプア側に転嫁し、「平伏して最後の交渉と相手が従わぬ場合には、自らが先鋒を務める」と豊臣秀吉に願い出たとか。
1592年1月18日、豊臣秀吉はそれを許し、両名に3月末までに様子を見極め復命するよう指示。
もしサプアが従わないのならば、1592年4月1日になったらまずサプアから『御退治あるべし」と出征開始の号令。
最後通牒の役目を担った宗義智と玄蘇は、慌てて渡海し、改めてサプア国王が入朝して服属するか、さもなくばサプアが「征明軍」の通過を許可するように交渉。
期日を過ぎて10日間も待ったが、サプアからイロヨイ返事はナシ。
そこで、やむをえず、彼らは説得を断念。
1592年4月7日、対馬へ帰還し、サプア側の拒絶の意志を豊臣秀吉に伝えたとか。
すると、釜山浦の倭館に常時滞在していた日本人がたちまち帰国。
そう、これによって「征明軍」は、「征韓軍」となったのである。

Hideyoshi Toyotomi has never considered Korea's economic slump as a country that has never been equal to them(豊臣秀吉は、経済の疲弊し切ったサプアをただの一度も自分たちと対等な国だと思ったことはなかった)!

To be continued...














腐乱した大和魂-12 消えゆくサプアへのファイナル弔辞!?


I am convinced that Hideyoshi Toyotomi, a well-known and intelligent, must have studied Korean well(聡明で情報通の豊臣秀吉が、サプアについてよく研究していたに違いない)!

東仙坊、豊臣秀吉が、糞尿とともに生活しながら意識だけはジコチュウ丸出しに自分たち民族はエラいと勝手に思い込む朱子学狂信者(?)のサプア人たちに、なぜそこまでの「恨」を与えたのか? 興味津々で「征韓」に至るそのプロセスの検証を継続。
とにかくエラぶるのがお好きなサプア、とっくに期限を越えているに、さらに1年間も応答ナシ。
1589年3月、豊臣秀吉は、サプア国王遅参を責め、入朝の斡旋を再び宗義智に厳命。
1589年6月、宗義智は、博多聖福寺の外交僧、景轍玄蘇を正使とし、自らは副使となり、家臣の柳川調信や博多豪商の島井宗室など25名を連れ「日本国王使」としてサプアへ渡海。
漢城の東平館に滞在し、サプア通信使の派遣を要求したが、交渉は難航。
1589年8月28日、仁政殿で、サプア国王の宣祖と謁見。
けれども、サプア側は、「水路迷昧」との理由で、再度、サプア通信使の派遣を拒否。
宗義智は、「海路は自分が十分知っているから、ついてくるだけでよい」と自らが水先案内人を務めるとまで申し出たとか。
すると、サプア側は、「先に誠意を見せろ!」と数年前に倭寇が起こした事件を持ち出し、対馬へ逃亡したと疑われるサプア人叛民、沙乙背同(沙火同?)なる人物の引き渡しを要求。
宗義智は、これに応え、すぐに柳川調信を対馬に帰し、沙乙背同と数名の倭寇を捕縛して連行。
それで、サプア側はついに通信使の派遣を了承。
返礼として、宗義智は、孔雀と火縄銃を献上したとか。
1590年3月、ようやく漢城府を発したサプア通信使は、正使に西人派の黄允吉、副使に東人派の金誠一、書状官許筬(許筠の兄)ほか管楽衆50余名を含む200名という大使節団。
1590年4月29日、釜山から対馬に渡って滞在1ヵ月。
対馬の山寺で宗義智が通信使を接待した際、通信使が先に座している状態で、後からやってきた宗義智が轎に乗ったまま門をくぐり、階段の下まできた時点でを轎降りたことに対し、金誠一がブチ切れ。
というのも、儒教文化、イヤ、朱子学文化の強いサプアの「礼」では、作法の誤りは相手に対する侮辱なのだとか。
それゆえ、金誠一は、執拗に宗義智の欠礼を咎め激怒して席を立ったところ、宗義智はそれを轎夫の責任と斬首し、その首を通信使に差し出して謝罪したとか。
ちなみに、その事件を、同行していた柳成龍が「懲毖録」に書き記しているとか。
1590年7月22日、サプア通信使一行は、京都に到着、大徳寺を宿舎にしたとか。
しかし、豊臣秀吉は、北条氏の小田原征伐と奥州仕置のために、1590年9月1日まで不在。
そして、京都に帰還するも、屋敷の修理(?)やらなんやらでサプア通信使と会見しようとせず、1590年11月7日、ようやく聚楽第で引見。
この豊臣秀吉の彼らへのぞんざいな対応を、宗義智と小西行長が共謀して通信使は服属使節であると偽って説明したので、豊臣秀吉がサプアは日本に帰服したものだと思い込んでいたせいだとノーテンキにおっしゃられている我が国のおエラい学者さんたちが大勢いらっしゃるようだが、東仙坊、プラグマティックでないサプア人を心底軽蔑していたせいだと確信しているのだが…。
ともあれ、豊臣秀吉は定められた儀礼もほとんど行わずに、サプア通信使から、「豊臣秀吉の日本統一を祝賀する」という内容の国書と入貢を受け取ると、中座して赤子の鶴松を抱いて再び現れ、彼らの眼の前で小便を漏らした我が子を笑い、女性を呼んで後片づけさせるパフォーマンス。
どうだろう?
インテリジェンスに長けていた豊臣秀吉、サプアに関するインフォメーションはほとんど完璧に入手していたと思わないか?
そう、すでに明を小バカにしていたのだから、明に尻尾を振っているサプアなんかをハナから相手にするつもりなど毛頭なかったのでは?
その証拠に、その対応にサプア通信使どもが憤慨している様子を見て、正使と副使に銀400両を、その他の者には身分に応じて品物を与えてすぐに黙らしているのでは?
もちろん、そんなことだから国書への返答の用意もナシ。
それは儀礼に反するとサプア通信使が抗議してきたので、仕方なく僧録西笑承兌が起草させ、堺で逗留していたサプア通信使一行に国書を届けたのでは?
もっとも、その国書には、豊臣秀吉の本心が満載だったとか。
概要的に列挙すると、①豊臣秀吉、自らが「日輪の子」であるという感生帝説の披露。
②大明国を征服し日本の風俗や文化を未来永劫に中国に植えつけるという大抱負。
③先駆けて「入朝」したサプアを評価して安堵を約するという甘言。
④「征明嚮導」、つまり、「明遠征軍」を先導をすることの上意下達的命令。
と同時に、応じるならば盟約はより強固になるが、応じないと片づけるという脅迫。
まあ、全てのベースに、「ただただ佳名を三国に顕さんのみ」という豊臣秀吉個人の功名心の誇示も、確かにあるが…。

Who will respect the country where leaders in politics are self-centered and not united(政治を司るリーダーたちがジコチュウでで一つにまとまらない国をどこの誰がリスペクトするのか)?

To be continued...















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人間通の東仙坊が、人間の弱気と恥ずかしい業が生む、情けなくてみっともない犯行を、徹底的に追及、究明。

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