検証プロファイリング 佐世保小6同級生殺人事件と長野義妹殺人事件の酷似点-17
こんなにヒドイ、こんなに悲惨な、こんなにムゴイ、思わず目を覆いたくなる、メチャクチャな、残虐極まりない、言葉にならない、このまだ12歳の女の子が自分の同級生をカッターで刺殺した殺人現場を目撃してしまった人たちの率直な感想である。
本当に、こんな殺人を犯したヒトが、許されたままで、いいのだろうか?
心から、本気で考えて欲しいと、東仙坊、願っている。
余談だが、まさにこの事実こそが、東仙坊、ブログを立ち上げようとした伏線である。
プロフェッショナルの救急隊員がその現場を見て、サバイバーズ・ギルトになってしまうような凄惨な殺人事件を12歳の女の子が日本で起こすなんて…その時、錆だらけの汚いボロボロの釘が、間違いなく頭のどこかに突き刺さり、未だにそれが抜けないのである。
天真爛漫。天衣無縫。お転婆。屈託のない、無邪気で、清廉で、潔白な、純情な女の子でいっぱいの日本になって欲しい。
それこそが、こうしてブログを書き続けている原動力でもある。まさに、甘ちゃん、だろ?
検証プロファイリング 佐世保小6同級生殺人事件
■事件の残忍極まりない犯行詳細-2
午後1時5分、佐世保警察署員が到着。
「何があったの?」の警官の事情聴取に、表情一つ変えず、
「自分がやった」「死ぬまで待って、バレないように教室へ戻った」「私、どうなるの?」
などとほんの少しだけ答える。
午後1時55分、佐世保警察署へ移送、補導勾留。
その後、ほとんど何も話さない。
警察の方も、どうしていいのか分からなかったのが実情のようである。
夜に幕の内弁当を半分食べる。
2004年6月2日、事件翌日、事情聴取(?)が恐る恐る始まる。
事件以外のことには、はにかむように話すが、事件のことになると、難しい顔を作り、黙る。
また、家族に会いたいと言わない。
その夜、眠れない。
2004年6月3日、朝食を全部食べる。
「ああ、やっちゃったと思った」
「何でやったのかな。よく考えて行動すればこんなことにはならなかった。手紙や掲示板でなく、会ってあやまりたい」
「一人で悩んでいた」
「交換ノートと掲示板以外では別に何の問題もなかった」
「これから普通の暮らしができるといいんだけど…」
などと答えたことになっているが、弁護士による意図的情報操作が始まっているようなので、信憑性はあまりない。
2004年6月4日、初めて両親が面会。
ジャジャ馬サイコは視線を2人から外したまま、母親は涙するだけ、父親が、
「朝晩手を合わせて拝むんだよ、天国に行ってくれるように」という。
やばい、完全に、胃の中でバーン、バーンと6尺玉の花火が破裂し始めた。
■東仙坊による、事件総括
「天国に行ってくれるように」ということは、ジャジャ馬サイコを立派に育てたお父さん、U.L.G.はまだ天国に行っていないということ?ということは、U.L.G.は今地獄にいるということ?あるいは、無念でまだ成仏していないということ?東仙坊、再三再四書き込んできたが、お父さん、ところで天国って本当にあるの?あなた行ったことあるの?
どちらにしても、それが人殺しの娘に語りかける言葉??
やはり、こんな父親だから、ジャジャ馬サイコがこんなことになったのかも…。
誰も言わないから、はっきり言う。
お父さん、あなたには子どもを育てる資格は全くない。
さらにこの父親への憤怒の念が強くなると思うが、事件から2年後、2006年12月3日に公開した手記をそのまま載せる。
東仙坊が、この父親に激昂する意味が、きっとわかってもらえると信じたい。
特に納得できない箇所にアンダーラインをしておく。
私どもの娘が取り返しのつかない事件を起こしてしまってから、2年がたちました。
娘が大切な将来を奪ってしまった被害者様とご家族様に対しましては、どのようなお詫びをしても償いをしようとしても、しきれるものではありませんが、ただただ「申し訳ございません、一生償いを続けさせてください」と申し上げるばかりです。
私どもは、以前は、子供が被害者になる事件のことを見聞きする度に、自分の子供が被害にあわないようにするためにはどうしたらいいだろうと考えたりしておりましたが、まさか自分の子供が重大な事件を起こして加害者になるとは想像したこともなく、連絡を受けても最初は信じられませんでした。
私どもは、家庭内で娘と普通に親子の会話をしているつもりでした。娘は、学校での出来事や、好きな本のことなどをいろいろと話してくれていました。身体に障害のある私のために、着替えなども手伝ってくれました。
娘が事件を起こす2、3日前、私は「チソン、愛してるよ」という本の広告を見つけました。交通事故で顔と身体にひどい火傷と障害を負った韓国の女子大生が、最初は絶望していたけれども、やがてありのままの自分を見つめ、全身の障害と戦いながら前向きに生きるようになるまでを書いた手記だということでした。私が娘に内容を説明して「こんな本があるよ。すごいね。読んでみる?」と尋ねると、娘は興味を持った様子で、「読んでみたい」と言いましたので、私はすぐにこの本を注文しました。
事件の前夜、私が娘に「今日、本を発送したそうだよ。2、3日で届くよ。楽しみだね」と言いましたら、娘はにこにこして嬉しそうに「うん」とうなずいていました。しかし、その翌日に、娘は事件を起こしてしまいました。
あのような本に興味を示して、私の話も素直に聞いていた娘の心の中に、恐ろしい考えが隠れていたとは、今でも信じられない気持ちです。(この本は、後日施設で娘に差し入れて読ませました。娘は感想文を添えた手紙を送ってくれました)
私どもは、現在もずっと、どうして娘があんなことをするような子供になってしまったのだろうと考え続けております。いくら考えても答えは見つかりませんが、娘の考えや行動をきちんと見守ることができなかった私どもに大きな責任があることは間違いありません。
この2年間、どのようにすれば償いができるかを考えてまいりました。どのような形でお詫びをしようと、娘が起こしてしまった取り返しのつかない行為の責任、そしてあのような娘を形作った私どもの責任の償いができるとは、とうてい思いませんが、私どもは、あの子を育てた親として、自分たちの至らなかった点を考えて反省し、娘が起こしてしまった事件から目をそらさず、決して逃げないようにするつもりです。
娘は現在、専門の先生方のご指導の下で、人間としての正しい心を身につけるための勉強を続けております。最近では、面会のときに、自分がなぜあんなことをしたのだろうと考え込んだり、(被害者様の)お父さんは私のことをどう思っているだろうと言ったり、反省の言葉を自分から手紙に書いてくるようになり、私どもも娘の心の大きな変化を感じております。
娘には、自分がしたことの重大さをよくかみしめさせ、親子で一緒に、一生懸命謝罪し続けていくつもりです。
事件当時の同級生、在校生、保護者の皆様、担任の先生、校長先生をはじめ諸先生方、その他の地元の皆様には、言葉では言えないほどの大変な苦痛、ご迷惑をおかけしました。大変遅くなってしまいましたが、心から深くお詫び申し上げます。
全国の皆様にも、不安と御心配をおかけしました。この機会をお借りして、皆々様に心からお詫び申し上げます。
最後に、被害者様とご家族様に改めて深く深くお詫び申し上げるとともに、心から被害者様のご冥福をお祈りさせていただきます。
ちなみに、事件後、ジャジャ馬サイコの母親、姉、祖母は関東方面に転居し、依然父親一人だけが家でその帰りを待っている。
東仙坊、イヤでも言わざるを得ない。
こんな父親では、ジャジャ馬サイコを立ち直らすことなど、絶対にできない。
そして、こんな餓鬼姫がノコノコと世の中に戻ってくることを、絶対に許せない。
そのためにも、ムカツキ、キレ、一旦別のパーソナリティーになってしまうと、人を殺しても何の断罪されず、簡単にリセットして、元の普通の暮らしに戻れるという現状を変えなければならない。
「責任能力」って、一体、何?
誰しもが生を受け、63億分の1の個体として地球上で生き始めたときに、その個体がすでに有しているものでないのか?
生きている限り、その責任が付いてまわり、自分の魂が是認できる形での死とともに、その責任から放免されるものでないのか?
それゆえ、仮に殺人を犯した加害者は、生きている限りその責任を果たさなければならないだけでなく、そこに魂が是認できない形で殺されてしまった被害者の責任が残存し、当然その分の責任まで果たさなければならなくなる。
そうすると、人間はもともと虚弱で、自分一人分以上の責任が負えないから、魂で是認した形で自分が死ぬしかないのである。
つまり、人を殺したら、自分が死ぬしかないという自己認識能力が必要なのである。
それが責任能力なのでは、ないのか?
その意味では、人を殺したヒトに責任能力を問う必要はない。
そのぐらい簡単明瞭にさせなければ、これらの卑劣で卑怯な犯罪を絶対に抑止できない。
Someone to kill someone must die at once, that is all(自分が誰かを殺せば自分が死ぬ、そうあるべき)!
to be continued…
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